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「一体どういう事だ!」
「…………」
「姉上は死産だったのではなかったのか!先ほどの子どもの容姿は、明らかに我がフォルドムンド家の血筋だ!あのような不健康な痩せ方……!!お前たちは、フォルドムンドの血を引く子どもをひた隠し、虐待していたのだな!!」
「ぎ、虐待などと……!」
「あの子どもを今すぐ私の前に連れてこい!!今すぐだ!」
あわあわと当惑する執事を前に、むっつりと黙りこくるリーデンバルト侯爵の座るデスクを叩きつけ、リヒャルト・フォルドムンド公爵は常にない剣幕で怒声をあげた。
穏やかでふわふわした遊び人、というのが貴族社会におけるリヒャルトの評判であり、意図的に演出してきたスタンスでもある。
王家と祖を同じくするフォルドムンド公爵家だが、王族の後継者争いに巻き込まれないよう、リヒャルトを始め、フォルドムンドは中立穏健派を維持してきた。
リヒャルトの姉であるリリアノーゼがリーデンバルトに嫁いだのも、王家に忠実なリーデンバルトと適度な結び付きを得るためだ。
しかし、リリアノーゼは初めての子どもを死産したことで、錯乱して自害してしまう。
政略結婚であったが、リリアノーゼを偏執的に愛していたリーデンバルトは妻の死を受け止めきれずに精神的に不安定になり、フォルドムンドは彼が落ち着くまでリリアノーゼの死に関わる書面的な後始末を先送りにしてきた。
リリアノーゼの死から5年がたち、フォルドムンド公爵家当主となったリヒャルトが今さらながらリーデンバルトの屋敷を訪れたのは、やっと、髪や瞳に姉と同じ色味を持つリヒャルトを前にしてもリーデンバルトがまともに会話できる状態まで回復したからだった。
政略結婚である以上、フォルドムンドとリーデンバルトには関係が別たれた場合に決めなければならない互いの利権が存在する。
これら全ては、「後継ぎの死産と、片方の死による婚姻の解消」によって、完全にたち消えとなった今後の関係の整理なのだ。
……ところが。
リヒャルトがふと窓から見下ろした庭で、粗雑に髪を掴まれ引き倒された子どもが、小さな身体を更に小さく縮こまらせていたのである。
只でさえ、客である自分が来ているのに、裏方作業の使用人が客の目につく所に出てくるのは非常識だ。さらには、幼い子どもに暴行を加えるなど。
つい、客の礼儀としては本来執事へ注意するべきところを、直に咎めてしまった。
……まさかこちらを見上げた子どもが、フォルドムンドの血筋の特徴を持っているとは。
初夏の新緑を弾くような、深い青と明るい緑が混じる銀髪は、初代フォルドムンド当主の名から「ロッテンリード」と呼ばれる、フォルドムンドの血筋特有の髪色なのだ。
薄汚れ、艶もないざんばら髪だったので一瞬光の加減による見間違いかと思ったが、急に挙動不審になった執事と、一気に表情が抜け落ちたようなリーデンバルト侯爵の異変で、すぐに理解した。
あれは、死んだ姉リリアノーゼが産み落とした子どもだと。
フォルドムンドには「奇形児で死産だった」と伝えられ、その遺体すら小さな棺から出されることもなく埋葬されたはずの、リヒャルトの甥。
たとえ「死産」というのが偽りで彼が生きていたとしても、リリアノーゼと同じ色味を持つリヒャルトの事すら徹底的に避けてきたリーデンバルトが、リリアノーゼと同じ「ロッテンリード」を持つ子どもと、まともに向き合えるはずもない。
もとから、この家の当主は家庭人と呼ぶには程遠い性格だ。
リーデンバルトの屋敷には館を管理できる体制が整ってなさすぎると、わざわざリリアノーゼが幾人もの館管理専任の使用人を連れて嫁入りしていたくらいなのだ。
リリアノーゼ亡き後はその全員がフォルドムンドに戻されている以上、この館には全体をみている責任者はおらず、使用人たちは己の担当する現場の作業内容しか把握していないことだろう。
ではなぜ、誰ひとり世話ができるはずもない赤子を隠したのか。
なぜ、「死産だった」などと偽ったのか。
子どもは森へ逃げたしたと報告してきた執事を殴り付けたい衝動をこらえ、リヒャルトはフォルドムンドから連れてきた護衛たちに次々と指示を出した。
リーデンバルトを問い詰めるのは後だ。
森はそのまま国境に通じるほどに広大であり、それを繋ぐ街道には、国境を渡る商人を狙って盗賊崩れどもが潜んでいるという噂もある。
リヒャルトは薄闇に包まれ始めた深い森を見渡して、深く息を吐き出した。
「わからないのです、本当に!」
リーデンバルト侯爵が貝のように口を閉ざし、リヒャルトのことなど見えないかのように振る舞い始めてから3日が経った。
ロッテンリードの子どもの存在が表立ったのと同時に、リーデンバルトの心は愛妻を亡くした5年前に戻ってしまったかのようだ。
当時は突然の不幸に見舞われたリーデンバルトの心境を思いやっていたリヒャルトは、実子を隠して虐待を行っていたと知った今、遠慮なくリーデンバルト邸に居座っている。
家格はフォルドムンドの方が圧倒的に上なのだ。
現実逃避している家主など構うことなく、彼は大事なフォルドムンドの血縁者を捜索する指揮をとり続けている。
あわせて、フォルドムンド本家に戻されていた、リリアノーゼ輿入れに同行した使用人を幾人もリーデンバルト邸へ呼び戻した。
彼等は何故か一様に、「リリアノーゼの産んだ赤子は生きている」事を完全に失念していた。リリアノーゼの死後もしばらくこの屋敷で働いていたにも関わらず、である。
「リリアノーゼの産んだ子ども」という言葉を聞いた途端に、さっと顔色を変え、「そういえば、お坊っちゃまはどうなったのでしょうか……?!」と狼狽するのだ。
「わからないとはどういう事だ」
「旦那様……リーデンバルト侯爵様より屋敷を辞するよう伝えられ、私どもは残されるお坊っちゃまのお世話がどうなるのかと…………………………………しかし、気が付いた時にはフォルドムンド公爵邸に戻っておりまして…………あの時、何があったのか、なぜ今の今までお坊っちゃまの存在を失念していたのか、全くわからないのです!」
当時、家令を務めていたフライネスは、フォルドムンドでも永く重用されてきた有能な男だ。メイド長として共にリリアノーゼについていったサマンサも、経験豊かで公爵邸でも信頼されている。そんな彼等が、今は真っ青な顔で混乱していた。
「リヒャルト様。リリアノーゼ様は……あの日、お坊っちゃまをお手にかけようとなさったのです!」
「なんだと?!」
「そう……そうです。リリアノーゼ様は死産で心を乱されたのではなく、……お生まれになったお坊っちゃまをお抱きになられた途端に、酷く取り乱されたのです!」
「それは本当なのか」
「ええ、ええ、左様でございます!リリアノーゼ様はお幸せそうな笑顔でお坊っちゃまをお抱きになり……そう、その後突然叫ばれたのです。『何故、この子は呪われているの』と」
「呪われている?」
「その後も、えぇ……『この子は不幸になってしまう』『産まれた事を後悔してしまうなら』……」
「……?」
「『産まれた事を後悔してしまうなら、何もわからないうちに死なせてあげなくては』……………と、叫ばれて………」
出産に立ち会っていたメイド長サマンサは、赤ん坊の首を掴むリリアノーゼから慌てて赤ん坊を取り上げた。だが、既に赤ん坊は呼吸を失っていて、慌てたサマンサから更に産婆が赤ん坊を奪い取り、蘇生を始めたのだ。
混乱する女たちをベッドの上で見ていたリリアノーゼは、赤ん坊が息を吹き返すのを見届けることなく、「神よ、恨みます!」と号泣しながらへその緒を切る為に持ち込まれた刃物を己の喉に突き立てた。
「私はその場にいて、その一部始終を見ていました……………………なのに、何故………リリアノーゼ様のその時のご様子すらも忘れて……」
サマンサは泣き出し、フライネスも涙を浮かべて項垂れる。
リヒャルトは困惑した。
利発で信心深く、聖女にも例えられていた姉が、まさか神を疑う言葉を吐きながら子殺しをしようとしたとは、いくらなんでも信じ難かった。
だが、忠実な彼等がこんな突拍子もない口裏合わせをするなど、到底あり得ない。そんなことをする意味もないのだ。
フォルドムンドの私兵をかき集め、森を中心にロッテンリードの子どもを捜索させている合間、リヒャルトはリーデンバルト邸の内部を徹底的に調べあげた。
わかったのは、リーデンバルトの使用人はこの5年で多くが入れ替わっており、今では「この子どもは絶対に主人の目に触れないように」という共有情報だけが与えられ、特に疑問に抱くこともなく、罪悪感を抱くこともなく、ただ屋敷の裏方に住み着いている子どもという程度の認識でいたこと。
この子どもが正しくリーデンバルトの嫡男だということは、現在では執事以外知るものはいなかった。
彼は常に使用人が出入りしている厨房か食糧庫の一角にいて、働く大人たちを飽きずに見つめて過ごしていたという。
仕事の邪魔をするわけでもない幼児について、多くの使用人たちは余った食材を与えたり、廃棄予定のボロを与えたりと、下町の孤児と同じ感覚で接していた。
ただ、幼児の視線を鬱陶しく思う何人かの新入りたちは、彼を抵抗しない不満の捌け口として扱うことを覚えた。正体不明の幼児には過度に干渉している大人はひとりもおらず、憂さ晴らしに使っても、大きな怪我さえさせなければ問題ないと。
そして、リヒャルトがたまたま居合わせたあの日まで、ロッテンリードの子どもは、たびたび裏方の使用人が寄り付かない庭の片隅で、暴行を受け続けてきたのだった。
(´・ω・`)