7
「車を出して」
「はい」
巫女の声で車は発進した。
「こんばんは」
鰻子は俺と目が合うと挨拶をしてきた。
「うん、こんばんは……鰻子ってさ、笑ったり出来ないの?」
常に無表情にような顔しか見せてくれないので巫女に訊ねる。
「出来るわよ。鰻子笑ってあげて」
「うん」
巫女に言われ、鰻子は初めて笑顔を見せてくれた。爛々とした瞳に見つめられ、俺は完全に鰻子のポテンシャルを見誤っていた事を思い知る。
おそろしく可愛いく、人生で一番胸がキュンとした。子犬や子猫を見たような感覚と似ている。
「絶対鰻子は笑って方が良いよ! むちゃくちゃ可愛いじゃん!」
興奮気味に鰻子へ伝える。
「可愛い? 可愛いって何だった?」
首を傾げて巫女に訊く。
「愛らしいってことよ」
「愛らしいって何だった?」
「可愛らしいってことよ」
「……良い事? 笑うのは、楽しい時、でしょ?」
「ええ。良い事よ。可愛い方が人に好かれるわ。それに楽しくない時でも笑顔を見せてもいいのよ。鰻子が人から好かれたいと思うのなら、笑顔を見せなさい。でも、笑顔を見せすぎたら馬鹿に見えるから適度にね」
「うん」
鰻子は俺を見てまた笑顔を見せた。どんな大量破壊兵器よりも破壊力のある。巫女は核兵器なんかよりも恐ろしい物を造り上げたと確信した。
「やっぱ笑顔の方がいいぞ」
グーサインを見せて言う。
「ついでにその機械的な話し方も止めた方がいいな。女の子っぽく語尾に『~だよ』とか、『~なの』とか付けたらもっと可愛くなるのに」
「ちょっと、なに鰻子をカスタマイズしようとしてんのよ。アンタ調子に乗ってると脳天吹き飛ばすわよ」
自分の置かれた状況を忘れて鰻子に話しかける俺を巫女が注意した。
「ごめんごめん。ちょっとあまりにも可愛――っむむ!?」
横を見ると巫女は拳銃に弾を入れている最中だった。思わず俺は二度見をする。
「なな、なんだそれ!? 本物じゃないよね!?」
「本物ではないわね。本物並みの殺傷能力はあるけど」
「じゃあ本物じゃん!?」
「違うっつってんでしょ。試し撃ちするわよ」
「おいおい冗談はやめてくれよ。一体何でそんな物を持ってるんだ? 捕まるぞ」
「これから必要だから持っているのよ。それに捕まりはしないわ」
巫女は俺に銃口を向け、「アンタが誰にも話さなければいいんだから」
「ばば、馬鹿な事はやめてくれよ」
本物か偽物かなんて関係ない。銃口を向けられて堂々と出来るほど俺の頭はメルヘンではなかった。
「ちょっと運転手さん! 助けてくださいよ!」
両手を挙げて運転手に助けを求めたが、遠目からでも運転手の体が震えていたので諦めた。
「これからアンタは私の指示通りに動いてもらうわよ。これ、耳に付けて」
巫女はポケットから無線のイヤホンを取り出した。俺はそれを受け取り、言う通り耳に付ける。
そして、車が路肩に停車した。停車した場所は街中のど真ん中で、人通りがまだまだ多い。
「これからアンタはこの車の上に立って、私が言う事をオウムのように繰り返して叫びなさい」
巫女がそう説明したけど、何を言ってるのかさっぱりだ。
「え? 何だよそれ」
「意味なんて知る必要はないわ。とにかく、私の言う事に従いなさい。さもなくば今ここで蜂の巣にしてぶっ殺し、人造人間にして一生私の奴隷にしてやるわよ」
そんな子供だましな脅迫をされた程度で従う……、「わ、分かったよ」俺だった。
「一応言っておいてあげるけど、今からやる事は間違いなく、アンタが俳優になる為に必要な事なのよ。だから要らぬ心配はしないで、これまで頑なに守ってきた、糞みたいにしょうもないプライドを捨てて恥を晒してきなさい」
「恥って……」
「いいから、早く外に出て車の上に立ちなさい。ドラマの撮影だと思えばなんてことはないわよ」
簡単に言ってくれるけど、当人である俺にとっては簡単な事ではない。しかし逆らうわけにもいかず、俺は恥を忍んでリムジンの上へと立った。
当然歩道を歩く人々や、車道を走る車の中から皆俺に目を向けてクスクスと薄ら笑っていた。
正面にある居酒屋の二階では酒を飲む男達が俺を見て手を振ってるよ。恥ずかしくて死にそうだ。
「今ちょうど車の中からアンタの股間に銃口を向けているんだけど、三つに玉を増やされたくなかったらこれから私の言う言葉を復唱しなさい」
耳に付けたイヤホンから巫女の声が聞こえてきた。股間がそわそわする。
「俺は花村結城」
「お。俺は花村結城……」
「聞こえないわよ。もっと大きな声で! もう恥はかいているんだから、今さらビビってんじゃないわよボケ」
「俺は花村結城!」
もうヤケクソだ。俺は目を瞑って叫ぶ。
「最近日本の映画やドラマは糞ばかりだ」
「最近日本の映画やドラマは糞ばかりだ!」
「理由は収益の事ばかりを考え、金が落ちるアイドルや安上がりな芸人ばかりを使っていたり、独創性の無い脚本家が溢れ返っているからだ」
「り、理由は収益の事ばかりを考え、金が落ちるアイドルや安上がりな芸人ばかりを使っていたり、独創性の無い脚本家が溢れ返っているからだ!!」
「本当に良い作品を作りたいなら俺を使え」
「ほほ、本当に良い作品を作りたいなら俺を使ってくれるとありがたいです!」
「俺は花村結城。俺はみんなに感動を与えられる俳優になる男だ」
「俺は花村結城。俺はみんなに感動を与えられる俳優になる男……です!」
「どんな役でも文句を言わず、どんな役でも完璧以上にこなして見せます」
「どんな役でも文句を言わず、どんな役でも完璧以上にこなして見せてやりますよ!」
「俺は日本一の俳優になってやる!」
……。
「俺は……俺は世界一の俳優になってやる!!」
やってく内に段々と気持ち良くなっちゃった俺は、巫女の言葉よりも大きな事を公言した。
目を開ければ、歩道を歩いていた人々の多くが足を止めて俺を携帯電話のカメラで撮影している。
体は熱いが、恥ずかしさは不思議と克服していた。感覚が麻痺していたと言った方が正しいかもしれない。
「もう戻ってきていいわよ」
そう巫女から指示を得た俺は、やじうまに笑顔を振り撒いて車内へと戻った。若い女の子からは黄色い声が飛んでいたからである。半分馬鹿にされてたのかもしれないが……。
「あー緊張した」
「よく言うわよ。途中からノってた癖に。私だったら恥ずかし過ぎて死んじゃうわ」
勇気を持って無理難題をクリアした俺には非常に腹の立つ言葉だ。
「でも、それだけ素質があるということね。アンタは人に見られてなんぼなのよ。人気俳優にでもなったらもっと気持ち良く感じるわ」
「それってつまり……俺にスター気分でも味わわせたってことなの?」
「まさか。私がそんな子供だましのような事をさせるわけないじゃない」
「だったらどうして?」
「来週になりゃ分かるわよ」
その日は結局、そのまま家に送られて巫女とは別れた。最後まで何の為に公然に恥をかいたのか教えてくれなかったので、その夜はなかなか眠れなかった事を覚えてる。
しかもだ。
巫女はそれっきり俺の前に姿を現さなくなった。連絡先も交換していなかったので、俺からはどうする事も出来ず、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま一週間が過ぎたのだ。
「はあ……」
「最近元気ないっすね。女にでもふられました?」
仕事中も自然と溜め息が出るようになっていた。何に対する溜め息なのか、正直自分でもよく分からない。
巫女という人間に対してなのか、巫女がもたらすだろう何かしらなのか、いずれにしても何かを待つだけというのは、本当に苦痛だった。
そして、休日。
ピリリリリリ!
目覚ましを設定していないはずの朝早い時間に携帯電話が鳴った。もちろんアラーム音ではなく着信で、目を開けて画面を確認すると知らない番号だった。
仕入れの業者からの電話番号は稀に変わっていたりしたので特に警戒することもなく、「もしもし」俺は電話に出る。




