1話 リオーク領へ
「うわぁ。すごい。動く。走ってる。景色も一緒に流れてくよ」
流れる木々を見送り、魔石を頬張る列車が走る。
風も雲も追い抜いて、興奮したササハが半分ほど押し上げた車窓から顔を覗かせた。
「危ないよ。ちゃんと座って。窓もそんなに開けちゃ駄目。もう少し閉めなさい」
「はーい」
ササハの向かいにはリオ。リオは苦笑しながら窓枠に頬杖をついている。
石炭ではなく、魔石で動く貴族向けの列車。大人が四人乗っても余裕がある個室には、今はササハとリオの二人だけだ。
「わたし列車に乗ったの初めて!」
「そう。楽しそうで良かった。けど、足をぶらぶらさせない」
「あ、つい」
「たかが列車にそこまで喜んでくれるなんて、ササは可愛いねぇ」
「むぅ」
真正面に座るリオが意地悪く笑う。ササハはぶう垂れながらも姿勢を正し、今度は控えめに外の景色に張り付いた。
ふんふんとごきげんな様子で鼻歌を歌う。
ササハがロキアを立ってから五日が経った。リオが諸々の面倒事をレンシュラに押し付け、裏をかくように出てきたことをササハは知らない。
最初レンシュラにリオーク家に行きたいと伝えたところ、普通に反対された。まずは父の実家であるカルアンに帰るべきだと。
ササハはそれもそうだなと納得したがリオが難色を示し、「先に約束を取り付けたのは僕だから」とレンシュラの主張を跳ね除けた。
そのあとの「それに」と付け足された言葉はレンシュラにしか伝えられず、ササハはその内容を知らない。
微かに漏れ聞こえた内容は「家のごたごた」だとか、「急に現れた次男の一人娘」「お家問題――」などで、深掘りするのは止めた。
結果、レンシュラはしぶっしぶ、リオの言い分を理解した。理解したが、納得はしなかった。なので置いてきた。リオの独断で。
「レンシュラさんも来れたら良かったのにね」
「レンはカルアンの人間だからね。領地を出るのにも、色々と手続きとかあったんじゃないかなー?」
「ふーん。そっか。大変なんだね」
「ねー」
もちろん嘘である。レンシュラもリオと同様、南部どころか、王国内ならどこでも行き来可能な、超特別レア通行証を持っている。が、それはササハの知るところではない。
「女将さん、怒ってるかな」
ササハが小さく呟く。
本当は一度、何も言わずに飛び出してきた村に戻るつもりだった。だが、リオが「列車にも都合があるから急ごう」と言うので、列車の都合とはなんだろうと思いながらも、手紙だけを出して列車に飛び乗った。今日か明日には、村にいる女主人の元に届いているかも知れない。
「ねえ。リオのお家ってどの辺り? あとどのくらいで着くの?」
ササハはくるりと身体の向きを変えリオに問う。
「リオーク領は南部の真ん中くらいにあるよ。今日はこのまま列車に泊まって、明日、駅に着いたら馬車でさらに二日くらいかな」
「こんなに速く移動できても、そんなにかかるのね」
「五区境を越えるからね。そりゃ遠いし、時間がかかるのはしょうがないよ」
聞き慣れない単語にササハが首をかしげる。
「ごっきょう? ってなに?」
「あれ、知らない?」
「知らない」
「王国を五つに分けた境目のことなんだけど……王国全土の地図は見たことある?」
「ない!」
「ないかー。あ、でも僕持ってた気がする。前にもらってそのまま……」
リオは鞄を手繰り寄せ、手帳らしき小型の冊子をパラパラと捲った。
「あった。これ。これが僕たちが住んでいるイクリアス王国の全土図だよ」
「わぁ……これが」
「地図の見方はわかる?」
「なんとなくは。前にばーちゃ、じゃなくてお母さんが、村がある辺りの地図を見せてくれたの。あの頃は村を出るつもりはなかったから、大きい地図は必要になったらねって言われて、そのままになっちゃったけど」
「……そっか」
ササハに多くの事を教えてくれたのは母だ。読み書きや計算の他にも、料理や洗濯、狩りに畑仕事。カタシロに御札作成など――唯一裁縫だけは上達しなかったが、どれもササハにとっては大切なことだった。
ササハは表情を緩め地図へと視線を落とした。
海に浮かぶ島国。紙面いっぱいに描かれた大陸は太い線で五つに区切られ、ちょうど中央には“イクリアス“と記されていた。
「黒文字で書かれているのは領主の家名。茶色い線は領地の境目を表してるんだ」
地図には沢山の文字と線。ぎざぎざの茶色い線で区切られた枠と、その枠を示すように書かれた黒い文字。
「へー……ならこれは? ――カルアン、リオーク、ナキルニク、ハルツ。なんで王様とこの四つは、他より太い字で書いてあるの?」
地図に大きく、太文字で書かれた五つの家名。それとは別に、細い線でも家名らしき文字が無数に載っている。
「太文字は……何て言えば良いのかな? 地区? 管轄? この地図は一般に流通してるのと、ちょっと違ってるんだよね」
「地区とか管轄って、領主様とは違うの?」
「例えば、カルアンだったらここが領地。細字でも家名が書いてあるでしょう?」
「本当だ!」
指で示され、確かに大きな太文字とは別に、小さく細い線でも家名が載っている。
「太字はカルアンの管轄区域ってこと。この点線じゃない太い茶色い線。ちょうど国を五等分してるでしょ? これがさっき言った五区境」
「これがごっきょう」
「あくまで管轄。その区切られた中にいる貴族の代表って感じかな」
ロキアでカルアンが出てきたのは、あくまでササハが関わったからだ。ロキアの町はテイール家の領地内。本来であれば他領地の事件に、要請もなく勝手に関わったりはしないが、今回は事情が違う。
身内が被害にあったのだ。だから介入した。それだけの話しだった。
「じゃあ管轄って? なにを管理しているの?」
「フェイル」
「フェイル!?」
「太文字の理由は、フェイルに呪われているからだよ」
「ふぇぁ??」
「あはは。変な顔」
フェイルに呪われているから? どういうことだ?
リオは前に傾けていた身体を戻すと、足を組んでゆったりと説明をし始めた。
「フェイルが初めて確認されたのは三百年前。フェイルの親玉――――文献では《黄金の魔術師》って書かれていたり、そいつだけフェイルの心臓とも言える赤薔薇を二つ咲かせているから、《ふた薔薇の魔術師》って呼ぶこともあるんだけど。とにかくそんな、最初にして最悪のフェイルが存在していてね」
ササハは夢で見た、二つの赤を咲かせた異形を思い出す。
「フェイルを増やせるのはそいつだけ。《黄金の魔術師》に種を植え付けられた人間だけがフェイルになる。そしてその《黄金の魔術師》に最初にフェイルに変えられた人間が四人いて、その四個体は《呪われた四体》と呼ばれ、今も尚どこかに封印されているんだ」
「封印?」
「そう。討伐することは敵わず、封印するしか出来なかったんだって」
リオは微笑を浮かべているのに、その表情はどこか苦々しいものを含んでいた。
「さらに最悪なのがね」
落ちた声音で付け足された言葉に、ササハも眉を下げ神妙な顔になる。
「《呪われた四体》はそれぞれを封印した人間を憎み、呪いをかけたんだ」
「の、呪い!? 呪いをかけられた人たちはどうなったの!?」
「さあ? 三百年前の話だから詳しいことは分かってないみたい。――けど、その呪いは一個人ではなく、血にかけられたみたいで、まだ解呪されてないんだ」
「……え、ええ!? 解呪されてないって、それじゃあ!?」
「そ! ここまで言ったら分かるでしょ? 《呪われた四体》を封印したのは、さっき言った四家門のご先祖様で、封印の代償で常時一名様! は、呪いを受けることになっちゃったんだよね」
軽く言うが、そんな内容ではない。
リオはなんで一人ずつなんだろうねと思ったが、ササハには伝えなかった。
「だからさっき言った四家門には、身体に『印』が現れる人間が出るようになった。こっちは二名様ね」
「…………しるし、ふたり?」
ササハはただ言葉を繰り返す。
「そう。絶賛呪いを受けてる人と、その人が死んだ次に呪いを受ける人」
「最低じゃない!!」
だよねーとリオが適当な相槌を返す。
「地図の話に戻るけどさ、だからその四家は王族と並んで太文字扱いなの。血を絶やさず、呪いを継いでフェイルを管理しなければならないからね。言い換えるなら封印の代償が呪いなんだ」
それ故、呪いを受ける血が絶えたらどうなるのか。
ササハはすっかり青ざめ、しょぼんと下を向いてしまった。
「呪われた人はどうなるの? まさか、すぐに死んじゃったりなんて……」
「さあ? 具体的なことは僕も知らない。被害内容はどの家も秘匿にしているし、印持ちは印の発現と同時に姿を隠しちゃうから。でも現カルアン当主も二十年前に姿を隠されたけど健在だし、すぐに命がどうのって話ではないんじゃないかな」
「ぅぅ……なんでそんな危険な生き物がいるのよ。村では一度も聞いたことなかったわ……」
「公言はされてないよ。けど、長く続く貴族の家とかは知ってると思う。実際にフェイルの被害は出ているからね。幾つか経路はあるけど、最終的には管轄家門に連絡が集まるようにしているみたい」
四家門の管轄区。領地ではなく、フェイルから守護する担当範囲。――と、ササハはぼんやり呑み込んだ。さらにリオは「これにプラスで、シエリュダ教団っていうのが絡んでくるんだけど」と言い出したので即座に首を横に振った。
「今日はもういい。また今度。今はもう頭も胸もいっぱいよ!」
「そうだね。一気に詰め込むのもあれだしね」
「そうそう。それに今から行くのはリオとノアのためだし! 気持ちを切り替えて行こー」
今回のリオーク行きの目的は、ノアのことを調べるため。リオには記憶が抜け落ちている期間があるようで、ロキアで多少思い出したが全てでは無いと言う。そしてそれはノアにも関係しているらしい。
ササハは地図を折りたたみリオを見た。
それと同時に腹がきゅるると鳴いた。ササハは切なそうに腹を押さえ、リオが口元に手をやり小さく笑う。
「それじゃあ食堂車両にでも行こうか。きっと美味しいものが食べられるよ」
「食堂があるの! 列車の中なのに?!」
「一泊するって言ったでしょ。寝るところだってあるよ」
「そうだった! すごい! 探検したい!」
「食事が終わったらね」
「約束よ!」
ガタゴトと少しの振動を楽しみながら、食堂車両へと向かう。
列車も、遠く離れた他の領地に行くのも、何もかもが初めてだ。
流れていく緑すらも新鮮に感じ、落ちていた気分も浮上してくる。
(ノアもこの景色を見たのかしら?)
リオに訊いたところで分からない。だから、今度本人に訊いてみよう。
ササハは大きくジャンプして、列車の連結部を飛び越えた。
「危ない!」
「ごめんなさい!」
もちろんリオに怒られた。




