僕は妖精となり死の意味と生きる意味を知る
俺は三歳のころに死にかけたらしい。
まったく記憶にはないんだけど、家族旅行で行った沖縄の海で浮き輪に乗りプカプカしていたところ、親の目が離れた一瞬のすきに浮き輪からずり落ちてそのまま海の底に沈んだらしい。
半狂乱の両親の必死の捜索により俺は海の底から引きずり出され、人工呼吸と心臓マッサージによってなんとか息を吹き返したという。
まったく記憶にはない。
だが、コロナ陽性となって高熱にうなされている今、封じられた記憶が蘇ってきたのだろうか、叫びたくても声が出せず、もがこうにも腕が上がらず、苦しさに胸が締め付けられるこの感覚……
確かに覚えがあるのだ!
ホテルも病院も満室、満床でやむなく自宅療養してるんだけど、パねえ頭痛と高熱で意識が途切れ途切れとなっている。
ああ、俺ってこのまま死んじまうのかなあ。
そんなことを考えているときに、不意に記憶にない遠い昔の死にかけたイメージが浮かび上がってくるのだ。
まだ死にたくねえなあ。やりたいこといっぱいあんだけどなあ。
……死ぬって、何? 今まで生きてきて、考えたこともない。
フツーの家庭に生まれ育ち、フツーに地元の小中から大学附属の高校に進み、Cランと言われている大学に上がり、でもコロナ禍によりほとんど大学に行くこともなく、バイトをするでもなく。
家でのテレ授業をマトモに聞いた試しはなく、その脇で動画サイトをボーッと眺めつつスマホゲームをいじる毎日。退屈。ウザ。やるせない日々。
ジメジメした梅雨の時期、コロナも収まりかかってるしそろそろいいんじゃね、と高校時代からの友人に誘われて新宿に飲みに行ったのがヤバかった。
まったくバズる様子を見せない東京オリンピックが始まったころ、下痢が止まらなくなり近所のクリニックに行ったところ、一応P C R検査もしましょうとなり、翌朝クリニックから電話があって、
「天宮さん。検査の結果、陽性でした。」
はあ?
全身の力が抜け、ついでに括約筋も緩み、思わず下着を茶色く染めてしまった……
結局その飲み会に集まった八人のうち、俺を含め六人が妖精となったのだった。そう、俺ら仲間内で、陽性では余りに切ないから妖精としよう、と。あまりにアホくさいのだが、皆高熱にうなされ支離滅裂なラインが飛び交い、ああこれが妖精反応なのかと納得してしまう。
高熱が出るようになって何日目だったか。
あまりの苦しさに意識が遠のいた。そして、例の三歳の時の溺れ死にかけた時の感覚が不意に昇ってきて、あああの時もこんな感じだったなあ、今度はこのまま死んじゃうのかなあ。
苦しさはすでに遠のき、薄っすらと白い光が俺を包み込んで、何コレ、チョー気持ちいいんですけど、とニヤケた時、うるさいサイレンの音と喉に圧迫感を感じて目が覚めた。
後で聞いたところによると、母親が様子を見に来たら俺はピクリとも動かず、慌てて救急車を呼んでなんとか病院に駆け込んだという。
も少し母親が気付くのが遅かったら、俺はあのまま白い光に同化していったんだろうな。つまり、死んじゃってたんだろうな。
昔も今も、親に感謝だ。命の恩人だ。これからは少―しは家事を手伝ってもよい。
入院するとレムデシベルとかいう薬を投与され、すると頭痛と熱がウソのように治り、数日ぶりに頭がシャンとした。
ラインで仲間に死にかけたことを伝えると、
『ついに、ヤクに手を染めた説』
『マジ妖精になりかけた?』
『実はすでに死んでいて、生き霊となってからのー これ送ってる?』
『色即是空 空即是色』
『オレも、ちょ、やべえかも…… んぐっ』
『富士山はいつ噴火するのですか? 教えてくださいあの世から』
おかげさまで、それほど退屈した入院生活とはならなかった。
そして十日後、俺は無事に某都立病院を退院することができ、父親の運転で帰宅途中なのである。
実は……
入院中から、あれっと思ってたんだけど……
そして今、車の窓からハッキリ見えてるんだけど……
俺、いわゆる「見える人」になったっぽい。
四人部屋の病室だったんだけど、どう数えても五人いたし。
看護師さんはいつも一人で病室に来るんだけど、若くてかわいい山田さんが来る時だけ二人組だったし。
気のせいだよな。薬の後遺症とかだよな。それかコロナの後遺症なんだよな。さすがにこのことは仲間に相談できず、退院すれば気にならなくなるべ。そう気軽に考えていた。
のだが。
今、信号待ちしているんだけど、横断歩道の真ん中で血塗れのおじいさんが何か叫びながら突っ立っている!
俺は鳥肌が立ち、
「オヤジ、あれ、何?」
と震えながら指差す。
「え? 何?」
「だから、そこの!」
フロントガラスを突き破る勢いで指を指す。
「は? だから何?」
信号は青となり、父親は首を傾げながら車を発進させる。
ちょ… ま… うわっ…
血塗れジジイは跳ね飛ばされー ることはなく、そのまま車を突き抜けてー
うわっ ひゃあー
振り返ると、ジジイは変わらぬ姿で仁王立ちしている……
マジ、かよ……
自宅への帰り道。似たような現象を五回まで数え、あとは頭を抱えて目をつむり、時々耳を塞いだ。
そんな俺を不審げな様子で父親は眺め、
「おい、大丈夫か? 具合良くないのか? もう一度病院戻るか?」
フツーに聞けば優しい親心なのだが。
でもね、かわいい山田さんの後ろにへばりついている片目のえぐれた研修医や、いつの間にか七人部屋になっちゃっている四人病棟には帰りたくないっす、お父さん。
「平気だって! とっとと帰ろうよ!」
と、つい声を荒立てちゃって、ごめんなさい。
それでも、「わかった」と一言言って車を走らせるお父さん、大好きです。
でもね、お父さん、
でもな、オヤジ、
お袋とは違う妙齢の女性がバックシートでさっきから睨んでるけど、あんたのことを……
* * * * * *
「不比人! おかえり! 大丈夫だった?」
お袋が涙目で俺を出迎えてくれる。
「わりい。心配かけた? ごめん」
スゲー勢いで俺にしがみついてくる。いつもは「キモい。やめて」と言って突き放すのだが、今日は存分に抱かれよう。
それにしても、よく父親、お袋に感染しなかったものだ。仲間達はそれぞれキッチリ家庭内感染を巻き起こしたというのに。
何故か我が家だけ、俺一人の感染で済んだのが不思議だ。保健所の人も病院の人も
「それはラッキーだったね。ご先祖さまが守ってくれたんだね」
と口を揃えていうものだから、ああそんなもんなのかな、そー言えば墓参りは欠かさず行ってるわー、なんて思っていた。
だが改めて考えて、オヤジとお袋に移さなかったのはホント良かった。二人とも五十間近、もし感染してたらマジ死んでたかも……
そう思うと、しがみつくお袋が妙に愛おしく感じ、不覚にも涙がこぼれてしまう。
それから二週間ほど、自宅から一歩も出ることなく自室でのんびり過ごし、従って病院や帰宅途中に見たアレのことも忘れかけていた。
多分薬かコロナの後遺症で幻覚でも見たんだべ。
そう自分に納得し、ひたすら動画サイトとスマホゲームと仲間とのラインに明け暮れていた。
夏休みも終わりに近づき、八月の最後の週末。
「どうだ、気晴らしにドライブにでも行かないか?」
と親父が俺とお袋に提案する。
正直気乗りしなかったけど、俺の濃厚接触者として二週間自宅待機させられた両親の気晴らしも必要かと思い直し、
「行く行く!」
と心にもないセリフを言う俺、スゲー。チョー優しくね?
「どこに行こうか?」
その時、何故か俺の頭に浮かんだのは、
「富士山、かな」
両親は別に不審な顔もせず、
「いいねえ、新しい道路ができたんだよな、行ってみようか」
「あっちの方、久しぶりねえ、道の駅寄ってよ!」
今思うと、俺は呼ばれていたのだろう……
中野区の自宅を出て山手通りを南下し甲州街道を右折する。永福から首都高四号線に入りそのまま中央自動車道へ。
その間ずっと下を向いてスマホをいじっていたので、ちょっと車酔いしたようで。
気分が悪くなり、談合坂サービスエリアに寄ってもらうことになる。
「もう、ずっとスマホなんか見てるから。話しかけても返事しないし。もうスマホの電源切りなさいっ」
とお袋は言うのだが、そのくせ富士吉田市の美味しい蕎麦屋を調べろとか良さげな道の駅探せとか。電源切ってたら調べられねえっつーの。
電源切ったフリして車を降り、週末の人手で混み散らかしているサービスエリアの売店で冷たいコーラでも買おうと……
ちょっと、待て。
うそ、だろ?
マジかよ?
俺が見ているサービスエリアの賑わいの、半分は……
どう見ても自衛官には見えない軍人が一列になって行進してる、アレ絶対昔の日本兵…
映画やドラマに出てくるような農家のおばちゃん、野菜抱えてウロウロしてるし…
リーゼントとチリチリ頭のカップル、その子供。全身血塗れだし…
ワンレン? ボデコンって言うんだっけ? バブルの象徴のようなおねえさん。大声でなんか叫んでる、額から脳みそ垂らしながら…
うわ、もっと強烈なのが… 停めてあるバイクに跨っている、首無しライダー…
恐怖よりも唖然、呆然。
サービスエリアじゃねえし。テーマパークだし。
車酔いもすっ飛び、むしろ好奇心がもたげてくる。
それにしても、
見えてるし、俺。
これ、幽霊が見えちゃってる、でいいんだよな?
この人たち、みんな幽霊ってことでいいんだよな?
うわ… 強烈というか壮絶というか
これ、絶対他人に話しちゃいけないやつだよな? 逆に友人からこんな話されたら俺マジで引くし。
それにしても、これ……
売店に小走りで行き、コーラを買って半分ほどを一気飲みする。ゲップが出て隣のお姉さん(生きている)にジロリとにらまれる。その隣のお姉さん(死んでいる)に「キモ」と呟かれる。
ムリムリムリ。
現状を肯定できない俺は車までダッシュで戻る。ハアハア息を切らせながら、これまだコロナ完治してないからなのだろうか、とコーラを一口飲もうとキャップを緩めた瞬間、
プシュー
盛大に泡だらけのコーラを撒き散らしてしまう。
その瞬間。
生きてる人たちは完無視。
生きてない人たちは大喜び。右手がもげているのに拍手する兵隊さん、血を吹き出しながら大笑いする子供、もったいないことするんじゃないと叱り出す明治風農婆。
ついカッとなって、
「うっせーな、見てんじゃねえよ!」
と大声を出してしまい……
周囲の時間は止まり。生きている人も死んでいる人も俺をガン見し、フリーズしている。何事かと車から出てきた両親もボー然としている。
どうして、こんな……
なんで、俺だけ……
悔しくて悲しくて、涙が頬を伝う。真っ青な顔の両親がゆっくり俺に近づき、
「大丈夫、か?」
「車、乗ろ……」
後部座席に乗ろうとすると、こないだ見たお袋でない女性が座っていてー
「どけよテメー、何なんだよ!」
親父とお袋が両方から俺を抱きしめる。大丈夫、平気だ、そんな呟きが優しく俺の耳に入ってくる。それをボー然と眺めていた女性は次第に薄くなり、やがて消えていなくなった。
俺、ヤバくね? 幻覚見まくりなんですけれど。クスリとか葉っぱやってませんけど。コロナの後遺症、マジヤバくね? レムデシベルだっけ、副作用チョーヤバくね?
後部座席に座り、車が富士吉田市の有名蕎麦屋に着くまでの間、スマホで後遺症や副作用について調べまくった。が、こんな後遺症や副作用は全く報告されてないようだ……
* * * * * *
蕎麦をすすりながら、この後どこに行きたいかという話になる。さっきの騒ぎのせいか、お袋も親父も俺に対し腫れ物に触るような扱いである。
申し訳ないと思いつつも、それ以上に俺は、自分が直面している事実を受け入れがたく、自然と無口になる。
蕎麦を食べ終わり、蕎麦湯を口に含みながら、ふと頭に浮かんだのが神社だったので、
「どっか神社に行きたいかも」
両親はマンガのように口をポカンと開けてあ然とする。ウケる。
「えっと、この辺の有名な神社〜 あ、ここがいいかも、えっと、富士浅間神社。」
親父は即座に自分のスマホを操作しお袋はそれをのぞき込み、
「お、おお、ここな、いいな、ここ。有名なとこな。よし、行こう。行こう!」
その必死感が前までマジでウザかった。子供にすり寄ろうとするいやしさが堪らなくイヤだった。ほっとけよ、関わんなよ、そう思っていた。
でも今は、素直にありがたい。うれしい。どう見ても自他ともにちょっと頭がイカれた俺という息子に対し、無視するでもなく突き放すでもなく。逆にベタベタするでなく抱え込むでもなく。
適度な距離から適切な合いの手。愛の手。
今日何度目だよ、涙が止まらんくなってきた……
神社。
正直、自分から行ったことがない。友達と「週末、神社するべ?」なんて話になったことはない。初詣で親と一緒に行ったのが高校入る前まで。修学旅行で行った時も何の感想もなく、この先も俺が関わることのない場所の一つであろう、そう思っていた、ついさっきまで。
何で神社?
カーナビに描かれた青い太線を後部座席から眺めながら、自分に問う。
答えは、浮かばない。
こんな事は生まれて初めてのことだし。理由もなく答えがポッと頭に浮かび、それを口にする。それも今まで全く意識したことのない場所を。
何故? どうして?
幽霊が見えてしまうことも含め、今までとは違う自分に大いに戸惑う。そして不安になる。心細いを通り越し、心メチャ細い。マインドスレンダー状態である。
ああ、こんな風にボケなければ正気でいられない。
神社。
ここに行けば、何かわかるのだろうか。
何故、富士浅間神社?
あと十七分。答えはわかるのだろうか。これほどカーナビを凝視するのは初めてだ……
確か今日は茹だるような暑さだったはずだ。談合坂サービスエリアでは車外の熱気に気絶しそうだったほどだ。
なのに、ここは……
静謐、なんて難しい言葉が頭をよぎる。
神聖、なんて柄でもない言葉が胸を満たす。
初めてきたのだが、自然と足が進んでいく。まるで誰かに何かに導かれているように。
両親は後から恐る恐るついてくる。なんか付き合わせちゃって申し訳ない感がハンパない。
見上げる木々は空を覆い尽くすほどの高さであり、体感よりも心が感じる冷気が実に清々しく神々しい。マジ尊い。
足を運ぶにつれ後ろの両親も
「いいね、心が洗われるよ」
そうだろ、親父。あの後部座席の女、誰だったんだよ?
「気持ちいいねー、久しぶりだねこんなとこ」
そうだろお袋。物欲に悶えるのもいい加減に、な。
なーんて偉そうに考えられるのも、神社に入ったら幽霊が一人も見えなくなったから。さすが神域? 聖域? ゲームによく出てくるやつ、実生活にも役立ち過ぎです。
この富士浅間神社、平安時代に富士山が噴火した時、鎮火の祈祷をした場所に建てられた由緒正しい神社だそうだ。
真っ赤な神門をくぐり社殿にたどり着くころには、すっかり心が軽くなっている。
「不比人、ほら小銭。」
お袋が財布から五円玉を渡してくれる。五円だからご縁。これ、明治時代なら二万円くらいの価値なんだとか。昔親父が物知り顔で語ってたわ。
そんな時代が時代なら二万円相当の小銭を賽銭箱に放り込み、親子三人で手を合わせ目を瞑る。
その瞬間。
時が止まる。音が止まる。光が止まる。
そして、耳からではなく、頭の中から声が聞こえてくるー
(あと一八回、もうすぐですね。あと六七回、まだまだ足りませんな。あとーおや?)
声を出そうとするが、時が止まっているので声が出ない。ので、
(えっと、あのー、どちら様でしたっけ?)
なんて間抜けな思いが心の声となり社殿に響く。
(はて。貴方私の声が聞こえるのですか?)
(ええ。ガッツリ聞こえてるっす)
(ふむ。あと七九回の貴方が私の声が聞こえるとは。これは面妖な)
面妖の意味は知らないけど、不思議なことに声が頭? いや、心に届き、言葉自体が染み渡ってくるので、意味がスッとわかってしまう。何じゃこれ?
(七九回って何ですか?)
(貴方の魂の養成回数ですよ)
養成って…… ここでも陽性ネタかよ。ウケる。
(何が可笑しいのですか?)
(いえちょっと。ところで養成って何すか?)
(貴方が私のような、宇宙の共通思念体に昇華するのに必要な修養のことですよ)
(はあ?)
俺の頭、いや心が止まった。
(あの、ちょっと伺いたいことがあるんすけど)
(どうぞ)
(こないだから、幽霊が見えちゃったりとか、こうしてあなたの声が聞こえちゃったりするんすけど、これって?)
(ああ、稀に現れるショートカッターが有する特異能力ですね)
(しょ、ショートカッタ?)
(はい。通常魂の養成は生まれてから死ぬまでが一回分。なので本当ならば貴方はあと七九回生き死にを繰り返し魂の修養を行わなければなりません)
とんでもない話なのだが、何故か心にスッと入ってくる。
(ところが貴方の持つその能力を正しく使えば、養成回数は著しく減らすことができるのです。かつてあと八五回必要な養成を七回までに減らした人物がおりましたよ。)
それって、つまり?
(ですから、貴方がその力を正しく使用すれば、一気に養成回数を減らすことが可能です)
(ところで、このチカラって、消せないんでしょうか?)
(貴方には不要だと?)
(はい、幽霊とか見えちゃうの、ウザいんすけど)
(あはは。貴方のレベルではそう感じてしまうのですね?)
(俺のレベル?)
(貴方は宇宙の共通思念体レベルに昇華するのにあと七九回も必要なほど、低レベルな魂なのですよ)
これ、結構キツいこと言われてる気が……
(あなた方は生き死にを繰り返し、魂を修練することであらゆる欲望、諍いから解放され、尊い存在になりえるのですよ)
何それ、新興宗教みたい?
(私の話を理解し得るには、あと十回ほど養成が必要かもしれませんね)
話し主は苦笑しながら俺の心に語りかける。
(話を聞きなさい、今この瞬間のように。心を開きなさい、今この時のように。さすれば自ずと理解できるようになるでしょう。少しずつ、ゆっくりと……)
やがて声はしなくなり、辺りの時間が動き出すのを感じ、ゆっくりと目を開ける。
両隣には真剣に手を合わせている両親が佇んでいる。
俺は大きく息を吸い、ゆっくり細く吐き出しながら、
「さ。行こうよ」
とささやいた。
* * * * * *
新学期となるも、コロナ感染は下火にならず、登校は禁止されテレ授業の日々である。正直このクソ暑い中駅まで歩かず電車に乗らず、涼しい冷房に抱かれて下着姿で授業を受けれるのはありがたい。
俺は去年から続いているこのスタイル、テレ授業しながらの動画とゲーム、をやめた。
厳密に言うと、テレ授業は放置プレーなのは今まで通りだが、動画サイトを見るのとスマホゲームをするのをやめ、代わりにベッドにねっ転び、スマホ片手にあの時のことを考え続けているー
富士浅間神社で聞いた、あの声。
宇宙の共通思念体、何それ?
魂の修練と養成、何それ?
そして何より。幽霊が見えちゃうこの力。何これ?
俺はあの日以来、それこそ一日中スマホの検索機能を駆使し、あの声の意味を探し続けている。
ラインで仲間に意見を求めようと思ったが、やめた。もし逆に友人が聞いてきたら、こわ、キモと思うから。
なので仲間に迷惑をかけず、一人地道に検索している。のだが……
サッパリ、わからん。
だって、まず魂って、何よ? 俺の魂って、何? どれ? どこ?
魂は見えるものではない、存在するものである。あるネットで引っかかった言葉だが、全く意味がわからない。
調べ続けると決まってでくる言葉が、『スピリチャル』。魂の浄化? 意味がわからない。
更に突き進んでいくと、行き着くのはキリスト教、仏教、神道などの宗教。どれもこれも高校時代に倫理の授業かなんかでやっていたようだが、全く記憶にない。
日本史および世界史、宗教、倫理。この辺が疎い俺にはまるでついていけない。どんだけ調べてもサッパリわからない。
でも不思議なことに俺は考え続けている。これまでの俺なら、ちょっと考えてもわからなかったら、即切り捨て諦めてきた。だが今回は切り捨てず諦めず、朝から晩まで考え続け、検索し続けているのだ。
(話を聞きなさい、今この瞬間のように。心を開きなさい、今この時のように。さすれば自ずと理解できるようになるでしょう。)
この言葉が頭から離れない。俺は話が聞きたい、いや聞きたくなった。心を開きたくなった。じゃあどうすれば良い? どうすればまたあの声が聞ける?
あれ以来、あの声を聞いた試しがない。考え続け検索し続けるほどに、俺は魂って何か、修養って何か、そして宇宙の共通思念体って何か、知りたくなってきている。
富士吉田市の蕎麦屋でふと浮かんだ『神社』。あの時みたいにふと浮かんだキーワードを辿ればまたあの声が聞けるに違いない。そんな風に思えるようになるころには、季節は夏が過ぎ秋がそっとやって来ていた。コロナも徐々に収束し始めた九月の末であった。
そしてあの時と同様、結構唐突にキーワードが脳裏に浮かんできたのだった。
『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』というアニメを何気なく眺めていた時。
『秩父』が舞台のアニメなのだが、あるシーンで深い森と神社が映り、それが妙に頭に残りスマホで調べると『三峯神社』と言う有名な神社がヒットし、頭から離れなくなった。
秩父、三峯神社。
これは行かずにはいられまい。
スマホで調べると、新宿から池袋に出て、西武秩父行きの特急に乗り、秩父鉄道で三峰口に行くのが簡単だとわかる。
財布を覗くと三千円しか入ってなく、母親にどうしても三峯神社に行きたい旨を伝えると、何故か親父がポンと万札をくれた。
ありがたくそれを懐に入れ、翌朝俺は秩父へと旅立った。
色々な幽霊を見るのがウザかったので電車に乗っている時はずっとスマホをいじっていた。だがたまに停車駅で顔を上げると、駅のホームに数名幽霊が佇んているのが見えてしまう。
一体この人たち、なんで幽霊なんだろう。人は死ぬと幽霊になるのだろうか? でもそれならばもっと大勢の幽霊で街は溢れかえるはずなのに。
死んだ後に幽霊になる人とそうでない人がいるのは何となくわかる。でもその先のことがよくわからない。
今日、三峯神社に行けば、答えがわかるかもしれない! こんな高揚感はマジで久しぶりである。
秩父鉄道の三峰口からはバスで三峯神社まで行ける。七百円近くとやや割高だが、荒川沿いの景色や急峻な山道を登っていく途中の景色は飽きることなく眺め続けられるものだ。
山に入ると途端に幽霊が見えなくなる。さすが神域? 聖域! 深い緑の木々やその間から遠く見える山々をずっと見続けているうちにバスは駐車場に滑り込んだ。
この神社はヤマトのタケルがイザナギ、イザナミをお祀りしたのが始まりだそうだ。さすがの俺でもヤマトのタケルの命、くらいは知っている。イザナギ、イザナミ…… なんか聞いたことがある。
バス停から神社へ向かうと鬱蒼とした木々が秋の日差しを覆い隠し始める。あの時と同じだ、徐々に心が冷気に打たれ始め、自然と心が落ち着いてくる。
何とも言いがたい深い緑の匂いに胸はいっぱいとなり、引きこもりで弱々しい足取りだった俺は一歩一歩力強くなっていく気がする。
あの時と同様、足が自然と進んでいく。進んでいく。山奥とは思えないほど立派な社殿が見えてくる。進んでいく、あれ、神社を通り過ぎちゃった……
そして何故だか山道に入ってしまった……
おいこら、俺の足、どこに行くのだ! 足は登山道を容赦なく突き進み、一年半近くの引きこもり生活の弱った体をこれでもかと痛めつける。クマの出没! という恐ろしい案内看板に戦慄しつつ、息も絶え絶え、ぐっしょりと汗にまみれる。止まらぬ足を呪いながら、やがて一時間も歩いたであろうか、おいおい鎖場が目前に聳え立っているではないか!
足だけでなく腕も酷使し、ようやく鎖場を上り終えると急な階段がこれでもかと俺にそそり立つ。くそ、ここまできて負けるものかと一歩一歩踏みしめて登っていく。
魂の修練って言ってたけど、これ体力の修練じゃん。マジきつ…… 最後は涙目になりながら階段を登り終えるとー 何とも素朴な社が青空の下にぽつねんと建っている。
息を整えるのに十分はかかっただろうか、整えつつ山の頂上からの景色に感動してしまう。ようやくいつもの呼吸に戻り、その社の前に立ち、目を閉じ手を合わせる。
あの時と同じように、時が止まり、音が止まり、光が止まる。
(あら七七回。今日初めてのお客様だわ)
今日は女性の声だ。ん? 七七回? 七九回なのでは?
(いいえ確かに七七回よ。ん? 貴方、私の声が聞こえるの?)
(そうなんですよ。それで今日は色々聞きたいことがあって登って来たんです)
(そうですか。最近暇だったし。なんでも聞いてちょうだい)
(あざす。まず、魂って何ですか?)
(そこから? まあいいわ。魂、これは貴方自身のこと。貴方は昔、宇宙の彼方で生まれました、他の魂と一緒に。)
宇宙で生まれた? 地球でしょ?
(いいえ。宇宙で生まれたのです。そして貴方はこの星に送られて来たのです。)
ハアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?
(生まれたばかりの魂は赤子と同じ。魂は時間をかけて何回も生死を繰り返しながら、ゆっくりと育っていくのです)
声と同時に転生を繰り返す人のイメージが脳裏に映像化される。
(そして魂は徐々に育っていき、あるレベルに達すると宇宙に戻れるのです。)
(あるレベルとは?)
(妬み、憎しみ、怒りといった感情を持たず、物欲、性欲などの欲から解放され、他人と自由に意思疎通を図れるレベル、ですよ)
(何それ。仙人? ニュータイプ?)
(ええ、その二つを足して割った感じでしょうか。)
(わ、わかるんですか、ニュータイプっ!)
思わず吹き出してしまう。
(貴方たちの創造したものは全て理解できますよ)
(でも確かに今、俺とあなたはアムロとララアみたいですね、ウケる)
(いいえ。ララアとキャスバルじゃないかしら)
……へ? いや、世代じゃないんで、そこまでは……
でも何となくわかった。魂、俺そのもの。俺はかつて宇宙のどこかで生まれた。そんで何故かこの地球にやってきて、何回だか何十回だか何百回だかの生死を繰り返して今いる。
そしてあと七七回生死を繰り返すー魂の養成を繰り返せば、ララアのようになって宇宙に還っていくー
色んなアニメをちょいちょい見ておいてよかった、お陰でだいぶ理解できてきた。あと七七回でララアになる!
(ええ、まあその認識で構いませんわ。)
(それと。一つ聞きたいんですけど)
(何かしら)
(人は死ぬと幽霊になるんですか?)
(普通は死と同時に魂は体から抜き出て、しばらくしてから新しい体に入って行き次の人生、すなわち次の養成をスタートさせるのです。)
ああ、こないだ俺は体から抜き出しかけたんだわ。あぶねー。
(ただ稀に、その人生に死後も不満や怒りを持ってしまう魂がいるのです。彼らは次の人生を始めようとせず、前の人生の不満を晴らそうとしたり悔やみ続けたりするのです。)
(なるほど!)
(そう、貴方は彼らが見えてしまうのですものね。)
(ええ、まあ。はい。)
俺はどうだったかなあ、高熱で苦しみながらあのまま死んでたら……
そう言えば、三歳の時にあのまま溺死してたら……
もっとしたいことがあるから、このまま死ぬのはおかしい! そう思って幽霊になっていたのだろうか。それともとっとと次の人生を始めていたのだろうか。
でもこれで大分スッキリした。
もっと聞きたいことがあった気がするが、もうお腹いっぱいでこれ以上頭が吸収できそうにないので、
(ありがとうございました。早くララアになれるよう、頑張ってみます)
(頑張ってください、大佐。)
そう言い残して声は聞こえなくなった。同時に風の音が耳に入り、晴天の眩しい日の光に体がさらされる。
ゆっくりと目を開ける。そして大きく息を吸う。
不思議だ。今までと違う景色が見える気がする。今までと違う空気の匂いを感じる。
身体と心から、バリバリと音を立てながら余計なもの、邪魔なものが剥がれ落ちた感覚に戸惑う。
俺という魂について。
この人生を、天宮不比人としての人生を生きる意味。
俺という魂の目指す境地とは。
これらのことが、よく分かった。
人の生死について。
幽霊の存在理由。
このことも、何となく理解できた。
ああ、お腹いっぱいだ! これぞ究極の満腹感なのではないだろうか!
俺はかつて感じたことのない満足感を抱きながら、ゆっくりと下山していく。
* * * * * *
「不比人、あなた最近ちょっと変わったよね」
お袋が歩きながら俺を見上げる。
「へえ、どんなところが?」
「こんな所よ。あなた前はお買い物一緒に行ってくれなかったじゃない?」
「ああ、そうだったっけ?」
「そうよ! 何度も何度もネチネチ言い続けてやっと渋々ついて来たのよ。それが最近―ねえ、今日だってあなたから、買い物あるなら付き合うよ、なんて。信じらんないよ」
俺は苦笑し、重たいエコバッグを肩に背負い直す。
「そうそう。あなたが秩父行った頃から? 何があったのよ? 神社で大吉でも当てた? 素敵な巫女さんと知り合った?」
一人キャッキャしているお袋に呆れ顔を見せながら、
「山頂にある奥宮まで行って、そこからの景色に感動したって、何度も言ったよね?」
「うん、それで人生を思い直したんだってね。あたしも行ってみようかしら」
いやいや。あなたはあと一八回っぽっちなんですから。そんなに焦らず、のんびりしていてくださいよ。
俺なんてあと七七回なんですから。
人生七十年と考えて、あと五三九〇年ですよ?
軽い溜息を吐きながら、赤信号で足を止める。この横断歩道には誰もいない。きっと何か神聖なものが関係しているのだろう。
青信号に変わり、お袋と共に歩き出す。お袋と二人、修養なう、である。
三峯神社の声のお陰で、俺の理解は一気に深まった。
俺という魂の存在。現在俺の魂は、天宮不比人という身体に入り込み、天宮不比人としての人生を送っている。
そして天宮不比人としての人生を終える、すなわち死ぬと俺の魂は天宮不比人から抜け出し、しばらくして別の生を受け、新たな人生を開始する。
それがあと七七回続ければ、あらゆる欲から解放され、他者と意識レベルで対話できるような存在になり、宇宙に還っていく。
きっとスマホゲームや動画サイトに興味が無くなり、仲間と誰かの悪口を言い合ったり社会の不公平さを嘆くことも無くなるのであろう。
ただ、まだ疑念は多々ある。例えば俺たちの魂はどうやって地球にやって来たのか、何故地球だったのか、レベルに達した後宇宙に還った後どうなるのか、などなど。
ネットで検索していると、以前とは格段に俺の理解のレベルが上がって来ている。魂の存在についてはほぼほぼ理解できており、ネットに書かれている内容も理解できるようになって来ている。逆に、全然違うことを平気で書き綴っている記事が目につくようになり、やはり真実を直視するにはネットよりも図書館とかの方がいいのかな、なんて考えるようになっている。
最近気になっている、魂はどうやって地球に来て、どう宇宙に還っていくか、については何を調べてもピンとくるものがなく、またあの声が聞きたくなってくる。
色々調べていく過程で気づいたのだが。富士浅間神社、そして三峯神社。俺が声を聞けた場所なのだが。共通項は勿論、神社。だがもう一つの共通するキーワードに先日気づいた。
それはー どちらも日本有数の『パワースポット』であることだ。
パワースポットとは良い気が集結している場所、らしいのだが、確かに富士山のすぐ近くの浅間神社、神秘的な山にある三峯神社、どちらも「気持ちの良い」場所であった。
「気」という言葉の意味が未だによく理解できないのだが、実際に触れたあの感覚が良い気であるということは理解できている。
良い気の集まる場所に行けばあの声が聞ける。この認識で良いのだろうか? その答え合わせも含め、俺はパワースポットを探し始める。
するとすぐに、意外な所がパワースポットと知り、そして頭から離れなくなる。その場所とはー
皇居。
そう。天皇陛下が住われる、あの皇居なのである。
いやはや…… 神社もそうであるが、休日に友人と「おう、皇居しちゃわね?」とはなり得なかった故、自ら訪ねた経験は皆無である。かつて社会科見学か何かで訪ねた記憶がなくも無い。
そんな訳で。実質的に初めての「皇居」なのである。
流石に皇居に行くのに親の許可も不要だろうし、親の援助も支援も不要であるので、とある秋の深まった肌寒い晴天の朝、地下鉄で皇居に向かった。
地下鉄千代田線の二重橋前駅を上り切り外に出た瞬間。うわ… これ…
何百? 何千の無生者(幽霊のことをこう呼ぶことにした)が堀沿いに歩いていたり、皇居に向かってひざまづいていたり……
大声で叫んでいるものも多く、戦争映画とかでよく聞く『ばんさい!』がそちこちで響いている。
これは圧巻である。たまにネットニュースで『皇居ラン』すなわち皇居外周ランナーが話題になるが…… これ見てしまうと一歩も走る気がしない。むしろ『皇居の乱』と呼ぶ方が正解だ。
ああこの人達は、それまでの自分の人生を悔やんでいるのだろうか。それとも自分ないしは他人に怒り狂っているのだろうか。新たな人生を送り出すことも出来ないほどの絶望に打ちひしがれているのだろうか。
一人一人の表情から、そんな事が想起される。悔いのない人生を送るのは案外難しいのではないだろうか。彼らを眺めていて、ふと考えてしまう。
だが大手門をくぐり皇居の敷地内に入るとー そこは全くの別世界であった。
何だろうこの空気は? 富士山とも秩父とも違う、身体を持ち上げるような渦巻く空気なのだ。決して心を穏やかにする冷気ではなく。むしろ身体の周りにへばり付き、何事からも守ってくれるような、言うなればバリアーのような『気』。
これまでと違う空気に戸惑いつつも、勝手に進む足に身を任せ、俺は辺りをじっくりと眺めている。
匂い的には、秩父臭というより富士山臭に近い。粘り度で言うとどちらの空気とも違う、独特な粘りを感じる。
やがて俺の足は江戸時代初期に天守閣が立っていたという石垣の辺りで立ち止まる。秩父の時は片道一時間半の登山という大変な修養だったのだが。今日は何と楽チンなことよ…
含み笑みを抑えながら、静かに手を合わせ目を閉じる。
ゆっくりと、時が止まり、音が止まり、光が止まる。
(これはこれは。貴公が噂のショートカッターと見受けするのじゃが?)
ショートカッター。霊視が出来、天声を聴ける能力を持つもの。即ち、コロナ以降の俺。
(富士の御大や秩父の姫君から聞いておるよ。ホッホー、なるほどなるほど、七一回かの。重畳重畳)
(はい? 確かあと七七回の筈ですが?)
(故にショートカッターなのじゃろうが? この数ヶ月で六回も減らしたのか、これは大したものじゃろう。)
そうなんだ、減っていたのだ!
そう、浅間神社では確か七九回と言われた。前回秩父では七七回と。そして今回、七一回? 何故急に、こんなに?
(それは貴公の理解が急激に進み、正しい修養が意識付けされたからじゃぞ。正しい認識下でない修養、即ち目的も意味も無き人生は回数を積み重ねていくしかない。じゃが、生きる意味を知り生きる目的に向かい生活している魂は如何であろうか。)
ふむ、分かるような、分からないような。だがこの声の言わんとすることは、スッと胸に収まっている。
(成る程。ところで知りたいことがあるのですが。)
(ほう。何であろうか)
(宇宙で生まれた魂が、この地球に来る理由と手段が知りたいのですが。)
(ふむ。話せばちと長くなるぞよ。この宇宙が生まれて以来、無数の魂が生じているのは知っておるな。生まれたての魂は右も左もわからない赤子と一緒なのじゃ。然るべき『教育』が必要なのじゃ。その教育の場がこの辺りではこの地球、という訳じゃ。地球の人間という生物に入り込み、その一生を共にし、肉体が滅びた後はまた別の肉体に入って教育されるのじゃ。)
ああ、ゲームや映画でいう、アバターみたいなものか!
(それそれ。まさにプレーヤーがアバターを選ぶが如き、魂は肉体を選び共に生きていくのじゃよ。)
…… 良く、ご存知で……
(其方らの言動は何でも知っておるぞよ、フォッフォッフォ)
人生はアバター。人生はゲーム。の、ようなもの。俺はそんな認識のもとに、皇居の声を聴き続けた。
宇宙で生まれた魂はその地域に存在する生物に入り込み、成長していく。この地球周辺区域で生まれた魂は、ある場所に集められ、定期的に地球に送られるそうだ。
聴いていて無茶苦茶驚いたのがーそのある場所とは、月、なのだそうだ! あの、月? マジ?
(大真面じゃよ。月に集められた生まれたての魂は、お主らの言う、宇宙船、U F Oと呼ばれる運搬船によって地球に送られるのじゃ。)
ウッソーーーーーーーーーーーー!
………………
絶句。
信じられない……
(その逆にじゃ。地上で魂の養成を終えた者は運搬船に乗り、月へ向かい、そして星々に散っていくのじゃよ。)
か、かぐや姫のお話は、マジだったんすね……
(ああ、香久耶。懐かしいのお。)
何と…… 御伽噺、恐るべし……
(で、月からの運搬船は、地球の何処に?)
(地上にはその運搬船の港があっての。この日本じゃと八箇所ほどかのう。そこで魂は降ろされ、身籠った女の腹に送られるのじゃ。)
マジ、ですか? そんなんだったんですか!
ん? また新たな疑問が……
(あのう、死んだ人の魂はどうやって次の肉体に宿るのですか?)
(ふむ。死ぬじゃろ? 魂が肉体から離れるじゃろ? 港に戻るじゃろ? そして新たな胎児の魂として送られるのじゃよ。)
そうか。死ぬと一旦港に戻るのか! と言うことは、
(この皇居の周りに大勢の無生者がいるのですが。彼らは港に戻らなかった?)
(死の瞬間、死の直後。次の養成に行かねば、と思っている魂は自ずと港に向かうのじゃ。そうでなく、この死が納得出来ぬ、どうして今死ぬのか、などと生前に未練を残している連中が、アレじゃ。次の養成に向かう気が起きない者達なのじゃ。)
(彼等は…… 永遠にあのままなのでしょうか?)
(いや。いつかどこかで、あ、次の養成せねば、と気付いた者から港に行くであろう。まあ、長くて二、三百年ほどじゃろうな。)
な、成る程。そう言えば彼等の中に、縄文時代や弥生時代の姿格好の人は見たことがない。江戸時代の姿も稀である。
(日本人として死んだ場合、次も日本人に?)
(近くの集積場によるのじゃ。お主が米国で死すれば次は米国で養成じゃ。)
そういう、ことなのですね……
気が付くと、冷たい風が頬を撫でていた。
辺りには数名の観光客らしき人々が歩いている。周りを見渡すと、木々の向こうに大手町のオフィスビルが林立しており、この静謐さと不思議な違和感を醸し出している。
それにしても、だ。俺は今、とんでもない真実を知ってしまった。魂がU F Oに乗って月から地球にやって来る。港と呼ばれる場所が魂の集積場であり、人は死ぬとそこに戻り、また人に入って行く。
あのU F Oの正体、見たり! である。
養成を終えた魂は港から月に運ばれ、そして星に成っていく? ここはイマイチ理解が出来ていない。
俺が知ったのは、こんなところであろうか。
いやはや。とんでもない話を聞いたものだ。驚きすぎて、未だ腰掛けたベンチから立つ元気が無い。腰抜け状態である。
俺は何十年だか何百年前に宇宙で生まれ、月に集められ、U F Oに乗って地球、日本にやってきたのだ!
あと七十数回養成が必要なのは、これまでの人生をキチンと修養してこなかったからなのだろう。不真面目に、無目的に、刹那的に人生を過ごしたのであろう。
お袋。俺から見ても、やや過保護的な部分はあるが、立派な人である。これまで相当修養してきたのであろう。残り十八回で宇宙に帰還だ。
親父。俺から見ても、相当いい加減な人間である。俺同様、碌でもない人生を繰り返してきたのであろう。残り六七回。
成る程。今回、俺と親父はお袋に人生を教わるために家族となったのかも知れないな。道理で俺も親父も、お袋の言うことには決して逆らえないはずだ。
あはは、
きっと今回、僕はあの母を選んで天宮不比人となったのだろう。
中学生の時に数学のテストで満点を取った時以来の爽快感に心浮き立ち、僕はようやく腰を上げるのだった。
* * * * * *
年が明けコロナ禍がまたぶり返し、やるせない空気が世間を覆う中。僕と父、母は上野近くの谷中霊園に先祖の墓参りに来ている。
墓参りは欠かしたことがない。物心ついた頃より、両親に連れられ、と言うか母親に連れられ、この谷中には年に五、六回は来ているだろう。
「不比人もすっかり良くなって、私もお父さんも無病息災。これもご先祖さまのお陰よね」
母がしみじみと呟く。その横で父が軽い調子で頷きながら、
「そうだぞ不比人。最近えらく真面目になったのも、ご先祖さまのお陰だぞ、ギャハハ」
僕はぎこちない笑みを父に返す。
満開の桜には二ヶ月ほど早い桜並木を歩きながら、ふと考える。ご先祖さまのご加護?
確か魂は肉体の死後、早々に港に戻り、新たな命へと向かう筈。なのにご先祖とはなんぞや?
帰りの車中でスマホを弄り、ご先祖について色々サイトを調べてみるのだが、納得できる答えは得られなかった。
帰宅ののち、各宗教における先祖の弔いについても読み漁ってみたのだが、死後に自分の残した家族、家系を守護すると言う発想はあまりみられなく、どちらかというとアジア、アフリカ、中南米、オセアニアなどの土着の宗教に散見されている。
キリスト教、イスラム教、仏教には先祖を代々たてまつる思想が無く、僕は袋小路に入り込んでしまう。
そんな時、母と一緒に何気なく観ていたテレビで伊勢神宮が取り上げられていた。伊勢神宮。僕の頭から離れなくなり、今すぐにでも家を飛び出したい衝動を抑えるのに必死だった。
二月の期末考査を終えた日の夜、僕は新宿のバスタから伊勢行きの夜間高速バスに乗車した。
乗客は僕以外には十名程度であり、僕はリクライニングを倒し目を瞑り、ほぼ定刻の翌朝七時まで眠り続けた。
早朝の伊勢市駅前は人も疎らだ。コロナ禍でなければ、この季節でなければもっと朝から大勢の人が行き交っているのであろうか。
寒さが思ったより厳しく、寝起きの頬を冷たい風が容赦無く吹き付けるので、すっかり目が覚めたようだ。
朝五時から境内に入れるらしいが、空腹感を覚えたのでスマホで調べると朝七時から営業しているカフェがあったので、マフラーをしっかりと首に巻き駅前から続く外宮参道を通り抜ける。
江戸時代から続く街並みを何気なく眺めながら、江戸時代の江戸っ子もこうして歩いていたのかな、なんて思い耽っているとスマホが鳴動し間もなく到着と僕に告げる。
カフェは朝からかなり混んでおり、僕のような観光客よりも地元の人が多い感じである。トーストと卵の朝定食をもさりもさりと咀嚼し、苦いコーヒーを飲み終える頃には腹七分目といった感じになっている。
無生者、即ち幽霊は最近では全く気にならなくなっている。従って参道に屯している彼等も今交差点待ちですぐ横に蹲る彼女も、僕は特に意識する事はない。
横断歩道を渡り、外宮に入る。途端に神聖な空気に身を包まれる。勿論周囲に無生者はいない。
町で感じた冷たい空気とは全く別の冷たい霊気が脳に心地よい。上がりかけていたテンションが優しく抑えられている感じがする。
境内に聳り立つ木々一本一本に霊気を感じる。これまで訪れたどの場所よりも圧倒的な静粛、荘厳、霊性さに言葉を失う。ただただ、己の踏みしめる玉砂利の音が辺りに響くのみ。
ここが、伊勢。
まさに、伊勢。
豊受大神宮の辺りまで歩いたが、以前のように足が勝手に動く事はない。
あれ?
外宮を一通り歩いたが、どうやらここではないらしい。すると、内宮の方なのか?
伊勢神宮には外宮と内宮の二箇所があり、距離にすると四キロ程、歩けば一時間程度かかってしまう。
バスかタクシー、と思いかけ、すぐに首を振る。それではいけない。これも修養なのだ、と。僕はスマホのマップを眺めつつ、外宮を出て内宮へと歩き始める。
四十分ほど歩くと、伊勢街道、通称おかげ横丁にやって来る。駅前の参道よりも遥かに歴史を感じる街並みに感動を覚える。
浅い川底がよく見える程の清い流れの五十鈴川にかかる檜造りの橋である宇治橋を渡ると、未だかつてない程背筋がピンと伸び、心が穏やかになる。
ああ、僕はここに来るために生まれてきたのだ、そう思える程にどこか懐かしい感じがする。
足は自然と歩み始め、一の鳥居、二の鳥居を過ぎ、神楽殿を通り過ぎ、内宮の一番奥の広く浅い階段をゆっくりと登り、正宮に辿り着く。
冷たい神聖な空気を胸一杯に吸い込み、ゆっくりと目を閉じる。
時が止まる。音が消える。光と影が止まる。
(ヤッホー! 遠くからよく来たジャン! 乙―)
へ? は?
(みんなから聞いてるよんっ はるばる江戸から来たっしょ? ショートカッターくん)
え? あ?
(何さっきからハ行とア行の羅列? それウケる〜)
あの、その、お伊勢さま……
(だびょ〜ん。アレっしょ、ご先祖さま系の話っしょ? それ、あるある〜)
そ、その通りで……
(けつろーん。フツー、いないっす、ご先祖。どお、ビビった? 焦った? ウケる〜)
ビビってるのも焦ってるのも、貴方さまのその……
(ああ、この話し方? 一応キミに合わせてるつもりっしょ。富士のジジイや秩父のババア、江戸城のクソジジイの 話、わかりずれーべ?)
ああ、いえ、別にそこまでは……
(ま、いいっしょ。で。ご先祖様。そんなんいないっす。)
まさかのお言葉に一瞬息が詰まる。
(ならば、先祖の供養とかお墓参りって、意味の無いものなのですか?)
(うん。まあ。だってただの石っころに花添えて線香焚いて。馬鹿じゃね? ウケる〜)
(ええええ…… そ、そんなもんなのですか……)
(あのね。供養とか墓参りってーのはさ。先祖の為にやってんじゃねーのよ。あくまで自分の為なんよ。供養してる自分、墓参りしてる自分、スゲー。俺、やべー。そう思うためにやってんのよ)
(供養している、自分の為?)
(そー。供養するとさ、なんか気持ち良くなんね? なんとなく)
(はあ、まあ)
(いい事した感、パなくね?)
(まあ、はあ)
(ボランティアってさあ、生きてる人のためにすんじゃん、お礼言ってくれんじゃん。嬉しいじゃん。でも先祖供養ってさあ、先祖さんがお礼言ってくれないじゃん。褒めてくれないじゃん。それでもやり続ける。それって凄くね? 偉くね? 俺凄くね? マジヤバくね俺。)
(そ、そうですか?)
(そーゆーもんなの。本気でご先祖様、私を家族をお守りくださいってさ。いねーっつーの。ご先祖。聞いたっしょ、クソジジイから。人は死ぬとすぐ生まれかわんの。だから守れるはずねーの、子孫のこと。)
(そこなんです、僕がわからなかった事。どうして人は先祖を信じるのか。先祖に守ってもらおうとするのか、が)
(それは無知だからっしょ。キミだって知らんかったっしょ、こないだまで。人は死ぬとすぐ生まれ変わって次の養成に入るなんてさ。)
(なる、ほど……)
(無知だから、知らねーから、供養して現世利益を縋る。てか、供養することで自分にいー事起きますように、って祈る。いい事あったらありがとーってお礼する。このように、供養を通じて先祖と関わっている己に酔っているのさ)
(なら、墓参りって、全く無意味?)
(だーかーらー。自分に酔えるいい機会な訳―。普段ないっしょ、自己肯定を堂々とする機会なんて。それしたら何キモって思われるしー。先祖を供養するからのー、俺スゲー感を持つための機会。これで分かったあ?)
(自己肯定感の醸成の為、なのですね)
(おお、分かってんじゃん)
(では、自己肯定って何の為に必要なのですか)
(おおお、いい質問だね。人ってさあ、生きているとロクなことしない訳よ。腹が減ると食べるじゃん、食べるって動物や植物の命を食べるわけじゃん。ダメじゃん。)
(ああ、はい……)
(道歩くじゃん、虫や草踏み潰すじゃん。命殺しちゃってんじゃん?)
(うわ、はい……)
(な。人間生きてるだけで、命殺しまくってんの。そんな自分、肯定できる?)
(否定しちゃいます、ね……)
(そ。昔から人はそれが分かってんの。自分は生きてるだけで他の命を蝕み、他人を傷つけ大地を汚す存在だってこと。だから、たまには自分を褒めなきゃ生きてけないの。自分を肯定してやらなきゃ潰れちゃうの。その為の、自己肯定感。その為の供養。どお、分かった?)
自分を褒めなければ生きていけない。確かに今まで自分を褒めた事はあまりない。人から褒められはすれど、己を褒める習慣は全く無い……
(あと、それとは別の奴。例えば自分の親とか子供とか、チョー親しい人間の墓参り。これは自己肯定感じゃなく、別の魂の修養なんだけどお、分かる?)
うわ…… 僕は幸い両親健在、両祖父母健在。仲間の死も未経験。ちょっと分からないかも…
(例えばさあ、キミに彼女出来るとしよっか、今日。)
想像しよう。帰りのバスの隣の席に美しい女学生が座っている。何となく話すうちに親しくなり、バスタに着く頃には連絡先を交換し合い……
(そーそー。そんでラインやり取りして盛り上がって、付き合い始めるじゃん。そんで来月彼女が交通事故で死ぬじゃん?)
うわ…… 想像しただけで息が止まるわ…… 何それ、悲し過ぎる……
(でさ、再来月から毎月墓参りするっしょ、キミ?)
するする、絶対する! 毎月墓参りして思う存分泣く。確定。
(それって、何で? 彼女、もう生まれ変わってんべ。)
あれ…… ホントだ……
(何ならさ、次の修養入って、オメ! って感じじゃね?)
それは無い、筈、でも、魂的には、確かに一歩近づいたね、おめでとう、なの?
(でもキミは毎月墓マイル。それって何故? 彼女が居ないから、寂しいからっしょ? 自分だけが生き残っちゃってるからっしょ?)
(そう、なります、かね)
(彼女は死んだ。自分は生きている。その確認行為なのさ。それによって想起される孤独感、寂寞感を満喫する為の墓マイルなのさっ 墓マイル、俺ガイル。何ちって)
スルーしたい感に苛まされながら、更に声を聴く。
(だって。本当に寂しかったら、墓マイル? 行かないっしょ、だって思い出しちゃうじゃん。辛いじゃん。でも、キミ行くじゃん。寂しい気持ちになるじゃん。つまりさ、キミは寂しい気持ちと戦うために墓マイルんよ。実はそれ、魂の修養の一つなのさ。寂しさに耐える。悲しさに耐える。やがて寂しさも悲しさも薄れていく。修養いっちょあがり〜な訳。分かる?)
ああ、何となく分かってきた。先祖供養とは異なる親しき人の供養とは、寂寞感に苛まれる自分との戦い、即ち修養なのである、と言うことが。
(だから昔の人は養成速かったぜー。だって兄弟姉妹、何なら親がすぐ死んじゃってたからねえ。悲しみをいっぱい知って乗り越えてきてたからさあ、養成の早いのなんの。一気に二十段階早まるなんてZara。って服じゃねーよ。おいこら、突っ込めここは!)
無理です、突っ込めません。だって、実は深―い話をされていらっしゃるから……
(オメーも分かってきたなあ、コラ。いいじゃん、その感じ。ま、江戸にけえってもしっかり気張りや、兄さん。ほな、サイナラ)
ゆっくりと、音が蘇り、光が蘇り。目を開くと正宮の木の扉が光り輝いて見えた。
* * * * * *
幸か不幸か。帰りのバスの隣には誰も座らなかった。
一日中歩き回り、疲れているはずなのに目は冴え渡り脳も活発に活動している、つまり考え続けている。外の景色も上の空で、伊勢の声を何度も何度も繰り返し思い返し、先祖について子孫について、そして人の死と生について考えに浸っている。
天宮家の墓。何でも曽祖父の死によって曽祖母が建てたと言う。以来、曽祖父、曽祖母の供養、ひいては天宮家先祖の供養の為、墓参を続けている。
この行為自体、天宮家にとって全く無意味である。だが、墓参する個々人にとっては自己肯定感を醸成する大事な機会なのである。
本当にそうであろうか?
僕には今ひとつピンと来ない、帰宅したら母にそれとなく尋ねてみるしかない。そんなことある訳ないじゃない、と言って叱られそうだわ……
父ならば、案外「ああ、そうかもそうかも。あれ実は結構面倒なんだよなあ」なんて言いそうだな。
親しい人の死と向き合う事。これは今の僕には全く分からない。もしかしたら去年コロナで仲間を失っていたら、認識出来たかもしれない感情なのだろうが。
親の死。仲間の死。まだいない、彼女の死。想像しただけで吐きそうである。僕はそれに耐え抜くことが出来るだろうか。修養を全う出来るのだろうか。その機会が出来れば遠い将来であって欲しい、そう思うのはまだまだ自分に甘いのだろうな、そう思いつつすっかりぬるくなったペットボトルのお茶を一口啜った。
それから暫くボーッとしていたが、やがてゆっくりと睡魔に取り込まれていき、徐々に瞼が重たくなっていく……
* * * * * *
目を開ける。
天井が白い。喉に何かが塞がっているようで苦しい。
頭痛が酷い。肺が痛い。息をするのが苦痛だ。
体が動かせない。
え?
ここは一体、何処なのだ?
眼球だけを左右に動かす。
まさか……
ここは、病室。それも集中治療室。まさか、バスが事故に巻き込まれ?
いや違う。ここは以前に入院した病院だ。何故なら可愛い看護師の山田さんが心配そうに僕を覗き込んでいるから。
「天宮さん、わかりますかあ?」
軽く頷く。
「酸素レベルも上がったし、もう大丈夫ですよお。」
そう言ってニッコリ笑ってくれる。
まさか……
いや、でも、間違いない。
僕はコロナ患者としてここに横たわっているのだ。
「今日は…… 何日です…… か?」
掠れた声を絞り出す。
「今日? 七月二一日よ。二日間、意識が無かったの。ちょっと危なかったんだから」
確信する。僕は七月のあの時点に戻っているのだ!
困惑する。では、昨日までの約半年間は何だったのだろう。
富士浅間神社でのお告げは? 秩父三峯神社でのお告げは? 皇居でのお告げは? そして伊勢神宮でのお告げは?
僕の困惑をよそに山田さんは、
「明日にでも先生と相談して一般病棟に戻れるからね。もう少しの辛抱だよ!」
そう言って書類に何か書き始める。
それを後ろから覗き込む血塗れの男性スタッフに気付くこともなく……
じっくりと、考える必要がある。それだけが確かな事であった。
それからの事は、全て昨年夏に僕が体験した通りに時は流れる。
院内にはよく見れば驚くほどの無生人が闊歩、蹲踞あるいは仰臥していた。
十日ほど入院し、父が退院時に迎えに来てくれる。車中後部座席には父関連の無生女性が座っている。交差点にも多くの無生人が佇んでいる。
帰宅後は部屋に篭り、スマホのメモ帳にこれ迄の経緯を書いては消し、ググっては書き込み、その内に父にねだってノートパソコンを買ってもらい、ワードでそれらをまとめる作業に没頭していた。
高校時代からの友人とは何となくフェードアウトして行き、ラインのやりとりに加わることもすっかり無くなった。
夏休みも終わりに近づき、八月の最後の週末。余りに集中して作業していたのを両親が心配し、
「どうだ、気晴らしにドライブにでも行かないか?」
と父が僕と母に提案する。
正直もっと調べ物をしたかったのだが、僕の濃厚接触者として二週間自宅待機させられた両親の気晴らしも必要かと思い直し、
「行きたいね!」
と微笑む。父は嬉しそうに、
「どこに行こうか?」
僕の答えは決まっている。
「富士山、かな」
両親は別に不審な顔もせず、
「いいねえ、新しい道路ができたんだよな、行ってみようか」
「あっちの方、久しぶりねえ、道の駅寄ってよ!」
さて。富士の翁に、今度は何を聞こうか。