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武装した兵がその小屋を密かに取り囲んだ頃、小屋の中では真剣な話し合いがなされていた。
「ダメだ。このガキは弱り過ぎてて、ただ寝かせてるだけじゃ死んじまうよ。ちゃあんと医者に見せねぇと」
「医者のいる町に行くとなると、一度森から出なきゃならんぞ」
「抱えて行くにしても、もう夜だ。獣が餌を探して彷徨く時間だぜ」
「一晩だってもつかどうか……」
「うぅむ……」
「……貴族のお屋敷に連れていくだけなら一刻もかからんぞ。あれだけの大きなお屋敷だ。薬だって常に置いてあるかもしれん」
「いやお前よ、このガキがあのお屋敷から来ているなら、このガキを揖斐ってたのはあの屋敷の連中じゃねぇのか?」
「うぅむ……」
足音を潜めて小屋の様子を伺っていた兵士たちは、漏れる男たちの声を聞きながらそっとハンドサインを交わす。
『賊?』
『不明。5人。大人4、子ども1』
『子ども?』
『寝てる、または瀕死』
『突入?』
『否。子ども危険』
一番小屋に近い仲間の報告を受け、団長は仲間に剣を納めるように示した。目線で促され、一番小屋に近い兵士は頷き、わざと足音を立てながら声をあげた。
「誰か!誰かいるか!」
小屋の中で、男達が警戒状態になったのが空気で伝わってきた。茂みや木の陰にいる兵士たちも、目配せしながら更に身を潜める。
「私はスノーブルの衛兵だ!子どもを探しているんだ!怪我をしていると思う!見ていないだろうか!」
スノーブルはこの辺りでは最も栄えている、リーデンバルト領を代表する町だ。
僅かに躊躇する雰囲気があったものの、そっと扉が開いて髭を野放図に生やした巨体の男が顔を出す。
「……子どもが、どうしたってんで?」
「幼い少年が、年長の男達に暴行されて森へ逃げ込んだとの情報を受け、この辺り一帯を捜索している。珍しい銀髪の、色々と事情はある子どもなんだ。見ていないかね?」
「…………」
男の目に、裏がないか探るような色が浮かんだが、兵士は高圧的な態度をとることもなく、あくまで紳士的な態度だ。
兵士は小屋の中のやり取りが聞こえていたため、ここにいる男達の正体がなんであれ、ロッテンリードの子どもに不埒な真似はしないであろうと見越している。
髭の男は少し考えた後、扉を開け放った。
兵士は焦ることなく、小屋の中に視線を向けた。
内装も、狩人や樵が使うような粗末な作業小屋だ。一応張られただけの床材はガタガタとしていて、ささくれだっている。
その上に、今にも折れてしまいそうな細くて小さい幼児が寝転がっている。その腹の上に穴だらけのボロ布が乗せられているのを確認して、兵士は後ろ手で仲間へサインを送る。
『確認。生存』
こんなところに男が4人も腰を据えているのはどう見ても不自然だったが、今回兵士たちは子どもを安全に確保することを第一目的と指示されている。
男たちは現時点で誰ひとり武装している様子もなく、兵士に向ける視線も警戒してはいるが攻撃的ではない。また子どもの扱いも人道的であり、特に疑う点はない。
「あの子どもですかね」
「あぁ……そのようだ。保護してくれていたのだな」
「酷く弱っておりやすが、連れて行けるんですかい?」
「子どもを探すのに、仲間も来ている。馬では難しいか……荷車か何かを準備しよう」
「事情があるとのことですがね、こいつは…………戻しても大丈夫なんでしょうね?」
「問題は既に解決済みだから安心していい。この子はすぐに医者にかかり、今までと違う場所で安全に暮らせるだろう」
どう見ても本来は野盗の類いを生業とする男達だが、妙に子どもに絆されているようだ。
兵士は男の言葉に頷いて答え、「お前たちがこの子を安全に保護してくれていたお陰で、我等の役目も早く終わりそうだ。助かったよ。これで旨い飯でも食ってくれ」とジャリジャリと鳴る布袋を手渡した。
髭の男はそれを受け取るのを見て、男たちは意識のない子どもの首や手足がぐねぐねとならないように、手早くボロ布で包み始めた。きっちり包むことで、俵型にまとまって重量バランスが安定し、抱え上げやすいのだ。明らかに人攫いに慣れてる男たちの気遣いに、兵士はどういう顔をしていいか困った。
「もう一度聞くが、このガキは本当に戻しても大丈夫なんだな?」
「大丈夫だ。本来あるべきではない状態にあったことも承知している。元の場所に戻しても、既に環境の方が変わっている」
「…………」
「どうした?」
「こいつはさっき、一度目を覚ましたんでさ。事情は知らねぇが、どんな扱いをされてたかは聞いたよ。俺たちよりヒデェ生活してんなと思ったよ。でもね、こいつは幸せなんだってよ」
「……」
「俺たちみてーによ、一緒に飯食うような仲間がいるのは楽しいことなんだとさ」
「……」
「兵隊さんよ、俺にはわからんね。どこが楽しくて幸せなもんかよ」
兵士は男から布くるみの幼児を受け取ったが、そのあまりの小ささと軽さに眉をひそめる。髭の男は真っ白な幼児の額をじっと見下ろしていたが、兵士に視線を移して「早く医者に」と顎で外を示し、兵士が外に出るやいなや、すぐに扉を閉めた。
「……………………なぁ、お頭よ。俺には、もう誰も残ってねぇよ。今じゃあ坊主が言うように、お前らが家族みてぇなもんなんだろうさ。なんたって、今まで関わってきた人間の中では、一番長い付き合いだもんなぁ」
小屋の一番奥で、ただ、兵士と髭の男とのやり取りを見ていた男が呟いた。
「スラムで一緒に飯食って育った奴等は、とっくにみんな死んじまった」
「俺の生まれた村もなぁ。疫病でなぁ、死ぬ時はみーんな、あっという間だよ」
「俺たちだって、最初は季節労働者の寄せ集めだったのになぁ。いつの間に、毎日毎日一緒に飯食う仲になったんだかなぁ」
髭の男は顔をしかめながら囲炉裏端にどっかりと腰をおろし、兵士に渡された布袋を床にひっくり返した。
ざっと見ただけでも銀貨100枚近い。おおよそ、大店の商人一月分の稼ぎ。男達が本来の生業で稼ぐとしたら、余程のあたりを引いた時だけだろう。
男達は予想以上の金額に、困惑して視線を交わす。
「……坊主の勘違いでも俺たちの聞き間違いでもなく、こりゃあ本格的にどっかのチャクナン様だったんだなぁ」
「いっそ牛でも飼うか」
「牛ぃ?こういう時は畑じゃねぇのか?」
「阿呆、いくら大金とはいえ土地なんぞ買えるか。例えば……街道筋にある空き家を買って飯屋をやる程度になら、足りる」
「そりゃあいいや、この辺は森が続いて何にもないもんなぁ!それにお頭の飯は旨い!」
男達はニヤリと笑い、酒の入った椀を掲げあった。
「寝ているというよりは、昏睡状態に近いですね。栄養失調と重度の貧血状態、あとは過度の疲労。怪我は……あまり酷いものはありませんが、足の裏の皮がベロリと剥がれていますね。歩き慣れていないのに無理したんでしょう。栄養が足りないからこれの治りも遅いでしょう。目が覚めたとしても絶対安静。ベッドから降りるのは禁止です」
兵士と共にフォルドムンド公爵家から引っ張って来られた侍医は、呆れ顔で診察用具を鞄にしまった。
フォルドムンドがリーデンバルト邸を差し押さえているような状況は今も続いている。
リヒャルトは既に使いを出して、又従兄弟にあたる国王へは事情を通してあるが、当事者でもあるリーデンバルトは、再び屋敷に戻らず王宮内の執務室に籠る生活になっていた。
リーデンバルトの客室にはリヒャルトが泊まり込み、今もロッテンリードの子どもについて調査を続けている。彼は殆ど厨房や食糧庫付近で過ごし、使用人でも洗濯婦や掃除婦、庭師などは彼の存在に気付いてもいなかった。
森で発見されたロッテンリードの子どもは5歳には見えない程に小さく痩せていて、肌はがさがさと乾燥し、青白かった。その生まれを保証する髪も、長さがバラバラでくすんでいる。
掛け布団の重さで呼吸が出来なくなるのではないかと不安になる薄い胸元に触れながら診察する侍医を、ベッドサイドの丸椅子に腰かけたリヒャルトは息を詰めて見守っていた。
侍医の見立てでは、これという病気はない。酷い歩き擦れを除けば、あとはいかに正しい食事を摂らせるかの問題だ。明らかに胃は縮こまって量が摂れず、腸は栄養を吸収する本来の役割を忘れていることだろう。
体が仕上がってないので、この後侍医は補助的な水薬を出す程度にしか役に立てそうもない。どうにかまっとうな体調に戻ったとしても、これまでの生活による影響は残るだろうが。
何をどう摂らせるかは、料理人の工夫次第だ。
「それにしても」と、侍医は明らかにロッテンリードの特徴をもつ髪を撫でた。
「リリアノーゼ様がご懸念なされていた通り、この子には強い呪いがかけられてますな」
聖女と呼ばれたリリアノーゼ程ではないが、医者を生業とする人間は、それ以外に比べて読み取る才能に長けている。
神の意思、その人間の与えられた役割、辿るべく定められた使命のようなもの。
それは、明確に他人より優れた能力を持っていることが感じ取れたり、生命力とでも呼ぶべきその人間の強さや状態のレベルが見えるのだ。それらを元に適切な管理を担うので、高位貴族にとって「かかりつけ医」「御典医」を持つことは必要不可欠である。……リーデンバルトには、いないようだが。
フォルドムンド家の侍医には、ロッテンリードの子どもに纏わりつく暗い翳りがはっきりと見えている。
そかこから読み取れる気配は「縁切り」「希薄」「不安定」……リリアノーゼが「呪われている」と表現した通り、この子どもは誰からも関心を寄せられることなく、目を反らした瞬間にその存在が忘れられてしまう呪いが生まれながらに備わっていたのだろう。ある程度敏感な人間にとっては、その雰囲気は不気味で不快だったに違いない。
リリアノーゼは誰からも愛されないであろう我が子の運命に絶望し、死によって解放を与えようとしたのだろうか。
「だが、…………弛んでいる?リヒャルト様がこの子どもに関心を寄せられたことといい、この子の呪いは変質してきているのかもしれません」
「変質?」
「呪いはこの子の周囲に厚く纏わりついていますが、彼を覆っているだけで、直接彼に触れているわけではないようですね。……あぁ、なるほど。この子は……」
子どもの周りを軽く払う仕草をした侍医は、頬を緩めた。
「リヒャルト様、この子は素晴らしい」
「なんだ」
リヒャルトは侍医を見る。
「呪いに纏わりつかれても、この子はもともと喜びを理解している。これは素晴らしい才能ですよ」
「どういうことだ?」
「ひとつの出来事、ひとつの体験を前にした時、この子はそこに『幸福』を見つける。利点、長所、美質……なんと表現しても良いのですが、彼の中では『良かったこと』『幸せなこと』として最終的に整理される。ゆえに、この呪いは生まれながらに纏わりついているにも関わらず、彼自身は侵すことも出来ず、いつまでもこうして周りにだけ影響を与えるのです」
「それは良いことなのか?」
「良いことですとも。彼の身を巣食う運命として定着してないのですから、祓えます。この子の体調次第ですが、神殿で祓いを行いましょう」
侍医の言葉に、リヒャルトの肩から力が抜けた。「そうか」と呟いて子どもの青白い頬を撫でる。ふと、この子どもの目元が亡き姉とそっくりであると気付いた。
「それなら、…………良かった」
(´・ω・`)
毎日更新するつもりでしたが、新たに赤ちゃんウーパールーパーをお迎えしたため対応で明日の更新はお休みします。
赤ちゃんウーパールーパーの食べるものは大人ウパと違うんですよ……