人差し指。
それからも治療を行っていく。
クリームヒルトの話では重傷者が多数出たものの、治療が迅速だったせいか幸いにも死者は出なかったという。
いったん休憩するために野戦病院代わりの教室を出る。クリームヒルトもメガヒールの使い過ぎで、魔力が枯渇してきたらしい。
患者の治療がひと段落着いたのか、他の教授たちも教室を出て体をほぐしたり、中庭に出て煙草を吸ったりしていた。
最近は煙草が病気の原因になるという学説もあるが、まだ確定した説ではない上に社交上吸わなければいけない場合も多い。多くの病院には喫煙室が設けられ、そこで魔法医師も助手も一服する姿がよくみられる。
僕は吸わない。確定した証拠、エビデンスがあるわけではなくても、色々な薬や毒を飲んで試してみた勘で、なんとなく体をむしばむ気がするからだ。クリームヒルトも同じらしく、教授たちがいる中庭とは別の場所に出た。
そこは校舎の陰になった暗い場所。日はすでに傾き、茜色の夕日は濃い影を落とし、この狭い場所を染め上げている。
少し涼しくなった風が、ひんやりと汗で火照った肌を撫でていく。
静かだ。
さっきまでの悲鳴も、銃声も、患者が運び込まれる足音もしない。
ここは銃撃の場所から離れていたためか、弾痕もない。
まるで別世界のようだ。
三人で手近なベンチに腰を下ろす。エッバが頭からかぶった、犬耳を隠すためのフードが風に揺れた。
僕は校舎の挟まれた狭い空を見上げると、今日の出来事が反芻される。
本当に、色々なことがありすぎた。
朝から魔法医師大学に来て、見学して、さらに授業をして。
医局に案内されて、いきなり非常勤講師として迎えたいなんてクリストハルト教授に言われて。
それからテロリストが侵入して、怪我人の治療に追われた。
「テロリストか……」
彼らは敵兵から国民を守るための武器であるライフルを使い、多くの人を傷つけた。医術士としては許されざる行為だ。
でも、人を傷つけてきたのは僕も変わらない。
自分の手を藍色が混じり始めた空にゆっくりとかざすと、影になり少し黒っぽく見えた。
この手で、時にはヒールやメディスンヒールで。
時には針金や木綿糸を用いて、人を治してきた。
でも、失敗すれば人を傷つけた。そもそも医療とはかつて盛んに行われた、血を抜く「瀉血療法」などで患者の体を切ったりする、「傷害行為」が含まれるのだ。だから医術士や魔法医師といった免許を持った人間にしか許可されない。
黒く影を落とした手を下ろし、横に目を向ける。
クリームヒルトが僕のほうを見ていたので、至近距離で目が合った。
「~っ」
クリームヒルトは湿疹が消えて、新雪のように美しい肌を真っ赤にして顔をそらす。
「どうしたの?」
「すみません、殿方の顔を覗き込むなんてはしたない真似を……」
興奮したのか、少し口調がおかしい。
「あの、もう一度だけヒールの光を見せていただけません?」
「いいけど…… どうして?」
ヒールもメガヒールほどじゃないけど魔力を消費するのだ。人を治療するわけでもないのに、無駄打ちは控えたい。まして今は緊急時だ。
「なんというか…… あなたのヒールを見ると、落ち着くんですのよ」
彼女は言い訳っぽくそう言ったけど、これで落ち着いてもらえるなら安いものか。
一回使うくらいなら問題ない。僕は両手を宙にかざし、意識を集中して詠唱した。
「ヒール」
体の奥から何か煙のようなものが抜け出ていくような感じ。
これを「魔力を消費する」と表現されるが、科学的な測定はいまだ困難だ。
僕の魔法を、クリームヒルトは間近で見つめていた。
ヒールの光を、僕の目を。
そして人差し指を。
鬼気迫るような真剣さに少し怖くなったくらいだ。
「もういいですわ、ありがとうございました」
そう言われたのでヒールを僕は解除する。いつもより長く発動していたから多めに魔力を消費したけど、大きな問題じゃない。
「やっぱり、違いますのね……」
そう虚空を見て呟く彼女は、吹っ切ったような、諦めきれないような、複雑な表情だった。
やがて座っていたエッバが、緊張感をにじませてゆっくりと両手を上げる。
「ご主人様……」
絞り出すような、後悔の混じった声。
何事かと事情を考えるより先に、背中に当たる固い感触ですべてを悟った。
「手を上げろ、三人ともな」
ゆったりとしたローブと白い覆面で顔を隠した男が、後ろから僕たちにライフルを突き付けていた。
百年前の煙草についての認識はこんなものです。
煙草の害について初めて国民に啓蒙したのが、ドイツだったと思われます。




