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「──あれ?」
しばらくして後ろを振り向くと、花村の姿が見当たらない。もしかして変な気を利かせて先に車へ戻ったのかな。
「そろそろ行こうか」
「もういいの?」
俺から体を離して巫女が訊く。
「ああ。どうせまた来るし……お前が許してくれるならな」
「それはアンタ次第よっと!」
「うおっとっと!」
巫女が俺の背中に飛び乗ってきた。一瞬倒れそうになったが、どうにか体勢を立て直す。
「何だよ?」
「こんな夜中に外へ連れ出されて疲れてるの。車まで私を運びなさい奴隷六号」
「奴隷て」
残りの五号は誰だよ。
「俺だって疲れてるってのに。足だって痛いんだからな」
「何よそれ、遠まわしに私が重いとでも言いたいのボケ? 耳の穴をセメントで塞ぐわよ」
「そうじゃねえよ……まあ、分かったよ。運ばさせていただきます」
「んふ。よろしい」
巫女をおぶったまま、俺は坂道を下り始めた。不思議と体の疲れが消えていて、来る時よりも寒さを感じない。
「ふぅ……」
アホを背負っているというのに、何だか少しだけ肩が軽くなったような気もするよ。
「あ、寝てるし」
車に戻ると、花村は運転席で爆睡していた。よほど疲れていたんだろう。
「どうする?」
「降ろして」
巫女は俺の背中から降りると、運転席のドアを開けた。
「まさか運転すんのかよ?」
「そうよ。こいつ一回寝てたら簡単に起きないの」
寝ていた花村を無理やり助手席に移し、巫女は運転席に座る。俺もとりあえず後部座席に乗り込んだ。
「お前運転出来んのか?」
「誰に言ってんのよ。こんなもんマ×オカートと一緒でしょ?」
「違えーよ。おいおい、そもそも免許持ってんのか?」
「当たり前じゃない。アンタみたいに無免許で運転するクソじゃないんだから」
そこはオブラートに包んでくれよ。
「じゃ、ちゃんと掴まってなさいよ」
「掴まっ──!?」
ブォォォォン!
巫女は不必要に深くアクセルを踏み込み、車を急発進させる。その勢いで花村は窓に頭を強打し、俺は後部座席の下にハマった。
「おいおいおい! もっと安全運転しわわわわわっ!」
体を起こした途端に車はドリフトし、その遠心力でドアにぶつかる。人は運転すると性格が分かると言うけど、まさに巫女らしい荒い運転だ。
「眠たいから早く帰りたいのよ」
「馬鹿野郎! こんな運転してたら下手すりゃ永眠しちまうぞ!」
こんな雪で滑りやすくなっているかつ、道幅の狭い山道でドリフトするなんて自殺行為に等しい。
「ちょ、花村泡吹いてるよ!?」
荒い運転のせいで頭を何度も窓に打ちつけていた花村は口から泡を吹いていた。
「そいつ寝ると泡吹く癖があんのよ」
「なんだその癖は!?」
「きっと前世がカニなのよ」
「んなわけねえだろ!」
花村が白目を向いていても巫女は気にすることもなく、結局山を下るまで暴走運転は続けられた。
近い未来は無人運転になり、車による事故がなくなるなんてことを言う人がいたけど、早くその自動運転車が世間に普及してくれればいいなと思う俺であった。
「あーマジ恐かった……。よくこんな乱暴な運転で免許が取れたな」
「天才だもの」
「そういうことじゃねえよ」
街中ではさすがに巫女も激しく無意味なギアチェンジをする事はなく、人並みの運転をしていた。
「……お前ってさ、アメリカにいたんだよな?」
「何よ急に? そうだけど」
「いや、花村がお前と会ったのは三年前って言ってたけどさ、何歳の時に日本へ戻って来たんだ?」
「十七。それまでは大学で色々研究とかしてたから。大体は鰻子を造る為だったけどね。それがどうしたのよ?」
「いや……」
俺が反抗期を迎えている間、巫女は海の向こうで超一流大学を卒業し、鰻子というとんでもないアンドロイドを開発してたのかと思うと……情けなさ極まれり。
「……しかも十四歳で大学卒業したとか言ってたよな、改めて凄いというか、劣等感を抱かずにはいられないな」
「まあ本当はもっと早く卒業出来ていたけどね。ていうか、今更劣等感なんて抱いてんじゃないわよ」
「うるせえな、そんなこと分かってるよ。口にするくらい別にいいだろ」
「バカね。何でも口にすりゃいいってもんじゃないの」
「そうは言うけど、やっぱりお前は恵まれると思うぜ。俺もお前のような才能を持って生まれていたら良かったなって、素直に羨ましいよ」
環境や才能などを言い訳するのは駄目だなんて風潮があるけど、やはりそれは大きく人生を左右すると思う。
「……だからアンタは馬鹿なのよ」
ぼそりと小さな声で言った。
「ん?」
「……」
それから巫女はマンションに着くまで言葉を一切発さず、車内は花村のいびきだけが響いていた。
何か俺はかんに障るような事を言ったのかとか色々と原因を考えてみたけど、いくら振り返っても分からない。
結局、まあどうせ気分屋の巫女の事だから、会話するのが面倒になっただけなんだろうと勝手に結論づける。
よもや知らぬ間に巫女を傷つけていたことなんて、この時の俺は気付くことが出来なかった。
それもそうだろう。
俺はずっと人になかなか言えないような重い過去を背負っていると思っていた。普通の人が背負っていないような重い過去を背負っていると思っていたんだ。
そりゃあ世界にはもっと重く辛い過去を背負っている人間なんて山ほどいるとは分かっていた。
だけど、こんな近くいるだなんて思いもしない。
……。
やはり俺は……馬鹿だったのだ。