4話 お嬢様
血みたいな赤い髪。なのに血色の悪い白い肌。
すっと通った鼻筋も、色づいた口元も、お高く止まってすごく下品。
細くしなやかな指が向かう先なんて――。
キライ、キライ、全部キライ!
今すぐに、消えてなくなればいいのに。
「ぅわぁ……広すぎるぅ」
馬車が鉄の門をくぐり、幾ばくか。
やっと着いたと思った屋敷の前を通過し「そこは今は使われていない予備の建物だ」とベルデに言われ、ササハはぽかんと間抜け面を晒した。リオはリオで通り過ぎた建物に「あれ? この建物じゃなかったっけ?」と不思議そうに首をかしげていた。
ベルデ曰くリオーク一族は引っ越し? が好きらしく、当主が変わるタイミングで屋敷を移すのだと言う。ただその引っ越しも、敷地内に建てた四つの屋敷を代ごとに移す、という事らしいのだが。
「ちょうど先代の当主様が亡くなられたのが、十一年前。確かノア・リオークが養子になったのもその頃だったな」
「そうだっけ?」
自分の事なのに首を傾げるリオに、ベルデも俺はそう聞いているが違うのかと首を傾げる。
「十一年前の代替わりの際は屋敷を移ることは無かったらしいが、一昨年辺りか。お嬢様の様子が急激にお変わりになられて……。少しでもお嬢様の気持ちが晴れればと、一年半ほど前に今から向かう明けの館に移ったんだ」
「なるほど。僕が家を出てから一度屋敷を移してるってことね。一瞬、家の場所すら忘れたのかと自分の記憶力を疑ったよ」
馬車が少し速度を落とし、ベルデの話が一旦終わる。
ベルデは自身で馬車の扉を開くと先に降り、ササハに掌を差し出した。ササハはきょとんとした後、にっこり笑ってその手を握り返した。
「握手じゃないよ。降りる時に危ないからどうぞって」
「わたしこれくらい平気よ?」
「なんとベラバンナ。見事なジャンプだ」
「もっと高いところからだって飛べますよ」
「それは止めて。いつか怪我するよ」
「えー」
「ササ」
「はーい」
生返事を返し「……絶対するじゃん」「するだろうな」という会話は聞こえないことにした。
大きな屋敷を前に、ササハは後ろに転ぶんじゃないかと言うほど仰け反った。仰け反らなければいけない程大きな屋敷が、敷地内で引っ越しが出来る程あるなんて。
「お金持ちの考えることは分からないわ」
「声に出てるよ。それに、一棟の広さで言えばカルアンの方が上だよ」
「そうなの! ここよりもっと大きいの?!」
「数は断然リオークのが多いけど。てか、リオークが特殊なのかな?」
比べる基準が四大家門な時点でアレなのでは? とベルデは思ったが、口に出さず入り口へと進む。落ち着いた赤を基調とした大きな扉の前には、一人の老紳士が立っていた。
「おかえりなさいませ、お坊ちゃま」
黒のかっちりとしたジャケットにクロスタイ。ふさふさの口ひげを蓄えた老紳士がリオを出迎える。それにリオはバツが悪そうに応え、足を止めてしまった。
リオが足を止めてしまったからか、ベルデが前に出て老紳士に声をかける。
「やあ、バルトロ。今朝ぶりだね」
「お帰りなさいませと申し上げたほうがよろしいでしょうか、オブビリド様」
「それは素敵だ!」
そこでベルデは言葉を切りリオに目配せする。
「どうした? お前の可愛いベラバンナを紹介しなくても良いのか?」
「……紹介、します。この子はササハ。カルアンからの大切な客人だよ」
「かったいなぁ。なんだその態度は」
「ぅ、煩いな!」
「はじめましてササハです」
「ようこそお越しくださいました。私、バルトロと申します」
「バルトロ、さっそくですまないが奥様にご挨拶がしたいのだが? ……可能だろうか?」
「奥様は体調が優れないようでして」
「お嬢様は? いや、先に俺が様子を見てくるので、二人の案内を頼む」
「かしこまりました」
「ノア・リオーク」
ベルデが振り返りリオを見る。
「自分の家だ。堂々としていろ」
「わ、分かってるよ!」
二人のやり取りにバルトロは何も言わなかった。
ベルデと別れ、ササハとリオはバルトロに案内され応接室へと案内された。
部屋には大きくてふわふわのソファと、これまた大きなテーブルが部屋の中央に置いてある。壁の一面には縦長の窓が並んでおり、飾ってある調度品はどれもお高そうだ。
その部屋に案内される道すがら、すれ違った使用人は一人もおらず、屋敷は静かだ。
バルトロがリオに二、三何かを告げて部屋を出たが、ササハは天井を見上げるのに夢中で気づいていなかった。
横長いソファーに二人並んで座り、隣でリオが大きなため息を付いた。
「かぇりたぃ……」
「ここがリオのお家じゃないの?」
「そうだけどそうじゃない」
「???」
「はぁぁぁ~」
実家に来てほしいと言ったのはリオだろうと思うも、見るからに暗雲を背負う横顔には告げられなかった。
「さっきの――バルトロさん? あの人は誰?」
ササハは窓の外を見ながら、座っているクッションの感触を楽しむ。
「たぶん、執事の人?」
「たぶん?」
「だって、僕がリオークを出たのは三年も前で……。その時から居た気はする」
「居た気がするってどういう事?」
「…………言い訳するなら、僕は屋敷を持たない騎士たちの宿舎に無理言って部屋を貰って、屋敷には殆ど戻ってなかったから面識もそんなになくて」
「もしかしてお部屋もらえなかったの?」
「違うよ! 僕が気後れしたって言うか、肌に合わなくて……勝手しちゃったんだ」
「そっか」
ササハは外を見るのを止めて、伸ばした自分の足先を見た。ボロボロで汚い靴。半年前に母に買ってもらった靴だ。大事に履いていたつもりだったが、沢山歩いたし山道を走ったりもした。
その汚れたボロ靴が、毛の長い上質な絨毯の上にある。
「わたしも、そうなるのかな?」
「何が?」
「ここよりも大きなお屋敷なんでしょ? どこに居たら良いか、分からなくなっちゃうかも」
「…………」
リオはササハのことを、カルアンの人間だと紹介する。
絨毯を汚してしまったと眉を下げるササハに、リオが気にするなと声をかけてくれた。
「ねえ。リオの妹さんはどんな人なの? 何歳?」
「ローサは確か、今は十三……だったかな、たぶん。赤い髪に、控えめで大人しい子だったよ」
「一緒に遊んだりした?」
「あんまり。僕は剣の稽古や特殊魔具の訓練で忙しかったし、逆にローサは部屋で本ばかり読んでたな」
「本が好きなんだ」
「僕の証言はあてにはならないよ」
「なにそれ」
ササハがテーブルの上に置かれているカップに手を付ける。バルトロが部屋を出る前に入れてくれた紅茶という飲み物。村に住んでいた時も数回だけ口にしたことがあったが、色も香りも全く別物である。リオに勧められ、砂糖とミルクも入れさせてもらった。
――リンゴン、リンゴン
「きゃあ! なに!? 何の音??」
「時計だよ。知らないの?」
突然高めの鐘の音が響き、ササハはカップを取り落しそうになる。
音のほうへと振り向けば、見たこともない不思議な置物がチェストの上に置いてあった。
上部は丸くて、小さなベルのような物がぶら下がっている。それが櫓のような白の台座の上にあり、上部の丸い部分には光る魔石と十二個の数字が刻まれていた。
「とけい――聞いたことはあるけど、見るのは初めてだわ」
「あれは魔石が付いてるから、自分で時間を合わせる必要がなくて便利なんだ」
「でも数字が多いわ? 鐘の報せは一から八までだよ」
「鐘の場合はね。鐘は夜の間はベルを停止させてるだけで、本当は日に十二回。王都の魔塔を基準に時間を報せてくれるんだ。時計だと、今は後の四の時間。鐘で言うと六番目の鐘だね」
「そうなんだ」
「小さいのでも一つ持ってると便利だよ。魔石のついてないタイプなら安値でも売ってるし」
「リオの安いは信じられない」
「信じられないって言われた。傷つくー」
ズズ、とリオは音を立て紅茶を飲んだ。
ササハが「近くで見ても良い?」と立ち上がろうとし時、遠くから聞こえてくる足音が扉の前で止まり、勢いよく応接室の扉が開いた。
リオと二人、突然のことに固まる。開かれた扉の向こうには、真っ赤な髪の少女が一人立っていた。
少女と最初に目が合ったのはリオ。少女はすぐにリオからササハへと視線を移すと、空色の瞳をキリリとつり上げササハを睨みつけた。
少女は足元に置いてあったマグカップ――おそらく自分で持ってきて、扉を開けるために一度床に置いた――を拾い上げ、ササハへと近づいてくる。
カップの中身にはワインレッドの液体が波々と揺れていて、溢さないよう慎重に両手に持って歩く。そしてようやくササハのすぐ側まで辿り着いた時、少女はそれをササハ目掛けて大きくぶちまけた。
「非礼を詫なさい、この泥棒ねこ!!」
「え……?」
「ちょっ、なにしてっ!」
雑な軌道の結果、半分以上は絨毯の染みになったが、残りはササハにかかった。
「甘い。これ葡萄ジュースだ」
「毒かも知れないのに舐めるなよ!? 大丈夫!?」
リオがハンカチを手に慌てて駆け寄ってくる。
「ローサ!」
「お嬢様!」
リオと、それとは別に廊下の奥。開けっ放しの扉の向こうから、ベルデの声が重なった。
ベルデには室内の様子が見えてはいないようで、少女を呼ぶ声には安堵が強い。しかし少女――ローサはビクリと肩を震わせ、持っていたマグカップが絨毯の上へ落ちた。
「お嬢様。どうしてお一人で先に――お嬢様?!」
ローサは心配の声を振り切って、ベルデと入れ替わるように廊下へと飛び出す。ベルデは一度室内に視線を戻すと、遅れて状況を把握し眉を寄せた。
視線の先には赤い雫を垂らすササハに、盛大な染みを作った絨毯。ササハの隣には表情をしかめたリオが立っている。
「言っとくけどササは何もしてないよ。ローサが急に来て、何かぶちまけて行ったんだ」
「……申し訳ない。大丈夫かい、ベラバンナ」
「大丈夫です。ちょっとべたべたするけど」
「すぐ湯の手配をしてもらおう。えーと、そうだバルトロは」
ササハの足元には白のマグカップ。柔らかな絨毯の上で割れること無く転がっている。
ベルデは来たばかりの道を引き返し、部屋にはササハとリオが取り残される。
「ねえ、リオ」
「ん?」
「あの子、泣きそうだったよ?」
砂糖の入った葡萄ジュースは、とても甘い味がした。




