午前後
授業の前には10分の休み時間がある。次の授業の準備をしたり、うんこをするための時間だ。僕はこれが長過ぎると思うね。半分で十分だよ。休み時間を半分にするだけで30分も早く帰れるようになるんだ。僕は一刻も早く学校をでたいからね。
その長過ぎる休み時間を生徒は持て余してるんだ。男も女もバカ話で盛り上がって、教室中大騒ぎだよ。まったく、耳に粘土でも詰めたい気分だね。
それらから気を背けるために、僕は『近代能楽集』を開いた。たしか卒塔婆小町の途中だったかな。三島由紀夫自体あんまり知らないけど、自殺願望のある革命家だなんて、素敵な思想だと思うね。この本にも所々それが現れてるよ。
本の世界に浸っていると、前の席のオカマが話しかけてきた。彼、いや、彼女?分からないな。とりあえず彼は、クラスの中でも、本当に頭のいい人だと思うね。勉強はもちろん出来るんだけど、政治・経済・哲学、そういったことについて話せるのは彼しかいないんだ。他のやつらは彼を奇異の目で見るけど、彼ほど本当の人間はいないと思うよ。表面上の仕草や振る舞いで判断するなんて本当に低脳なんだな。
その彼が僕に「やりたい事はやるべきだよね。」そう言ってきたんだ。いきなり何のことかと思ったけど、僕は「やるべきだね。別に死ぬわけじゃないし」って返したんだ。後から知ったことだけど、彼は有名私大を受けるか悩んでいたそうだよ。
1時間目は国語だ。
正直言って僕は国語が好きになれない。なんてったってつまらないからね。物語を呼んで、内容を解説して、それを黒板に書いてノートに写す。ようは作業なんだ。本当に物語を読むときは、そんな一義的解釈にとらわれずに色んな視点から見るべきなのに。なによりも、その一義的な解釈があまりにも普遍的であることが気に食わないんだ。その文が何を表すかを教師は偉そうに解説するけど、そんなことは読めばわかる。言われるまでもないんだ。当然のことをさも自分しか知らないように話すから視点がズレるんだよ。
それと、教師の低脳さにも腹がたつね。例えば今回は太宰治だけど、教師自身が太宰治が理解できないと言っているんだ。こいつはキチガイだってね。そりゃそうさ、人間失格とか、そういった話を書く時点で、自身への異常な無能感を持ち合わせているんだ。ただ、彼が文を書く背景には自信というモチベーションがある。ようは双極性があるんだ。僕は彼と同じ想いを何度もしているから分かるんだ。それを教える立場の人間が理解していないんだ。
だけどまあ、一つだけ好きなことを話すとすれば、国語の教科書は好きだな。一冊で色々な話が読める。退屈な国語の時間でも、たとえ同じ話でも教科書を読み返してるだけで楽しいんだ。
でも、そこで教師がそれを遮ってくる。ノートをとれってね。そしたら僕がこう言うんだ。書かなくても分かる。会話はそれで終わりだよ。続きはない。ただ、毎回のように同じことをするなんて、教師っていうのはままならないものだね。
その後4時間目まではほとんど絵を描いて過ごしたね。数学、地理、英語ってあったんだけど、どれも死ぬほど退屈なんだ。それと比べて絵はいいね。頭の中がゴチャゴチャした時も、絵っていう形で外に出せばスッキリするんだ。それにいくら描いても飽きない。
でも英語の時間は少し寝たかな。教師に起こされて今習ってる意味のピースのスペルを言ってみろって言われたから"ぴーあいいーしーいー"って答えてあげたよ。考えるまでもないね。
寝ていて話を聞いていないだろうと思っていた教師はそれで参ったみたいで後はほっといてくれたよ。ありがたいね。