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この日は休みという事もあったので二度寝をしてやろうと剥がれた布団を引っ張ろうとしたのだが、何かに引っかかって動かない。
「……え……ええええええええええええ!?」
横を見ると、俺の布団に包まった誰かが寝ている。恐る恐る顔を確認すると、気持ち良さそうに熟睡している巫女だった。驚いた俺はベッドから転げ落ち、床に頭を打って悶絶する。
「大丈夫?」
「ん……おわっ!?」
心配して俺に声をかけてきたのは鰻子だ。ベッドの下に立って俺を見下ろしてる。
「え、なんでなんで? ここは……」
頭が大パニックの俺は部屋を見回す。見たこともない部屋だけど、高そうなホテルの一室である事は何となく分かった。
「ここってどこなの?」
鰻子に訊く。
「ホテル」
「ホテル?」
「うん」
真顔で頷いた。
鰻子は当初、まさに人形のようだった。到底アンドロイドだなんて思えなかったけど、ロボットのような女の子だとは思えた。
主語しか言わず、愛想はまるでない。可愛い容姿は変わりないが、今の愛らしい天使のような鰻子になるのは、もうちょっと後の事である。
「なんでここに、俺はいるのかな?」
「よく分からない。気絶してたから?」と首を傾げる。
「気絶……?」
昨夜の記憶を辿り、そういえば何かの衝撃で地面に倒れてからの記憶が無い事を思い出した。
「ん……」
巫女が目を覚まし、眠たそうな目をこすって体を起こす。俺は構わず巫女に訊ねた。
「おい、一体なんのつもりだよ?」
あらゆる可能性を頭の中で思いついていたけど、訊いた方が手っ取り早い。
「気絶した人間をそのまま放置しておけば良かったって事? 私の慈悲に文句をつけるなんて生意気な野郎ね。ふわあ……」
などと大あくびをして答えた。
「気絶って、それは君が俺を倒したからだろ!?」
「声がでかいわね……鰻子、テレビつけて」
不機嫌そうな顔をして鰻子に言う。
「うん」
鰻子は部屋の中にあるテレビの電源をつけた。画面に流れたのは再放送のアニメだ。
「あ、なつかしい」
俺の存在が空気になったかのように、巫女はテレビに集中する。
「おい、俺はどうすればいいんだ?」
「どうって。昨日アンタが公園に来なかったから街中を歩いて帰っていたんだけど、前方にふらふらと千鳥足で蛇行していたアンタを発見したから思わずドロップキックしたわけよ。するとアスファルトに頭を強打して気絶したから、これはヤベエと思って自分の泊まってるホテルに鰻子と運び、今に至るの。だから、別にこれからアンタがどうしようがアンタの勝手よ」
「勝手って……」
そのままさっさとホテルから出て行く事は出来たけど、それは何か違うのではないかという考えになっていた。本格的に、内心巫女との出会いを運命だと思い始めていたのかもしれない。
「それにしても、いくら気絶させたからとはいえ、俺も一応男なんだから無防備すぎるんじゃないの?」
俺は自分でもたまに何を言っているのか分からない時がある。これがまさにそれだった。
「私を襲う気? 怖いわね。でも止めておきなさい。私はめちゃくちゃ強いわよ。アンタなんて秒で殺せるし」
テレビを見ながら平然と答える。あまりにも興味を示していないので、俺は話を変えた。
「君たちって、二人で何してるんだ?」
「巫女でいいわよ。そっちは鰻子。私達は一週間前にアメリカから帰国したの」
「アメリカ? 帰国子女か」
「ええ、まあそれでいいわ」
俺はこの時、巫女から色々と話を聞き、巫女という存在がいかに規格外なのかを知ることとなる。
天才ということ、金を持っているということ、色んな権力者と仲が良い(弱みを握っている)こと、そして、「アンドロイド……。この子が?」
鰻子がアンドロイドだという事もこの時知った。
聞いた瞬間はもちろん信じられなかったが、頭突きをされたり、お腹を開いてみたりと、アンドロイドだという証拠を見せられた俺は比較的早く信じた。
というか、信じる以外の選択肢は無かった。
「――嘘みたいな話だけど、面白い話だな。なんか漫画の世界に自分がいるみたいだよ」
「ふふ。案外素直なのね。それはとても良い事よ。でも他言はしないでね」
年下に褒められるのは、本来なめられているようで喜ばしい事ではないはずなのだが、巫女の言葉はすんなり心に入って来た。これも一種の才能だろう。
「それにしても、本当にアンドロイドなんだよね……。でもどうして鰻子って名前なの? もっと他に名前あっただろうに」
俺は鰻子がアンドロイドという事実より、そのヘンテコな名前の方が気になった。
「昔うな重を食べるのが好きだったの。だから好きなウナギの名前を取って鰻子」
「昔って、今は嫌いなのか?」
「いいえ。そうじゃないわ。好きだったのはお母さんが作ってくれたうな重だったから。今は死んじゃって食べる事が出来ないってだけよ」
「あ、ごめん。そういうつもりで聞いたんじゃないんだ」
「いいのよ別に。ていうか、アンタそろそろ私の話ばかりを聞いていないで自分の事も話しなさいよ。決断が出来ないから話を逸らしているのは分かるけど、私はあまり気が長くないんだから」
何かもバレバレだったようだ。巫女の素性を知る為に色々と訊いていたが、内心は昨日巫女が言っていた言葉ばかりを気にしていた。
話を聞いていく内に、こいつなら本当に何かを手助けしてくれる力があるかもしれないと思った。
鰻子という存在が、巫女に対する不審を払拭させたのだ。
あまりにも非現実的な展開に、俺は自分をそれこそ漫画の主人公のように当てはめ、この出会いが必然であるのだと感じざるを得なかったのだ。
「どうして、君は俺の夢を応援しようと思ったんだ?」
「巫女でいいと言っているでしょ。それに、何度も言わせないで、私は別にアンタを応援するわけじゃないの。私は私の自己満足の為にアンタを利用しようとしているだけ。石を磨くのが大好きなの、女の子だから」
言葉は荒いが、その正直さが逆に好印象だった。
「ちなみに、どういう風に俺をスターにしてくれるんだ?」
「具体的な事はまだ言わないけど、私はあくまでもきっかけになるだけよ」
「きっかけ?」
「そう。一歩踏み出せばそれが当たり前になるでしょう? 無気力な人間も働けば働く事が当たり前になるし、俳優になったらなったでまた新しい壁が見えてくる。結果的に人気俳優になるというには当然アンタの努力が必要だけども、この世界にはあまりにもスタートする前に諦める奴が多いのよ。だから私はアンタにその一歩を強引に踏ませてやろうって話。なぜならば、アンタには才能があるから」
「嬉しいんだけどさ、どうして俺に才能があるなんて思うの?」
「勘」
「勘なんだ」
がっかりだ。
「勘を馬鹿にしてはいけないわよ。アンタだってテレビを見て売れる人間と売れない人間の区別くらい出来るでしょ。私をその進化版だと思いなさい。何たって私は――」
世界一の頭脳を持つ天才ですよね。
俺が俳優になりたいという気持ちは本物だった。だから、巫女のことを信じることにした。
いや、詐欺られる覚悟で、その泥舟かもしれない未知の船に飛び乗ったのだ。
俺が巫女の誘いを受けると、早速、明日仕事が終わると店の前で待っていろという指示をもらい――そして翌日、仕事が終わった俺は店の前で巫女が来るのをじっと待っていた。
「さみ……」
今日は遅番で、仕事が終わるのは店が閉店する午後十時。後片付けなどをした結果現在午後十一時。
街中に店があるので人気はまだまだ多いが、こんな時間から巫女は何をするのか、寒さに耐えながら俺は考えていた。
有名な俳優に会わせてくれるのかなとか、どこかの劇団に入れられるのかとか、考えられる事は全部考えた。
「花村、迎えに来たわよ」
「……」
俺の考えられる思考の範疇を超えてきた。なんと巫女はリムジンに乗って俺を迎えに来たのだ。
茫然と立ち尽くす俺の前に、運転手が出てきてドアを開けた。中には巫女と鰻子が座ってる。
「乗りなさい。ドライブに行くわよ」
周囲からの視線も気になったので、俺は身をかがんで車に乗った。中は広く、運転席までの距離が三メートル以上ある。
「なんでリムジンなんかで迎えに来るんだよ?」
「スター気分を味わわせてやろうと思ったのよ。普通に生きていたら、こんな無駄に長い交通の邪魔になるような車に乗る機会なんて無いでしょう?」
それはそうだけど、それを言われると乗っているのが億劫になる。