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「あいうえお、あかさたなはまやらわ、ホントだ、声が出る!」
信じられない。さっきまでは出そうとしても全然出せなかったのに……。
「当然でしょ。いちいち驚いてんじゃないわよカス」
「どういうことだ、俺に飲ました薬は何だったんだよ?」
俺は辛辣な巫女の言葉も耳に届かないほどに驚いている。
「だから、あれはほんの数分程度だけ声を出せなくなる薬だったって言ってるじゃない。いくら私が人類史上最高の頭脳を持つと言っても、長時間も声を奪うような薬は作るのが面倒くさいわ」
作れないわけでもないんだな。
「さっきも言ったように、暗示をかけただけよ。アンタみたいな馬鹿はね、暗示をかけ易いの」
巫女は椅子から立ち上がり、床に散らばる物を避けるようにつま先で歩きながらこちらに歩み寄る。
「その証拠に……」
カチカチと、巫女は鍵を使わずに俺と花村にかけられていた手錠を簡単に外した。その光景に俺と花村は口を開けたままショックを受ける。
「……最初から鍵なんてかけてなかったのかよ」
そう苦笑いする花村の傍らで俺は白目を向いていた。
「鍵をかけてないっていうか、これは単なる玩具なのよ。特急ハンズゥに売ってたわ」
巫女は玩具の手錠を人差し指にかけてクルクルと回しながら、半目だった目を大きく開く。
「まさか私がオモチャの手錠なんて掛けてるとは思わなかったでしょ。ホント先入観って恐ろしいわね」
恐ろしいのはお前だよ。
「でも、万が一どっちかが手錠を外して、金也が逃げたらどうするつもりだったんだよ?」
「万が一なんてないわ。私は巫女よ」
絶対=私とでも言いたいようだ。神かよ。
「じゃ、はい」
と、巫女は御守りを渡すようにと、手のひらを前に差し出した。
「え、ああ」
花村は御守りを巫女に渡そうとしたのだが──、
「ちょっと待ちなさいよ」
自分が求めたくせに、なぜか巫女は御守りの受け取りを拒んだ。
「何だよ?」
少し苛立ったように花村は眉間にしわを寄せる。
「まずはそれを金也に渡しなさい」
「は? どうして?」
「アンタって呪われたように恋愛運がないじゃない。そんな奴から渡されたくないわ」
色々な女性とのツーショット写真が週刊誌に載っていたのを見た記憶があるけど、実はモテてないのかな?
確かに変わった人間ではあるけども。
「ぐぬぬ……」
花村は悔しそうに顔をしかめるも、言われた通り俺に御守りを渡した。すると巫女は俺の前に手のひらを差し出す。
「ちょうだい」
「……はい」
何かあるのではないかと少し怯えつつ、俺はそっと巫女の手のひらの上に御守りを置いた。
「ふふ。御守りゲット」
普通に御守りを受け取ると、巫女はニコニコとして小さく喜んだ。その姿を見た俺の感想は『可愛いが一割、意外が三割、意味不明が六割』である。
非科学的なことには興味がないタイプの人間だと思っていたけど、意外と女の子らしいところもあるようだ。
性格さえ直せば、すぐさま誰とでも付き合えるだろうに。
「これで満足か巫女?」
「愚かな質問ね。満足なんかするわけがないじゃない、私は人間なのよ」
「いや、そういう哲学的な意味じゃなくてさ」
巫女と花村が会話をする最中、ふと俺は自分の両手を見ていた。
「……」
俺って今、自由だ。
手錠も無い、鎖も無い。自分の行動を制限するものが何もない。
それに、花村は今巫女との会話に気を取られているし、巫女もまた同じである。
今ここで俺が本気で逃げようとすれば、かなりの高確率で逃げられそうな気がする。
エレベーターも十二階に止まったままだろうし、最悪非常階段から逃げれば……。
「ちょっとアンタ」
ギクッ!
じりじりと足を後ろに進めていた俺を、鷹のような目つきで巫女が呼ぶ。花村との会話に集中していると思っていたのに、視野が広い奴だな。
「逃げようとするのは構わないわ。でも、私に背中を見せた瞬間に後頭部ふき飛ばすわよ」
腕を組み、巫女が俺の恐怖心を煽る。
「にに、逃げるわけないだろ。ちょっとトイレに行きたくなっただけだ」
実際本当に尿意が催しております。怖くて。
「あらそう。だったら早く行きなさい。でも、私に背中を向けたら尻の穴に銃弾ぶち込むわよ」
「ここで漏らせってのかよ!?」
俺は尻の穴を守るように両手で押さえながら言った。
「まあまあ、トイレくらいすんなりと行かせてやれよ。もう金也も逃げることなんてしないって。不安なら俺が付き添うし」
何を根拠にそんなことを言ってるのかは知らないが、とりあえず俺は花村の言葉に頷いた。
「まあいいわ。今は機嫌が良いから、アンタの生意気な口も素直に聞いてあげる。けど、一緒に行きなさい」
「ありがとうございます女王様」
花村はわざとらしく片手を胸に当てて一礼する。
「ただし、トイレは寝室の方を使いなさいよ。分かったらさっさと行きなさい」
「はいはい。じゃあ行きますよー」
花村は俺の腕を握り、重機のような力で体を強引に引く。おかげで俺はカニ歩きのような横歩きで、とても不安定な歩行を強いられた。
「いてて、自分でちゃんと歩くって!」
「ん、そうか」
花村は俺の腕から手を離した。
悪気はなかったようだが、俺の腕には花村の手痕がほんのりと赤く付いている。
手加減を知らないのかこの男は……ゴリラじゃん。
「いってえな。お前力強すぎだろ、何か格闘技でもやってたのか?」
俺が問うたその時、突然ピタリと廊下で花村は足を止める。そしておもむろに俺を見て、眉をひそめながら言った。
「今俺の事を『お前』って言ったか?」
まるで俺が言ってはいけない事を言ってしまったかのような空気を醸して見下ろしてくる。
俺はハムスターのように目を丸くして、膝下を震わせながら返事をした。
「い、いや、だって花村さんが敬語を使わなくていいと言ってたし……」
単に敬語を使うのを忘れていただけだが、俺の言っている事は間違ってはいない。
しかし、花村にビビってしまった俺は自然と敬語に戻ってしまった。
「最高じゃないか!」
「は?」
俺が抱いた一抹の不安はどこへやら。花村は親指を立てたグーサインを見せる。その手が顔に近いので、俺は若干寄り目になった。
「これで俺達は正式に友達だな」
「はい?」
何を言い出すのかと思えば……ピカピカの白い前歯を見せてそんな事を言われても、俺の心情はノーだった。
花村の価値観が一般的な友達の定義ならば、俺の携帯電話の電話帳はとうの昔に埋まっていることだろう。
「は、はは。……何が正式な友達だっての。SNSじゃあるまいし、そんな簡単に友達なんて作れると思ってるのかよ」
微笑みながら揶揄しつつも、少しトゲのある言い方になってしまったのは、俺達が対等な立場にいないことが理由だ。
あくまでも俺は被害者であり、花村は加害者側の人間である。真面目に考えた場合、友達になれるはずもない。
とは言っても、心底友達になりたくないわけではない。ただそれが今ではないというだけの話である。
「ホント、お前って正直じゃないよな。いや、むしろ正直過ぎるのかな」
靴を履いて、花村が鼻で笑う。
「それはどういう意味だよ?」
「お前は色々と頭で考えすぎってことだよ。理屈を求めてばかりじゃ、いつかこの社会が窮屈になっちまうぞ」
「何だよそれ?」
花村が何を意味して言ってるのかすぐに理解は出来なかったが、巫女にも似たようなことを言われていたので、気に留めないというわけにはいかなかった。
ガチャン。花村が玄関扉を開けて研究室から出たので、俺も後を付いて外に出る。
すると、突然花村が思いがけない事を言い出した。
「金也、逃げたいなら逃げていいぞ」
「え? 何だよ急に……」
唐突すぎて、さすがに戸惑った。




