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「すまん。娘にこんなことを頼むことがどれだけ愚かなことかは重々承知している」
だったら端から頼むべきではない件。
「だが、どうしても今週中にお金が必要なんだ! も、もちろん借りた金はちゃんと働いて返す、だから――っ!」
「分かったわよ」
「え」
「分かったつってんの。いくら?」
こればかりは、巫女に同情する。
生気を吸い取られたかのように脱力した表情をする巫女は、呆れ果ててはいるのものの鬼にはなれなかったようだ。
「百万ほど……」
想像以上に大きい金額を要求してきた殺し屋だったが、巫女は何も言わずに奥のタンスまで向かい、その引き出しから札束を取り出した。
その光景に俺は自然とつばを呑み込む。
「ほら、ちょうど百万。これでさっさと消えなさい」
巫女はタンスから取り出した札束を床に叩きつける。殺し屋はその金を拾い、情けない表情を隠すように下を向いた。
まさかこんな殺し屋の姿を見ることになるとは、これっぽっちも想像していなかった。
見るだけの側としても、胸が痛くなるような心境だ。もしも自分が殺し屋の立場なら死にたくなる。
反対に巫女の立場だったら、甘やかすことがいけないと分かってもいても、甘やかせてしまう自分に苛立ちを覚えていることだろう。
巫女という人間を表面的にしか知りえなかったが、初めてその中身というものを、ほんの少しだけだが知れた気がする。
誰にだって人に言い辛いことの一つや二つはある。
巫女の場合、何不自由なく人生を歩んできたのかと思っていたけど、人並み以上の苦労をしてきたのかもしれないな。
「宿泊代」
「……え?」
「宿泊代」
脈絡無く、手の平を前に出して巫女はそう言う。
「え、何がだ?」
もちろん殺し屋には意味が分からない。
「さっき言ってたじゃない。昨日鰻子から話を聞いたって。それはつまり、昨日からずっとこのマンションに居たってことでしょ?」
「え、ああ。まあ……」
「だから、宿泊代」
くいくいと指先を動かす。払えということだろう。
「そうか、まあ……仕方ないな。払うよ」
理解しがたいタイミングでの要求だが、殺し屋は立場的に拒否するわけにはいかなかった。
「で、いくらだ?」
「百万と千円」
「え?」
「百万と千円」
「え……あの、巫女? 千と百円じゃなくて?」
「百万と千円」
「いや、いくら何でも高すぎじゃ……」
「百万と千円」
「聞いてる? パパの涙目見えてる?」
「百万と千円」
「たた、頼む! 一万くらいにしてくれ!」
「百万と千円」
「じゅ、十万でどうだ!?」
「百万と千円」
「分かった! さすが頑固なわしの娘! 五十万でどうだ!」
「百万と千円と百円」
「増えた!? ちょっ、それじゃ払えないって!」
「百万と千円」
「払える。払えるが……」
「百万と千円」
「絶対に払わないとダメなのか?」
「さもなくば親子の縁と共に、残りの人生をも絶つことになるわよ」
……。
「これで……お願いします」
最後に放った巫女の睨みと言葉が決定的だった。
殺し屋は借りたばかりの百万円と、くしゃくしゃの千円札を巫女に渡した。一瞬でも巫女に同情した自分が馬鹿みたいだ。こいつは甘やかせるどころか、とんでない角度からムチを打ちやがる。
アメとムチなんて言うが、巫女の場合はムチの雨だな。そもそも飴なんて持ってやしない。
「確かに、百万と千円。んじゃ、早く出て行きなさい」
殺し屋は「……」抜け殻状態だ。
「ちなみに、貸した百万はちゃんと返しなさいよ。これはあくまで、宿泊代なんだからね」
「ぬあにっ!?」
そりゃ驚く。
札束で顔を扇ぐ巫女の姿を見ながら、俺も、鰻子も、おそらくミコリーヌも苦笑いだ。
それと──お金を借りようとしたのに、結果的に借金だけを作るという神業を見せた殺し屋にもな。
「巫女、考えを改めてくれ。ただでさえわしは借金まみれなんだぞ」
「そんなことを言う暇があったら、さっさと自分で働いて返しなさいよ。無駄に経歴だけは良いんだから、それを利用すれば大抵の職業には就けるでしょ」
「そう、だからこそわしは殺し屋になると決めたばっは!?」
あまりにも阿呆な殺し屋に対し、巫女はその顔面へ躊躇無くミドルキックをした。
「ぬおおお……」
鼻を押さえながら、
「相変わらず良い蹴りをしているな巫女。昔護衛の為にと格闘技を習わせたのは正しかったな。このわしにダメージを与えるほどに強ければ、どんな変態をも撃退できるだろう」
余計な教育をしやがって。
「何余裕ぶっこいて言ってんのよ。変態はアンタでしょうがあああ!!」
「にゅごっ!?」
バギ!
ドゴ!
ベチ!
ボゴ!
ドス!
数十秒間、目を塞ぎたくなるような光景と、耳を塞ぎたくなるような擬音が部屋の中心で繰り広げられる。
「べべ……べべべ……」
完膚なきまでに叩きのめされた殺し屋――いや、この惨めなおっさんは、俺が生きてきた人生の中でダントツ一位の反面教師だ。
俺は心底、こんな人にはなりたくないと思った。
「よっと。重いわね」
巫女は床に倒れているおっさんの足を掴み、ズルズルと引きずりながら玄関へと向かう。そしてしばらくも経たない内に部屋に戻ると、苛立ちの消えていない表情のまま俺を見つめてきた。
「おっさんは、どうしたんだ?」
とりあえず気まずかったので訊く。
「階段に投げてきた」
なんてこった。
「……お前さ、気持ちは分からなくもないけど、父親に対してやりすぎだと思うぞ」
「いいのよ。これが私なりの愛情表現なの」
歪みすぎだろ。




