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「金也、鰻子が背中を流してあげるんだよ」
「ああ、頼む──っておい!?」
俺は咄嗟に股間を両手で隠す。浴室の前にいつの間にか笑顔の鰻子が立っていた。
鎖のせいで扉をちゃんと閉められなかった為、鰻子が扉を開けたことに全然気付かなかった。
「お前入ってくるなって言っただろ!」
「浴室には入ってないんだよ」
そんな一休さんみたいな屁理屈をどこで覚えやがった。
「とにかく、早くリビングに戻れよ。背中は流さなくていいから」
「分かってるんだよ。実は、鰻子はただ服の着替えを手伝いに来ただけなんだよ」
「着替え?」
「そうだよ。金也は鎖が邪魔で着替えられないから、鰻子が鎖に服を通して入れ替える役目を担ったんだよ」
やけに嬉しそうに、鰻子は両脇をしめてガッツポーズをする。
つまりあれか、リビングの柱と鎖の繋ぎ目のところから着替える服を入れ替えるってことでいいのかな。
「分かった分かった。分かったから早くあっち行けって!」
野良猫を払うように手を揺らす。
「そんな邪険にされると鰻子は切なくなるんだよ」
不満そうに口を尖らせた。
「邪険になんてしてねえよ、裸をそんなに直視されたら恥ずかしいだろ」
「何で恥ずかしいの? 別に鰻子は金也の裸を見たところで何も恥ずかしくないんだよ」
「恥ずかしいのは俺だ俺。とにかく鰻子は着替えの準備をしておいてくれたらいいから」
「分かったんだよ」
鰻子の体を片手で押して、可能な限り扉を閉めた。
それでようやく鰻子は俺の服を持って洗面所から出て行ったのだが、奴は確実にまた戻ってくるはずなのでまだ安心はできない。
頭ではアンドロイドと分かってはいても、あそこまでリアルに造られていると意識をしてしまう。俺は洗面器で下半身をガードし、ひとまずシャワーを止めて鰻子を待っていた。
ドタドタドタ!
しばらくすると、鰻子は鎖に着替えの下着とズボンを通しながら洗面所へ戻って来る。
そして、俺の予想通りに浴室の扉を勢いよく開けた。
「金也、これでいつでも着替えられるんだよ!」
「ああ、ありがとな。じゃあ俺は体を洗ったらすぐに出るから、鰻子はリビングで待っててくれ」
鰻子を傷つけないように言葉を選びながら伝えた。
「そうもいかないんだよ。鰻子は巫女から伝言を頼まれているんだよ」
そう鰻子は人差し指を立てた。
「伝言?」
不安な表情で尋ねる。
「そうだよ。花村がご飯を作り終える前に戻って来ないと『然るべきお仕置きをするわよ』って、言ってたんだよ」
「マジで!?」
「マジだよ」
なんてこった。
俺はシャワーすらゆっくりと浴びることが許されないのか。然るべきお仕置きってのは、たぶん電流の刑だろう。
こんなびしょ濡れの状態で電気なんか流されたら俺は……死亡。
「う、鰻子、ちなみにご飯はどの程度できているんだ?」
「んーと、さっき花村は茶碗にご飯を入れていたんだよ」
「もうそれ出来かけてんじゃん!?」
キュキュッ!
ジャー!
鰻子の話を聞いて焦った俺は蛇口を全開する。シャンプーを適量に手のひらへ出し、滝のような水圧のシャワーで急ぎ頭を洗う。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
体を洗うのは時間がかかり過ぎるので、頭を洗い流し終わるとすぐに浴室を飛び出た。
「なんでそんなに慌ててるんだよ?」
人の気も知らない鰻子が首を傾げて尋ねる。
「お前のおかげだよ!」
命の危機が迫っている俺に羞恥心なんてあるわけがなく、全裸で鰻子の前にいることなんてもはやどうでも良くなった。
「金也のお腹ぷよぷよだよ」
「うるせえ!」
何かを楽しそうにくすくすと笑う鰻子は無視して、俺は棚からバスタオルを取り、急いで体を拭く。
髪は軽く水っ気を拭き取って、あとは自然乾燥に任せることにした。
体を拭き終わると、まずは緑色のプリントTシャツを着て、次に鰻子が鎖に通してくれたピンク色のパンツ、そして最後に黒いジャージを穿いた。
「よし!」
マッハで着替え終わった俺はロケットダッシュで鰻子を横切り、タッチダウンをするようにリビングへ飛び込んだ。
「お、グッドタイミングだな金也。ちょうどご飯が出来たところだ」
そう言って料理をテーブルに運んでいる花村を目で追った先に、「ちっ」と舌打ちをして電流装置のリモコンを持った巫女がソファーに座っていた。
危機一髪。
「……間に合ったか。花村さん、料理作るの早過ぎですよ」
「圧力鍋をナメるなよ──って、なんかマズかった?」
「いや、もういいです……はあ」
安堵して、一旦その場に座って休む。
そういえば花村結城って、毎週朝の情報番組で料理を作ってるんだったな。他局のイケメン俳優がやってる企画を丸パクリして、確か名前がユウキッチンとか。
今料理を作っているということは、やらせじゃなかったんだな。
「わー、いい匂いがするんだよー」
鼻をひくつかせながら鰻子が戻ってきた。確かに、食欲をそそるような香りが部屋中を漂っている。
花村結城が中央に置かれたテーブルへ運んでいる料理は、味噌汁、鯖の味噌煮、目玉焼き、白ご飯だ。
「あら花村、蜂蜜臭いカボチャ煮が無いわよ。まさか忘れてるんじゃないでしょうね」
テーブル前に移動した巫女が花村結城を凝視する。
「忘れるわけないだろ、まだ鍋の中にあるだけだ。早く食べたいならお前も運ぶの手伝えよ」
「何よ、花村くせに生意気じゃない。まるで私がアンタの料理を早く食べたいみたいな言い方ね」
などと発言した語末と同時に巫女の腹の虫がぎゅうっと鳴いた。
……。
「任せなさい。この私がテーブルにカボチャ煮を運んでやるわよ」
ほんのり頬を赤らめて巫女はキッチンに向かった。




