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「物分かりの良い奴でよかったわ。その素直さはアンタにとって最高武器ね。じゃ、私は一足先に帰るわ」
「え。本当にこれだけの為にここへ呼んだの?」
「ええ。運動した方が緊張が取れてちょうどいいんじゃない。んじゃ、オーディションが終わったらさっきの番号に連絡しなさい。希少な私の電話番号だから大事にしなさいよ」
本当に巫女はそのまま一人で帰って行ってしまった。
納得のいかない事は多々あったが、一旦それは忘れて俺もすぐに家に帰り、さっとシャワーを浴びて着替え、履歴書を入れた手提げ袋を片手にオーディション会場へと向かった。
オーディションは街中の大きなビルの一室で行われる。ビルに着き、受付を済ました俺は自分の名前が呼ばれるまで廊下に置かれた椅子に座って待っていた。
周りにはテレビでよく見る俳優が結構多くいて、俺の緊張はいつにも増している。
「花村結城さん」
「はい」
しばらくして名を呼ばれ、緊張感を帯びた面持ちのまま俺は部屋に中に入った。
「失礼致します」
扉を閉め、頭を下げ、中央に置かれたパイプ椅子の横まで歩み寄る。正面には横に長いテーブルに五人ほど人は座っていて、その真ん中には監督が険しい表情で腕を組んでいた。
「花村結城……あ、君ってこの前街中で叫んでいた人だよね?」
一人のヒゲ面おじさんが笑顔を見せて言ってきた。助監督か、脚本家か、偉い人である事は間違いない。
「は、はい? 何ですか?」
緊張しまくっている俺はなんのことだかサッパリで、思わず訊き返す。
「先週だったか、街中でリムジンの上に乗って叫んでいたじゃないか、世界一の俳優になるとか。ちょうどあの時私達は居酒屋の二階で飲んでいてね。突然人目を気にせず叫び出す青年がいたから皆で大笑いをさせてもらったよ」
「えっ!?」
説明されてようやく理解した俺は一気に顔面蒼白である。あんな恥部を晒すような光景を見られていたなんて、俺はどれだけ運がないのだろう。
「ああ、あの時のか。もしかして、自分をアピールする為にあんな馬鹿なことをしたのか?」
冷や汗を垂らして硬直している俺に監督が訊く。
「……は、えー、はい」
何が正解なのか分からず、相槌を打って返事した。
「はっはっは! 今時珍しい馬鹿だな。しかし、わしは嫌いじゃないぞ」
強張った表情を緩ませて監督が言う。
「は、はは。ははは。それは良かったです」
本当に良かった。どうやら問題はなさそうだ。
「じゃあまあ、早速演技を見たいんだけど。台本はある? 事前に配布されてたやつ」
急ぎながらも丁寧に書いた俺の履歴書は大して読まれることのないまま机の上に投げられた。
ほんの少しショックは受けたが、ヒゲ面おじさんの言葉を聞き、俺は袋の中から台本を取り出す。
「悪いけどそれ、使わないから」
「えっ!?」
せっかく必死になって出来る限り台詞を覚えたのに、全部意味なしかよ。
「ごめんね。急なアドリブに対応できる人を必要としてるんだ。主演の田中さんはアドリブが多い人だから。んじゃあこれから私がお題を出すから、三分間自分なりに演技してみてくれる?」
「は、はい……」
無理とは言えません。
「じゃ、配布した台本にはなかったけど、暴力団の事務所に乗り込むシーンなんかもあるんだ。君にはそれをやってもらおうかな」
「……はは」
思わず笑みが零れてしまう。緊張が嘘のように消えてなくなったからだ。
「ん、どうしたんだい?」
突然笑みを浮かべた俺にヒゲ面が訊いた。
「いえ。実はさっき、ちょうど暴力団の事務所に乗り込んでたもので」
「ホントに? じゃあ見せてもらおうかな」
「はい」
きっと誰も俺の言うことなんて信じてはいないだろう。それに、別にさっきの出来事が全てこの演技に役立つってわけでもない。
でも、おかげで今までに無いくらいにリラックス出来ている。自分でもこれ以上ない手応えを感じた、そんなオーディションだった。
「――あ、もしもし、花村だけど」
オーディションが終わり、ビルを出た俺は早速巫女に電話をかける。
「はーい。どうだった?」
巫女は電話に出るとすぐに結果を訊いてきた。
「まだ結果は分からないけど、イケる感じはある」
「そう。まあ大丈夫でしょう。あの監督はアイドルや芸人嫌いで有名で、非常識的な価値観を持っていて、田中太郎に続く新しい俳優を育てたいと思っていたそうだから、アンタのようにまっさらで正直で、情熱的に自らの実力のみで道を切り開いていこうという精神を持った人間は好みのでしょうから、よほどアンタの印象を超えるほどにぶっ飛んだ奴がオーディションに参加していない限りは間違いなくアンタで決まりよ」
結論から言うと、後日俺はこのオーディションに合格したという通知を受け取った。どうやら俺よりもぶっ飛んだ奴は参加していなかったらしい。
「ありがとう。……あのさ、色々と話したい事とかあるんだけど、今から会ったりできない?」
巫女に訊きたい事は山ほどあった。それと、この高揚感を持ったまま一人で過ごすのは寂しいってのもある。
「そうね。左を向いたら会えるかもしれないわよ」
「え?」
左を向くと、少し離れた場所に鰻子と巫女が立っていた。俺はすぐに電話を切って二人のもとへと駆け寄る。
「なんだ。来てくれていたんだ」
「このまま無視したらあまりにも無責任でしょ」
「はは。いやー、ようやくリムジンの上で叫ばされた意味が分かったよ。よくあそこに監督達がいるって知ってたな」
「まあね。ちょっと調べたら誰でも分かるわよ」
分かるはずはない。
「あ、こんにちは」
鰻子と目が合ったので挨拶する。
「こんにちはだよ」
鰻子は笑顔で頭を下げた。俺はこの変化にすぐに気付く。
「あ。俺の言う事聞いてくれたんだ」
「そうよ。アンタが変な事を吹き込んだおかげで毎日ニコニコして語尾は『だよだよ』ばかりよ。ま、人間らしくなろうとしているから悪い事ではないんだけど」
端から見れば人間にしか見えないけどな。
「あ、そうそう。今日からアンタ、私の友達ね」
唐突に巫女は言う。
「友達?」
「ええ。駄目なの?」
「駄目じゃないけど……なんか急だからさ」
「急じゃない日はいつなのよ。アホね。アンタは素直でいいけど、迷う意味の無い事に迷う癖があるのは問題ね。今すぐに直しなさい」
出会ってわずか三度目の人間から当たり前のように上から目線で説教されていても、今の俺にはもう違和感はない。
俺があまり人見知りをしないタイプだってのもあるけど、巫女の魅力に知らずとやられていたのだろう。
あるいは、生物的に俺よりも優れている存在だと本能的に感じていたからかもしれない。
「分かった。じゃあ、今日から友達な」
「よろしい。じゃあ、今からパスタでも作って私に食べさせてよ。お腹が減って思考力が二パーセント低下してるわ」
腕を組み、早速偉そうに友達へ命令してきた。
「えー。俺の作った料理はまずいって言ってたじゃないか」
「それは過去の話でしょ。今のアンタの料理なら美味いに決まってるわよ。ねー鰻子」
「鰻子は何でも食べるんだよ」
ネジとかも食べそうだもんな。
「……じゃあまあ、分かったよ。結果がどうであれ、これも何かの縁なんだろうからな。友達決定祝いに俺の家でミニパーティだ」
「あらやだ。早速家に連れ込もうってのね。指一本でも私に触れたらパロスペシャルだから」
「友達解消は間に合いますか?」
かくして、俺と巫女は友達となったわけだ。
この後俺は初めて出演した映画で注目され一躍有名人となり、その裏では巫女にフルボッコにされたり、京香に出会ったり、これまでの人生でもっとも濃い時間を過ごしたのである――……