婚約破棄
「クララ・アタランタ、君との婚約は破棄させてもらう」
バレンシア公爵は私との婚約破棄を宣言した。
1年間と半年の逢瀬への名残など一切感じられなかった。
「どうしてですか!?」
当然、私は納得できなかった。
「会いたい」と彼の方からいきなりやって来たのに、まるで他人を見るように別れを突き付けられたのである。仕方がないだろう。
「来季から宮廷に勤めないかという打診があってね。王室の政務官から直々の申し出なんだ」
くるり、とバレンシアは私に背を向けて窓の外を眺める。
「僕はその打診を受けようと思う」
なるほど。
何となく彼の言いたいことがわかった。
「君、カンテラ地区の出身だったね」
「はい、そうですが」
「宮廷の勤めとなれば、妻の身分も考えなければいけないのだよ」
わかるね? と無感情な声が私に投げられる。
「私よりもご自身の出世を選ぶというのですか?」
私は彼に率直に聞いた。
「そうだ」
答えはすぐに返ってきた。
「君は愛した男の幸せを喜べないのか?」
「あなたは愛した女の幸せを壊すのですか?」
しばらくの間、私とバレンシアの視線が交錯していた。
けれど、それは見つめ合いなどというロマンス溢れるものではなく、睨み合いだった。
「はあ」
先に目をそらしたのはバレンシアだった。
深くため息を吐く。
「君には申し訳ないが、私のなかでは既に決定事項だ。それに王室が手配しくれた見合いの話も来ているんだ」
「どうして……」
私の喉は熱くなっていた。
涙声で訴える。
「どうしていつもあなたはそんなに勝手なのっ!? 何でもかんでも一人で決めて私にはいっつも後で言う。こんな大事な話ならその縁談を受ける前に相談しなさいよっ!」
私は一息で捲し立てた。
その言葉はこれまで感じていた彼への不満だった。
「君に相談したところで何になる? 君は宮廷とは無縁だ」
「それは……、そうかもしれないけど」
「それに私のやり方に不満があるなら別れた方が君のためだ。私は自分の性格を曲げるつもりはないよ」
「違う……」
そうじゃない。
そんなつもりじゃない。
なのに、わかってもらえない。
「私はただ、あなたを愛しているだけなのよ」
「そうか。君の想いに応えてあげられなくて申し訳ない」
愛を訴えても彼の言葉に温度は宿らなかった。
冷たい声色に私の頭がすっと真っ白になっていく。
まるで気絶しそうな意識を必死に繋ぎ止めて私は彼に聞く。
「身分の違いがわかっていたなら、どうして私と恋なんかしたの?」
「君を好きになったからだ。君へ向けた愛情も君との思い出も確かに本物だった」
「じゃあ、どうして……」
「宮廷の話に尽きる。これがなければ君と結婚していた」
彼の言葉1つ1つが私を過去として語っている。
彼の未来に私はもういない。
そう気がつくと、これ以上の抵抗はできないとわかった。
しかし、それと諦めとでは話が違う。
「だったら、私を宮廷に連れていってよ! 身分なんてルール、あなたが変えてしまえばいいじゃない! あなたはそういう人でしょう?」
「いくら僕でも限度ってものがあるよ。それにルールを変えるには時間が必要だ」
「それまで待つわ」
「ダメだ」
「見合いを受け入れるつもりなのね?」
「ああ」
彼の決意を聞いて私は体を支える力を失った。
バタりと床に両手をついて顔を伏せた。
頬に涙が流れてた。
「わかってくれるかい、クララ?」
「わからないっ! わかってあげないっ! 私と一緒になる気がないなら出ていってっ!」
涙声で叫ぶ。
最後の賭けに等しかった。
泣いている私に彼が手を差し伸べてくれる。
心はそう期待していた。そう信じたかった。
まだ彼の心に私を想う気持ちがあると確かめたかった。
「わかった」
けれど、やはり彼の言葉に温度はなかった。
「今までありがとう。達者でな」
彼は靴音を鳴らして私の横を通り過ぎると、そのまま部屋から出ていった。
私を想う気持ちはもうどこにもないのだと教えられた。
悲しいとか悔しいとかの感情さえ安っぽく思えて、何も心に浮かばなかった。
私の頭はついに真っ白になった。
そして、そのまま真っ白な頭でわんわんと泣き喚くことしかできなかった。