3話 ベルデとの話
揺れも少なく乗り心地の良い馬車。ササハは密かに心躍らせた。
座面は適度に柔らかく、お行儀は悪いかも知れないが遠慮なく体重を預け、深めに寄りかかった。
ササハの隣にはリオ。二人の正面には、白の制服をかっちり着込んだベルデが座っていた。
「それで?」
ベルデが笑みを残したままリオに問う。
ササハはきょとりと二人を見比べる。ササハとリオを呼び止め、連れてきたのはベルデのほうだ。なのにそれでとは?
ササハはこっそりベルデを盗み見る。口元は弧を描きながらも、目元は冷ややかにリオを見ている。なのにササハの視線には咎めることをせず、にこりと笑みを作り直す。
なんとも言い難いが、豪華な馬車で高揚したササハのテンションが、しゅるしゅるとしぼんでいくのを感じた。
「この子はカルアンの新人だよ。そう探るな」
リオが鋭い視線をベルデに向ける。ベルデは心外だと言うように、大きく肩をすくめてみせた。
「探っているのではなく、キサマに説明を求めていただけだ。ベラバンナを怖がらせるつもりは微塵もない!」
「でもお前カルアン嫌いじゃん」
「カルアンは嫌いだ! だが、それ以上に子供は好きだ!」
「へ? 子供? 子供って何の話??」
「んんー! ササ。気にしないで。ただコイツが勝手に、性癖暴露しただけだから」
「性癖ではない! し・ん・ね・ん! だ!」
「へー。子供好きなんですね」
「子は宝っ!! 守るべき至宝さ!!」
「馬車ん中で叫ぶの止めろ。うるさい」
少し緩んだ雰囲気に、ササハはへらりと笑う。ベルデの事は名前しか知らない。他所者を警戒する空気を知っているササハは、あえて口を挟まずリオからの説明を待った。
馬車はすでに走り出している。
リオはまずササハへと向き直り、おざなりにベルデを指差した。
「紹介するよ。ベルデ・オブビリド。二十六歳。リオーク家の騎士団団長とフェイル部隊の指揮隊長を兼任してる変人」
「よろしく。カルアンの幼き新星よ」
「よ、よろしくお願いします」
「で、この子はササハ。えーと、所属はまだだけどカルアン関係者。――レンの探してた子って言えば分かるよね」
「! ――それでは」
「カルアンに戻る前に、僕の用事で連れてきちゃった」
「は?」
「ベルデは最近自分の屋敷には戻ってないの? 悪いけど、レンからすっごい連絡きてるかも。ごめんね」
「・・・ぇ………………、」
ベルデが右手で拳を作り、リオの頭に振り落とした。リオは避けずに衝撃を受け止める。
「いったぁ~」
「キサマっ、何を、馬鹿なのか!?!?」
「誘拐じゃないよ。ちゃんと本人には了承を得てるし」
「ご家族に得ていなければ同じだ大馬鹿者がぁっ!!!!」
がすがすと、今度は平手の側面を振り下ろす。仲が良いのだなぁと、止める必要はなさそうだ。
ササハはふと、窓の外を見る。
遠く離れた丘の上に、背の高い柵と幾つかの建物が見えた。
「すごい……何の施設だろ」
「施設じゃないよ。リオークの屋敷だよ」
「え!」
「一個人宅」
「嘘だ! あんなに大きいのに!?」
「嘘じゃないよ。まあ、使用人の宿舎や騎士たちの建物とかもあるけど」
「施設だ!」
「だから違うって」
はしゃぐササハとリオのやり取りに、ベルデが目を丸くした後、微笑ましいものを見たような満足そうな笑みを浮かべる。
それにササハは頬を染め、恥ずかしそうに窓から身体を離した。
「うるさくしてごめんなさい」
「構わない。到着までまだかかる。存分に景色を楽しむと良い」
「ありがとうございます」
ササハは嬉しそうに笑い、ベルデもにこっと大人には見せない笑顔で返す。
「うん。実に可愛らしい。――彼女か?」
リオに向き直り、リオが盛大にむせる。
「いや、違うけど?! なに? なんで急にそんな発想に??」
「でなければ何だ? 三年前リオークを捨て、カルアンに逃げたキサマが。今更なぜ戻ってきた」
「それは……」
「キサマの名で女性名義の旅券申請がされたと連絡が来た時、てっきり名を外しに来たのかと思ったぞ」
「…………ちょっと調べ物があっただけ」
「わざわざカルアンの幼き姫を連れてか? ……本当に意味が分からない。あぁ、ベラバンナ! 君が望むなら、俺が今すぐにでもご家族の元へ」
「わたしリオのお家に行きたいです。どうしても、知りたいことがあって」
「知りたいこと?」
「ノアの手がかり、です」
「ノア!?」
リオーク家に向かっているのは、ノアの手がかりを探すため。
ササハはリオがなぜカルアンにいるのかも知らないし、気にもしていなかった。旅行気分でのんきに浮かれていたが、もっとリオークの家について話を聞いておけば良かったと表情を曇らす。
しょんぼりしてしまったササハとは裏腹に、ベルデは驚愕に大きく仰け反った。
「キサマ! ノア・リオーク!」
「え? 僕にくるの?」
「なぜ、そんな、あれほど名で呼ばれるのを嫌っていたではないか」
「うん……まあ、それはそうなんだけど」
「お嬢様や奥様にすら頑なな態度だったくせに……その名を許すなど、やはり嫁ではないか!! 婚約報告かキサマ!!」
「だから違うって」
「さてはカルアンに婿入りする気だなぁ!!」
「だぁーもう!! そう言うお前の用事は何だよ! ルネアーロの街で会ったのも偶然じゃないんだろ?」
うぐぅとベルデは小さく呻き、顔のパーツをギュッと寄せて謎の表情を浮かべた。
「いや、なんの意思表示なわけ? その顔」
「まさかキサマに言い当てられるとは、あまりにも不覚。未熟。不甲斐なし」
「そこまで言う??」
(お嬢様?)
テンポよく言い合う二人に、ササハは気になった単語を拾う。
「あの……お嬢様って?」
遠慮がちにベルデへと問いかける。ベルデは対子供専用のにっこり笑顔で答えてくれた。
「ローサ・リオーク様。リオーク家の次期当主となられるお方だ」
「次期当主さま」
「そこの馬鹿者の妹君でもある」
「リオ、妹がいたの!?」
「……うん、まあ。そうなるのかな」
「?」
リオの煮え切らない態度に、ベルデの眼光が鋭くなる。
「キサマ、お嬢様に何か不満でもあると言うのか?」
「違うよ……そうじゃなくて、養子だしさ」
誰がとは言わなかったが、曇るリオの表情に誰かは分かった。
「本当の家族でもないのに、なんか……お兄さんぶるのも」
「キサマ、まだそのようなことをっ!」
今にも血管がブチ切れそうなベルデだったが、リオは面倒そうに眉を寄せる。
「別にお前には関係ないだろ。本当、ローサのことになると煩いなぁ」
「キっ――」
「だ、喧嘩は駄目」
ベルデが思わずリオへ掴みかかり、咄嗟にササハが止めようとする。困惑し青ざめるしか出来ないササハに、ベルデはしぶしぶといった様子で掴んでいた手を離した。
「けど、今のはリオが悪いと思うので、ちょっとなら叩いてもいいと思います」
「あれ? ササちゃん?」
しかしササハは秒で掌を返し、ベルデに軽い制裁を勧める。
「だって、事情は知らないけど、さっきのリオは感じ悪かったし」
「そ……れは、その……」
「わたしはリオのお家のことなにも知らないから、あんまり言えないけど、もし……もしだよ? 妹さんがリオと仲良くしたいと思ってたら、リオの態度は傷つくなって思うし。そりゃ、リオもなにか事情があるのかも知れないし、本当にわたしが言うことじゃないんだろうけど、……でも」
デコピンとか、ほっぺをつねるとか。それぐらいの仕返しは仕方ないのではと、ササハが身振り手振りで訴える。
リオは大きく口を閉会した後、一度だけ視線を彷徨わせ力なく目を伏せた。
「ご、……めん」
心当たりがあったのか、リオが謝罪の言葉を口にし、そこでようやく呆けた顔をしていたベルデが大口を開けて笑い出した。
「ふふ……あっはっは、愉快愉快だぁ! あのノア・リオークが自身の振る舞いを顧みて謝罪したぞ!」
正面に座るベルデが左手でササハの肩を叩き、右手でリオの頭を下に沈めながら、至極嬉しそうな笑顔を向ける。その笑みは今までのにっこり笑顔とは違っていた。
「酔う~。ゆすらないでくださいぃ~」
「痛い、から。いい加減、頭を押さえつけるのを止めろ!」
「そうなんだ! コイツはいつだって態度が悪く、そのせいでお嬢様も心を痛めておられた。健気に兄と慕っておられたのにコイツは素っ気ない態度ばかりで」
「ぅ……それを今言わなくても」
「なら、やっぱりお嬢様にも詫びないと」
「そうだとも、ベラバンナ! 君は本当に良い事を言う!」
「~~うぅ。分かった、分かったからもう勘弁してよ」
「だがしかし!!」
「「!?」」
突如、流れをぶった切って叫んだベルデに、ササハもリオも肩を跳ねさせる。ササハは純粋に声の大きさに驚き、リオは不審に眉を寄せた。
二人の困惑を他所にベルデは大げさに手を離すと、真剣な面持ちで押し黙った。
いきなりの静寂が、場の空気を一変させる。
「ベルデ?」
リオが戸惑い呼んだ。
「お嬢様のことで、協力して欲しいことがある」
ベルデはササハへ向き直り、正面から見据えハッキリと言った。
「できれば、ノア・リオークから謝罪を引き出した君にも」
「わたしも? ……わたしに出来ることなら、構いませんが」
「なに? ローサに何かあったの?」
ベルデはまだ迷う様子を見せたが、意を決したように顔を上げた。
「お嬢様の様子が変なんだ」
「変ってどういう風に?」
「数年前から、徐々にではあるが……おそらく『印』のせいだろう」
「『印』って確か」
ササハの顔が青ざめる。
呪われた四つの一族に二人ずつ発現する印。呪いが発動し影響を受けている人物と、次にその影響を受ける人物。
リオはその事に驚いた様子はなく、ローサの『印』は前からのようだ。
「もしかして『印』が代替わりしたのか? とうとうローサが」
「それはまだだ。ただ、お嬢様の言動に不安定さが目立ち初めて――まるで」
そう、あれではまるで
「まるで別人にでもなったかのように、人が変わってしまったんだ」
ベルデの言葉に、ササハもリオも息を呑む。
二人の様子に、ベルデが真の意味でその理由に気づくことはなかった。




