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「助けて」
聞こえたその第一声で俺は一気に目を覚ました。まだ誰とは分かっていなかったけど、本能的にヤバイ電話だと脳みそが反応したんだろう。
「花村、私よ。巫女」
それでようやく、俺は電話の相手が巫女だと分かったんだ。
「この前、私が街中で喧嘩していた奴らの事を覚えてる?」
小声で、しかも何かに怯えたように弱々しく巫女は話している。
「……ああ、覚えてるよ。というか、どうして俺の電話番号知ってるの?」
「実はそいつらの知り合いみたいな連中にさらわれちゃって、今変な部屋に閉じ込められてるんだけど。私こっちに知り合いがいないから、アンタしか頼れる人間がいなくて」
俺の質問は無かった事のように無視されてしまったが、ただ事ではなさそうだったので気にはしなかった。
「どういう事、今どこにいるの?」
「阿外羽町にラサールン高校ってあるの分かる? その裏の道をまっすぐ行くとコンビニがあるんだけど、その隣の石島ビルの二階に私はいるわ」
巫女はとても正確に自分の居場所を教えてくれたので、大体の場所はすぐに想像する事が出来た。
「とにかく早く助けに来て。あいつらに何――」
「おい! 勝手にどこへ電話してんだ!」
プッ、プー。プー。プー。
男の声が聞こえた後、携帯電話が床に落ちるような雑音を最後に通話は途絶えた。
……。
「大変だあああああああああああああああああああああ!」
俺は飛び起き、部屋に投げてあった適当な服を拾って着替え、携帯電話を片手に部屋を飛び出した。
疑うなんて事はない。この時の俺は完全に本能で体を動かしていた。
警察に通報するなんて発想もない。ひたすら巫女の言っていた場所を目指して足を回転させていた。
「大変だ大変だあああああああああああああああああああ!」
俺の頭の中はとにもかくにも、巫女を助けにいかなければならないと必死になっていた。どうやら俺はもの凄く正義感の強い人間だったようだ。
俺の自宅から阿外羽町まではそこそこの距離はあったが、徒歩でいけない距離ではない。
無論財布を持ってきていたなら今頃タクシーにでも乗っているところだが、慌てて家を飛び出した俺の所持金はゼロである。
俺はメロスの如く休む間もなくひたすら走り、走り、走り、走り!
「ぜーはー……ぜーはー……」
どうにか巫女の言っていた石島ビルに到着した。だがすぐに乗り込む事は出来ず、階段を上る前に呼吸を整える。
「よし!」
呼吸を整えると、階段を駆け上って二階へ行く。二階にあるのは扉一つで、蒲江興業と書かれたシールが貼ってある。
いかにもアレな感じではあったが、特に何も考えずに俺は扉を開けた。
「……っ!?」
扉を開けて中に入ると、デスクに座って煙草を吸っている、ガラの悪いチンピラのような男達が二人ほどいた、しかし巫女の姿は無い。
「おお、お前か。ちゃんと金を持ってきたか?」
チンピラの一人が言った。
始めは意味不明だったが、巫女を解放する条件としてそういう交渉が為されていたのだろうとすぐに推測する。
「巫女はどこだ!?」
興奮気味に俺は訊く。
「そっちの部屋にいるぜ」と、部屋の中にある扉を指差した。
意外にもチンピラはすんなりと巫女の場所を教えてくれたので、俺はすぐにその扉の前まで歩く。
「おい兄ちゃん! 先に金を出してもらわねえと」
後ろでチンピラが何かを言っていたが、俺は無視して扉を開いた。
「大丈夫……か?」
「遅かったわね。待ちくたびれて寝てしまうところだったわ」
てっきり俺は縄に縛られた巫女でもいるのかと思ったが、巫女は部屋の中にあるソファーに座って寛いでいた。
しかもその後ろには別のチンピラ男が気絶しているように床に倒れているではないか。
「いや、え? 一体どういう事な――」
「おいコラ! お前調子に乗ってんじゃねえぞ!」
勝手な行動を取る俺に苛立ったチンピラに一人が俺の肩を掴んだ。俺は反射的にその手を引き、チンピラの頭を手で押さえてそのまま壁にぶつける。
「あ。すいません」
俺の攻撃のせいでチンピラは気を失い、その場に尻をついてぐったりとした。悪気は無かったのでとりあえず謝った。
「おい! お前どこ組のもんだコラ!?」
映画で沢山聞いてきた脇役の台詞を残ったチンピラが叫ぶ。俺は少し感動した。
「すいません。勝手に体が動いてしまって」
寛ぐ巫女を見て完全にクールダウンした俺は、鬼気迫るチンピラにちょっと気押されする。
「謝って済むわけねえだろうがあ!! 餓鬼がなめてるとぶっ殺すぞコラァ!!」
男はデスクの引き出しから果物ナイフのような物を取り出そうとした。それを瞬時に確認した俺は刃物を構えられる前にチンピラのもとへ駆け寄って顔面に飛び蹴りする。
見事チンピラは吹っ飛び、背にある書類棚のガラスを割って床に転がった。
「あ、すいません。つい……」
俺に悪気は無い。これはまごうことなき事実である。
「やるじゃない。良いボディーガードになりそうね」
隣の部屋から巫女が出てきた。その手には雑誌のような物を丸めて持っている。
「で、ちゃんと説明してくれるんですか?」
巫女の思惑は分からなかったけど、巫女が嘘をついていたことだけは分かったのでその説明を求める。
「私の不注意でここのボスの車に蹴りを入れてしまったから捕まってしまったの。その後隙を見てアンタに電話し、今から一千万円を持ってこさせるからそれで解放してくれと言葉巧みに交渉したわけ。で、アンタを待っている間発情した監視役の雑魚が気持ち悪かったからスタンガンで眠らせ、今に至るわ」
一つだけ確かなのは、絶対にわざと車は蹴ったはずだ。
「何となくは分かったよ。どうして俺の電話番号を知っているのかはさておき、何の為にこんな事をしたんだい?」
「ほれ」
巫女は手に持っていた雑誌を俺に投げた。俺はそれをキャッチして開いてみると、聞いた事はない映画の台本だった。
「なんだこれ?」
「今日の午後十二時からその映画のオーディションがあるの。主演じゃあないけど、国際映画祭で何度か賞を取った事のある監督が撮るから世間の注目度は高いんじゃないかしら」
確かに、台本に書かれている監督の名はこの国の誰もが知っているような名前だった。
「主演はアカデルミー賞ノミネート俳優田中太郎。オーディションではその相棒役を探してるそうよ。本来は決まった俳優がいたらしいんだけど、監督と喧嘩したとかで降板になったらしいわ。で、アンタは今からその役を勝ち取りに行きなさい。オーディション会場の場所は裏に書いてあるわ。ちなみにその台本は事前に配布されたオーディション用の台本だから」
「今から!? いやいや、書類選考とかあるはずだろ。俺は送っていないんだから受ける権利すらないでしょ」
「心配無用。履歴書は持参でオーケー。人数に制限もないから、行けば誰だって受けられるわよ」
「そうなんだ……でも、こんな大役を素人同然の人間から選ぶかな? どうせいつもみたいに有名な俳優に決まりそうな気がするよ」
「やる前から諦めるんじゃないわよボケ。心配しなくても間違いなくアンタはそのオーディションに受かるわ。もちろん、コネなんか使ってないわよ。アンタはアンタの実力で勝ち取るの。自信を持ちなさい」
何を根拠に巫女は言っているのかは分からない。でも嘘を言っているようにも見えない。
「今は何も考えない方が賢明ね。とにかく、今はもうそのオーディション会場に向かった方がいいんじゃないの? 履歴書も用意しなきゃいけないんだから」
「そうだな。まあどのみち一旦家に帰らないと……」
頭はボサボサだからシャワーを浴びたいし、服も着替えたい。突然のことで若干パニックだけど、オーディションは受ける気にはなっていた。
不安がないわけではないが、断る理由がない。