物語が始まる
私が4歳になったある日、広いお庭で、お母様は優雅に、オリビアに入れてもらった紅茶を嗜んでおられて、私はお父様がくれた毬を追いかけていた。
「エミリア?御池の側には寄ってはいけませんよ?落ちては危ないですからね。」
「あ~い!お母しゃま!」
「可愛い!!娘が可愛いわ!オリビア!!」
「左様でございますね、奥様。」
大興奮のお母様を宥めるオリビアはもう慣れた物だ。
ちょっとした公園くらいの広さがある公爵邸の庭は、色とりどりの花が咲き乱れ、浅い小川に、鯉のいる池、薬草園や、背の高い植物で庭師が作った迷路など、一日中遊んでいられる。
コロコロと毬を蹴っては、ポテポテと追いかける。
私の背後では、セバスチャンとオリビアの次男坊である(何と二人は夫婦だった。しかも子沢山…)、14歳のファーブが遠からず近すぎない位置で、私に危険が無いように見守っている。
サラッとした栗色の柔らかな髪をフワフワと風に靡かせ、パッチリした茶色い瞳で童顔な可愛らしい顔立ちのファーブは、アイドルのように微笑んで見守ってくれている。
こんなに優男なのに、我が家ではセバスチャンやお父様に引けを取らない武闘派らしい。
ガサガサっと、迷路の茂みが揺れる。
「ん?どなたかおらりぇましゅか~?」
「お…お嬢様!!」
「あ~い?」
ついこの前から始まった、淑女教育とやらの成果を存分に発揮して、とても良い問いかけが出来たと自画自賛した。
ファーブに呼びとめられて、褒められる?と、振り返る。
「今の時間、庭師は裏庭を整えておりますので、こちらには誰もいないはずです。
危険ですので、少しお下がりください。見てまいります。」
ファーブの真剣な表情に、思わず固唾をのむ。
毬を抱きしめて、恐る恐る茂みに近づくファーブの背後から手元を覗きこむ。
ガサガサと茂みを下から持ち上げると、そこに丸まっていたのは小さな真っ黒の・・・
「けだま??」
「お嬢様!!」
毬を背後に投げ捨てて、驚くファーブの横をすり抜け、テテテっと毛玉に寄って行くと、背後から焦った様子の声が聞こえた。
ひょっと掴み上げるとニョロッと動く尻尾。
「しっぽ!」
「…逆さまかと…」
「にゃんこ…」
「ミィ…」
慌てて持ち替えると、弱っているのか、ヘチョッと草臥れた姿の子猫が、一瞬綺麗な金の目をこちらに向けて私を見つめた後、弱々しく一鳴きして項垂れてしまった。
「お嬢様、漆黒の獣は、魔力が多く危ないものが多いのです。その獣をこちらにお渡しください!」
「や!ミィタお寝んねよ?わたくちが、ミユクとベッド用意しゅるの!!」
「いけません!公爵家の厳重な結界をものともせずに入ってきた獣です!
こんな幼獣の姿をしていても、ものすごい魔力を秘めていないとも限りません!
獣は懐かない故に獣と言われるのです!」
「ミィタ危ない?ファーいるから大ジョブ!」
「キュゥ…」
潤んだ瞳でこちらを見上げる子猫に害意は欠片も見当たらない。
チュッと鼻に口付けを贈り、いい子いい子と頭を撫でる。
「め!わたくちのミィタ危ないない!ファーが守ってくれゆのよ?」
「お嬢様…勿論です。このファーブ、お嬢様を命に代えてもお守りいたします。」
「なら、だいじょーぶよー!ミィタのミユクくだしゃいましゅ?」
「…それは、奥様にお伺いしなくては…」
「分かったわ!あいがとっファー!お母しゃま~!!」
最上級の笑顔で答えてくれたファーブに、お母様のマネで答える。
ミィタを抱えてお母様がお茶を飲んでいる、テラスまで走って行く。
後ろから、ファーブが私の落とした毬を拾ってきてくれるのが分かった。
その後は、オリビアとも同じような大騒ぎがあったが…割愛。
結果的に、お母様が、「公爵家の結界は、内側にいても悪意を持てば弾かれるらしいのよ?」と、オリビアとファーブに暴露し、二人がカックリと脱力した事で、終息した。
「エミリア?動物を飼うという事は、その子の命を預かるという事なのよ?
分かりますか?」
「あい!」
「しっかりと面倒を見て、キチンと躾をして、公爵家の名に恥じない、立派な飼い主と飼い猫におなりなさい。」
「あいっ!お母しゃま!あいやとごじゃいましゅ!!」
元気よくお返事して、テラスから室内に入る。
腕の中でグッタリとしていたミィタ(決定っぽい)も、気持ち尻尾を揺らして嬉しそうだ。
「きゃ~!ファー!!ミィタ!死んじゃう~!!」
「大丈夫ですよ、お嬢様。お腹を減らしているだけです。」
いつの間にか、音もなく私の横に立っていたファーブが、極上の美声と共に、浅い皿に入った柔らかいパンくずを浸したミルクを、床に敷いた布の上に置いてくれた。
「パン?」
「はい。もう歯が生えていますので、柔らかいものは食べられるはずです。」
「ふぁ~しゅおーい!あいやとっ!ファーしゅごいのね!わたくちもファーみたいに賢くなる!!」
「ありがとうございます。」
屈んでいたファーブの首元に抱きつき、スリスリと頭を擦りつけると、優しく微笑んで抱き上げて、頭を撫でてくれた。
スッと周りの温度が下がった気がして、ファーブの顔が引きつり、頭を撫でていた手が下ろされる。
雰囲気が変わった事を不思議に思っていると、ヒョイッと後ろから引っ張られる感覚がして、私は、お父様の腕の中に落ち着いていた。
「お父しゃま!シェバ!おかえりなしゃーい!!今日ね、わたくちね、ミィタのママなの~!!」
「うん、聞いたよ。ただいま。キチンと面倒をみるんだよ?」
「あい!ね?ファー!」
「はい。おかえりなさいませ。旦那様。」
「娘と随分仲が良かったじゃないか…?」
私のお帰りに、頭を下げていたセバスチャンが苦笑と共に頭を上げ、ファーブはお父様に正面から睨まれて、複雑な顔をしている。
“ん~?ファーブは、あれだね。困ってるね…もー!ファーブはお兄ちゃんみたいなものなのに!”
イラっとしたので、真正面からお父様の顔面に平手をお見舞いする。
ベチッと鈍い音と共に、「ふぶっ」という、お父様の油断しきった声が聞こえた。
「メーよ!お父しゃま!ファーはわたくちのおにーたまよ!」
「くっ!しかしだね?エミー?幾らお兄様でも、抱き上げて撫でるのは・・・」
「エミー抱っこメ?エミー悪い子…?」
うるんと潤んだ目で父親を見上げれば、誤解と罪悪感に悶えている父親の厳しい表情が目に入る。
「う~~……お父しゃま…怒ったぁ~!」
「うわぁ~!!お父様怒ってないよ!!エミーはいい子だよ!みーんながエミーをいい子いい子って抱っこしてくれるよ~!だから泣かないで~!うわぁ~ん!セバス~!!」
傍から見れば、すごく面白い光景だろう。
大声で泣いている親子を呆れた目で見上げる子猫と、苦笑しつつ見守る親子。
スッとセバスチャンが、お父様の耳に何かを吹き込むと、途端にピタッと泣きやみ真顔になるお父様。
厳つい美形が真顔になると怖い。
余計に声高に泣く私を、無理やり作ったような引きつった笑顔で、ファーブに手渡すお父様。
「ほら、ね…?エミー。お父・様、は、ファー、ブ…と、仲…良・し、なんだよ…?」
苦しそうに、途切れ途切れに棒読みのセリフを吐きだすお父様。
その優しく見積もっても鬼のような形相に、ファーブに縋りついて泣く。
トントンと背中を宥めるように叩かれ、優しく頭をなでられて、少し落ち着いた私がしゃくり上げながらファーブの顔を見上げると、ファーブは可愛い顔で苦笑して、その通りです、と頷いた。
ファーブがそう言うのならばと、今から兵の一師団位潰してきそうな、ってかもうすでに何人か“殺”の字でヤリマシタヨネ?と聞きたくなるような形相で、こちらを見ているお父様の方を向く。
「エミー抱っこしゃれてもいい?怒らない?」
「あぁ、良いよ。勿論だとも…」
“仕方ないなぁ。この位で折れてやるか…”
「あいやと~!!お父しゃま!だいしゅき~!」
「あぁぁぁぁぁあ!!エミリアァァァアアァ!愛しているよぉぉぉ!よかったぁぁぁぁあ!」
「ぎゃぁぁぁあああ!!」
ダッパァと音が鳴りそうな程、一気に噴出した涙に引いた私は、しかし、お父様に飛び移った後で、抱き込まれてしまい、逃げる事叶わずに遠い目になってしまった。
とりあえず、公爵家で飼う猫ならば、どんな状態であれ、汚いのはいけません!と、ミルクで満腹になったミィタが連れていかれて、早数刻。
私もあれから夕飯を食べ、お風呂に入れてもらい、部屋に戻ってきた。
そこに、綺麗なワインレッド色の艶やかな球を抱いたファーブが入ってきた。
「ファー?なぁに?毬?」
「ミィタでございます、お嬢様。」
「あ!!」
「みぃ!」
ひょこっとファーブの持っていた球から三角の耳が生え、現れたのはクリンと綺麗な金色の目。
「ミィタ…むらしゃきだったの。」
「はい。汚れが綺麗に落ちました。」
「あいがと!ファー!ミィタ一緒寝んね、しゅる!」
「はい。お嬢様。」
大人が5人程余裕で寝られそうな私のベッドの枕元に、中央のくぼんだ丸い円座のようなクッションを置いてくれる。
「これが、ミィタのベッドです。」
「あい!ありあと!」
「はい。」
ミィタをクッションに乗せ、にっこり笑って頭を撫でてくれるファーブに挨拶をすると瞼が自然に落ちてくる。
ファーブが明かりを落として、部屋を出ていった。
月明かりで見ると、クッションの上でミィタがくるくると回って位置を決めていた。
クスッとその愛らしい仕草に、ミィタの頭を一撫でし、そのまま静かに眠りに落ちた私を、金色の双眸が静かに見守っていた事を私は知らなかった。