メインディッシュ
タイトル画面から確認できる序列はWoJプレイヤーのちょっとした楽しみだ。
あまりにシンプルかつ不親切な内容のために、目撃情報の錯綜、成りすましの出現、運営によって付けられる謎の二つ名の由来考察など、話題の提供に事欠かないからだ。
順位と動物種と二つ名のみを公表するそのランキングでは、戦闘経験値、野性値、使用種族、累計キルスコア、累計デススコアから総合的に格付けされる。
もちろんプレイヤーネームはゲーム内で徹底的に秘匿されるため、本人自身でさえランキング入りしているか分からない。
現在、唯一確定している情報は、彼らが常軌を逸した実力者だということ。
ランカーとは、過酷なサバイバルを平然と生き延びる、狂気の世界の住人だということ。
そんな実力者と巡り会うため、嬉々として狂気の坩堝に身を投げる獣たち。
樹冠から観戦する小動物のなかに、飛び入り参加を試みる勇者はいない。
虫けらが燃え盛る火炎に身を投げることは勇気などではないと知っているからだ。
死闘を観戦するための特等席。
垂涎の安全地帯。
そう、彼らは決して自ら死地に留まっていたわけではない。
ただ知らなかったのだ。この世界に安全地帯など存在しないということを。
地上の強者と樹上の強者では、強さの質が根本的に違うということを。
それは突然現れた。一陣の風が吹き荒び、枝葉を撫で、隠れ潜む肉袋を悉く引き裂いていく。
幸か不幸か、そのカラスが生き残ったのは偶然としか言いようがない。
落下の勢いで羽ばたき、地獄と化した観客席からほうほうの体で飛び去った。
しかし生ける地獄は、何人たりとも逃すまいとばかりにカラスの軌跡をなぞり飛翔する。
カラスは手段を選ばず必死に逃げた。
葉に隠れ姿をくらまし、道すがら小動物を囮にし、幹を蹴り抜き鋭く方向転換し、巧みな挙動で逃げ道を探る。
速度の上では互角。逃げ切れるかは自分次第。
うねり、彷徨い、生あるものを刻み刈り獲らんと猛り狂う暴風。
変幻自在の燐火から、時折火の粉のように零れ落ちる羽毛を見つけられなければ、常人にはそれの正体を窺い知ることすらできないだろう。
序列第五位『怪力乱神』。
序列第九位『滅びの晴嵐』。
無軌道な曲技飛行で飛び回るカンムリクマタカと、千変万化の体術で絡みつくアナコンダ。
二匹が空中で激しく縺れ合う様は、まるで不規則に漂う黒い鬼火のようだった。
クマタカが爪と嘴で捕らえれば、アナコンダは全身の強靭でしなやかな筋肉を巧みに動かし、捉えどころのない動きで器用に躱す。
アナコンダが未だその巨体で翼を絡めとり墜落させられないのは、偏にそれを許さず飛びつづけるクマタカの技量のためだ。
クマタカが鉤爪に掴んだアナコンダを樹木へと押しつける。しかしヘビはするりと枝へ逃れる。
致命の一撃を刻まんと振るわれた鉤爪が樹皮を裂き、啄む嘴が木屑を散らし、絞め殺す蛇身が枝をへし折り、瞬く間に一本の木へ滅びをもたらした。
小動物たちは巻き込まれては堪らないとばかりに逃げ出し、あるいは逃げ遅れた者が叩き落とされ、悲鳴と歓声と破壊音が響き渡った。
その二匹が絡まり合って飛ぶのは余裕の表れなどではない。彼らは互いを喰い殺すことのみに全力を尽くしているのだ。
道中の血肉を刈り取るのは、単なる余波にすぎない。
不幸にも偶然彼らの飛行ルートに重なってしまったカラスは、冗談じゃないとばかりに枝の隙間をすり抜ける。
気流は風雨に乱され、呼吸は恐怖に乱される。
向かう樹冠の隙間には、新参仲間と思われる小動物、襲撃のときを見計らう毒蛇、狂気の宴に身を委ねたジャガー……様々な動物たちがいる。
死神から逃れるのが早いか、追いつかれるのが早いか、あるいは道中の獣に狩られるのが早いか。
憐れなカラスは雨のなか飛びつづける。
彼女の悪夢は、直に覚める。
○
バイトリーダーは止まった時のなかにいた。
土砂降りの雨が泥を跳ね上げ、風に撓う大樹の枝葉が笛の音を奏でる。
そう遠くない距離で轟々と渦巻く大河は、普段よりずっと静かに感じられる。
脳髄を駆け巡るパルスは閃光のごとく、感覚神経が冴え渡る。
落ちゆく雨粒の一滴さえ視認できるほど濃密に圧縮された時間に取り残される。
呆然と目の前の異常を見つめるバイトリーダーの心境は、答え合わせをした後の間違い探しに似た奇妙な感傷と、何故その存在に気づけなかったのかと自問する小さな敗北感に似ていた。
今にも倒れてしまいそうなほど衰弱した姿のジャパニーズホワイト。
濡れそぼり毛皮が張り付いた肢体はひどく痩せこけて見え、その見窄らしい純白は密林の中にあってひどく目立つ。
小さな体を寒さに震わせながら、ピンク色の耳介だけが辺りの様子を窺っていた。
狂気の密林を生き抜くことなど不可能と思われる草食小動物。WoJに纏わる都市伝説。有り得ざる存在。
バイトリーダーは空回りする思考を振り払い、今己が為すべきことだけに集中する。
たとえ相手がプレイヤーだろうがNPCだろうがチートだろうが、野兎風情に背を向ける捕食者など居ようはずもない。
彼は呼吸を整え、その白兎を射程圏内に収めるべく小さく踏み込み――。
その瞬間、白兎は逃げ出した。
バイトリーダーは今度こそ迷わず駆け出した。
サーベルタイガーが息を吐き、体重移動をはじめた瞬間に、機先を制するが如く逃げ出したのだ。
細かな仕草、逃走ルートの計算、万物を見通すかのような感覚網。とても人間業とは思えない。
もし計算ずくで同じことができるとすれば、それはヒトの姿をした化物に違いない。
そしてバイトリーダーは、そんな化物をこそ求めていたのだ。
疾風のように駆ける猛獣が目を細めるのは、叩きつける雨風だけが理由ではなかった。
――全力をぶつけるに足る強者を!
ずぶ濡れの白兎が薮のなかを走り抜ける。
後を追うバイトリーダーは消耗を抑えるべく枝の尖った小径を避けつつ、見失わないよう神経を尖らせた。
彼らは一心不乱に駆ける。
張り出した木の根を飛び越え、泥濘む沼を躱し、滑る岩場を肉球で掴み、小柄な体躯を活かして逃げ回る白兎を決して見失わず追いかけた。
白兎は爬虫類のように俊敏で滑らかな動きを見せ、道なき道を拓き走る。
死角に入り撹乱し、踏み抜いたシダ植物を爪弾いて水滴の壁を作り、駆け上がった岩場から礫を落とす。
白兎が逃げ道の取捨選択で差をつければ、剣虎は優れた身体能力で追い詰める。
彼らは捕食者と被捕食者でありながら、その性根は同じだった。
ただ強者を求め、その誇りに全力をもって挑まんと今を生き抜いていた。
両者ともに息を荒げ、火照る肉体と濡れる外皮の温度差に脳を痺れさせながら、二人だけの世界を堪能する。
どれほどの時間が経ったかも分からない濃密な高揚感のなか、爪が届くまで後四歩の距離に差し迫ったバイトリーダーは、周囲の異変に気づいた。
結ばれた草、吊るされた枝、落ち葉に隠された小穴。行く先々に、人為的な罠が数多く仕掛けられている。
罠を仕掛けるなど、外敵がいない状態での戦闘行為には多大なペナルティが課せられる。かといって事前に仕込めば、意図しない相手が意図しないタイミングで引っ掛かってしまう。
草食小動物は各種ペナルティが少ないとはいえ、この罠の量は明らかに尋常ではない。
バイトリーダーが警戒を強めたのも束の間、茂みの奥の開けた広場に抜け出ると、彼は決定的な異常事態を目の当たりにして背筋を凍らせた。
尖った丸太に貫かれたシベリアトラ。
瓦礫の隙間から滲むカラスの血と羽根。
底無し沼に溺れるクロサイ。
巻きつく蔦に絞め殺されたカンムリクマタカ。
大木の下敷きになったアナコンダ。
まるで彼の行く末を暗示しているかのように、物言わぬ"危険地帯の証"が晒されていた。
思わず立ち止まったバイトリーダーを品定めするように、白兎は向き直った。
泥のなか白い足をだん、だん、と踏み鳴らせば、何処か近くで断末魔の叫びが上がった。
叫ぶようにギィィ、と喉を鳴らせば、樹上から何かが落ちる音が聞こえた。
程なくして、方々から獣が――怯えた表情の獣たちが押し寄せた。
今しがた罠の脅威に晒されて逃げてきたかのようなタイミングだった。
白兎は舞台の中央へ踏み出す。獣たちをけしかけた隙に逃げるつもりなど毛頭ない。
剣虎は心意気同じく前へ踏み出す。満漢全席とばかりに揃ったもてなしの皿に囲まれ、全て平らげるのを夢見てか舌なめずりする。
知らぬ間に誘導された供物たちは、向かい合う一頭と一羽を認識すると、恐怖心を紛らわすように吼え、襲いかかる。
最後の晩餐が始まった。