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「……俺はスーパースターなんかじゃない。ヒトデさ。干からびたヒトデ」
今、俺の横でまたネガティブになっている花村も、俺なんかは到底及ばない偉大な馬鹿である。
「キムタキの輝きが太陽なら、俺はマッチ棒の火さ……」
現在、俺達はタクシーに乗っている。花村が大仏のマスクを捨てたことで、簡単に捕まえられて乗車することが出来たのだ。
ただ、顔を晒して街中を歩いたにもかかわらず、誰一人として花村に気付かなかった。
出勤の時間帯だし、単純に話をかけづらかっただけってのもあり得るが、実際に誰にも気付かれなかったというのは花村にとって相当ショックだったようだ。
「エキストラからやり直そうかな……」
で、この有り様である。
花村結城と友達になるということに関してだけは、特に悪い気はしなかった。
でも、今こうしてネガティブな部分や情緒不安定なところを見せられると、進んで友達になろうとは思わない。
まさか俺も花村結城がこんなに変な奴だなんて思ってもみなかったし、芸能人は理想の存在のままでいいのかもしれないな。
「今日は厄祓いでもされるんですか?」
乗車してからずっと会話がなかったが、料金メーターが動いたと同時に運転手が話しかけてきた。見た目は四十代半ばで、人柄の良さそうなおじさんだ。
「!」
俺は話せないので、花村の体を叩いた。
「え、ああ……いえ、ちょっと御守りを買いに」
「御守り……?」
チラッと、運転手は車内ミラーで俺と花村にかけられている手錠を一瞥する。
それに気付いた俺はサッと花村に体を寄せるようにして手を隠した。
「ああ、なるほど。お二人はそういうアレなんですね」
アレって、何?
何か間違った解釈をしやがったな。
「そうですよ。俺達仲が良いんです。へへへ」
花村は明後日の方向を見ながら適当な返事をする。
出来れば完全に否定してほしいところだが、この運転手とはもう会うことはないだろうし、そこまで気にすることもないか。
「ところでお客さん、話は変わるんですけど、もしかして……テレビとかに出ていませんか?」
信号待ちで、運転手は不自然に話を切り出した。おそらくこれを一番に訊きたかったのだろう。
「ええ、そりゃあ出てますよ。実力ではなく、事務所のごり押しでね」
相当病んでるな。
「やっぱり! えーっと、最近やってたドラマに出てましたよね。はな、はな、はな、はな──」
「花村です。大根俳優のね」
本人が我慢出来ずに答えた。
「そうそう、花村さんでした。いやー嬉しいなぁ、娘が貴方の大ファンなんですよ」
ファンではない芸能人に会った時の常套句である。
「そうなんですか、ありがとうございます。なんならサインでも書きますよ、キムタキじゃなくていいのならね……」
自分で古傷を開いちゃったよ。
「じゃあお言葉に甘えて、後でお願いします。ちなみに、これがうちの娘なんですよ」
信号が青に変わる間際、運転手は一枚の写真を花村に渡した。覗き見ると、そこには病院のベッドの上で笑っている六~七歳の女の子が写っていた。
「病気、なんですか?」
「……ええ、ちょっと心臓が悪いんです。外で遊べないので毎日泣いてましたよ」
「そうなんですか」
「でも、花村さんが出演してたドラマから元気を貰ったみたいで、最近では『侍は泣かない!』なんて言ってますよ。女の子なのに困ったものです」
運転しながら、嬉しそうに笑顔で話している。
横見れば、「どぉわぁー」大号泣しているスターがいるよ。
「俺は馬鹿だ……こんな可愛らしいファンがいてくれるだけでも、十分じゃないか。忘れてたよ、俺は人に夢を与えるために、この仕事をしているんだった」
相変わらず芝居がかった独り言だが、俺は一体どういう立場でこいつを見ていればいいのだろう。
ちなみに、花村に抱いていた尊敬の念は今薄れつつある。今ならすんなりとタメ口で話せそうだ。
「金也、俺は決めたよ」
また何か決めたようだ。
「俺はハリウッドスターになる!」
なぜそうなった。
「ただハリウッドスターになるだけじゃないぞ。ジョニーデッパやトムクルーザーみたいな、超一流の俳優になってやる。そしたらより多くの人に夢を与えられるだろ?」
花村は腕で涙を拭き、瞳を煌めかせながら俺を見つめる。はいはい、分かった分かったと言うように、俺は小刻みに何度も頷いた。
少なくともお前の頭はバカデミー最優秀賞だ。
「よっしゃあ! なんか燃えてきた。今すぐにでもハリウッド行きたいな。今日帰ったら社長に相談しよ」
目に光が戻ったのはいいが、起伏が激しい性格ってのは厄介だな。正直俺も起伏が激しい奴だなんて友達に言われてたけど、花村を目の前にしてると嫌でも冷静になってしまう。
それと、運転手に渡された女の子の写真を握り潰しているぞ。
「神社の正面でよろしいですか?」
「あ、はい」
いつの間にか車は望宝神社のそばまで来ていた。運転手は先に料金メーターを止めて、車を神社前に停車させる。
「えー、1540円になります」
料金を聞き、花村は財布から二千円を取り出して渡した。
「はい、ではおつりです。あと、これにお願い出来ますか?」
運転手はおつりと一緒に、ボールペンとメモ用紙を花村に渡す。花村は笑顔で受け取り、サインを書いた。
「どうぞ──あ、すいませんこれ!」
メモ用紙と一緒に写真を返そうとした花村は、ここでようやく写真を握り潰していたことに気が付いたようだ。
「あーいいですよ。むしろ花村さんに握られて、写真の娘も喜んでますよ」
冗談ぽく、ちょっと意味の分からないことを言って笑う優しい運転手。俺達はそんな運転手に頭を下げて、タクシーから降りた。
「ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。娘さんに宜しく言っておいて下さい。花村結城はハリウッドスターになるって!」
「あ……はい、必ず伝えておきます」
降りたのちにもう一度花村は軽く頭を下げて、タクシーは走り去って行った。




