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『探していたのですよ』
誰もいないのに、すぐ近くから話しかけられた。言葉の意味はわかるのに、どういう声なのか例えることができないくらいに印象がふわふわしている。
「え、誰ですか」
『君の担当天使です』
担当天使とは。
『あなたの生まれ変わりのタイミングで一部不適切な対応があったとして、査察が入りまして』
「ささつ……」
『早急なる是正が必要と判断された中では、あなたは緊急度が群を抜いて高かったのですが、あいにくこうしてお話させていただく機会がなく』
「きんきうど……」
『少々遅くなってはしまいましたが、これからお詫びを兼ねた転生先へご案内させて頂きたいと思うのですが、いかがでしょうか?』
「???」
優しい口調で丁寧に話してくれているのはわかるけれど、内容が頭に入って来ない。
僕は口を開けたまま、ポカーンと虚空を見つめた。
『……ご理解頂いてますか?』
「あんまり……」
『……今回、とはいってもあなた方の時間で言うと5年ほど前になるのですが、あなたの魂の転生において、わたくしども天界の対応に不備がございました。……ここまではよろしいですか?』
「ふび、というのは何のことですか?」
『本来、我々はあなた方の魂がやって来ると、その生涯の総合的な評価を加味し、次の人生の行く末を定めて送り出しています。その繰り返しで魂が磨耗し消滅するまで、わたくしどもで輪廻を回しているわけですが……』
「………?」
『……………………………わたくしどもは、皆様の「良いこと」と「悪いこと」の天秤が、ある程度の期間で釣り合うように調整しているのです。あなたが今のあなたとして生まれる時、極端に「悪いこと」が多い運命として送り出してしまいまして。これを「不備」と認識しております』
「なるほど!……それはまた、大変なお仕事ですね」
『常に大勢の天使が関わっている業務ですので、それを管理するのがわたくしを含めた上級天使というものの役割なのです。しかし、5年ほど前に各地の魂が結構な数、一斉に消滅して地界のバランスが崩れてしまった時期がありまして』
「え」
『経年劣化と申しますか、魂の耐用年度の到来は製造強化したタイミングによって同じになるため、今回はたまたまそういった時期にあたってしまい、我々管理者が各地の調整に駆り出されていたわけなのですが……』
何だろう。なんだか、天使さまたちのお仕事が、とてもどこかで聞いたことのあるような世界観。どこで聞いたことがあるんだろう、こういうの。
『あぁ、あなたの魂の前歴は895609地界でしたので、本能的にご理解いただけますね、こういうお話は』
……何か心を読まれてる気がする。
『わたくしども管理者が不在の間、ずいぶんと……895609地界の表現で言うところの「お役所仕事」が蔓延いたしまして。個々の魂の評価を無理やり数値化して、内容確認をしないまま流れ作業で弾き出された数値を元に、次の予定を決めてしまっていた、という』
「おやくしょしごと」
僕はその言葉を知っている。天使さまの言う、僕の前歴だから?前歴って何だろう。
『それが定例化してしまっていたのを監査で指摘されまして、冒頭のお話に戻るのですが、是正勧告を受け、我々が対象となる魂を探し回っていたわけです』
天使さまってコームインなんだな……と思ってから、またコームインて何だろうと思い直す。
不思議な場所。ここにいるのは僕なのに、僕が僕じゃないみたいだ。
『この634地界では我ら天界人と地界人が明確に住み分けされていまして、干渉点は神殿だけなのです。本来は神殿と密接にかかわるはずなのに、あなたはなかなかお越しにならなくて戸惑いました。やっとお話ができますね……今回の是正により、このままこの地界での生を終わりにして正しい環境で……もちろん今回のお詫びを加味した環境ですが……新たに豊かな生を送っていただくもよし、一旦モラトリアム期間として天界で過ごされるのもおすすめです』
「?? すみません、ちょっとわからないです……」
『言い方は悪いですが、このまま一度お亡くなりいただいて、より良い条件での生まれ直しをお勧めしております』
「えっ、僕死んじゃうんですか?」
『今の器……これは身体のことですね。今のあなたの体は、すでにこの5年間でかなり可能性が狭まっていますから、いっそのこと器ごと新しく変えてしまった方が良いと思いますよ』
「で、でも、僕は何も困っていません」
『う~ん……』
天使さまは困ったように唸ってしまった。
「天使さまが僕のことを心配してくださっていたのはとても嬉しいです。確かに僕はちょっと不思議な生活をしていたんだとは思いますけど、それでもみんな優しかったですし、いろいろ楽しかったこともあるんです。最近ではリヒャルト様やお医者様がとても優しくしてくれて、僕は特に困っていることはないんです」
『あぁ~……あなたはそういう、ポジティブのリミットがアレな魂でしたね……』
うぬぬ、というような唸り声の後、天使さまは深々とため息をついた。
『そうですね、まずは……あなたの魂に枷付けられた不幸値をここで外してしまいましょう。これがなくなれば、不自然なマイナス補正がなくなります。それで、……うぅむ、これはあなたの保護者に伝えましょうか』
真っ白な視界の中、僕の隣にリヒャルト様が現れた。真っ白になる前にはちょっと後ろの方に立っていたから、いつの間にか僕の横に来てくれていたのだろうか。
「?! ここは……?」
『リヒャルト・ルノアチア・フォルドムンド。ルノアチアの祝福を受けし者よ』
天使さまは気を取り直したように、元の優しく不思議な声でリヒャルト様に話しかける。リヒャルト様は驚いた顔のまま僕を見たあと、どこから聞こえるのかわからない声にキョロキョロした。
「天使様……?」
『わたしはマルレチア。この子どもを祝福するもの』
僕の担当天使さまはマルレチア様というらしい。
リヒャルト様は姿の見えない天使さまと僕とを交互に見た。それでもやっぱり、天使さまの姿は見えないけど。
「……っ……お初にお目にかかります。知の守護天使ルノアチア様より名を賜りし者、ルディール国フォルドムンド公爵家当主リヒャルト・フォルドムンドと申します」
リヒャルト様はすっと身を屈め、僕の横に膝をつく。慌てて僕も膝をつこうとすると、マルレチア様に『あなたはそのままでいてください』と言われた。
『リヒャルト・ルノアチア・フォルドムンド。まずはわたしの大切な子どもを保護してくれたことに感謝を。この子どもは、わたしたち天の差配からこぼれ落ち、不当なる運命を背負わされし者。わたしはずっと、この子を探しておりました』
凄い、フビとかササツとかゼセイとかいう言葉を使わないと、一気にコームインぽくなくなった!
僕は、天使さまっぽく切り替えたマルレチア様の格好良さに、感動して目がきらきらしてしまった。気のせいか、耳元でフス、とマルレチア様が苦笑いしているような気配を感じるけれども。
『この子は、誰より幸せになってもらいたいと願うもの。あなたに託してもよいでしょうか?』
「私は、亡き姉の遺した子が今まで落胤として扱われていた事を知らずにいた愚か者です。ですが、この子は私にとっても唯一の血縁者、守るべき大切な存在。お任せをいただければ幸いでございます」
体の横に垂らしていた手が、リヒャルト様のひんやり大きな手に掴まれる。その手触りが心地良くてすっかり大好きになっていた僕は、リヒャルト様の手を握り返して微笑んだ。
『では、名を』
「な?」
『あなたの名を、定めましょう。愛を司る天使マルレチアの名を持つ、この子の名は?』
「我らの誇り、ロッテンリードを引き継ぐ者。リーディア・マルレチア・フォルドムンドと」
僕が首を捻ってる間に、リヒャルト様とマルレチア様は僕の名前を決めてくださった。
胸がほっこりする。初めてもらった、僕の名前。無くても困らないけど、やっぱりあると嬉しい。
すぅ、とリヒャルト様の姿が消える。
繋いでいた手の感触もなくなって、またこの白い場所には僕と見えない天使さまだけになった。
『おめでとうございます、リーディア・マルレチア・フォルドムンド。あなたの魂は正式にこの地界へと紐付けられました』
言葉とは裏腹に、なんとなく残念そうなマルレチア様の声。
『そんなことはないですよ。今回の補償として提供できる様々なサービスを事前にご準備していたので、それらの出番がなくなって少々残念に思っているだけです』
あぁ……心が読まれていた衝撃よりも、無駄手間にしてしまって申し訳ないという罪悪感……。
『冗談ですよ。今回、名を受けたことにより、895609地界で言うところの、住民票の移動手続きが正式に完了した状態になります』
そして再び漂うコームイン臭。
『あなたは634地界の住人として、今後ともこの地界を統括するわたくしめがフォローにあたらせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします』
「あっ、よろしくお願いいたします!」
『はぁ……やっと肩の荷がおりました』
含み笑いのようなため息。
「あの……5年も気にかけて頂いて、本当にありがとうございました」
『いえ、元はと言えば杜撰な生産管理と行き過ぎた手間の削減ノルマが悪いのです。今回の件の発端ともなったわたくしどもの代表が、心底落ち込んでおりまして』
「代表?」
『いわゆる、神ですね。この634地界で一番のお気に入りだった魂……あぁ、あなたのお母上ですけれども……が、たいそう怒って天界に直談判に来ましてね。神様が事の次第を知ってすぐに事実確認の監査を行ったのですが、あまりに酷い結果にがっかりされていました』
「母……」
僕と心中しようとしたという、リヒャルト様の姉。その人の話は誰もしてくれないので、いまだに僕は、どういう立ち位置でその人話を聞いていいのかがわからない。
「神様に直談判て、できるんですね……」
『あの魂は特殊です。そろそろ耐用年数が過ぎるはずなのに、磨耗も少なく、人一倍輪廻を巡ってますから。……何度も何度も天界を訪れているうちに、魂の質がわたくしども天使に似てきたり、死後に天界を訪れる回数が重なることで天界や神を身近に感じて信心深い性格になっていくことが多いのですが、あなたのお母上はその両方が揃った極端な例ですね』
「僕の母?は、僕の母になったことを後悔していましたか?」
『まさか。授かり物が天界でとんでもない扱いを受けたと、とてもお怒りでした。長く良いお付き合いをしてきた魂に不義理を行ってしまったのですから、神様も落ち込むというものです。お母上はわたくしどもに近い魂でしたから、あなたの今生を終わらせて、不当なる魂の審判をやり直させようとされていたのでしょう。なかなか、天界の記憶を持たない魂には理解しがたいことでしょうが』
さっきフビのお詫びとして生まれ直しを提案してきたマルレチア様と、同じ考え方ということなのだろう。
「でも普通は、生まれ直しを何度もしているうちに、魂がマモウして消えちゃうんですよね。なら、やっぱり僕はひとつひとつの生でちゃんと生きてみたいです」
どこの世界でだって、きっと素敵な出来事や綺麗な景色がある。優しい人だっているし、楽しい思い出もできるだろう。
僕は宝物を探すようにそういうものを見つけて、大事にしたい。
『………あなたのお母上の魂は、あなたの事に決着がつくまで天界に留まるとのことでしたから、戻ってあなたの言葉を伝えましょう』
母の魂、オヤクショに居座るクレーマーみたいなことしてた!