秘密のえくぼ
「松田課長、話しかけてもいいですか」
「ちょっと、ちょっと待てよ。こっちへ折り曲げてと…うん、いいぞ」
「聖子ちゃんのデビュー曲って何だったか、思い出せます?」
「…何だ。いきなり」
「課長、こいつをいちいち相手にしなくてええですよ」
「お前に『こいつ』呼ばわりされるのは心外だな、斉藤。あのな、『えくぼの秘密』って何だ」
「まあ、いいけどな。締め切りの時間もあるから、手は動かせよ、山田。あ、斉藤もな。…ちなみに『青い珊瑚礁』だったかな。山田は聖子ちゃん好きなのか?」
「課長、こいつは松田課長の名字からちょっと思いついただけですって。しょうもない」
「しょうもないって、いうな。『こいつ』も禁止な、斉藤。『青い珊瑚礁』でしたっけ?『♪えくぼの秘密~』っていうのがデビュー曲だったと思うんですけど」
「俺もファンだったんだよ、斉藤。だからそれが『青い珊瑚礁』だろう。『♪私の恋は南の風に乗って走る』という」
「なあ、山田。青い珊瑚なんてあるんか。おかしいやろ」
「青いのは珊瑚じゃなくて珊瑚礁だ、海域のことをいうんだ、斉藤」
「山田、ちなみに『赤いスイートピー』というのは実在しないらしいぞ」
「本当ですか、松田課長」
「本当だ。おい、その辺はだいぶ赤くなったなあ。ちょっと拭いてから続けてくれ」
「あ、はい。ホンマや。すっかり真っ赤っかや」
「でさ、『青い珊瑚礁』は2曲目なんだよね。『♪えくぼの秘密~』ってのがデビュー曲のはずなんだけど、洗顔料かなんかのCMで、タイトルがわからないんです」
「まだその話か。『青い珊瑚礁』が最初だとばっかり思ってたんだが」
「ちなみにそのCM、聖子ちゃんは出てないんですけどね」
「えぇっ?そうやったかいな。CM出てたやろ。うんで『♪えくぼの秘密~』いうんが『青い珊瑚礁』とちゃうんか?」
「いや、出てないんだ。斉藤、ちょっと歌ってみろよ」
「ええで。♪えくぼの秘密~フフフンフン…」
「斉藤、下手だな」「うん。斉藤は思ってたよりずっと下手だ」
「うっさいな。♪フンフンもぎたての…フフフンフン…シルエット…あれ?終わってもうた」
「だろ。『青い珊瑚礁』のラストは♪…あの島へ~ですよね、課長」
「確かにな。♪フレッシュ、フレッシュ…と、おい、そこ持っててくれ」
「あ、はいはい。あぁ、このへんもフレッシュといやあフレッシュですね」
「うわ、持ち上げんなや。それは『夏への扉』ちゃいますか。フレッシュって」
「あれ?そうか。♪夏は扉をあけて~か」
「いやいやいや、斉藤、『夏への』じゃなくて『夏の扉』だ」
「♪ツバメが飛ぶ~ってのはなんだったかな」
「そりゃツバメは飛ぶやろ。ツバメがその辺スキップしとったら、びっくりや」
「何かの比喩というのがわからないのか、斉藤」
「あれか、ツバメっちゅうチンピラが組織の金を持ち逃げして、海外に飛んだというような」
「ツバメが飛ぶのは『風立ちぬ』だな。仕事中に笑えない冗談をいうな、斉藤」
「まあ、そうだ。さすがに今はどうかと思うぞ」
「♪今は秋~ってことですやん。すいません、課長。不謹慎でした。…だいたい夏の扉ってなんやねん。外が夏なんか、中が夏なんか、山田、どういうことや」
「なんだい、そりゃ」
「ドアを開けたらそこが夏、っちゅうことなのか、それとも夏という家があってそこについてるドアなんか」
「夏さんち、って意味がわからないよ、斉藤」
「その後、♪夏は扉をあけて、って言ってるやん」
「表現の問題だな、それは松本先生の…おっと、扉じゃなくて、もうひとつバッグ開けてくれ、山田。全部は入りきらん」
「はい。このバッグでいいですか」
「いや、もうひとつ大きなやつ、うん、それ。そこのへんの詰め込んで」
「わかりました。おい、斉藤、そっち持ってくれ。それから思い出した」
「重いな、これ。思い出したって、何を」
「ツバメが飛ぶのは『チェリーブラッサム』だった。間違えた」
「『ブラッド・サム』?そんな曲あったやろか。おい、飛び散る、山田。こっち、気をつけ」
「悪いわるい。ブラッドじゃない。ブラッサムだ、斉藤」
「俺は『赤いスイートピー』好きだったな。♪タバコの匂いのシャツに、ってな」
「うわ、この辺の匂い、ひどいな」
「松田課長、今じゃタバコの匂いのシャツ好きな女子はなかなかいませんよね」
「好きずきやろけどな。課長はBz派でしたやろか」
「まあなぁ…そんなに音楽聴かないが、何をと訊かれたらそう答えることにしてる」
「そろそろ時間もギリギリですね」
「本当だ。少し手を早めろ」
「はい」「へえ」
「…♪ギリギリチョップ!」
「それ、メロディが『ウルトラソウル』だ、斉藤」
「ワハハハハハ、くだらん」
「でも、あとこの辺だけです。どうにか間に合いそうですね。ギリギリでなく」
「そやな。後の問題はここの掃除と、聖子ちゃんのデビュー曲ということで」
「ハハ。それもあったか。おい、そこバーナーで焼いちゃえ、斉藤」
「へえ。山田、右手はお前やれや」
「了解。えくぼの秘密、なんだよなあ」
「そうや。えくぼとか特徴あるから、顔もしっかり焼かんとな。歯は抜いた…と」
「そろそろ時間だ。手足も全部、バッグに詰め込め。埋めにいくぞ」
「数十万の持ち逃げくらいでこんな目にあうとは思わなんだかな、このチンピラ」
「おい、斉藤、指一本ずつしっかり焼いたか。指紋消えただろうな」
「大丈夫や。足の指は焼かなくてええんかな、課長」
「そっちはいい。素足のままでかまわない」
「あっ」
「どうした、山田」
「思い出した。デビュー曲は『素足の季節』だ」
「そうだった」「そうや」
「なあ、斉藤」
「なんや」
「えくぼの秘密って何なんだ」
終わり
初投稿です。ドキドキもんです。