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「……ふう」
緊張を抑えるように深呼吸をし、恐る恐る手すり壁から体を乗り出して鰻子の部屋を覗いてみた。
……。
「ヘイユー。今日も寒いな」
「お前かい」
鰻子部屋のベランダには巫女パパがいた。前来た時と同じスーツを着ていて、頭は相変わらず残念な状態のままだ。
「よくここに戻って来れましたね」
「実は臨時収入があってな。巫女に借金を返しにきたのだ」
「え、じゃあコンビニのバイトは?」
「昨日で辞めたよ。やはりミーは殺し屋が向いているようだからな」
また戯言抜かしてるよ。
「何でもいいですけど、巫女に借金を返すだけなのにどうして鰻子の部屋にいるんすか?」
「……巫女も何かと忙しいだろうと、金髪っ子に渡してもらおうと思ったのだ」
すました顔で遠くを見ているが、十中八九巫女が恐いからだろうな。
「しかし金髪っ子が居なかったので困っていたのだが、たまたまユーが現れて良かった。巫女は……いるのか?」
「いや、今は研究室にいますけど……じゃあ俺がお金を渡しておきましょうか?」
俺は純粋な善意で手を差し出した。
「……怪しいな」
巫女パパは内ポケットに手を入れたが、その手を止めて俺を凝視する。どうやら俺がお金を盗るかもしれないという不安が過ぎったようだ。
「いや、盗らないですから。仮に盗ったとしても逃げられないし」
「本当か? だがユーはいかにもお金に困っていそうな顔をしているぞ」
「失礼だな! あんたにだけは言われたかねえよ!」
我慢をしようとはしていたが、俺の堪忍袋の尾はこのハゲ限定で非常に切れやすい。
「うむ……やはり巫女に直接渡した方がいいかもしれんな」
内ポケットに入れていた手を戻した。
「じゃあ勝手しろよ」
腹を立てて部屋に戻ろうとすると、「ヘイユー。あれは知り合いか?」
「はい?」
巫女パパの方に再び目をやると、地上を見下ろしていた。
「あれだあれ」
そう言って俺に地上を見るよう視線を動かしてきたので、仕方なく地上を見下ろしてみた。
「どのことっすか──あ」
地上のマンション入り口辺りで不審な人物がウロウロとしている。ハッキリとは見えないが、白髪のある頭で中年ぽいので恐らくこの前会ったカメラ野郎だと思う。
「またいんのかよあいつ……」
てことはやっぱりこの写真を撮ったのはあの男だってことか。
「やはり知り合いか? 前にミーが来た時からウロウロとしていたのでおかしな奴だとは思っていたのだが」
「……あれ、そういえばどうやってここまで来たんだよ? エントランスのセキュリティーは色々と厳しいだろうに」
「ふん。先日の電気トラップには引っ掛かってしまったがミーは殺し屋であり、巫女の親でもある」
謎のどや顔を俺に見せてきた。
「いや、まるで意味が分からないんですけど」
「巫女は昔からあらゆる事を前もって想定した上でモノを作る。だから住人登録されていない人間でも、絶対に中へ入れる裏技があるとミーは思ったわけだ」
「で、その裏技って?」
「簡単なことだ。『開けゴマ』と言えばいいだけだった」
しょーもな。
「マジっすか。そんな誰もが聞いた事があるような言葉で入れるのかよ」
「ミーはそれでここにいるのだ」
いやいや、待てよ待てよ。
その話が本当だとしても、あのカメラ野郎がこの階まで来れた理由にはならないよな。一体どうやって侵入したんだろ……?
「それで、あの男は一体誰なんだ?」
「えっと……まだ確定したわけじゃないんだけど、これ」
隠す必要は特に無かったので、巫女と花村の写った写真を見せた。
「なんだそれは?」
「花村のパパラッチ、多分あのおっさんが金欲しさに撮ったんだと思う。裏に電話番号書いてるし」
「花村……確かこの前ここに来ていた男だな。この男は何者なのだ?」
「ああそっか」
ずっとアメリカに住んでいたから花村のことは知らないんだな。
「芸能人ですよ、芸能人。今人気の俳優なんです」
「芸能人……なるほど、そういうことか。しかし何故わざわざこんな事を? 普通は出版社に売るのだろう?」
「俺が知るわけないでしょ。直接あの人に訊いてみて下さいよ」
「そうか、まあそうだな。ならば直接訊いてみることにしよう」
あごに手を当て、眉をひそめながらまさかの返事をしてきた。
「え、マジっすか?」
「娘の金を狙っている輩がいるとなれば無視するわけにはいくまい。場合によっては始末してやろう」
これまでは胡散臭さしか感じられなかったが、仮にも殺し屋という肩書きを持った人間が始末をするなどと言うのはやはり気掛かりだ。
「始末まではしなくてもいいですよ」
「場合によってと言っただろう?」
「どんな場合だよ。急にナイフを振り回すことなんてないでしょ」
「そうではない。奴はパパラッチを装ったCIAかもしれん」
「絶対ねえよ」
「そうでもないぞ。巫女はその天才ぶりが故に、幾度なく拉致されそうになった過去があるのだからな」
「拉致?」
「そうだ。才能とはその大きさに比例した金を生み出す。巫女の場合、一滴の血さえも数億円の価値がある。様々な権力者達が、あらゆる手を使って近付いてきたものだ」
「そんな大袈裟な……」
それは恐らく遺伝子に価値があるという事なんだろうけど、話す相手がアレなので簡単には信じられない。
「ともかく、ミーは奴と話をしてみよう。たまには父親らしい事はしてやらないとな」
そう言って巫女パパは微笑み、地上にいるカメラ野郎と話をするために部屋へ戻る。額から上さえ視界に入れなければ、それは渋くて格好良い微笑みだった。
「……」
ほんの少しだけ心配ではあるが、巫女に言うよりはマシかもしれないし、まあ良しとしよう。