クモの糸屋と小人の村
巣を張って獲物を捕らえるクモは、ネバネバした糸とサラサラした糸を両方使う事で初めて巣を作ることが出来ます。
ところが、そのクモは生まれつきサラサラした糸しか出せませんでした。
なので、巣を作らずに狩りをして獲物を捕らえながら、森の中をさまよって生きてきました。
狩りのために糸を使うことは、ほとんどありませんでした。
しかし、狩りはいつも上手くいくわけではありません。
この時も、クモは獲物にありつけず、すっかりお腹を空かせていました。
そんな時に通りかかったのが、小人たちが暮らす村でした。
クモは、何か食べるものにありつけないかと、村に立ち寄ってみる事にしました。
村にクモが近寄ると、クモの倍ほどの背丈の小人たちが、武器を持ってクモを取り囲みました。
「このクモは俺達を食べるつもりなんだ! さっさと追い払うぞ!」
クモは必死に答えます。
「俺はお腹が空いているだけだ。生きた虫とか、腹を満たせるものがあればなんでもいい。お前達を食べるために来たんじゃない!」
しかし、小人たちは武器を下ろそうとしません。
小人たちとクモがにらみ合っていると、小人たちの間から一人の女の子が現れました。
「あなたたち、ちょっとこのクモの話を聞いてあげてもいいんじゃないの? 暴れる様子もなさそうだし、話も通じそうだから」
女の子が呼び掛けると、小人たちはしぶしぶと武器を下ろしました。
それから彼女は、何人かの小人を率いてクモに向かい合い、こう切り出しました。
「あなたはクモなのよね? だとすると、糸を出すことは出来るのかしら?」
女の子の問いかけに、クモはいぶかしげに答えます。
「もちろん出来るとも。ただ……俺はネバネバした糸を出すことが出来ない。サラサラした糸しか出せないんだ。だから巣を張る事が出来ない」
それを聞いた女の子は、我が意を得たりといった様子でクモに提案しました。
「だったら、あなたはこの村で糸屋になればいいわ。糸を出してくれれば食べ物は用意してあげる。クモなのに巣が張れないんなら食べ物にも相当困るんじゃなくて?」
周りの小人たちは、女の子の言葉にどよめきました。
クモも、何のために自分の糸などを欲しがっているのか、その時は良く分かりませんでした。
「私、草で作った服にはもううんざりなの。聞いた話だとニンゲンは虫が作った糸でとても着心地のいい服を作るらしいじゃないの。あなたの糸があれば、良い服が作れるんじゃないかしら?」
クモは考えました。
彼女の言っていることはともかく、自分がこの女の子の言う通りに糸をつむぎ出せば、小人達に袋叩きにされることも無く、食べ物も与えられるということらしいと理解しました。
「わかった。俺なんぞの糸でよければ、いくらでもくれてやる。もちろん、食べるものは用意してもらうからな」
「取引成立ね」
女の子はそう言って、クモに微笑みかけました。
クモには村の男たちが捕まえてきたイモムシと、雨露をしのげる住み家が与えられました。
後から聞いた話によると、あの女の子はこの小人の村の長の娘で、マリポーサという名前だそうです。
深い森の中にあるこの村は、ニンゲン達に見つけられることも無く、はるか昔から独自の生活を続けているのだとも聞かされました。
ですが、クモにとってはそれ自体はどうでもいい事でした。
自分が糸さえ出せば、明日からはあちこちをさまよったり、成功するかも分からない狩りを続けなくても生きていけるのです。
空腹を満たすことが出来たクモは、その日はゆっくりと眠りました。
その次の日から、クモはどんどん糸をつむぎ出しました。
マリポーサや村の女達は、サラサラしたクモの糸を使って次々と布を織り、衣服を作っていきました。
クモの糸で出来た服は、それまで小人たちが着ていた草の服よりもずっと着心地のよい物でした。
軽くて暖かく、様々な色に染めることも出来ます。
何よりも、しなやかで丈夫なため、小人たちはこぞってクモの糸の服を求めるようになりました。
クモは来る日も来る日も糸を出し続けました。
何しろ皆が服を欲しがるので、どれだけ糸を出してもすぐに足りなくなってしまいます。
クモが食べるための虫は、村の男達が武器やわなを使って捕まえて来てくれます。
村人達は、クモやマリポーサのおかげで快適な暮らしが出来るようになったし、クモの糸の服のおかげで遠くへ旅に出る事も可能になったと、口々にほめてくれました。
クモは自分で狩りをすることもすっかり忘れて、村で糸屋として暮らす日々を楽しんでいました。
クモの糸の服が手に入るようになってから、村に住む小人は色んな所に旅に出るようになりました。
草の服は長旅には向かないですが、暑さや寒さにも強いクモの糸の服なら遠くへ出かけるのにももってこいだからです。
小人たちがあちこちに旅に出るようになったので、村には様々な物や人が集まるようになり、だんだん豊かになっていきました。
そのような中で、村に住む一人の若者が、森の外にあるニンゲンの住み家らしき建物を見つけました。
そして、その建物の中にあるめずらしい物を村に持ち帰ってきたのです。
この時は、そのめずらしい物のおかげで、クモが村にいられなくなってしまうようになるとは誰も思っていませんでした。
若者が見つけたのは、とっくの昔に使われなくなっていたニンゲンの衣服の倉庫でした。
その中には色とりどりの衣服があり、そこから布を切り出せば小人たちの服が何万着でも作れるほどでした。
しかも、その衣服の多くは『カガクセンイ』と言われるもので出来ています。
軽くて着心地が良い衣服を作るためにと、ニンゲン達が研究を重ねて作り上げた繊維です。
クモの糸と比べても、とても丈夫で扱いやすいのです。
残念なことに、この『カガクセンイ』の布が小人の村に広まると、そちらの方が人気になってしまい、クモの糸の服を欲しがる人は減っていきました。
クモは自分の住み家でため息をついていました。
糸をつむぎ出しても、使いきれずに余ってしまいます。
村人達はクモのために虫を運んできてくれていますが、あくまでそれは糸の代価としてのものです。
糸がいらなくなったなら今後も虫を持ってきてくれるとは限りません。
村の女達も、今ではクモの糸ではなく『カガクセンイ』の布で服を作るのに追われているそうです。
マリポーサが自分の所を訪ねて来ることも、以前より少なくなっていました。
ある日、クモは村人たちがうわさ話をしているのを聞いてしまいました。
――あのクモにも困ったものだ。もうクモの糸の服はいらなくなったってのに、いつまでもあそこに居座って飯ばかり要求してくるんだから。
――ああ。あいつのために生きた虫を捕まえるのだって、楽じゃないのにな。
――元々はマリポーサがこの村に住まわせるって言いだしたんだから、村長の方で何とかしてくれればいいのに。
――何とかって……つまり、どうするんだよ?
――毒でも使うか? あいつは巣も張れないらしいし、村の暮らしが長いせいで狩りも忘れているだろう。追い出したところで、どうせ野垂れ死にするのがオチだよ。
邪魔者だと思われていることは薄々(うすうす)感づいていましたが、まさかここまで言われているとは。
自分は不要な存在になったのだとはっきり分かったクモは、逃げるように村を出ていってしまいました。
クモは再び、狩りをして獲物を捕らえる生活を始めました。
しかし、なかなか獲物を捕まえることが出来ません。
村人が言っていた通り、ずっと村で暮らしていたおかげで、すっかり狩りが下手になってしまっていたのです。
以前のように、素早く動くことも難しくなっていました。
何日も獲物を得ることが出来ず、クモはさまよい続けました。
森をさまよいながら、クモは何とも言えない気持ちでいました。
クモの糸が役に立つと言われて村で歓迎されて。
それよりも役に立つ『カガクセンイ』が手に入るようになったおかげでクモの糸が不要になって。
自分自身もいらない存在になって。
せめて生きていくための狩りの仕方も忘れてしまって。
「あいつらを信じた俺がバカだったのか……」
クモがそうつぶやいた時でした。
「見つけた!」
その声は、マリポーサのものでした。
「何も言わずにいなくなるなんて! どういうつもりなのよ!」
クモの所へ、マリポーサと小人の男達が駆け寄ってきました。
その一人一人が、何やらドロドロした液体が入ったツボを抱えています。
「そっちこそ何のつもりだ!」
クモはマリポーサに食ってかかりました。
「俺を追い出すだけでは飽き足らず、殺しに来たのか!?」
「殺すですって!? どうしてそんな事を言うの?」
「とぼけるな!」
クモの形相に、思わずマリポーサは後ずさりします。
「俺のクモの糸がいらなくなったから、糸を出すしか出来ない俺は村の連中にとってただの穀潰しになったんだろう!? だからいっそ毒でも盛ってやろうかって話をしている奴もいるじゃないか!」
その言葉を聞いて、マリポーサは悲しそうな顔をしました。
「……あなたの言う通りよ。皆があなたの事を快く思っていたわけではないし、そういう話をしている人は確かにいたわ」
「そうだろう? だから……」
「だからといって、皆がそう思っている訳じゃないわ。少なくとも私達は、あなたの糸のおかげで生活が良くなったというのに、そんな事を考えるような恩知らずではないわ!」
マリポーサの言葉は、クモにとって意外なものでした。
クモも、マリポーサ達も、しばらく黙りこんでしまいました。
「私達は、あなたにこれを渡したかったのよ」
マリポーサについてきた男たちが、クモの前に液体が入ったツボを置きました。
「……まさか、毒か?」
「違うわ。これはノリよ。探すのに苦労したんだから」
ノリと言われても、クモには何のことか良く分かりませんでした。
「あなた、確かネバネバした糸が出せないから巣を張れない、って言ってたわよね。試しにあなたの糸に、このノリをつけてみてほしいんだけど」
マリポーサに言われるままに、クモは木陰に大きな巣を張りました。
クモが歩くための縦糸には何もつけないまま。
獲物を捕らえるための横糸にはノリをぬりつけました。
クモは目立たないように、巣の端で獲物がひっかかるのを待ち構えています。
マリポーサ達も、下からその様子を見上げていました。
その時、一匹のハエが向こうから飛んできました。
クモが張った巣に気が付かないのか、一直線にこちらに向かって飛んできます。
「やった!」
クモは思わず、小さく声を上げました。
ハエはノリがついた横糸に身体ごとくっついて、身動きがとれなくなってしまいました。
動けば動くほど、糸が身体にからみついてしまいます。
クモは縦糸を伝ってハエに近付き、素早く仕留めてしまいました。
「ありがとう。どうやらこのノリを使えば、俺にも巣を張る事が出来そうだ」
ハエを捕まえたクモは、下にいるマリポーサ達に声をかけました。
「どういたしまして! ノリはここに置いていくわ。まだたくさんあるから、必要ならいつでも声をかけてね!」
支度を済ませて帰ろうとするマリポーサに、クモはたずねました。
「なあ、何で役立たずになった俺を助けようとしたんだ?」
マリポーサは、巣の方を見上げながら答えました。
「あなたは役立たずなんかじゃないわ。あなたの協力のおかげで、私の思い付きを実現させることが出来た。あなたが頑張ってくれていることもちゃんと分かっていたわ。だから私達も、せめてあなたのために何か出来ないかと考えるようになったの」
「……俺のために、そんな風に考えてくれていたのか?」
「あなたがした事はとても意味がある事だった。そうでなければ、私や皆があなたのために何かをしようと思うことだって無かったはずよ?」
マリポーサの言葉を聞いて、クモは思わず目に涙を浮かべました。
月日は流れ、小人の村の暮らしは、以前とはすっかり様変わりしました。
ニンゲンの作った『カガクセンイ』の服のおかげで、森じゅうや森の外にも小人たちは出ていく事が出来るようになりました。
他の土地に住んでいる小人たちとの交流も生まれ、村はますます豊かになっていきました。
豊かな暮らしの中で、村人達の多くはクモの事などすっかり忘れてしまいました。
それでもマリポーサは、村はずれに巣を構えているクモのために、ノリを持って行き続けました。
なぜなら、そのクモがいなければ、そもそも自分たちがここまで豊かになる事もあり得なかったからです。