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「ふーん。おじさんも駄目ですよぉ。年上だからって私は容赦しないですからね」
優しい話し方だったが、その言葉に秘められている本当の意味を理解したカメラ野郎は静かに頷いた。
「お姉さんは……もう分かってると思いますけど、今見た事は全部忘れてくださいね。いいですかぁ?」
女性は小さく何度も頷いた。
「はい。ではお願いしますねぇ――と、こんな感じでいいっすか? リーヌちゃん」
振り向き、ミコリーヌに訊ねる。
「いいです。罰を与えるという意味では適当な事をしてくれました。終業式があったというのに呼び出してすみません」
「そうっすよぉ。ま、リーヌちゃんのお願いなら仕方ないです。巫女さんの可愛い分身ですからね」
「ありがとうございます」
全然嬉しくなさそうに返事をした。
「じゃあお前ら帰っていいですよ。そもそも崇高なる巫女さんの部屋にお前らみたいな雑魚クズがあがっていいわけはないんですから。特におじさん」
京香は早く部屋から出て行くよう三人に促すが、ミコリーヌは「待ってください。そのうち花村結城のマネージャーが来ますから、木村瀧男だけは置いておいてください。あとは要りません」
「――ですって、残念でしたね木村さん。ではお二人はさっさと帰ってください。私ニコニコしていますけど、まだ怒りを消化しきれていないので、ダラダラしてると何するか分かりませんよぉ」
京香のその言葉を聞いた以上ダラダラと動くはずはなく、カメラ野郎と雑貨屋の女性店員は慌てて部屋から出て行った。
残されたキムタキは逃げられないように京香が背中の上に座る。
「……花村結城が売れてる意味がよく分かったよ」
部屋の中が静まる瞬間を狙っていたように、突然床に倒れているキムタキが意味深な言葉を発した。
「デビュー作が主演で、それからトントン拍子で人気俳優だ。何か裏があるとは思っていたけど、まさか八島組がバックについていたとはな」
言葉を聞いていると、キムタキは花村に嫉妬しているように感じる。ライバル心を持っていたのはお互い様だったんだな。
「馬鹿を言わないで下さい。今の花村結城は努力の塊で出来ていると聞いています。貴方のように金とコネを使うチート野郎とはまるで違います」
「……ふん」
チート野郎とは上手い表現だ。しかしお前も大概チート野郎だぞミコリーヌ。
「そういえば……ふわぁ……巫女さんはどこにいるんですかぁ?」
大あくびをしながら京香がミコリーヌを見る。
「巫女なら研究室にいますが、行っては駄目です。今日は会わない方がいいと思いますよ」
「てことは、今日は機嫌が悪いんですね。分っかりました、諦めます。また病院送りにされるのは勘弁ですからねぇ」
「え、お前巫女に病院送りされたのかよ?」
気になったので即訊いた。
「はい。出会って間もない頃っすね。ボコボコにされた後に変なウィルス飲まされて三日三晩苦しみましたよ。私結構我慢強い方なんですけど、あの時は本当に死を覚悟しましたね。悶えました」
何その敵軍の捕虜になった兵士みたいなエピソード。絶対頬を赤らめて話す内容じゃない。
「あっ!!」
ずっと隙を見計らっていたのだろう。キムタキは背中に座っていた京香を飛ばすほどの力で強引に立ち上がり、迷わずベランダへと走って行った。
廊下のそばに俺が立っているのでベランダへ向かったのは分かるとしても──まさか飛び降りようって事はないだろうな。
「おわあ!?」
と、要らぬ心配だったようだ。
ベランダに出たキムタキは注意を怠り、鰻子が作った溶けかけの雪だるまに足を滑らせて転んだ。
「ウナゴン!?」
ぺしゃんこになった雪だるまを目の当たりにした鰻子はまた涙目になる。漫画なら『ガビーン』という擬音が横に付いてただろう。
「あれー、もしかして隣の家に助けでも呼ぼうとしたんですかぁ?」
背中を打ち付けて仰向けになるキムタキを見下ろす京香。それを離れた場所で見守る俺は、キムタキの頭の位置的に京香のパンツが見えているんじゃねえかという邪念に襲われていた。
「もう素直に諦めてくださいよぉ。余計な事をしなければもう何もしないんですから、少なくとも私は」
「くそ!」
キムタキは悔しそうに壁を叩き、京香に背を向けるように上体を起こす。その姿はスターではなく、単なるチンピラにしか見えない。
どうやら俺の目にはまだ先入観フィルターが付いていたようだ。遺伝子的に人を見る目がないんだろうな。
「金也ー、ウナゴンがぐちゃぐちゃになったんだよー」
と、切ない顔をした鰻子が俺の胸に駆け寄って来た。今日は鰻子にとってバッドデーだな。
「また雪が降ったら作ればいいだろ」
そう言って鰻子の頭をポンポンと軽く二度叩く。
「ウナゴンはウナゴンだけなんだよ」
「うっ……」
一切の濁りが無い鰻子の純粋な眼差しが俺の大人心に突き刺さる。
大切な物が無くなったらまた作れ、買えという考えは改めるべきかもしれないな──だけど何て言えば鰻子は納得するんだろうか。
「今夜は昨日よりも雪が降るって予報だから、今度はもっと大きなウナゴンを作ってお姉ちゃんに見せてね鰻子」
困惑する俺を見かねたミコリーヌがそう言った。
すると鰻子は顔を上げ、「ホント? 鰻子は夜まで楽しみだよ」笑顔に戻った。
さすがは姉と言ったところだけど、俺が言った事と何が違ったのだろう?
鰻子取扱説明書があるなら是非とも譲っていただきたい。
「金也さんのそれって外せないんすか? でないと木村さんの足の骨をへし折ってやろうかと悩んでいるんですけど」
ベランダに立つ京香が俺の足元を指差して訊いてきた。逃げられないように俺の足枷をキムタキに付けられないかという事だろう。
「あ、これ? 無理無理。巫女が鍵持ってるし。でも、もう別に逃げようとはしないだろ」
ベランダで座っているキムタキは気力尽きてうな垂れている。自殺願望者でなければ、そのまま放っておいても構わないと思う。
「あーっそうですかぁ。でも骨が折れる音って癖になりますよぉ。緩衝材のプチプチと一緒です。片足だけでもどうですか?」
京香のえげつない言葉にキムタキは竦然として顔を歪めた。
「アホか。女の子がそう言うこと言うんじゃないっての。せっかくそんな恵まれた容姿で生まれてきたんだから、足じゃなくても板チョコでも折ってろよ」
「あららー。もしかして私を口説いているのですかぁ? 積極的なんですね金也さんは」
「はあ!? 口説いてねえし! 俺はアドバイスをしただけだよ!」
顔を熱くして必死に弁解する。何も考えていなかっただけに余計はずかしい。
「そ、そうだ! お前昨日嘘付いたろ! 本当は丘馬町だったのに、千億町に家族がいるとか言いやがってよ!」
俺は勢いのまま、昨日かくれんぼをしていた時に嘘のヒントを教えられた恨みをぶちまける。結果的には京香に騙されていたところで何も起きなかったわけだが、あわよくば俺をデスろうとしていた思惑が問題なのだ。
「まだ根に持っているんですかぁ? 無事にクリア出来たんですからいいじゃないですか」
「良くねえよ!」
「まあまあ落ち着いて下さいよ。ではお詫びと言ってはなんですが、私の胸を揉んでもいいですよぉ」
京香は自分の胸に両手を当ててそう提案してきた。
「あ、いや、え、あ……」
俺は違う意味で顔を赤くして口詰まる。
「ふふ、冗談ですよぉ。本気にしないで下さい金也さん。でも女子高生の胸に興奮するとか先天的な変態ですね。夜道で会ったら迷わず警察へ通報するように心掛けます」
「それ以前に俺勝手に外出れねえから」
ピンポーン!
インターホンが部屋に鳴り響く。