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……。
「いえ、誰も来ていませんけど」
「そう……ですか、分かりました。お忙しいところすいませんでした」
空気を読める女性店員が俺達の為に嘘をついてくれたおかげで、警察官は雑貨屋を出て行く。
安心した俺は肩の力が抜けた。
「もう大丈夫ですよ」
「はぁ……ありがとう。助かったよ」
花村は額から汗を垂らしつつ、爽やかなスマイルで礼を言う。俺も頭だけは下げた。
「あの、これってもしかして、『只今、逃走中です』っていう番組の撮影ですか?」と女性店員が素敵な勘違い。
女性店員の言う『只今、逃走中です』ってのは、芸能人が鬼から逃げ切るだけで数百万もの賞金が貰えるという、一般人には羨ましい番組である。
「そ、そうなんですよ。今警察官のコスプレしたやつが今回の鬼なんです。いやあ本当に助かりました」
花村は女性店員の勘違いを利用して、事態への理解をねじ曲げた。
「ちなみに俺が出演することはまだ未発表だから、ここで見たことをSNSとかで呟かないでくださいね」
「はい、分かりました」
話の分かる店員さんで良かった。左手の薬指に指輪があるのが少し残念だけど。
「いやぁ、本当に助かった。あなたには何かお礼をしなくてはなりませんね」
花村は立ち上がり(自ずと俺も立ち上がり)、レジ横のペン立てに入っていたマジックペンを手に取った。
「どこかに、サインしましょうか?」
花村なりのお礼だったのだろう。
しかし──、
「いえ、それは結構です。私『キムタキ派』なんで。すいません」
「なっ!?」
まさかの拒否に花村は愕然した表情を見せる。どうやら、女性店員は花村結城のライバルと言われている木村瀧男のファンだったようだ。
「そ、そうなんですか……なんかすいませんでした……」
花村は魂が抜けたような弱々しい声でマジックペンを戻し、店から出ようとする。
俺は改めて女性店員に礼をして、猫背のままゆっくりと入り口に向かう花村の歩幅に合わせて歩く。
そして、外に出た途端に花村は大きく溜め息を吐いた。
「はあ……。実はさ、今回の主演ドラマの平均視聴率って、裏のキムタキ主演ドラマに負けてたんだよね。やっぱり俺よりも人気あるのかな……ぶっちゃけ」
誰も訊いていないのに、勝手に落ち込んだ理由を話し始める。花村にとってキムタキ関連の話はデリケートな部分だったようだな。
正直俺にとってはどうでもいいような話だけど、あの女性店員もわざわざ断る必要はないと思う。
いくら好きな俳優のライバルとはいえ、本人を目の前にしてサインを拒むのはある意味すごい。ああいう人が、信者って言うのかな。
とりあえず、俺は慰めるように花村の背中を叩いた。
「ありがとう金也。でもな、気付かされたよ。俺って自惚れてたんだ……」
参ったな。なんか語り始めたぞ。個人的にはあの警察官が戻ってくる前に早くここから離れたいんだけどな。
「こんな被り物なんかで顔を隠している場合じゃないんだ!」
バシッと、花村は大仏のマスクを地面に叩きつけた。
水を差すようだが、隠す必要性はあると思う。それを伝えられないのが残念だ。
「調子に乗っていたよ。天狗だったんだ。俺はまだまだ、キムタキに及ばない」
俳優だからなのかな。
先ほどから演技感が過ぎる。俺が服を引っ張っているってのに、全く見向きもしないじゃないか。面倒臭いな。
「さっきもそうだ。金也に殴られて名乗るタイミングを逃したけど──そもそも、顔を隠していても花村結城とバレてしまうような芸能人パワーが俺にあったなら、あの場もすぐに見逃されたはずなんだ!」
なるほど。
あの時自分の名前を言おうとしたのはそういうよこしまな考えがあったからか……。
芸能人パワーで国家権力をどうこう出来ると思っているその発想は、今すぐにでも改めろ。
「分かった、俺は決めたぞ金也!」
情緒不安定だな。急に元気になったぞ。
「こうなったら俺は素顔でタクシーを捕まえてみようと思う!」
そこなのかよ。
キムタキはどこいったんだよ。
「俺はもっと自分をさらけ出して、プライベートも花村結城を演じるよ!」
好きにしてくれとしか思えねえよ。
「さ、ぼやぼやしてると警察が戻ってくるぞ。急いで神社に行こうぜ!」
立ち直ってくれて結果オーライだけど、心底面倒臭い奴だな。ツッコミどころがありすぎて、声が出せないストレスが倍増する。
出来ることならば、普通の人というのを演じていただきたいところだ。
──芸能人がデビューする度に、俺はその人がこの先売れるかどうかを勝手に予想する癖がある。
今のところ当たる可能性は五分五分だ。もはや偶然と言っていいレベルだろう。
でも、こんな事を考えているのは俺だけじゃないはずだ。みんな知らず内に他人を評価して、勝手に批評している。口に出すか出さないかの違いだけだ。
その証拠──となりうるかは微妙だが、俺の友達も最近言っていた『花村結城は売れると思ったね』と。
訝る気持ちがあった半面、同じような事を考えていた自分が恥ずかしくなった。
巫女の言っていたように、何も成していない、大した経験の無い俺が、上から見下ろすように他人を評価していることが情けなく思えたわけだ。