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「忘れてたんだぁ……まあいいや。この場では何も言わないでおいてやるから、お前達はさっさと部屋に戻りなさい。後でまた私が勉強を見てあげるから、寝たりしたら駄目ですからねぇ」
明らかに京香が怒りを抑えている理由は、多分鰻子がこの場にいるからだろう。巫女と同様に、いや、もしくは俺も同様に、みんな鰻子には過保護なんだ。赤ちゃんの如く無条件に可愛いからな。
「わわ、分かったよ。すぐに部屋に戻るから。行くぞ大地」
「うん。じゃあまたね。鰻子姉ちゃん」
「うん。バイバイ」
京士郎と大地は京香の重いプレッシャーに顔を引きつらせながらベッドを下り、鰻子に手を振って足早に部屋から出て行った。俺に何の挨拶も無かった事はとりあえず気にしないでおこう。
「あまり勉強勉強言わない方がいいんじゃねえのか?」
子供達の事を想って俺は京香に意見した。
「勉強はしなくてもいいという無責任な親よりかはマシですよぉ。何も一日中しろなんて言っているわけではありませんし。私はただ、頭が柔らかい内に勉強をする事を癖を付けようとしているのです」
「勉強をね……そうなんだ」
京香の理論だと俺も勉強癖が付いていてもおかしくないと思うんだが……ま、俺の場合は半ば強引だったからな。勉強する事が一種のトラウマになっているだけかもしれない。
「では、食事の用意が出来ましたので、一緒に食堂へ向かいましょう」
「ああ、そっか。えらく時間がかかったんだな」
ここに着いたのは六時くらいだったはずだから、京香は二時間もかけて料理をしていた事になる。
「すいません。ちょっと色々ありまして」
「いや、別にいいんだけどさ。ていうか、子供達には?」
「いいんですよぉ。せっかく七時前に私が作ったご飯を部屋に運ばせていたのに、食べもせずにここで遊んでいたあの子達が悪いんですからぁ」
なるほど。京香が怒っている本当の理由が分かったよ。
「じゃあ鰻子、ご飯食べに行こうぜ」
「うん」
鰻子はタブレットパソコンとウナイダーを持って立ち上がった。
そして、みんなで部屋を出て、一階にある食堂へと向かう。
「あ、杉内さんは?」
部屋を出てすぐに俺は京香に訊いた。
「あれはもう下にいます。お気になさらずに」
「そっか……ところでさ。京香って家の中じゃいつも着物なのか?」
通路を歩きながら、素朴な疑問を訊ねる。日本だとはいえ、今の時代着物を部屋着にしている女性なんてなかなか見る事はないしな。
「そうですねー。品があると思いませんかぁ? 着物を着ている私の方が」
「まあな」
女性が着物を着たら魅力は倍増だ。ただでさえポテンシャルの高い京香は鬼に金棒である。
「良くも悪くも、人は見た目で判断されるじゃないですかぁ? 私はこの組の組長の娘ととして、単に可愛がられて甘やかされるのではなく、皆の模範であり、尊敬されるような存在である必要があるのですよぉ。スウェットを着てぶらぶらする事も別にいいですけど、威厳や尊敬というものは、僅かな亀裂から一気に崩れるものなんです」
京香と話せば話すほど、自分の中で劣等感が溜まっていくのが分かる。こいつなんか、カッコイイな。
「鰻子も着物欲しいんだよ」と、歩いてる京香の腕を掴んで鰻子が言った。
「ん? いいですよぉ。なら食事をした後、私が鰻子ちゃんに着付けをしますよ」
「ホント!?」
漫画のように目がキラキラと輝き出す。
「ホントですよぉ」
「おい鰻子、着物なんて着たら雪だるまを作り辛くなるんじゃないのか?」
「雪だるまより着物だよ」
迷うことなく鰻子は言った。
「そうか」
女心は何とやらだな。
「――ここが食堂になります」
案内された一階の食堂は、まるで旅館の宴会場のような五~六十畳の広い和室の部屋だった。
本来は縦二列に並んだ木のテーブルしか無い少し寂しい室内のはずなのだろうけど、部屋の壁に沿って立ち並ぶ数十名の組員達のおかげで妙な緊張感が張り詰めていた。
「なんでこんなに人がいるんだよ?」
「人間食事時が危険って言うじゃないですかぁ」
「いや、むしろこの俺にとってはこの人達の方が危険なんですけど」
パンパン!
「では、食事を運んで下さい」
俺の言葉を華麗にスルーし、京香は人を呼ぶように手を二度叩いた。
「さてと、どんな料理が来るのかな。鰻子も食べるんだろ?」
テーブル前に置かれた座布団の上に座り、隣で正座した鰻子に訊いた。
「うん。ウナイダーと一緒に食べるんだよ」
「行儀が悪いからそれはやめなさい」
「失礼します」と、料理が運ばれてきたようだ。
ふすまを開けて部屋の中に入ってきた男二名は案の定厳つい黒スーツの男ではあるが、その手に持つ盆の上からは食欲を駆り立てる料理の匂いが漂ってきた。
「どうぞ」
料理を運んできた男達は俺と鰻子の前に料理を置いた。
「おお………………おっ?」
……。
「さ、冷めぬ内に召し上がって下さい」
鰻子の横に正座して京香はそう言うが、俺には箸を持つ前に訊くべき事があった。
「なあ京香、俺の間違いならいいんだけど、もしかしてこれはコンビニで売っている弁当じゃないのか?」
そう、俺と鰻子の前に置かれた料理はコンビニの弁当に酷似した容器の中に、コンビニの弁当に酷似した生姜焼きや黒ゴマと梅干が乗った白飯が入っており、いや、ていうか、これは誰がどう見てもコンビニの弁当である。
「はい、その通りですけど」
「!?」
認めちゃったよ。だから何だと言わんばかりの笑みを浮かべてる。
「いただきます――もぐもぐ」
鰻子は食べちゃったよ。
「あれ、金也さんは食べないのですかぁ?」
怖いよ怖いよ。
どうして俺に対してそんな堂々たる態度を見せれるの?
無かった事にしてるの?
この子、自分が料理を作ったという事実を無かった事にしてるの?
「いや、あのさ。お前、料理が出来るとか言ってなかった?」
「そんな事は言ってませんよぉ。包丁捌きがプロ並とは言いましたけど」
このタイミングでその返しがされたという事は、包丁捌きの意味が暴力的に聞こえて仕方がない。
「なんだよ。ちょっと期待してたのにさ……」
正直少し楽しみにしていたのでガッカリ感は否めない。
それに最近まで働いていたコンビニによく置かれいる弁当だし、もはや食い飽きている。腹は減っているから何でもいいっちゃいいんだけど、なんだか箸を握る気にもならないぜ。
「おいお前! せっかくお嬢が『チン』して下さった料理を食べねえつもりじゃねえだろうなあ!!」
「えっ!?」
突然後ろに立っている黒スーツの男達の一人が俺に向かって怒声を飛ばしてきた。驚いて振り向くと、その男は丸刈り坊主で、首から後頭部にトライバルタトゥーが入っている。
めっちゃ厳つい。前方で発見すれば距離を取ってすれ違いたいレベル。
「すいませんすいません!」
見るからに危なげな男なので、俺は反射的に謝った。
電子レンジで弁当を温める事を料理と断言できるその根拠を答えて欲しいところではあったが、履歴書は前科で埋め尽くされそうな顔をしているのでとにかく謝った。
「すいませんじゃねえぞコラァ! お嬢はな、米を洗濯機で洗おうとしたり、フライパンも使わず直接火で豚のバラ肉を炙ったり、味付けに塩を入れるつもりが小麦粉をばら撒いてしまったり、卵を割る力加減が分からないからと壁に叩きつけたりしたせいで厨房はゴミの掃き溜めのようになっている始末。おかげで今日の業務を終えた奴らまで片付けに今追われているんだぞ! だがなぁ! お嬢はそんな中でも構わずに料理を作ろうと頑張ってたんだ! 恐ろしい御方だろ!? だから俺達は全員で土下座して、今日のところはコンビニ弁当にしてくださいと懇願したわけだ。それでようやくお嬢が折れて弁当をチンして下さったのに、お前はそれを食べられねえと言うのか! ああ!?」
組員皆の心の声を代弁するかのように叫び続けたタトゥー坊主。
俺はその説明を受け、心の底から「すいませんでしたぁ!」謝罪した。
まさかこの弁当がここに運ばれるまでの過程にそんな苦労があったとはな。しかし、京香にも苦手な事があるというのはちょっと安心した。米を洗濯機で洗おうとしていたというのはある意味天才的だけど。
「おいお前、何を気持ち良さそうにペラペラと喋っているのですかぁ?」
タトゥー坊主は思わず溜まっていた不満を吐露してしまっただけなんだろうけど、京香にとっては恥を晒されたということだ。笑って見逃せる事ではない。
もちろん、客観的に考えれば京香が悪い。だけど理不尽なのが世の常だ。
「あ、す、すみませんお嬢! つい本音じゃなくて、事実……じゃなくて、寝言です! 寝言を言ったんです!」
立ってジリジリと距離を詰める京香にタトゥー坊主は身を震わせ、訳の分からない言い訳をしながら必死に頭を下げる。危険を察してか、他の組員は少し距離を置いて離れ始めた。
「お前、寝言というのは寝ながら言うものですよ」
あくまでも優しい口調で京香は話す。
「は、はい……」
「ペナルティです。さあ、寝言を言えるように、私が寝かしてあげましょうねー」
「あ、いや、お嬢ご勘弁を!」
京香はニコニコと微笑みながら、タトゥー坊主の腕を引っ張ってふすまの奥へと消えて行った。