10
「噂をすれば何とやらね」
巫女と共に廊下に目を向ける。ドタドタと駆ける足音が近付き、廊下から何かを抱えた鰻子が現れた。
「あ、巫女だよ! 大変だよ!」
「え?」
「バルコフが死んだんだよ」
情けない顔で現れた鰻子の腕には、猫のような、或いは犬のようなロボットが抱えられていた。黄金色ボディで大きさは子犬くらい。
鰻子はあのロボットを俺に見せたかったのかな?
「別に死んじゃいないわよ。多分バッテリーが切れただけでしょ。貸してみなさいよ」
巫女は鰻子からロボットを受け取った。鰻子はその傍らに佇んで心配そうにそわそわしている。
「あら、ちゃんと充電はしてるのね。どうしたのかしら……鰻子、何か強い衝撃とか与えなかった?」
「うん。さっき急に飛びかかってきたから、反射的に壁へ投げ飛ばしちゃったんだよ」
後ろめたそうに、鰻子の視線があちらこちらへ散乱していた。
「それが原因じゃない……分かったわ。後で直してあげる」
「鰻子を怒らないの?」と、不安げな鰻子。
「怒らないわよ別に。私がもっと頑丈に作ってあげていれば良かっただけだしね。まあでも、壁に投げ付けるのはもう禁止」
「うん! 分かったんだよ」
曇っていた表情が見る見る晴れていく。
鰻子は嘘を付けない子だな。今のやり取りで確信した。
「とりあえず鰻子、手錠の鍵を渡しなさい」
そう巫女は手を差し出した。
「分かったんだよ」
鰻子はパーカーのポケットから鍵を取り出し、巫女の手に渡す。
「はい、じゃあバルコフは研究室に置いてきて」
「うん。了解だよ」
ロボットを渡された鰻子は小走りで部屋から出て行った。ドタドタと素足で駆けて行く背中を見送ると、俺は気になった言葉を巫女に尋ねてみる。
「研究室って、何ですか?」
「文字通り、私の研究室よ。この隣にあるの」
答えながら俺のそばに歩み寄り、背後で屈んで手錠を外す。俺は自由になった手を前に戻し、手首を擦りながら質問を続けた。
「隣……凄いな、二つも部屋を借りてるのかよ?」
さすが金持ちの娘。親は一万円札で尻を拭くレベルの大富豪だろうな。
「何馬鹿言ってんのよ。二つどころか、このマンション丸ごと私のよ」
「丸ごとって、マジっすか!?」
一部屋のみならず二部屋かと思いきや、まさかの一棟所有に驚愕を隠せない。
「昨日買ってるって言ったでしょ。耳腐ってんの?」
「いや、賃貸じゃなくて一部屋を買っただけだと思うだろ、誰もマンション丸ごと買ってるとは思わないからな普通」
「そう思う人間だっているわよ」
「いやいや、だから普通の人は思わないから」
俺は貧乏人だが常識は持ち合わせているつもりだ。巫女の言う言葉が常識であるのなら、この国はきっと世界で一番幸せな国だろう。
「普通普通って、普通が絶対正義なわけ? ……ああそれと、気付いてないようだからついでに教えといてあげるけど、このマンションは私達しか住んでいないから」
などとふざけた事を言いながら、巫女は柱の近くに座った。
「えっ、それはつまり、他の部屋は全部空き部屋ってこか?」
「ええ、この十二階以外は空き部屋よ。だから床をドンドン叩いたり、大声で叫んで助けを呼ぶなんての無駄だから」
もうやりましたがな。
「ていうか、それって勿体なくないですか? どうして貸さないんだよ」
「どうせまた気が向いたら売るし。私、アンタが思っている以上に金持ちなのよ」
「ああそうすか」
腹立たしさをも通り越して羨ましい限りだが……。
「何してんですか?」
「調整」
巫女は柱に取り付けてある機械をいじっていた。ずっと気になってはいたが、何となく俺にとっては望ましくない機能がありそう。
「それで、この機械は一体?」
「いわゆる鞭みたいなものよ。アンタがふざけたことをした場合、すぐさま躾が出来るようにね」
そう言う巫女の右手にはスティックのりみたいな棒状の物がある。
何かの起動スイッチと推察するというか、どう考えても柱に取り付いた四角い機器を遠隔操作するリモコン的な物だろう。
「何だかよく分からないけど、絶対に押すなよ」
巫女が手に持つスイッチを押すと何が起こるのか、大体の察しはついている。
「押すなよってのは、押せってことでしょ?」
「違う! 俺は芸人じゃねえんだよ!? 絶対に押すんじゃねえぞ!」
と、言ったのにさ――ポチッ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
ビリビリビリビリビリビリ!!
巫女がスイッチを押した途端、予想していた通り全身に電気が走った。
「あはははは!!」
踏まれた虫のようにピクピクと全身を痙攣させて倒れている俺を見ながら大爆笑している。
痛みは一瞬だったが精神的なダメージが大きい。怒りとか恐怖とか、様々な感情が入り混じって俺を不安定にさせている。
「お……おお、お前、自分が何をやってんのか分かってんか?」
どうにか生きている俺は体を起こし、悪魔のように哂う巫女へ問うた。
「ええ、電気を流したのよ」
綿菓子並みの軽い返答で、『だからどうしたカス』という副音声が俺には聞こえる。