謎の声の主
時は天正1年(1573年)8月下旬
240年間、2世紀半にも及ぶ長きに亘っての統治機構であった室町幕府が滅亡し、天正に改元するという公布がなされてから早ひと月が経とうとしていた。
長年続いた幕府の統治体制が崩れ、民に動揺が広がるかと思われたが比較的穏便に受け入れられ、
皆いつも通りの暮らしに戻りつつあった。
その流れはここ、黛家が支配する伊勢国長島※1にも浸透しつつあった。
その平和な長島の町を歩く一人の女性の後を付け回す怪しい集団があった。
端から見れば町人や商人、浪人風・・・等々目立たたないような集団であった。
事実誰も彼らのことを注目していない。
戦時であれば兵の目が光っている街中でも、平時ともなれば戦慣れしていない町民ばかり。
そのような場所では気づかれない。
彼らはある一定の距離を保ったまま行動しているのにだ。
ではそのような忍びまがいなことをしてまで付けている女性は何者なのか?
当然の疑問がわいてくる。
その疑問に答えてくれるかのように渦中の女性に向かい声を掛ける若い侍がいた。
「姫!お待ちください姫!」
その声に振り返る義務はないと言わんばかりに足を早める女性。
「優希姫!何卒お待ちを!伴も付けずに村落に出向くなど危のうございます!」
流石に聞く気が起きたのか振り返る女性。
背丈は5尺1寸(154cm)※2。
それでいて決して寸銅とは言わない出るとこは出ているが極端に痩せているとかではない肉付きのいい身体付き。
毛先を綺麗に整え、香油を染み込ませているかの様な艶がある黒髪。
柔らかい眼差しに、桃のような唇。
正に美姫という形容に相応しい女性が振り返り、若侍に向け話しかける。
「平三郎、付いて来るなと申しておるでしょう」
「そんな!姫!斯様な事を申されますと某は困ってしまいまする……」
取り付く島のない優希に対し、平三郎と呼ばれた若者は心底困っている様な表情をする。
「優希様の身辺警護という大役を大殿に仰せつかったのに……このままでは叱られてしまいます!」
困っている平三郎に優希は、
「そんな大役、道端の犬にでも食べさせておきなさい」
と無体なことを言い放つ。
だがこのような調子では目的地まで様々理由をつけて付いてくるに違いないと思った優希は、
「平三郎、それでは付いてくるのを許す代わりに一つ頼みたいことがあるのだけど」
優希の観念したかの発言に平三郎は喜び勇んで聞く体勢を整える。
「なんで御座りましょう?拙者が出来る事なら何でもお申し付け下され!」
「急いでいたからか屋敷に笠を忘れてしまったの、私、ここで大人しく待っているから取って来て貰える?」
「それくらいであればこの山崎平三郎、直ぐにでも取ってきましょう!少々お待ち下され!」
哀れなるは平三郎、騙されているとも知らず笠を取りに全速力で屋敷に向けて走り去っていく。
「これで面倒なのがいなくなったかしら、平三郎が戻ってくる前に行かなきゃね」
と、大人しく待っていると約束したにも拘らず足早に町の外まで歩いて行ってしまう。
(平三郎も真面目なのは良いことだけど真面目過ぎるのよね……)
と心の中で彼の若者を心配していた彼女が、町の外縁部に出た瞬間、数人の男に囲まれ抵抗する間もなく意識を落とされてしまった!
意識を失った彼女を麻袋の中に入れ素早く離脱していく謎の集団。
周りに人影が無かった事もあり、誰にも誘拐されたことにも気づかれないまま優希は連れ去られてしまったのである。
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籠の中の鳥になってしまった優希はお世辞にも奇麗とは言い難い小屋の中で目を覚ました。
体は縛られていた、縄が食い込んで豊かな乳房が不本意ながらも強調されていた。
しかも、ご丁寧に猿轡も噛まされていた。
(私、何故か分からないけど連れ去られてしまったみたいね……)
置かれている状況は理解した優希。
(しかし私なんか誘拐しても何の得にもならないと思うのだけど、城には姉様もいるのだから、私なんて捨て置かれる筈なのに……)
と誘拐された理由を考えに耽っていた時、扉が開き何人かの男が入ってきた。
その内の一人が下卑た顔で上司だと思われる男に対し、
「この女良い体付きしてますねぇ、味見しちゃだめですかい?」
とその下卑た顔にすこぶる合うような言葉をのたまった。
だが聞かれた方の男はその男に対し一喝をし、別の男に猿轡を外すように指示を出した。
猿轡を外された優希は無言で男達を睨みつけた。
「そんな怖い顔をしないで頂きたいな、俺達は話し合いに来たんだ暴力を振るつもりは無いんだが」
と、男達の纏め役であろう長身で刀を二本差ししている男は言った。
「姫さんを人質にして、交渉の席を設けさせてもらう。それが俺らの目的だ」
「私は次女ですよ?お父様は無視なさる筈です」
「いいや、あの男は受けるだろうさ間違い無くな」
目的は話し終えたとばかりに部屋を出ていく長身の男。
手下たちも優希猿轡を噛ませそれに続く。
また一人取り残される優希。
(お父様が私一人に煩わされる筈無いけれど、この何か苛まれるような感覚は何?)
優希は一人考えながら緊張していた為に疲れていたのか気づいたら意識は闇の中に沈んでいった―――
優希は何か生暖かい物に頬を舐められていることに気が付いた。
目を開けた時映ったのは下卑た顔付きの男のさらに醜悪になった顔であった。
優希が起きたことに気づいていない男はぶつぶつと言い訳のように呟いていた。
「へへ、頭には悪いがもう何か月も女にありついてねぇんだ。もう我慢の限界だぜ」
「しかし何だぁ、この女ぁ。そこいらの町娘と器量が違いすぎる、昂っちゃうぜ……」
何事かと思えば優希の体に腰を擦り付けていた。
それだけで優希の精神はどうにかなりそうだった。
家や、父親の事など奇麗サッパリ頭から抜け落ち、心の中で助けを求める事しかできない哀れな少女がいた。
(助けて!この男に犯されてしまう!それだけは嫌!助けて!)
心中をほぼ半狂乱の如く荒れ狂わせながら助けを求める言葉を紡ぐ。
男の手が優希の乳房を揉みしだき始めたその時奇跡は起こった―――
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起こした側からすると何が何だか分からないまま出てきてしまった訳ではあるが……
起こした側、篠宮秀介は困惑していた。
急に意識が無くなり気づいたら目の前にはこれから致そうとしているかのようなカップル。
女性の方は縛られているからそういうプレイなんだろうかと考えてしまう位にはこの状況を呑み込めていないのである。
彼は「気が利く男」なのでまずカップル(だと思われる二人)に謝ることにした。
「すいません、お楽しみのところお邪魔してしまったみたいで~すぐ消えますからどうぞごゆっくり――」
「あん?誰じゃお前?いきなり現れおって!俺の楽しみを邪魔しおってからに、ぶち殺してやるわ!」
と、秀介が謝る前に脇差で切りかかってきた!
「えー!?なんで俺敵意向けられてるの?邪魔したから?」
奇麗に避け、相手の脇差を手刀で叩き落とすも状況が分からず困惑を深める秀介。
その、騒ぎを聞きつけたからか部屋の中にまた三人の男が入ってくる。
「何の騒ぎだ一体!」
「か、頭ぁ!こいついきなりこの部屋に現れたんでさぁ!」
「何?その様な手妻※3の様な事があるか!」
下卑た男の言葉にありえないと吐き捨てる。
「でもみたんでさぁ、いきなり現れやがったこの男」
「何処から現れたかはどうだっていい、黛家の者かもしれんここで始末しておくぞ」
「頭、こんな小童俺一人で十分ですよ」
下卑た男は諦めが悪いのか文句をぶつぶつと垂れていた。
その隣で頭に向かい、大柄な男が大言壮語する。
大柄な男は手斧を構え秀介に相対する。
対する秀介は武器になりそうなものは何も持っておらずどうにか逃げる算段はないかと頭をフル回転させていた。
(いやぁ、向こう滅茶苦茶やる気なんだけどどうしよう……窓もないしあの扉が唯一の逃げ道ぽいけどなぁ……)
(あの女の子も何か訳ありそうだし、こういう嫌な予想って外したこと無いからなぁ……)
と、そんなことを考えている秀介に背後の少女が何か言いたげな目でこちらを見ていた。
「あの、君もしかしてこの男たちに連れ去られてここに閉じ込められている感じ?」
嫌な予感が外れることを祈りながら恐る恐る問いかける。
少女はこれ幸いに首を縦に振る。
(まじかぁ……やっぱ当たっちゃったよ、じゃあこの子残して逃げる選択肢消えたかなぁ……)
「おい何をこそこそやってやがる、どうせ逃げられねーんだから大人しく俺に殺されるんだな!」
大柄な男はそう言うや否や手斧を振りかぶって投げてきた!
それを間一髪で避ける秀介。
飛んで行った手斧は部屋の壁にめり込んで刺さっていた。
「よし!これで、武器は……!?」
背中から新たな手斧を出し構えなおす相手の姿に絶句する秀介。
「残念だったなぁ、まだまだこちらには手斧の予備はあるんだよ!」
「まじかよ……」
次第に後退させられる秀介。
その時足にコツンと何かが当たる。
先程、別の男から叩き落とした脇差が転がっていた。
すぐさま拾い上げ脇差を構える秀介。
「脇差ごときで勝てると思ってんのかぁ?すぐ冥土に送ってやるぜ!」
相手にならないとばかりに今度は斬りかかってくる大柄な男。
相手の刃が向かってくる瞬間秀介の脳裏には祖父との地獄の様な修行の光景だった―――
「秀介よ、剣術とは何か?答えてみよ」
その日は、何故か普段より稽古が厳しかった。
そんな稽古が終了し息も絶え絶えな秀介に祖父は問いかける。
「剣術とは?弱き者を助け強き者を挫くものだと考えていたのですが……」
「それでは片手落ちじゃ」
「じゃあもう片方とは?」
答えを知るべく秀介は背筋を正す。
「剣術は剣道と違い真剣を使う」
「となれば、おのずと自明の理よ」
祖父は一言一言、言葉を連ねていく。
「所詮、剣術とは凶器に他ならぬ。幾ら弱き者を助けたとしても殺人術だ、この篠宮一刀流を修めても剣術とは陰陽併せ持つ事を忘れるべからずじゃ」
良いな、と念押しする祖父の表情。
そこで意識は現実に戻ってくる―――
目の前に迫る斧の煌めき。
それを脇差で斧の真横を殴り軌道をそらす。
そのまま返す刀で相手の喉元を斬りつける。
まさか反撃されると思わなかった男は驚いた様な笑ったような顔で倒れていく。
「あ……?え……?」
周囲が唖然とする中、秀介は次の行動に移っていた。
先ほど投げられた斧に対し掌底を入れ壁を破壊し、拘束されていた少女、優希を担ぎ上げ逃げようとしていた。
男たちが気付く頃には小屋の外に出て走り始めていたのである。
「っ!逃がすな!追え!」
「「「へい!」」」
頭はすぐさま幾人かの部下を走らせ自らも馬上の人になり追跡をかける。
「くそっ、ここまで来て姫を逃すなどあってはならんのだ!殿に面目が立たぬ!」
いくら全速力で逃げているとはいえ、そこは馬の脚と人の脚。
前者に軍配が上がり、秀介達は追いつかれてしまう。
「ふふ……そこまでだ大人しく姫を返してもらおうか」
頭は馬上から悠然と呼びかける。
「いやいや、大人しく渡しちゃったら俺殺されるじゃん!」
それを秀介は即座に跳ね除け、臨戦態勢を取る。
(こんだけ周りが開けてると囲まれる恐れがあるな……目の前の奴を何とかして馬を奪って逃げるか?いや俺馬乗ったことないしなぁ……)
秀介が考え込んでる間に頭も臨戦態勢を取る。
「姫を返さば命までは取るまいと思ったが一思いに殺してくれるわ!」
そう口走りながら頭は斬りかかってくる。
それを脇差1本で受け身に回りながら周りの状況を確認する。
頭が斬りかかって来ていた間に槍や太刀をを手にした者たちに取り囲まれ逃げ道は無いに等しい。
守勢に回りながら確認を終えた秀介の後ろから囁く様に優希が語り掛けてきた。
「近くに私の家の者が来ている筈です、何とかこの包囲を崩せば活路は見えてきましょう」
「その根拠は?」
「遠くから呼子の笛の音が聞こえます、それと私を探す声も」
「え?そんな音聞こえ……、いや……微かにだけど聞こえた!」
「問題はこの包囲を崩せるかです、出来ますか?」
優希の問いかけに秀介は間髪入れずに、
「出来ますよ、根拠は俺の腕前って事でどうでしょう?」
「……あなたの腕前がどの程度か知らない私には薄弱極まる根拠ですね」
「そりゃあ、御尤も……」
少し気落ちする秀介。
「ですが、先ほどの小屋での戦闘や去り際から判断するには確かな根拠かもしれませんね」
そんな秀介を励ますかのような優希の一言。
「袖擦りあった女性を守るぐらいにはありますよ、俺の根拠は」
内心嬉しくなりながら、照れ隠しに言葉を返す。
瞬間気持ちを入れ替え脱出策を探す秀介。
「先程の探す声はどちらの方向から聞こえました?」
「丁度あなたの真後ろからですね」
「了解しました。僕が合図したらその方向に向かって走ってください」
女性一人この中を走らせるのは酷かと思いながらも最良の選択肢に賭ける。
「ええ、わかりました私の命あなたに預けますよ」
そんな博打の様な指示に即答する優希。
そのあっさりとした返答に信頼が隠れていることに気付くと顔を微笑ませ、
「仰せのままにお姫様」
そう言葉を紡いだ。
「何を笑っている!その顔のまま殺してやる!」
頭が苛ついたかの様に斬りかかってくる。
それを受け止め鍔迫り合いに持ち込む。
しかし、やはり太刀と脇差では分が悪く次第に劣勢になっていく秀介。
「は!小童、今まで凌いでいたのは褒めてやろう!だがしかし!」
先程よりも一層力を入れる頭。
「この北畠家にその人有りと謳われた家城之清とは私の事だ!」
「本来は槍が得意なのだがな!お前如き小童この刀で充分であろう!このまま剣錆にしてくれる!」
頭、いや之清は興奮して捲し立てる。
(北畠って確か戦国時代に伊勢を治めていた家じゃなかったか?ってもしかしてここって……)
色々考え込んでいた秀介に圧が掛かり片膝を着く形になる。
(いや今は目の前の敵を倒す事、それが最優先だ!)
考えを切り替え、即座に行動に移す。
秀介は腕に力を込め之清を押し返す。
押し返す最中に相手の脇差を抜き取り、それをすぐさま相手の太腿に突き刺す。
「何だと!ぐっ……ううぅ」
之清の体勢が崩れ、無防備な胸元が露わになる。
そこに向かい、秀介の素早い刺突が放たれる。
「がっ……なんと、無念よ……具親様……」
「今だ!走れ!」
秀介の合図に従い全速力で走り出す優希。
頭が死に、動揺が広がる。
動揺から立ち直り優希を捕らえようとする目の前の敵が太刀を振りかぶる。
が、来る筈の衝撃は来ない。
その敵の胸元には秀介が投げた脇差が刺さっていた。
その一瞬の隙を突いて包囲を抜け出す優希。
それに続きこじ開けた包囲の穴を自ら押し開き脱出してくる秀介。
だが、どちらも息も絶え絶えでいつ倒れてもおかしくなかった。
その2人の前に人の壁ができ万事休すかに思えたその時。
「姫!遅くなり申した!山崎平三郎戻って参りました!」
そう助かったのだ、味方であったのだ。
「平三郎!助かりました!後ろに付いてきてる敵兵を頼めますか?」
「お任せを!各騎付いてこい!」
平三郎はすぐ様、数騎の騎兵を連れ敵兵を殲滅に向かう。
「助かったぁ……死ぬかと思った……」
一息ついた秀介はその場にへたり込む。
「そういえばあなたの名前を聞いて無かったわね」
「確かに……、色々急だったから忘れてたなぁ」
秀介はそう言って立ち上がって名乗る。
「じゃあ、改めて、篠宮一刀流師範代・篠宮秀介です」
優希も背筋を正し名乗る。
「私は、伊勢国主・黛秀康の次女、黛優希よ」
「因みに篠宮一刀流って聞いたこと無い流派だけれど?」
そう聞かれ、秀介は恥ずかしそうに後頭部を掻く。
「俺も正直よく分かって無い事が多くて話すと長くなりそうなんですが、良いですか?」
そう言って、秀介は申し訳無さそうに微笑んだ―――
※1 伊勢国長島:現在での三重県桑名市付近。
※2 尺・寸:戦国期の長さの単位。1尺で30.3㎝、1寸で3.03㎝
※3 手妻:現在でいう手品の事。別で和妻、品玉と言うこともある。




