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「コホンッ。ごめん、もう一度言ってもらってもいいかな?」
平常心を装いながら、改めて巫女に言葉を求めた。
「だから、私の家に来ない……かなって」と、首を傾げてはにかんだ。
キタァ──────ッ!!
確実に俺の人生の転機がやってきた。
鼻息は荒ぶり、興奮して鼻血が噴出しそうだがあくまでも表面上は冷静に、拳を握り締める程度の表現に留めていた。
つもりだった。
「ちょ、ねぇ! 鼻血が出てるよ!」
「えっ!? わっ、ホントだ!?」
巫女に指摘されてすぐさま鼻を手でこする。確かに手の甲には血が付いた。思いのほか大量に付いた。
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。よく鼻血とか出るタイプだから。そんなことより、本当に俺なんかが家に言ってもいいの?」
「もちろん。実は最近一人暮らしを始めたんだけど、いざ始めてみると一人は寂しくて。だから、むしろ来てもらった方が嬉しいの」
「へ、へー。一人暮らしなんだぁ……」
実家暮らしオチは回避。
一人暮らしの家に今日出会ったばかりの男を入れる危うさは少し気掛かりではあるが、少なくとも家に入れてくれるってことは多少なりと好意があるってことだろ?
奇跡だ。
俺は今日で一生分の運を使い果たしてしまうかもしれない。
「やっぱり、嫌かな?」
甘い声で問われる。反則級の美人からのお誘いを断る健康男児はいないだろう。
「もちろん行くよ。いや、行かせて下さい! 色んな意味で、いかせてください!」
手先を整え、深々と頭を下げた。
「良かった。じゃあ、さっそく行きましょ。ここから家はそう遠くないから、歩いて行こ」
巫女は右手を差し出した。俺は左手でその手を握り、恋人同士のように並行して歩き始める。
十数分ほど前までは全く想像していなかったこの幸せな状況、思考はすでに二人の老後まで考えていたりする。
これが噂に聞いていた恋は盲目ってやつだな。
自覚していてもどうしようもない。厄介な病気だ。
しかし、思い返せば異性と手を繋いで歩くなんてのは小学生以来なわけでして、慣れていないことをしている俺の手は瞬く間に汗ばんでしまう。
ただでさえ可愛い女の子と歩いているという事実に緊張をしているというのに、さらに肌が触れ合っているという嬉しいこの状況は、俺の全身に大量の汗を滲ませる。
「神田……くん、じゃなくて、金也は今何してるの? 学生? それとも何か仕事をしているの?」
「ああ、仕事してるよ。とは言っても、フリーターだけどね。今は夜のコンビニで働いてる」
「へー、そうなんだ」
俺自身、コンプレックスは山ほどあるが、最近気にしているのは学歴である。
きっかけはとある合コンをした時のこと、そこそこ有名な大学に通う女子大生に最終学歴が高卒という事実を伝えた瞬間、分かり易く俺を見下すような態度を取り始めた。
被害妄想なのかもしれない、その冷たい視線に俺が興奮しなかったわけでもない。
ただ、肩書きというのはやはり人を判断する上で必要な情報の一つだということに改めて気付かされたのだ。
もちろん学歴が全てではないし、それで差別を受けるのは間違っているとは思うが、それを俺が主張すれば負け犬の遠吠えのようで、何を言っても意味がないことを俺は知っている。
一度道を誤ったら、それを軌道修正する為の気力は倍増するのだ。
昔の自分と話が出来るのなら、もっと現実を見ろと伝えてやりたいが、昔の俺には到底理解は出来ないだろう。
「じゃあさ、巫女は何をしてるの? 見た感じは学生ぽいよね。大学生?」
「ううん、大学はもう卒業してる。今は何もしてないわ」
「え、だってまだ二十歳でしょ?」
「私は勉強は得意だったから、十二歳の時にアメリカのハルフォード大学に入学して、十四歳の時に卒業したの」
「えええ!?」
たしかハルフォード大学ってのは世界一の大学だ。
何を基準に世界一なのかは俺には分からないけれど、阿呆な俺でもその名前を知っているのだから、とても有名な大学だというのは間違いない。
しかも十二歳で入学なんて……漫画じゃん。
「す、すごいな十二歳って……俺なんか寝ているだけでも卒業できると言われていた高校で留年しかけたのに」
「んふ。別に凄くはないよ。ただ勉強が得意だったというだけのことだから。それだけのことだよ」
「何それ、カッコ良すぎだろ」
目の前の横断歩道の信号が赤になり、俺たちは足を止めた。巫女は俺に顔を向け、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「でも、寝てるだけで卒業できる高校で留年しかけるっていうのは、ちょっとお馬鹿かなー。んふ」
「返すことがないよ」
視線を合わせることなく、あまり表情を変えずに正面を向いていた俺であったが、内心はとても嬉々としていた。
思い付きだろうが計算であろうが、今の言葉にはかなり癒された。
巫女は見た目も中身も申し分ない。
しいて不満を言うなれば、この子は完璧すぎる。
そう、あまりにも完璧だ。
俺の勝手な偏見で、美人は理想が高かったり、性格がひん曲がっているような人間が多いとばかり思っていた。
ましてや、巫女のように万人受けしそうな美人で可愛い顔は生まれながらにして勝ち組、さらに体型にも恵まれた天才ときたもんだ。
他人を見下す習性がついていても不思議ではないし、もはや凄すぎて嫉妬も生まれないクラスの存在である。
「……」
ふと、冷静さを取り戻した。