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Hello, Wild

 しんしんと降り積もる雪のなか、二つの人影が傘も差さずに歩いていた。

 学校指定のマフラーにもこもこと埋もれながら着膨れる姿はまるで冬毛に生え変わった小鳥のよう。



 校門を出てしばらく歩いたというのに、二人の間に会話はない。

 少女の瞳は普段以上に澱み、玉響はその様子をちらちら窺っては含み笑いを溢している。

 笑う度に寒さで赤らんだ白磁器の肌が白い吐息に包まれた。



「ねえ、たまちゃんさぁ……」

「くふ、うふふふ……。言わなかったっけ。説明しすぎたらチュートリアルの楽しみが減っちゃうって。ふふふ……」



 くつくつと笑う白い少女は知っている。シュガーという人物が、その口調と表情と言葉数の少なさからは想像もつかないほどに感情豊かな享楽家であることを。

 ぶっきらぼうで無愛想な気難しがり屋ではなく、何事も楽しもうと前のめりに生き急ぐ流れ星のような人物であることを。

 だから彼女はシュガーの言葉を待った。普段受け身がちな少女が自分の言葉で、自分の感情を伝えてくれるのを心待ちにしていた。



「まあ、楽しかったよ。想像以上だった」

「ふふ、それはよかった」



 真っ白な雪景色に大輪の花が咲いた。

 シュガーは少し恥ずかしそうに目を逸らして誤魔化した。



「でもチュートリアルの後すぐログアウトしたよ。あんな目に遭わせておいて、どんな顔して他のプレイヤーとやり合えっていうんだよ製作者は」

「そんな顔でいいと思うよ」

「古参連中を懐かしい気持ちにしてやれって?」



 彼女はいかにも苦笑いといった風に息を吐いた。



 チュートリアルの案内役が、これから説明しようと言った矢先にプレイヤーを喰い殺してしまうのだから、さすがに予想外と言わざるを得ない。

 彼女は咄嗟に足掻いたものの、その甲斐虚しくリザルトフロアに転送された。

 さらにその先で待ち受けていたクジャクに『野獣を信用するな。ヤギとオオカミの間に友情が芽生えるのは稀なことだ』と説教された後、死亡時の操作を教わってチュートリアルを完了したのだった。



 ちなみにリザルトフロアでは戦闘経験値を振り分けて各ステータス値の上限を増やしたり、野性値を消費して自身のアバターをより強力な動物に変更することができる。

 今のところ、どちらの数値も獲得条件は不明だ。



「あと、あれはなんなのさ。質問コーナーって向こうがこっちに質問してくるのかよ。想定外だよ」

「そりゃそこまで高度なAIは積んでないだろうからね」



 あっけらかんと答える玉響に対して、不服そうに問い詰める。



「……私個人にピンポイントで投げ掛けられたとしか思えない質問だったんだけど」

「しーらない」

「玉響はなんて質問されたの?」

「わーすれた」



 くつくつと笑い子どものように空惚ける少女を見て、シュガーは呆れ半分で溜め息を吐いた。

 空に溶ける白い息を視線で追いかけると、今度は玉響が問いかけた。



「それで? 結局何の動物にしたの?」



 最初に選ぶアバターはそれなりに重要とされる。

 全く異なる身体を動かすには相応の違和感と付き合う必要があり、慣れるには多少の時間がかかるためだ。

 そのため最終的にアバターとする動物を決めてから、似た骨格の動物を選ぶのが一般的だ。



「鳥類にしたよ。とりあえずカラス」

「ふーん。好きだねえ、カラス」

「カラス大好き」



 いつもと変わらず無表情のまま淡々と告げるシュガーだったが、玉響は何かに気がついた。

「なるほど、アレはホルモン値の異常として感知されるからね。強制終了の対象だ」と鎌をかけると、少女は無表情のまま顔だけを赤らめた。



「安心しなよ、本編ではチュートリアルやタイトル画面と違って強制終了の基準が緩くなるから。特にこのゲームはL-VR操作のプロにのみ配信されてるものだから、任意の操作以外ではまず終了されないと思っていい。

 ゲーム中にいきなりイケメンが出てきて強制終了になったりはしないよ」



 一時期乙女ゲーの類いで話題になった事案だ。

 できれば粗相を言い触らさない方向で安心したかったシュガーだったが、せっかくオススメしてもらったゲームくらい誠意をもって遊び尽くしたいとも思っていたため、多少安堵したのも事実だった。

 照れ隠しに軽口を叩く。



「私はたまちゃん一筋だから。そこは信じてほしいなマイハニー?」

「当たり前だよ、マイ・スウィート・ハニー」



 立ち込める甘い空気に、たまたますれ違った人の歯が溶けた。心底傍迷惑な話である。



 二人は居たたまれない空気をものともせず、夜半にVRSNSで待ち合わせる約束をしてから別れを告げた。









 シュガーは自分の部屋に戻ると、一も二もなくL-VR機器を起動した。



 そこには相変わらず白く寂しい空間が広がっていた。

 総合創作媒体(クリエイトツール)で弄ればホームデザインをカスタマイズできるが、彼女の興味は今そこにない。

 いつか暇なときに試してみよう、と頭の片隅に置いて、WoJのタイトルロゴだけが浮かぶ没個性なしゃぼん玉を弾いた。



 全景が真っ暗になるのは初回だけのようで、今回は早々に鬱蒼と生い茂る密林が広がった。

 まだシュガーはヒトの姿のままだ。



 彼女は蔦とシダ植物があるだけで途端にジャングルっぽく見えるのは何故だろう、などと益体のないことを考えながら辺りを見回して、気になるものを見つけた。



「序列……。もうちょっと洒落た呼び名はなかったの?」



 朽ちかけた大木の樹皮に『序列』と爪痕が刻まれており、その脇には不自然に薄暗い獣道が通されていた。ランキングシステムに繋がる道だ。

 それでいいのか世界観、とツッコミを入れたくなったのも束の間、よくみれば他にも『試練』とか『鳥瞰』と刻まれた獣道がある。こちらはプラクティスモードとマップ確認だ。



 シュガーは「鳥瞰って刻むの器用すぎるでしょ」と溢しながら、迷わず()()()()()()()()()()を進んだ。






 薄暗い密林のなか、一歩進むごとに全身からざわざわと羽毛が生えはじめ、硬質化した唇が伸びる。

 体格もまた徐々に小さく。歩幅は短く。手のひらは細長く伸びる。



 茂みの陰で二つの珠が怪しく光る。頭上からは葉のざわめきに混ざってホウホウと愉しげな唄が零れ落ちてきた。



 衣服と靴がゆるやかにフェードアウトし、目の位置がずれ、歯列などヒトとしての特徴を失っていく。

 軽くなる身体からは骨が密度を失っていく様子がありありと伝えられた。



 奥まるほどに茂みはより深く、怪光の数は増え、枝葉の音を掻き消すほどの大合唱が木霊する。

 それらは間違いなく、新たな獲物を歓迎する喜色に満ちている。



 僅かな喪失感のなか、やがて風切り羽が生え揃うと、地面を蹴り低く飛び立つ。



 獣道の先では深黒の闇がぽっかりと口を開けている。

 いつしか完全にカラスの姿と化していたシュガーは、まっすぐ密林の奥に消えていった。









 暗闇のトンネルの先には見たこともない世界が広がっていた。

 チュートリアルとは比べ物にならないほどの密度と迫力。

 灌木よりも小さなカラスは、目の前の光景にただ圧倒されるばかりだった。



 見上げれば無数の大樹に絡む蔦。傍らにはシダ植物が鬱蒼と生い茂る原生林。

 彼女がこれから生きていく世界だ。




 開始(スポーン)地点は毎回ランダム。

 事前に鳥瞰(マップ)メニューから区画を選択することで大まかな出現位置を絞ることができる。

 マップ全域は区画ごとに隔離されたわけでもなく地続きになっているため、ログイン後各地を渡り歩くこともできる。

 また必ずプレイヤー及びNPCの索敵範囲から外れた地点に出現するため、いわゆる出待ち(リスキル)行為は不可能になっている。




 彼女は強く地面を蹴り、勢いそのままに羽ばたいて空を隠す葉と枝の海へ潜った。

 しなる枝が身体を引っ掻き、青々とした葉がぷんと香る。



 羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたいて突き抜ける――。



 黒い天敵の影に怯える齧歯類を横目に、日光を目一杯浴びようと葉を拡げた見通しの悪い林冠を通り抜けて、青空のもとシュガーはひときわ高い樹の頂上に止まった。

 美しいという言葉ではとても言い表せない、目眩く色彩が彼女を歓待した。



 遥か眼下を見渡せば、密林を貫く大河やきらびやかな湖畔が緑に映える。

 遠く彼方には樹木の少ない草原のような区画がうっすらと見える。

 この世界は、どこまで広がっているのだろう。



 遠くへ意識を向けると、何となく東西南北が把握できる。

 システムの一環なのか、動物に本来備わっている能力なのかは分からない。



『遊戯である必要も、競技である必要もない。ゲームに必要なのはルールと目的(ゴール)だけ。同じ立場で同じ目的に向かう限り、全ての存在は対等になれる』



 いつか聴いた玉響の言葉がシュガーの脳裏をよぎる。



『エンディングのないゲームなんて特別珍しいものじゃない。いわゆる砂場遊び(サンドボックス)ってやつさ。各々が異なる目的を見つけて、各々が勝手に楽しめばいい。これもそういうゲームなんだ』



 それは人生も同じだ、とかつて彼女たちは笑いあった。



 シュガーは南東に見える輝く湖沼を目指して飛び立った。

 クルルル、と溜め息を吐くように、嬉しそうに鳴いて風を掴んだ。









 誰しも必ず、多かれ少なかれ他人には言えない秘密を抱えている。

 吐き出さずに堪えれば、いつか必ず破裂する。

 どこかに捌け口が必要なのだ。



 さりとて他人を捌け口にすることはできない。彼らには彼らの目的(ゴール)がある。

 無理を通しても道理は引っ込まない。ただ、折れることがあるだけだ。



 ヒトは側に他人がいるだけでストレスを感じる生き物だ。その対には安堵が乗せられ、絶えず天秤は揺れている。



 誰かを認識する。誰かに認識される。それだけで注意力は散漫になり、作業効率は格段に落ちる。

 しかし作業効率を高めるための企業努力は悪い方へと進み、やがて生まれた過剰な個人主義は、ときに彼らの愛すべき隣人さえ異物として排除するようになった。



 獣もヒトと同じだ。



 群れる動物はもちろん、孤高を貫く種にも縄張りがあり、序列があり、いじめがある。ストレス性疾患の症状にも個体差がある。同種でありながら傲慢な個体と気遣い上手な個体がある。



 ヒトも獣と同じだ。



 ――先ず隗より始めよ、という言葉がある。

 我々は先ず、獣に倣うべきなのだ。



『さあ、醜い野性を解き放て。

 ボクたちは皆、同じ星の狢だ!』

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