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「着きましたよぉ」
巫女のマンションの前に車は停車し、全員車から降りる。
見上げるマンションが懐かしく感じてしまうのは、それだけ濃い時間を過ごしていたということなのだろう。
「ありがと。また何かあったら連絡するわ」
「はい。遠慮せずにもっと頼って下さっても良いんですよぉ」
「んふ」
京香と巫女が会話をしている横で、俺は杉内さんに礼を言っていた。
「色々でありがとうございました」
「いいえ。来づらい場所だとは思いますが、子供たちの為にも気が向いたら顔をお出しください。その時はまた歓迎いたします」
「俺が自由になったら考えます」
「了解しました」
微笑みなが返事した。
「また連絡くださいねー」
手を振る八島組に見送られながら、俺と鰻子と巫女はマンションの中に入って行く。
そしてエレベーターに乗り、奇しくも自らの足で、巫女の部屋へと戻って来てしまったのだった。
「帰ったんだよー」
玄関扉を開けるや鰻子が飛び跳ねながら入って行く。
俺はその背中を見ながらゆっくりと歩いた。今の俺の心境は、それこそ我が家に帰ったような気分である。
「何も言わないのね。ここへ戻ってくる事に対して」
俺の心を見透かしたように巫女が言った。
「他に行くところがねえからな」
住んでいたアパートの部屋は解約されたわけだし。
「せっかく私が実家に帰り易いようにしてあげたのに?」
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、皮肉たっぷりで巫女は返してきた。
「うるせえな」
返す言葉の見付からなかった俺は、あぐらをかいて床に座り込む。
「ていうか、親父なんか言ってたか?」
都合が悪くなったので話を変えた。
「別に」
……。
「あ、京香の家でお前の親父に会ったぞ。害虫駆除の仕事を始めたとか――って、京香の親父も言ってか」
「そう」
……。
なんか、会話が続かない。
いや、というか、どうして俺はこんなに緊張しているんだろう?
巫女の反応を窺いながら話をかけている自分がとても奇妙だ。素っ気無い返事をされて少し傷付いていたりするこの感じが何とも言えず不愉快だ。
「バルコフはどこだよ?」
部屋の中を歩き回っていた鰻子がキッチンの中にいる巫女に訊く。
「花村に預けてるわ。あとで持ってくるわよ」
「え、今日来るのか?」
「ええ。私の退院祝いをするとかで。仕事の合間に来るとか言ってたわよ」
花村と会うのも久しぶりな感じがするな。話したい事も山ほどあるし楽しみだ。
「さて、アンタの気が変わる前に装着しておかないとね」
巫女は柱にそばに歩み寄り、鎖の先端に付いた足枷を持ち上げて俺を見る。
「あのさ、提案なんだけど。俺は絶対に逃げないから、鎖で繋ぐのはやめてくれねーかな」
車内でずっと悩んでいたのだが、無理を承知で巫女との交渉を試みる。
「鎖が無かったらアンタなんてただの無職の居候じゃない。何かを学ぶわけでもなく、日がな一日ネットばかりして、いつか何とかなる、なんて何のプラスにもならない妄想をしながらダラダラと毎日を過ごすんでしょ? いくら私が菩薩ばりに心が寛大な人間だろうとそればかりは勘弁よ」
「……分かったよ」
返事のバリエーションは色々とあった。だけど、俺は頭に中に思い浮かんだ言葉の数々を口にせず、足枷で繋がれる事を受け入れたのだった。
「はあーあ。しっくり来るのがまた憎いな」
俺は足枷をつけられ、布団の上に倒れ込む。
「ところで、今日のお願い事は何かある?」
俺を見ろして巫女が訊いてきた。
そういえばお願いシステムってのがあったな。
「まだ何も思いつかねーや。じゃあ、鎖を外してくれ」
「却下。思いつかないならまた後でいいわよ。私は研究室に行ってるから、ゆっくりと考えなさい」
「またろくでもない物でも作るのか?」
「アンタには関係の無い事よ」
終始素っ気無い態度を取ったまま、巫女は一人部屋から出て行った。なんだか俺の気分まで左右されちまう。
「金也」
布団へ横になり天井を見つめていた俺の横に鰻子が正座した。
「どうした?」
「鰻子は賢くなるんだよ」
「なんだ急に。京香に何か言われたのか?」
「ううん。鰻子はどう生きていけばいいのか、鰻子はずっと考えていたんだよ。それで今分かったんだよ。全然どうすればいいか分からないから、鰻子は賢くなって良い答えを見つけるんだよ」
つかえていた物が取れたかのように、饒舌に笑顔で鰻子は話してくれた。やはりずっと死について気になっていたようだな。唐突な報告ではあるが、鰻子らしいっちゃ鰻子らしい。
「そうか。じゃあ頑張って勉強しないとな」
「うん。でもその前に、遊ぶんだよ」
やっぱりそう来たか。鰻子は肩にかけていたバッグからタブレットパソコンを取り出してそれを起動する。
おそらくゲームをしたいのだろう。子供達と遊んでいる時に相当ハマっていたからな。
「あれ、ミコリーヌは?」
いつもならすぐに顔を出すはずのミコリーヌだが、起動してしばらく経っても姿を見せない。
「家の方に移動したんだよ」と、鰻子が言う。そこで俺は部屋のパソコンの電源をつけた。
だがしかし、しばらく待って起動したパソコンの画面にもミコリーヌは姿を見せなかった。
巫女の研究室の方にでも行っているのか……まあいっか。
「金也からだよ」
「え、ああ」
鰻子はタブレットパソコンを差し出し、画面に表示されたゲームを操作するように言う。巫女も早々いなくなってやることもないし、俺は鰻子の遊びに付き合うことにした。
鰻子とゲームをして遊びながらも、俺の思考はゲームのみに集中してはいなかった。
さりげなく巫女は言っていたけど、俺は現在家なし無職である。それは巫女のせいではあるが、問題なのはそこではなく、これから先の事だ。
これまでも考えていた事だけど、俺はこの先どうなるのだろう。
巫女は俺をどういう風にしたいのだろう――そんな疑問スパイラルの中に今回新たに加わったのは、京香の言っていた言葉である。
問題は俺がどうしたいか、という言葉だ。
改めて思い返せばだが、確かに俺はここに戻ってくるまでの間に様々な選択肢があったと思う。
だから結果的に俺がここに戻ってきたという事は、紛れも無く、疑う余地なく、俺はここに戻ってきたかったという事になる。
まあ、変な話。俺がそう思い至った理由というのは自分でも分かっている。分かっているが故に理解できないのだ。
矛盾してるのよな。それも理解してる。 未だに分からない事だらけだけど、自分の気持ちくらいは分かってるさ。
――ピンポーン!
午後過ぎ、夕暮れ前にインターホンが鳴る。巫女はまだ研究室から戻っていないから、インターホンを鳴らす時点で花村だと分かった。俺は鎖に繋がれているので、いつも通りに鰻子が出る。
「バルコフ!」
玄関から聞こえてきたのは懐かしきバルコフの鳴き声だ。その直後、家に帰った喜びからか廊下を駆け、ベランダの窓に激突した。
「バルコフ何をやっているんだよ」
窓に激突してひっくり返っていたバルコフを追ってきた鰻子が起こす。その数秒遅れで、廊下から姿を見せたのはやはり花村だった。
紺色のスーツにワイン色のシャツを着た姿なので一瞬八島組の組員かと思ったぜ。
その手にはスーパーの買い物袋を手提げていて、ビニール袋から透けて見るのは食材だった。
「あれ、巫女は?」
花村は部屋を見回す。
「研究室」
「そっか――で、大変だったなー金也」
薄ら笑いをしながら、ビニール袋を置いて床に座る。