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この後どこに住むことになっても、定期的に神殿に顔をだすように、とマルレチア様からは何度も念押しされた。……というか、「僕は、これからも神殿に通って、マルレチア様に元気な顔をお見せすることを誓います」と何回か復唱させられた。
そんなに心配しなくても、僕もマルレチア様とお話ししたいから大丈夫なのに。
白い空間はマルレチア様にサヨウナラを告げた途端に溶けるように消えて、また景色が暗い部屋の景色に戻る。やっぱり僕は一歩も動いてないや。不思議。
リヒャルト様は僕がここまで座ってきた動く椅子にお疲れ気味なシルエットで座っていて、隣に立つ白い髪の女の人はどこかから運んできたのか分厚い本のページを凄い速さで手繰っては、「やはり愛の天使の御光臨の記録はないです!」「季節の天使以外が名付けに現れるなんて聞いた事がありません!」と興奮気味にリヒャルト様へ話しかけている。
リヒャルト様は僕が戻って来たのに気づいて、椅子から立ち上がった。にっこり微笑み、「リーディア」と腕を広げた。
……あぁ、これは僕の名前。
足の裏の包帯を気にしながらゆっくり近寄ると、リヒャルト様はそっと僕の背中に腕を回す。何度も僕を撫でてくれた手は大きくてひんやりしているのに、引き寄せられたリヒャルト様の身体はぬくぬくと暖かった。
「これでもう、君は僕の息子だ」
「えっ」
「天使の守護を受け、名前を与えるのは親の特権なんだ。今日から君は、リーディア・マルレチア・フォルドムンド。フォルドムンド公爵家の一人息子だよ」
「僕は……でも僕はチャクナンだから……」
「リーデンバルトには子どもがいないという事になっているから、王命により、いずれ親戚から養子をとる予定だ。気にしなくていい」
「りーでんばると、というのが僕の住んでたおうちですか?」
「そう。君はリーデンバルト侯爵家に住んでいた」
「リーディアとリーデンバルトって似てますね!」
「君の名前はずっと考えていたんだ。ロッテンリード……これは僕らフォルドムンド家の血筋に現れる特徴の事なんだけど……ロッテンリードを継ぐ者を表すリーデリアと、リーデンバルトの子という意味のリーデンシアとを混ぜてみたんだけど……気に入ってくれたかい?」
「はい!リヒャルト様、ありがとうございます!」
生まれた家……リーデンバルトのことも考えてくれていたのはとても嬉しい。
ずっと過ごしてきた食糧庫の辺りで、僕は五歳までたくさんの使用人に生かしてもらってきた。僕の世話なんかしたって何の稼ぎの足しにもならない、と口癖のように言っていた料理人も、なんだかんだと僕のために大切な自分の時間を切り出してくれていた。
僕の生きてきた時間は、誰かが僕のために使ってくれた時間だ。
僕にとって、それはとても嬉しくて大切なものだから。
「今後、私のことは父上と呼びなさい」
リヒャルト様は、出会ってから何度もそうしてくれたように、僕の頭に手を乗せた。
父上。父上か。不思議な響き。
「ちちうえ」
「うん」
リヒャルト様が僕の脇の下を両手で支えて、ふわりと持ち上げた。足が空中に浮いて、視線が高くなる。僕が持ち上げられるのは、いつも大鍋で洗われる時だけなのでビックリした。
そのまま、抱っこされる。僕の腕のあたりにリヒャルト様の肩があって、こんなに近付いたのは初めてだ。
リヒャルト様はその距離感に、少しだけはにかんだ。
「不思議だよ。私は姉が亡くなってからすぐに両親も亡くなってね、当主としての引き継ぎもろくに進んでいないうちに、当主となってしまった。そんな事情だったからね、周りからは常々結婚を急かされている。……結婚より先に、息子が出来てしまったね」
「むすこ……」
「リーディア、これからも身体を強くするために検査や治療を続けてもらわねばならないし、公爵家の子として覚えてもらわなくてはならないこともたくさんある。きっと大変だと思うが、ついて来てくれるか?」
「はい!」
あぁ、僕は本当に幸せだ。
リーディアを息子として迎えて、リヒャルトの周囲にも大きな変化があった。
あらゆる物事があまりにも良い結果を出すので、何か大きな不運が後から来るのではないかと疑っていたのだが、王都に戻った後も王都の神殿で定期的にリーディアと面会している天使マルレチア様より、「リーディアの運命の調整による揺り戻しなのであまり悩まぬように」との伝言……もとい御告げをリーディアが持ち帰ってきた。
「母の魂が、天界でいろいろ……してくれたみたいで、これからもたくさん補填?の調整が入るみたいです」と困ったような笑顔で言ってきたリーディアをとりあえず丁寧に撫でておいたが、リリアノーゼは天に昇って尚なにをしているのだろうか。
……しばらくして、リーデンバルトから「息子に会って詫びたい」と連絡があった。
天使マルレチア様より呪いの楔が外され、他人からの無関心が強制される運命が消えていると侍医も言っていたが、その影響で自分に息子がいたという事実を思い出したのだろうか。
リーディアに伝えれば、すぐにでも会って許してしまうのだろうが、リヒャルトとしては今しばらく時間を置く予定である。
呪いによって愛情がねじ曲げられたとするだけなら同情の余地もある。しかし「死産」との偽りをフォルドムンドに伝えたことや、リリアノーゼの死について事実を誤魔化した為に、結果として新生児だったリーディアが、そのまま完全に放置される事態となったことは許しがたい。
交代制だったことで特に負担を覚えなかった使用人たちが、おざなりに手をかけてくれたから生き残れたのだ。彼らは、呪いがあっても「赤子が放置されているのが気になる」という良心が打ち勝って、なにこれと世話を続けてくれていた。
リヒャルトから見れば、「リーデンバルトの実子に示した愛着は、使用人が他人の子に示す親切心」以下だという判断になる。
……それでもリーディアは許すのだろう。
あの生活も、自分にとっては幸せだったのだと。
ポジティブ変換できる人は、本人は幸せだろうけど、周りはヤキモキが止まらない……
ありがとうございました!