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「何だね君は? 金也の友達か? 悪いがそいつを連れて出て行ってくれ」
親父は呆れたような表情で歩き、食卓の上に買い物袋を置いた。
すると、親父のそばへ巫女がそっと歩み寄り、何を思ったのか――バシンッ!
初対面の人の頬、俺の親父にビンタをした。それは聞こえる音だけで目を瞑ってしまう、そんな激しさが伝わるほどの平手打ちだった。
こんな暴挙に出た巫女の思惑なんて思考する余裕も無い。親父が人に叩かれるような場面を目の当たりにしている自分が信じられないでいる。
「……」
親父も叩かれた右頬を手で押さえ、自分に何が起こったのか理解できていないようだ。まばたきもせずに目の前の巫女をジッと凝視する。
「子供が向き合おうとしてるんだから、親が逃げてどうすんのよ!!」
空気を裂くような一喝。俺はあ然とし、何も出来ずに眺めていた。
「……おい金也、まだこんな人間と関わっているのか?」
初対面の、二回りも年の離れている女の子にビンタされた親父は屈辱的な心情だろう。ただでさえプライドの塊だってのに、家族の前でビンタされるとか絶対に耐え難いことだと思う。
「君は初対面で、年上の人間への接し方がまるで分かっていないようだな。まあ、ビンタなんてのは論外だが……一度は無知な子供のやった事と見逃してやろう。これ以上騒ぐようなら――」
「ぐだぐだうっさいわね。子供の接し方も知らないアンタらにとやかく言われる筋合いは無いわよ」
「……いい加減にしなさい。君が金也から何を聞いて怒っているのかは知りたくもないが、他人である君にとやかく言われる事こそ筋合いはない。無礼にも程がある」
「こんの――っ!?」
このまま放っておくと巫女の歯止めが利かなくなると感じ、俺は駆け寄って巫女の肩に手を乗せた。
「自分で、ちゃんと話すから」
「……っ」
振り向いて俺を見る巫女の鋭い目は少し湿っているように見えた。
「……」
巫女の肩を軽く押して一歩下がってもらい、俺は親父と面と向かう。
「あのさ、その……」
駄目だ。
親父を前にすると言葉が出ない。
言いたい事は山ほどあったはずなんだけど、どう伝えていいのか……真っ白だ。
親父が俺に話をかけてくれたのはあの時、事故を起こしたあの日が最後だった。
一方的に叱られて、その怒声を黙って浴びることしか出来なかった。
当然だ。俺に何か言う資格は無かったのだから。声に出す全てが言い訳になり、罪から逃げるような自分が嫌だったからだ。
でも結果的に、俺は何も会話をしないことで逃げていた。自分の犯した罪から逃げていただけだったのだ。
分かっているんだけど、こればかりは理屈じゃなくて――たぶん俺は根本的に、本能的にこの人が怖いんだ。
「お前は昔からそうだ。何も話さず、話にもならない。お前は麻里を殺した。自分の妹をだ」
沈黙していた俺に、親父が言う。
「なのにお前は、言葉が何も思いつかない程、何も感じていないのか?」
「そんなわけないだろ!」
「だったらどうしてお前はあの日、麻里を乗せて車なんて運転したんだ……私も母さんも、何度も何度もお前に言ってきただろ。そんな風に育ったお前が、そんな風に育ててしまった自分自身が……」
皆まで言わずとも、今まで親父が抱えていたことを俺は理解した。
涙とか、怒りとか、あらゆる感情を抑えて喋る親父の表情が一番分かり易く表現していたのは後悔のそれだったのだ。
しかしそれは俺にとってどんな辛辣な言葉よりも胸を締め付けるものだった。
「……」
「もういい。早く出て行きなさい」
親父は背を向けた。
「あのさ」
面と向かっていないせいか、親父の気持ちを聞いたからか、俺の口から自然と言葉が溢れ出てきた。
「本当に俺は、あの日の事を後悔してるんだ。親父や、母さんが麻里を大切に思っていた事は分かっていたし、将来を期待していた事も知ってたし、俺がその全てを奪った責任も理解しているつもりだよ。でもさ、麻里も苦しんでたんだ。二人からの重圧に耐えられなくて、たまに隠れて遊びに行ってたよ。俺はさ、麻里に俺の分の重圧も与えてしまった事を一番後悔してるんだ――ああ、だからって二人を麻里が嫌っていた事なんて無いからな。うん。やっぱり上手く言えないんだけど、親父や母さんのせいじゃないのは間違いない。俺はさ、何をどう償っていくべきなのか未だに答えはハッキリとしないけど、ここへ来てちょっと分かった気がする。また来るから。親父とまた、昔のように話せるようになるまで、何度も来るよ」
「……」
俺の話を静かに聞いていた親父だが、背を向けたまま返事をする事は無かった。
静かな部屋に聞こえるのは母さんのすすり泣く音だけだ。
「巫女、今日はもういいから帰……?」
後ろに立っていた巫女に目を向けた。巫女は頭を抱えるように額に手を当てて俯いている。とても気分が悪そうだ。
「おい、大丈夫か?」
「だ……い……じょ……」
「巫女!?」
ゆらりと足をふらつかせ、崩れるように巫女は床に倒れた。俺はすぐに倒れた巫女の体をすくうように持ち上げる。
「おい! おい!」
服の上からでも熱いと感じるほどに体温が高く、顔色も赤くなっている。到底演技をしているとは思えず、苦しそうに表情を歪める巫女を見て俺は動揺してしまった。