『はじめにもどる』駅
気が付くと私は、赤いランドセルを背負って、駅のホームに一人、立っていた。
辺りは青く、海の底にいるみたいだ。
「ああ、コレ、夢の中なのかな」
私が独り言を言うと、口からポコポコと空気の泡が出てきて、上の方に向かっていく。
うん。
やっぱり、ここは、水の中で。
つまり、夢の中、だ。
それにしても、海の中に、何故だか、電車のホームと、線路。
……一体、なんで、こんな夢を?
もしかしたら、この間読んだ、NiOさんの『深海の駅』という小説のせいで、なのかもしれない。
それくらいしか、心当たりが無かった。
体を動かすと、水の中にいるような抵抗感を感じるものの、どうやら呼吸は出来るみたいで、別に苦しくはない。
それにしても、深海だから、かな。
魚は一匹も、泳いでいない。
なんとも寂しい風景に、私はなんだか居心地が悪くなり、ついキョロキョロとあたりを探索してしまう。
ふと振り向くと、駅の看板があることに、気が付いた。
『はじめにもどる』駅
……なんだ、この、ヘンテコな名前は。
と言っても、これは夢の中なので、私の脳内が考え出した名前なんだけど。
それにしても、凄い名前だ。
お兄ちゃんに言ったら、絶対バカにされる。
「『はじめにもどる』駅、かあ……」
声に出しても、口から泡が立ち上るだけで、他に何かが起こるわけでもなく。
私はしばらく、その駅に佇んでいた。
ごとんごとんごとん……
ふと、看板から視線を線路の向こうに移すと。
遠くの方から、電車が来ているのが分かる。
電車はゆっくりと駅へと近づいてきて、少しずつ、その全体が見えてくる。
とは言っても、別に代わり映えのしない、普段小学校に通うときに良く乗っている電車にそっくりな車両、だったのだけれど。
まあ、私の夢なんだから、しょうがないじゃないか。
電車が駅に到着すると、プシューっと、扉が開いた。
確認できる範囲では、中も、普通の電車の様である。
うーん。
私は少し考える。
ずっとこの『はじめにもどる』駅に居ても、つまらない。
夢の中なんだし、せっかくだから、電車に乗ってみようかな。
それに、こんな海の中みたいな駅に、ずっといると、現実世界でおねしょとか、してしまうかもしれないし。
私は水の抵抗を感じながら、電車に近づくと。
開け放たれたその扉の向こう側へと、足を踏み入れた。
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中に入ると、一人のお爺さんが、ニコニコ笑いながら、座っていた。
お爺さん? いや、お婆さん、なのかもしれない。
「こんにちは!」
夢の中だけど、私は一応挨拶をして、お爺さん?の対面に腰掛ける。
お爺さん?もペコリと頭を下げると、相変わらずニコニコとこちらを見ているので、私はなんだか気まずくなって、何もない電車の外をぼんやりと眺めることにした。
椅子に座ってしばらくすると、電車が動き出した。
外の景色を見てみると、少しだけ、海の色が薄くなっているようにも感じる。
ふと、私は、窓の外に、なんだか透明な、動くものを、見付けた。
「……あ、あれは……ミジン……コ……?」
両手をバンザイしたような可愛らしいフォルムの、有名な微生物が、ヒョイ、ヒョイと、リズミカルに泳いでいるのである。
もちろんミジンコは、裸眼で見えるような大きさではない。
夢ならではの景色、なんだろう。
そして、ミジンコに気を取られて気が付かなかったが。
辺りを見渡すと、この前、理科で習った、いろんな微生物が、あっちへウロウロ、こっちへウロウロと動き回っている。
「えーっと、ミカヅキモに……アメーバーに……ゾウリムシ!
あ……アレは、なんだっけ?」
指を差して確認していくと、覚えているものもあり、全然記憶にないものもいる。
多分、私の潜在記憶、みたいなものなのだろう。
なんだか楽しくなってきた。
「あ、魚だ!」
小さいが、確実に魚と分かる魚が、スイスイと泳いでいた。
いつの間にか微生物たちは姿を消していて。
今度はいろいろな種類の魚たちが、縦横無尽に泳ぎ始めていたのだ。
……と、ここで。
電車は、ゆっくりと、その動きを、止める。
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止まった駅の名前を、私は確認した。
『うまれてきたね』駅
なんだそれ。
夢の中とは言え、自分のネーミングセンスに、思わず吹き出してしまった。
扉が開くと、よくわからない魚が何種類か、乗り込んできた。
彼らはもちろん椅子に座ることは無く。
電車の中を、まるで水槽のように泳ぎ回っているのであった。
心なしか、魚たちはお爺さん?の周りに集まってきているように見える。
お爺さん?は、相変わらずニコニコしながら、その魚たちを撫でていた。
ちょっと羨ましかったので、私も真似したかったのだが、魚はすばしっこくて、全然捕まえられない。
悔しい、なぜだ。
私の夢の中なのに。
やがて、またドアが閉まり、電車が動き始める。
次第に、海の色が、青から、透明に変わり始めている。
窓から顔を乗り出すと、上の方が、眩しくなってきているのが分かった。
「……あっ!」
海の外に、出た!
急に飛び込んできた風の感触を肌で味わうと、私は思わず全身で喜びを表現する。
電車はそのまま砂浜を抜け、密林の中へと突っ込んでいった。
ふと、気になって、車内に目を移したが。
魚たちはどうやら陸地でも関係なく、空間内をスイスイと泳ぎ回っている。
まあ、夢だし、そんなもんだろう。
私も、とりあえずおねしょの心配はしなくて、良いのかもしれない。
「海の外に、出ましたね!」
テンションが上がってしまい、対面に座るお爺さん?に思わず話しかけて見るが。
お爺さん?は、笑いながら何度も頷いてくれて。
それが逆に恥ずかしくなってしまい、私は小さく咳ばらいをした後、再度窓の外へと視線を移す。
……あ。
……あれは。
……また、駅、だ。
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私たちは、『ふえてきたね』駅に、到着した。
もう、夢の中の名付けのセンスにツッコミを入れるのは、止めることにした。
私は、開いた電車の扉を、少しワクワクしながら眺めていた。
一体、どんな生き物が乗ってくるのだろう。
まずは、小さな生き物が、乗ってきた。
小さな虫や、モコモコしたネズミみたいなものや、パタパタ歩き回る鳥や、それから、それから。
「……!!」
……少しだけ顔のツルっとした、お猿さんが、入ってきた。
……動物の皮を、身に纏って!
ここで、私は、理解する。
どうやら、この電車は、生命の誕生や歴史を、見ることのできる、電車なのだろう。
……つまり、あのお猿さんは。
「……もしかして、ご先祖様、かなあ……」
向こう側へ移動するお猿さんの背中を目で追いながら、聞こえないようにそんな言葉を小さく呟き、改めてドアへと視線を移す。
「……え!?」
私は思わず、息をのんだ。
いつの間にか。
恐竜が、乗り込んできていたのだ!
しかし、やはり夢の中。
普通に考えると、恐竜が電車に乗れば、中はぎゅうぎゅう詰めになるはずなのに。
電車の中を、恐竜たちは自由に歩きまわっているし。
他の生き物や、魚たちも、我が物顔で電車の中を移動しているのであった。
なんだ、この夢。
とっても、楽しい!
現実世界であったら、虫は気持ち悪いし、恐竜は怖いものだけど、ここでは何だか、みんな可愛らしいものに思えてきた。
相変わらずお爺さん?の周りには動物たちが集まってきていて、撫でられるままにされており、それは悔しいのだが。
まあ、イイや、見て、楽しもう。
私は、大人、なのだ。
少しだけムスッとしながらそんなことを考えていると、ドアが閉まり。
電車は『ふえてきたね』駅を、出発したのであった。
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電車の中ではたくさんの生き物たちが忙しなく動いている。
私は、のそのそと可愛らしい動きをしているマンモスを、笑顔で眺めていると。
なんだか少し、肌寒くなっているのに、気が付いた。
窓の外へ目を移すと。
……そこは、一面の、雪景色で、あった。
「え、あ。
あああああ!」
授業で、習ったことがある!
氷河期、だ!
電車は、ゆっくりと、スピードを落としていく。
「だ、だめ!
止まらないで!
この駅には、止まらないで!」
私が必死になって電車の前に向かって叫ぶけれど。
電車は、駅に、到着した。
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駅の名前は、『へってきたね』駅であった。
ぞろぞろと、生き物たちが下車していく。
「だめ、だめ、待って!」
私が止める言葉も聞かず。
大きな動物が。
たくさんの恐竜が。
可愛らしい、マンモスが。
どんどん、駅へと、降りて行った。
「止めて、止めて!」
お爺さん?に視線を移すけど。
お爺さん?は、悲しそうな笑顔で、首を横に振る、だけであった。
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『へってきたね』駅を出発すると、景色は白一色から、だんだん春の様に変化していった。
少しだけ安堵の溜息をつき、電車の中を確認すると。
先ほどまで小さいと思っていた虫やモコモコのネズミたちは、すっかり大きくなっていた。
歩き回っていた鳥も、今では天井付近を飛んだり、つり革にちょこんと座ったりしている。
シカ、オオカミ、クマ、なんて、動物園で見たことあるような生き物も、確認できるようになった。
相変わらずお爺さん?の周りには、彼らが集まっている。
ふと、視線を、『動物の皮を纏ったお猿さん』に移すと。
お猿さんは、いつの間にか、しっかりした、服の様なものを着ているのであった。
……いや、もはや、お猿さんでは、ないだろう。
これは、まごうことなく、人類、だ。
「……?」
ふと、違和感に気付く。
なんで人類は、お爺さん?に、背を向けているのだろうか。
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電車はその後も、軽快に走っては、駅に停車した。
『したがえてきたね』駅や、『おさめてきたね』駅など。
たくさんの変な名前の駅に止まって。
そのたびに新しい動物が乗ってきて。
……そのたびに、乗っていた動物が、降りて、行った。
「……ッ!」
今降りた、あの動物、知ってる。
ドードー鳥だ。
確か、人間に乱獲されて、絶滅した、飛べない、鳥……。
人間の一人として、いたたまれない気持ちになりながらお爺さん?を見ると。
お爺さん?も寂しそうに、ニコニコと笑うのであった。
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外の世界はいつの間にか、すっかり現代のような変化を遂げていた。
高層ビルや巨大モールが立ち並び、視界の全てを埋め尽くしている。
空飛ぶ車や、良く解らないホログラムみたいな立体映像もあることから、もしかしたら現代どころか、未来なのかもしれない。
心なしか、電車の中の動物たちは、お爺さん?へ、怯えながら縋り付いているようにも見える。
そして、向こうの席では、『スーツを着た人類』が、彼らに背を向けながら、ニヤニヤ笑っていた。
……なんだ、これ。
夢にしたって、気分が悪い。
私が『人類』へ注意しようと、席から立つと。
カッ!
電車の窓が、突然、光ったのだ!
いや、違う、光ったのは、窓ではない!
景色だ、外の景色が、急に、眩しいくらいに、光って……!
「……あ、あ、あ……」
写真で、見たことがある。
あれは……キノコ雲、だ。
呆然とする私に配慮することなく。
電車は、そのスピードを、ゆっくりと緩めて。
……駅に停車した。
駅の名前は、『あらそったね』駅。
扉が開くと、動物たちが、ゾロゾロと、降りていく。
ネコが。
イヌが。
トリが。
シカが。
イノシシが。
クマが。
氷河期の時ですら比べ物にならない程の、たくさんの動物たちが。
……電車から、どんどん、下車していった。
「……!? ……!!
……うううう……!!
……ああああ……!!
……待って……ダメ……いかないで……!!」
かすれて、そんな声しか、出せない。
止めたくても、止められない。
だって、彼らを下車させたのは、他でもない。
私達、人間、なんだから。
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『あらそったね』駅を出発すると、電車の中は、すっかり静まり返っていた。
車内に残っているのは、たった3人。
私と、お爺さん?と。
……遠くの席で、バツの悪そうな顔をしている、『人類』、だけ、であった。
窓の外では相変わらず激しい爆音と閃光による……恐らく、惨劇……が繰り広げられており、私は恐くて、ずぅっと、床の模様と、自分の靴を、見ていた。
……やがて、激しい爆音と閃光は、止んで。
電車は、スピードを、落とし始めた。
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「……なに、これ……」
すっかり、静かになった、窓の外。
恐る恐る外の様子を確認した私は、そんな言葉をつぶやくしか、無かった。
『これでおわり』駅には……何も、無かった。
何故か3つある太陽に、とぐろを巻いた黒い入道雲。
どこまでも広がる砂漠に、隠れるように存在する瓦礫が。
辛うじて、ここが、人間の住む町であったことを、示していた。
「ぐううううッ……」
心臓が、締め付けられて、苦しい。
私は、ぎゅうっと胸を握りしめて、うずくまる。
涙が、止まらない。
なんで、なんで、こんなことに。
ハッと気が付き、私は、顔を上げる。
いつの間にか、『人類』は、席を立っていた。
そして。
お爺さん?と私に、申し訳なさそうな顔をしながら、頭を下げると。
……電車を降りて、行ったのであった。
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私は乱れる心を落ち着けて、ゆっくりと、呼吸をする。
そうして、何度も、何度も、深呼吸を、続ける。
……うん、だんだん、少しずつ……落ち着いて、きた。
ここは、『これでおわり』駅だ。
……『これでおわり』駅、か。
……夢の中とは言え、ボロボロの世界とは言え。
ここが、終点、なのだ。
……私も、降りなくちゃ、いけないのかもしれない。
そんなことを考えながら、お爺さん?を見ると、彼?は悲しそうな笑顔で、首を振る。
……まだ、残っていろ、ということ、なのかな。
お爺さん?の動向を待っていると、電車の扉が閉まり。
……また、どこかへ向けて、進み始めた。
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景色は次第に薄暗く、空気は澱みはじめ……。
「……あ……」
電車は、一番最初の……『はじめにもどる』駅へ、到着した。
気が付くと、お爺さん?は、私の近くに来ており。
ニコニコ笑いながら、『ここで降りなさい』と言うように、ドアの方へ、手を向けている。
私は、慌てて立ち上がると、電車から飛び降りた。
駅に着くと私は電車に向かって振り返り、お爺さん?に尋ねる。
「降りないんですか?」
ぼこ、と、口から泡が生まれ、上方へと、消えていく。
お爺さん?は、その泡の行方を少し気にするように、目線をちょっとだけ上に向けると。
困ったように笑って。
また、電車の席へ座りなおし。
私に向かって、小さく、手を振った。
扉が閉まり、電車が出発する。
遠くに消えていく電車を、私は、いつまでも、眺めているのであった。
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久しぶりに、おねしょを、した。
お兄ちゃんにも、大爆笑されてしまった。
こんな歳にもなって、恥ずかしい。
あんな夢のせいだ。
あんな、夢、の。
……本当に、夢、だったんだろうか。
そして。
あの、お爺さん?は、何者、だったのだろうか。
生命が生まれて、滅んでを繰り返す、そんな、環状線を。
限りない喜びと。
それと同じくらいの苦しみの螺旋を、何度も何度も味わって。
それでも、電車に乗り続ける、あのお爺さん?は。
ただ、私は、思わず手を合わせて、思った。
お爺さん?に、もう二度と、『これで終わり』駅に着くような悲しみを、味わわせては、いけない、と。
もちろん、私一人では、どうしようもないかもしれないけど。
みんなが、そう、願えば。
きっと、この世界は、変わっていく……のかも、しれない。
だから、お爺さん?も、どうか、電車を降りないで。
私たちのことを、見ていて、ください、ね……なんて。
そんなことを考えながら、熱心に手を合わせていると。
お兄ちゃんが、ふざけて笑った。
「なんだよお前、神様にでも、お祈り、してるのか?」