18
「あのー、これは金也さんのですかぁ?」
洗面所に入っていた京香がカセットプレーヤーを手にして戻ってきた。
「あ……いいや、それは巫女のだ。たぶん」
「ふーん。巫女さんがこんな古い物を持ってるなんて意外ですねぇ」
「それはカセットプレーヤーですか? 確かに、巫女は昔からそれを持っていますね。しかしどうして洗面所にあったんですかね……」
ミコリーヌの証言により、巫女の物というのはほぼ間違いないとみていいだろう。
「あ! おいおい、勝手に聴くのかよ?」
ためらいもなくイヤホンを耳に付け始めた京香に言った。
「別に音楽を聴くくらい良いじゃないですかぁ」
俺の注意をものともせず、京香はプレーヤーを再生して聴き始める。
「……あれ、何も入ってないですねー。巻き戻さなきゃいけないパターンですか」
ぶつぶつと独り言を言いながら、巻き戻しのボタンを押し、その後また再生ボタンを押した。
「……」
反応を見たところ、今度はちゃんと音楽が流れているようだ。
しかしどんな音楽が流れているのかは不明だが、京香の視線は下に落ちたまま上がる事は無く、比較的暗い表情をしばらく俺に見せていた。
「どした、そんな暗い顔して? バラードでも入ってたのか」
イヤホンを外した京香に訊く。
するとカセットプレーヤーを投げてきたので、俺はそれを片手でキャッチした。
「ご自分で聴いてみたらいかがですか。少なくとも笑顔にはならないでしょう」
「どういう意味だよ……?」
それ以上京香は何も話そうとはしなかったので、言われた通りに聴いてみる事にした。
罪悪感はやはりあるのだが、京香というワンクッションがあるおかげで抑制されるまでにはならなかった。
俺は耳にイヤホンを入れ、再生ボタンを押す。
ザーと、空気が流れるような雑音がほのかに聴こえる。瞬時に音楽というものではないと理解した。
『――というわけ。その後コンビニで肉まんとか買って家に帰宅。金也は疲れて爆睡していたから、花村に部屋まで運んでもらったの。それで……』
聴こえてきた声は間違いなく巫女の声だった。
その内容は、おそらくかくれんぼをした日の事を話しているのだろうけど、何の為にこんな事を録音しているのだろうという疑問が自ずと湧いてくる。
「なんだこれ?」
正面に立つ京香に訊いた。
「私が知っているとでもおも――」
京香の視線が廊下に向かう。
その動きにつられて俺も廊下の方に頭を向けると、部屋に戻ってきた巫女が現れた。俺は慌ててイヤホンを外し、カセットプレーヤーを手で覆って隠した。
「どうしてアンタがいるのよ京香?」
「はい? いえ……遊びに来たんですよぉ。はは。あれなら今すぐに帰りますよぉ」
目を泳がせながら京香は答える。動揺するその姿を見て、巫女の凄さを改めて俺は知る事が出来た。
「あっそ。まあちょうど良かったわ。連れて行ってほしい所があるの。車あるんでしょ?」
「も、もちろんありますよぉ。どこに行くんすかぁ? 殴り込みっすか?」
「京香、敬語が崩れてるわよ」
巫女は京香の額を人差し指で軽く押した。
「あ、すみません」
口を両手で覆う。
「そうそう、偉い偉い」
巫女は片手で京香の頭を撫でながら、もう片方の手はパーカーのポケットでごそごそとさせていた。
「ご褒美にこれあげるわ」
「んぐっ――!?」
巫女はパーカーのポケットから取り出した、錠剤のような小さな粒を京香の口の中に素早く投げ入れた。
「ななな、何ですか今の!?」
「死にはしないわ。ただの『乳首黒クナール』よ。文字通り、乳首が黒ずむ薬なの」
何を目的でそんな物を作ったんだ。
「本当ですか!? 嫌ですよ乳首黒くなるとか!!」
京香は両手をクロスさせて胸を押さえる。なんか新鮮な光景だな。
「アンタが昨日余計な行動を取ったからでしょ。ペナルティよ。心配しなくても一週間で元に戻るから、その間だけニップレスでも常備しとけばいいじゃない。文句言うなら銭湯に行かせるわよ」
「うう……それだけは勘弁してください。我慢しますからぁ」
うな垂れた頭に引っ張られるように体も前屈みなる。
「さて、ミコリーヌ。京香が来たなら言ってくれれば良かったじゃない」
「えっ!」
油断していたミコリーヌはバグを起こしたように一瞬フリーズして硬直した。
「そそ、そのー、巫女忙しそうだったから。私なりに気を遣ったって言うか……」
「……何かおかしいわね。アンタ何か隠しているでしょ? ちゃんと言わないと無間地獄に落とすわよ」
メラメラと背後に炎を纏いながらミコリーヌを睨む。
「わわわわわわわわわ!」
ミコリーヌは恐怖のあまり声も出なくなり、デスクトップのアイコンを隅に集めてそこに身を隠した。
「なんだっての一体? なら、アンタが代わりに話してくれるかしら」
おっと、俺に火の粉が降りかかってきたんですけど。
「ん、それ何よ?」
巫女は眉をひそめて俺の手を凝視してくる。
「あーこれはそのー……」
言い逃れ出来ないと思い、「実は洗面所に置いてあったんだけど」カセットプレーヤーを素直に差し出した。
「――っ!?」
数秒沈黙したのち、目の色を変えてカセットプレーヤーを俺の手からぶん取る。
その表情はとても険しく、今にも殴りかかってきそうだ――だが、巫女は怒りを呑み込むように目をつむって深呼吸をした。
「もう少ししたら外に出るわよ。準備があるなら今のうちにしておきなさい」
腕を組んでそう言った。
「外って、どこに行くんだよ?」
またろくでもない事に巻き込まれるのかもしれないという不安が頭をよぎる。
「神田家よ。アンタの親父に会い行くの」
……。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
耳を疑うような巫女の発言をかき消すように腹の底から声を出した。
俺にとって実家に帰るのは刑務所に入れられるよりも嫌な事であり、ましてやその最大の理由である親父に会いに行く為というのはただただ受け入れがたい話だ。
「ななな、何言ってんだよ! 本気で言ってんのかよ!?」
「当たり前でしょ。私がそんな嘘を付くと思ってんの?」
……思えない。そしてもうその考えが覆らないという事もな。
「一体何企んでんだよお前?」
「このまま一生親と溝を埋めなくていいの? そうじゃないでしょ。アンタみたいに一人で生き抜く能力の乏しい人間は親の支えがないと駄目よ」
反論の余地がまるで無いじゃないか。
巫女にしては理由が正当すぎる。しかし、だからと言って素直に行きましょうとはならないが……。
どうしよう。