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「すいません。お嬢に訊いてみたのですが、せっかくなら新しく良質な物を秒で買って来いと言われたので今から買いに行ってきます」
「え、いや別にちょっと借りるだけでいいですよ」
「いえ。もうお嬢に言われているので、金也さんがいくら遠慮されても買いに行かせていただきます。さすがに秒は無理ですが、すぐに戻って来ますので。では、これはお返ししておきます。お嬢に行く途中で電池が無くなったので、決して壊れたわけではありませんので」
杉内さんに返してもらったタブレットパソコンの画面は真っ暗だった。電池が切れたようだ。あのふてぶてしい顔を見なくて清々すると言いたいとこだが、なんかちょっと寂しい。
「それでは」
「あ、あの、鰻子と一緒に雪だるまを作りたいんですけど、庭に出て遊んでも大丈夫ですかね?」
去ろうとした杉内さんを呼び止めて訊いてみる。
「はい、大丈夫だと思います。お嬢は別にお二人の行動に制限をするような命令は出されていないので、問題は無いかと」
解釈次第では外に出る事も可能って事だよな――いや、安易にそう考えるのはやめておこう。
「分かりました。じゃあ、充電器をお願いします」
「はい」
爽やかに返事をして杉内さんが通路を駆けて行った。とても前科を犯しているようには見えないけど、きっとあのスーツの中は龍やら鯉やらが泳いでいる事だろう。
さてと、「鰻子ぉー! 雪だるま作りに行こうぜ!」部屋の奥にいる鰻子を呼ぶ。
「金也。お姉ちゃんがいないんだよ」
ひょこりと姿を現した鰻子の眉毛がハの字になっていた。
「俺が持ってるよ。ただ、今電池が切れたんだ」
「そうなの?」
「そうなの、ほら」
鰻子に歩み寄り、タブレットパソコンを渡した。
「本当だよ。充電するんだよ」
「いや、鰻子のバッグの中に充電器が探してみたけど無かったぞ」
「本当? 鰻子は入れた記憶があるんだよ」
俺の言葉に半信半疑な鰻子は自分のバッグを取り、ベッドの上でひっくり返して中身を出す。出てくるのは着替えの服や、文房具やら、ノートやら、やはり充電器は入っていない。
「無いんだよ。鰻子はちょっとしたパニックだよ」
「忘れただけだろ。気にすんなよ」
「鰻子は駄目な子だよ。いわゆるポンコツなんだよ」
項垂れる頭部に引かれるように上体を倒して消沈する。
「だから気にすんなって。鰻子が物忘れするのなんて今に始まった事じゃねえだろ」
「それもそうなんだよ。雪だるまを作りに行くんだよ」
切り替え早っ!!
――というわけで、俺達は雪だるまを作る為に庭へ出た。
「わー! 真っ白だよ」
外は一面雪だらけだ。舗装された道はもう綺麗に雪かきされているけど、十分雪だるまを作る量の雪が積もっている。足が埋まるくらいに雪が積もったのは本当に久しぶりだ。
俺は早速雪をすくって雪玉を作り、雪を見て感動している鰻子の背中に軽く投げ当てた。
「ん? 何か当たったんだよ」
着物の生地が厚いせいか、鰻子は雪玉を当てられた実感が無さそう。仕方が無いので、もう一度雪玉を作って鰻子に見えるように投げた。
「あー! 金也何をするんだよ?」
「雪はこうやって団子にして、投げて遊んだりする事も出来るんだ」
「ふーん。鰻子もやるんだ――だふっ!」
俺のように雪玉を作ろうとして屈もうとした鰻子はバランスを崩してうつ伏せに倒れた。靴はスニーカーだが、着物で動くのは難しいのかもしれないな。
「大丈夫かー鰻子?」
雪の上に倒れて埋まっている鰻子を心配してそばに歩み寄る。すると鰻子はサッと体を起こし、舌を出して唇を舐めた。
「雪は美味しくないんだよ」
食べたんかい。
「雪なんか食べるなよ。ほら、手」
差し出した俺の手を掴み鰻子は立ち上がる。髪に雪が付いていたので、それを手で払った。
「やっぱり一回戻って着替えるか? そのままじゃ動き辛いだろ」
「嫌だよ」
首を横に振った。
「よほど気に入ってんだな、まあいいけど。ならちゃんと気を付けろよ」
「うん。分かったんだよ」
「じゃあ鰻子は雪だるまの頭を作ってくれ。俺は体を作るから」
「うん。了解だよ」
「よーし、やるぞ!」
俺は野球ボールほどの雪玉を作り、それを雪の上で転がして大きくする。若干まだ筋肉痛が残っているので前屈みの体勢はちと辛い。
だが、久しぶりに雪だるまを作るという作業が楽しく、痛みなどどうでも良かった。鰻子に付き合って雪だるまを作っているていだが、ちゃっかり俺自身も楽しんでいたりする。
「ふう」
雪の塊をバランスボールくらいの大きさにしたところで一旦休憩する。
「あれ……」
振り返って鰻子の作業具合を見ようと思ったのだが、その姿はどこにも見当たらない――と、いた。またうつ伏せに倒れて雪に埋まってる。
「おーい、大丈夫か?」
少し呆れつつ、鰻子のもとに歩み寄る。
鰻子は体を起こし、「動きづらいんだよ」
「だから言ってるだろ。やっぱり着替えてこいよ」
「脱ぎ方がよく分からないんだよ」
相変わらずの、段ボールに入れられて道の脇に捨てられた子犬のような愛らしい目で俺を仰視する。
「んなアホな。そんな難しい事じゃあないだろ」
「だったら金也が脱がしてほしいんだよ」
「無理無理。ったく、しょうがねえな」
さすがに俺が着替えを手伝うわけにはいかないので京香に頼むか。でも杉内さんもいないしな。誰かに京香の部屋まで案内してほしいところだけど……。
「ああ、雪だるま作ってる!」
「先越されちまったー」
なんてグッドなタイミング。家の玄関から出てきたのは京士郎と大地だった。
「ちょうどいいとこに来てくれたな。なあお前ら、どっちでもいいから京香の部屋に案内してくれねえか?」
「何だよいきなり? 今下りてきたばっかりなんだぜ」
眉間にしわを寄せて京士郎が言った。
「鰻子の事でちょっと用があるんだ。見てみろ、あの困ったようなあいつの顔を。あいつの笑顔を取り戻す為には京香に会わなければならないんだ」
突き出した親指で鰻子を指す。このマセガキ共は鰻子が大好きだ。鰻子を理由にすれば、俺の頼みだろうと断る事はないだろう。
「んー、分かった。じゃあ俺が連れて行ってやるよ」
京士郎が言う。
「お、サンキュー。じゃあお前はここで鰻子を見守っててやってくれ」
大地の頭に手を乗せて言った。
大地は「分かったよ」と、俺の手を叩くように振り払う。
「叩くことねーだろ」
「早く来いよ」
先に家へと歩き出した京士郎が急かすように言う。
「へーい」
案内人の機嫌を損ねるわけにはいかないので、俺は急いで後をついて歩いた。家の中に入ると、京士郎は二階へ行く階段へは上らず、一階の右通路を歩き進む。
その後ろを付いて歩きながら周囲を見ていると、その途中で厨房や、スポーツジムのような設備のある部屋を発見した。
その中ではペペなどの組員がランニングマシンで走ったりして体を鍛えている。ものの見事に皆さん厳つい刺青を露わにしていた。
目が合わないようにしとこ。
「しかし、てっきり京香の部屋は三階よりも上にあると思ってたよ」
大体家主の家族ってのは最上階に住むものだから、俺がそう思うのは普通の事だろう。
「ああ、そうだぜ。姐さんの部屋は四階にあるよ」
京士郎は意外な答えを返してきた。
「は? じゃあ今俺達はどこに向かってんだよ?」
「離れにある道場だよ。この時間はたぶん練習してる」
「練習って、柔道とか?」
「うん。あとは剣道とか空手とか合気道とか、昔から毎日色んな格闘技の先生を招いて練習してるみたいだぜ」
なるほど、京香の強さはそれが理由か。そりゃあキムタキを数秒を地に付けるわけだ。
「お前達も習ってんのか?」
「習ってるよ。この家に住む奴の義務みたいなものだし」
格闘技を学ぶことが義務か。もはやちょっとした軍隊だな。さっきのジムを見たからこそ、余計にそう思ってしまう。
だがそれにしても、心技体の心が鍛えられていない奴が多いような気もしなくはないけど……。