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純愛。
とても良い響きの言葉である。そんな恋愛が出来るのであれば、誰だってしてみたいはずだ。
俺が思う、俺の中で定義されている純愛という概念は、一生に一度だけ異性を好きになり、その気持ちを一生変わりなく持ち続けることだ。
それは言葉で言うのは簡単だが、実際にはとても難しいことだと思う。
混じり気の無い、純粋無垢にずっと相手を想える事は本当に凄いことで、素晴らしいことである。
しかし、残念ながら──……。
いや、当たり前の話だが、現実はそんな汚れ無き聖女みたいな女の子なんてまず出会わないし、いたとしても容姿がちょっとタイプではなかったり、どことなく男性ホルモンが多そうな方ばかりである。
さらに残念なのは、男が純愛なんて語り出すと女の子達は揃って白い目を向けてくるのだ。
単にモテない人間の言い訳だとか、男は恋愛経験があってこそ価値があるだとか、ずっと相手を一途に想うのはストーカー気質があるだとか──俺の純愛論をボロクソである。
テレビドラマや漫画などでよく描かれる純愛は、まさに空想世界での夢物語でしかないわけだ。だからこそ皆が好むのだろうし、現実を妥協するのだろう。
現実でそれを頑なに夢見れば、多くはきっと悲惨な結末を辿ることになる。
三十歳を過ぎて未婚、最近危機感を抱いてきました。
四十歳を過ぎて未婚、最近変な占いを信じるようになりました。
五十歳を過ぎて未婚、人間なら誰でもいいので結婚してください。
六十歳を過ぎて未婚、お金をあげるので誰か介護してください。
七十歳を過ぎて未婚、孤独死の現実味に震える。
八十歳を過ぎて未婚、転生したいお。
絶望的な未来が待っているに違いない。
だがしかし、俺の場合はすでに絶望なる未来の兆しが見えている。
すでに成人してしまった俺の携帯電話の中に登録されている異性の電話番号は0件だ。
……。
ところで知ってる?
三十歳まで童貞だと魔法使いになれるんだってさ。
……。
なりたくねえ!
三十路ポッターなんて言われたくねえ!
ああ恋愛してえ!
ああ結婚してえ!
あああああッ!
やることやって劣等感捨ててえ!
もう誰でもいい!
何が純愛だ!
んなもんねえよ!
そんな幼稚な理想なんて捨てて、子孫繁栄、人口増加に貢献してやる――と思った矢先に俺は出逢ってしまったのだ。
汚れなき聖女に?
ではなくて、美しき暴君に。