招待
ある秋晴れの昼下がり、二つの人影が並んで歩道を歩いていた。
どちらも高校生というには体つきが幼く、中学生というには立ち振舞いが大人びている。そんなチグハグな印象のある二人組だ。
「L-VR機器を買ってみようと思うんだ」
少女が言った。
表情のない虚ろな瞳と、黒い癖毛の短髪を除いて特筆すべきところのない、没個性然とした少女だ。
身に纏う草臥れた男子用制服は、未だ中学生に見える小柄な彼女にはあらゆる意味で不似合いだった。
「へー、キミが。珍しいこともあるもんだね。小惑星でも降るんじゃないかな」
もう一人の少女が軽口で応えた。
中性的な風貌、中性的な声色、中性的な骨格。
後頭部の高い位置で束ねた銀髪に、陶器のように白く滑らかな肌。その他には性別を推し量る材料が全くないようにさえ思える、不思議な少女だ。
黒いブレザーと澄んだ陽射しが彼女の白い素肌を際立たせる。
「玉響。やめてよね、縁起でもない。
……まあ、機種の目星はついてるから、オススメのゲームとかあったら教えてほしいなって思って」
黒い少女は遠慮がちに言う。
聞くが早いか、玉響と呼ばれた白い少女は爬虫類のように眼を見開き、興奮した様子で自身の胸を叩いた。
「そういうことなら任せてよシュガーくん。宇宙船に乗ったつもりで安心するといい」
シュガーと呼ばれた少女は僅かに瞼を下ろして溜め息を吐いた。相棒はとても話が長い。
にまにまと気色の悪い笑みをこぼしつつ芝居がかった調子で語りはじめた玉響を見て、人選を間違えたかも、と少し後悔した。
「『ライセンス』と聞いてキミは何を思い浮かべただろうか。このゲームで求められる免許は、通常の『L-VR利用能力証明書』よりも専門的で、かつ敬遠されがちなものなんだ」
演技派な素振りでゲームの粗筋どころかタイトルさえ出し惜しみ、幸せそうに跳ねる白いアホ毛を、シュガーは光の失せた目でじっと見つめた。
彼女は視線を気にせず歌うようにつづけた。
「三十年前のL-VR黎明期、ある心理療法が治験患者を悉く廃人に――いやケダモノに変えてしまったことは覚えてるかい。胡蝶之夢事件だ」
「あの事件以来、世間ではヒト以外の肉体をL-VRで操ることへの不信が高まった。
さらに海外の圧力もあって、人外をアバターとする場合には、特別な免許の所持が義務づけられたんだ。人呼んで『L-VR異形化操作免許』」
「開発作業の多くは頓挫した。そりゃそうさ、医療従事者なんて上流階級の『供給側』が、好き好んで実験動物になりたがるはずもない。かといって貧困層は免許を得る能力に乏しい。一般人はそもそもリスクを負いたがらない」
「そのうち普通のL-VRを危険視する人まで現れる始末。いつだったかのベストセラー書籍がちょうどそんな内容だったよね。『L-VRはこんなに危険! 夢の技術が脳を壊す』だっけ? 世間のエセ科学好きは相変わらずだ」
話を聞いているのかいないのか、シュガーは足を速めて一列になり、前方から迫る自転車とすれ違った。
白いアホは相棒の気配りに微笑んだ。しかし脱線まじりの蘊蓄をやめる気配はない。
「しかし十年前の波が全ての懸念を浚った。
初めてL-VR技術を利用した娯楽類が発売されたときの経済効果ときたら、民意もマニフェストも真正面から押し潰してしまうほどだった!
電脳空間に関する法律が再整備され、亜現実は民衆の手に届くところに降り立ち、夢にまで見たファンタジーがこの世のものとなったんだ!」
「それから間もなく、既存のVRSNSや、VR機器を利用する労働環境なんかがL-VRに移行した。
あれだけ批判していたのに現金なもので、安心が保証された人々はL-VR技術を持て囃し、新たな時代の到来を祝った」
情緒豊かに言葉を区切ると、玉響はシュガーの顔を見やった。
シュガーは相変わらず無表情のままだったが、アホなりに何かを感じ取ったのか、満足げに頷いて言葉を紡ぐ。
「……そして、あれから十年。ついに出たんだ。人外モノ。例のケモナー企業が馬鹿みたいな熱量で、批判や差別を乗り越えて作り上げたんだと。
未だに利用者のライセンス所持は義務づけられてるけど、それは大した問題じゃない。その道の専門家じゃなきゃ取り扱えないコンテンツで遊びたいならその道の専門家になってしまえばいいっていう乱暴な理屈だね」
そこまで言い切ってようやく話の趣旨を思い出したのか、彼女はばつが悪そうにはにかんで付け加えた。
「少し話が長くなっちゃったけど、ボクのオススメはそのゲーム。ワイルドシリーズの最新作、人外L-VRの先駆けでもある『Wild of Jungle』だ。
実在する、あるいは実在したとされる野生動物を主人公として繰り広げるバトルロイヤル。ジャンルはMMOサバイバルアクション。
もちろんL-VRゲームの御多分に洩れず、ほとんどの感覚は現実とさほど変わらない。ただし、獣の感覚とね。
痛覚と味覚には多少の制限があるけど、精々その程度さ」
正確には味覚自体が制限されるわけではない。鼻腔と口腔がそれぞれ隔離され、口内から匂いを感じられないだけだ。
生物の感覚は、複数の刺激を脳が総括的に判定しているため、それぞれの感覚が隔離状態にある場合はその機能を著しく阻害される。
亜現実とそれ以前でVRの呼び方が変わったことからもその効果は顕著だ。
玉響はそう補足しようと口を開きかけたが、シュガーが話を進める方が僅かに早かった。
「ワイルドシリーズは私でも一応知ってるけど、新作なんていつの間に発売されてたの? 普通は話題になるはずだけど」
当然ともいえる質問を受けた玉響は気が逸っているのか食い気味に言い募り、気圧されたシュガーは軽くのけぞった。
「先に言った事情から分かる通り、世間体があるのか一般流通には乗ってないんだ。ゴア表現もキツいし。
企業の公式サイトにも隅っこに小さく表示されてるだけで、宣伝もされてない。むしろ知らない方が普通だね」
「ただゲーマーの間では口コミで広まりつつあるし、他のファンタジーL-VRMMORPGで人外種族を使えるようになったときの予習とか、単純にL-VR上の作業効率が高まるから無駄にはならないって理由でライセンスを取得する人が増えてるんだ。過疎の心配はないよ」
シュガーはやおら早口で捲し立てる少女を宥めた。
いいかげん鬱陶しくなったわけではない。この程度で辟易していては彼女の相棒は務まらない。
その濁った瞳の奥には小さな炎が宿っていた。
「なんというか、ちょっと興味深いね。私も是非やってみたいな」
「え、やるの? 本当に? いや、止めやしないけどさ。なんか意外」
「心にもないことを……。ファンタジーの予習でもなんでもいいから、とにかく私もやってみたくなったの」
声色だけは驚いた様子だが、玉響の表情は明らかに期待に満ちていた。
友好の欠片も感じられない、貪り喰らうことだけを夢見る、欲望に塗れた獣の貌だ。
「歓迎するよ。うふふ。
ライセンスの取得は世間で言われてるほど難しくはないから安心して。頑張れば一ヶ月程度で取れるさ。不安なら暇なとき家で勉強会でもしようか。ふふふふふ」
彼女の言葉通り、ライセンスの資格試験自体はさほど難しくない。
亜現実内のより専門的な操作方法と、ヒトには存在しない器官や部位の操作方法の他には覚えるべきことがないからだ。
胡蝶之夢事件が起きた経緯にしても、操作自体は問題ではなく、神経感覚の過剰なフィードバックが主たる原因とされている。
技術もノウハウも手探りな黎明期だからこそ起きた不具合であり、それらはシステム側の制御だけで十分に対処可能。つまり本来は免許など必要ないのだ。
玉響はそこまで説明して、突然はっとしたように大袈裟に仰け反った。
「ごめん、言い忘れてたけどWoJは協力プレイとかはできないんだ。いやMMOだから厳密には可能なんだけど……」
今更になって、シュガーの目当ては自分との協力プレイにあるという可能性に思い至ったらしい。
両手の人差し指を合わせながら覗き込む仕草で話す姿は同情を誘うようだが、シュガーは冷たい眼差しで続きを促した。
「このゲーム、プレイヤーネームの表示とかチャットとか、そういう交流機能がないんだ。できるのは殺し合いだけ。
一応VRSNSに非公式の交流ロビーはあるけど、仕様上、複数の機能を同時に立ち上げることはできない。待ち合わせくらいならできるけど」
申し訳なさそうな玉響に対して、シュガーの心はますます燃え上がっていた。無表情のまま爛々と輝く瞳は不気味なほどに美しかった。
「いいね、むしろ期待通りだ。燃えるじゃないか」
なんでさ、と少女が訝しむと、シュガーは「ロマンだよ」と言葉少なに返した。
傍らを軽自動車が通り過ぎた。
五十年ほど前から自動車に装備された空力ジェネレーターは、内部AIが交通上の危険を察知したとき以外では発動しない。緊急時のエアバッグのようなものだ。
玉響は以前、かつて夢にまで見られた空飛ぶ自動車なのにロマンのないものだ、と愚痴を聴かされたのを思い出した。
「ふーん。ロマンねえ。ボクにはよく分かんないや。
まあ、まだ時間もあるし、せっかくだから簡単にゲームの説明でもしとこうか。チュートリアルが退屈になってもつまらないからネタバレは極力避けるけどね」
「よろしくお願いします、先生」
「うむ、傾聴したまえ。まずは……」
こうして操作感覚の説明やワイルドシリーズの歴史、ライセンス取得に向けた講義など尽きることのないワンマンライブがはじまった。
翌朝、シュガーは後悔した。
ヒトには一日八時間程度の睡眠が必要だからだ。
突発的なお泊まり会は楽しかったが、さすがに一晩中喋り倒されれば疲れも出る。
眠らない獣はいない。
捕食者から逃れたくば、浅い睡眠で常に気を張り巡らせるか、さもなくば襲撃者とバイオリズムを合わせるしかない。
彼女にはそれができなかった。
おはよう、と隣で優しく告げる白い肉食獣は、どこまでも幸せそうな表情を浮かべていた。