七人目のお客様は燃えるように
「やばー」
もののけ通りのキャバクラ『One Night Honey』の営業時間は、二十時からである。そして、基本的に麻紀は十九時には店に入るようにしており、準備などを行っているのだが。
現在の時刻は二十時五分。
別段、寝坊をしたとか事故に巻き込まれたとか、そういったことはない。一応遅刻ではあるが、事前に申告している。もしかすると遅れるかもしれない、と。
同窓会だったのだ。
まだ卒業して一年にも満たないのだが、一応集まろうみたいな通達があったのだ。麻紀としても級友に会いたいと思ったために参加したのだが、仕事の開始時間的に長居はできなかった。
同窓会を十九時で抜けて急いで帰ったのだけれど、『One Night Honey』の営業開始時刻には間に合わなかった。
一応、これについては事前に店長へ申告済みだし、開店からすぐに指名してくれるラッセルにも事前に言ってある。だから急いで準備すればいい。
と、そう思いながら僻地にあるプレハブ小屋に入り、その奥にある『One Night Honey』控え室へ続く扉を開いて。
「……え?」
時刻は、二十時をやや過ぎた現在。
『One Night Honey』は絶賛営業時間である。キャストは全員準備を終えて、待機席につくかやってきた客についているというのに。
そこに、全員が揃っていた。
「ああ、おはようございます。マキさん」
「あ、はい。おはようございます!」
「マキちゃんおはー」
「おはよ」
「おっはよー」
「おはようございます!」
店長、ボーイ、そして先輩キャストであるエリ、ミホ、レイナ。他にもキャストは数名勤務しているのだが、今日はこの三人だけらしい。
そしてキャストは全員、きっちり身だしなみを整えており、すぐにでも客につける態勢だ。
控え室に集まっている意味が分からない。
「あ、あの……何が?」
「ああ……その、説明しにくいのですが……」
店長に事情を聞くも、やや困ったように眉根を寄せる。
そして、ぽん、と手を打った。
「そうだ。マキさんについてもらいましょう」
「……へ?」
「五分で身だしなみを整えてください。今、フリーのお客様が二番テーブルに一名様だけおりまして。準備が整い次第、マキさんについてもらいましょう」
「ま、マジですか……?」
五分で身だしなみを整えろ、というのも無理な話だけれど、それ以上に解せない。
ここには先輩キャストが数名いるというのに、何故わざわざ、来たばかりのマキにつかせるのか。
エリを見る。
無言で目を逸らされた。
ミホを見る。
ごめん、と両手を合わせながら頭を下げられた。
レイナを見る。
心底哀れそうな眼差しで麻紀を見つめていた。
……絶対、何か厄介ごとだ。
「それでは、私たちは出ていますので。ほら、君たちも外に出て。今から女性が着替えるんですから」
「えー……マジすかぁ」
「てんちょぉー……」
「情けない声を出さないでください。私も困っているんですから……」
本気で何があったんだ。
そう疑問には思うけれど、聞けない。そして店長とボーイが店の中へと向かうと共に、麻紀は着替えを始めた。
いつも通りの、肩の開いたカクテルドレス。
最近は随分暖かくなったため、店内は冷房がきいている。そのため、肩を出しているこの服は少し寒いのだが、客からすれば丁度いい温度らしい。
肩掛け代わりにストールを誂えて、次に髪型を整える。
さすがに世のキャバ嬢がしているような盛り髪をするには、麻紀の髪は量が足りない。現在は伸ばしている最中であるため、今のところはそれほど髪型に割く時間がないのが助かった。
最後に化粧。
適当な化粧品を手に取った、その時。
「マキちゃん」
「はい?」
「ファンデはクリームにしておきなさい。パウダーは濃いめにね」
「……はい?」
いつも通りのリキッドファンデーションを手に取ろうとしたマキを制する、エリの声。
ファンデーションにも色々と種類があるけれど、麻紀の肌に最も合っているのはリキッドだ。逆にクリームタイプのファンデーションは化粧崩れしにくいが、やや乗りが悪い。
あえて、エリがそんな化粧を勧めてくるというのはどういう理由だろうか。
忠告通りにクリームファンデを塗り、それからぱたぱたとパウダーを濃いめに当てつつ、聞いてみる。
「あの、エリさん」
「ごめんなさい、私は無理なの。恨んでくれても構わないわ」
「……何も言ってませんけど」
もう厄介ごととしか思えない。
それこそ、この『One Night Honey』で長く働いている歴戦のキャストたちが、こぞって拒否するような客が来ているということだろう。
まぁ、仕方ない。厄介ごとや雑用を押し付けられるのは、新人の務めだ。
そこで。
「うぁーっ! もう無理!」
「おい! まだ入るな! す、すみませんマキさん! あ、もう終わってましたか。良かった」
「ぶはぁーっ! 無理だってこれ!」
「おい! 今からマキさんがつくんだから、そんなこと言うんじゃねぇ!」
顔馴染みのボーイ二名が控え室に飛び込みながら、そう言ってくる。
……一体、何の相手をさせられるのだろう。
歴戦のキャストはこぞって嫌がり、ボーイも無理と逃げ出す客。
そんな客を相手に、今から麻紀は接客を行わなければならないのだ。
怖すぎる。
「……あの、マキさんはもう準備大丈夫っすか?」
「あ、はい」
「了解っす。てんちょぉー。マキさん大丈夫でーす」
ボーイがそう店長を呼び、そのまま控え室に入ってくる店長。
何故かその手に、一枚のお札を持って。
「お疲れ様です、マキさん」
「はぁ……あの、それは?」
「ああ、これですけど……まぁ、気休めにしかならないと思いますけど」
ぴとっ、とマキの背中に、その札を貼り付ける。
何がついているのか全く分からないけれど、とりあえずぴったりくっついているようだ。
陰陽師である店長が、これほどまでに警戒する相手というのは一体何なのか。
「では申し訳ありませんが、接客をよろしくお願いします。本日のお客様は、私も蔑ろにできない相手でして」
「はぁ……あの、一体どういう?」
「ええ……まぁ、見れば分かります」
店長に連れられ、そのまま店に続く扉を開いて。
その瞬間に。
むわっ、とした燃えるような空気が、漂った。
「本日、最初のお客様は、貸し切りの――」
燃えるように真っ赤な、『One Night Honey』の店内。
その中央で、燃える椅子に座っている姿。
「――火の鳥です」
あの隣で、麻紀は接客をしなければならない。
そう考えるだけで、目の前が真っ暗になりそうだった。
火の鳥。
麻紀もその存在くらいは知っている。大体は超有名漫画があるためだが。
俗には鳳凰だとかフェニックスだとか言われている、全身が燃えている鳥だ。別名として不死鳥とも呼ばれており、不老不死の象徴でもある。遠い昔には、火の鳥の血だとか羽だとかに不老不死の加護があるために、求めたなどという話も聞いたことがある。
そんな、神秘的な存在なのだが。
「こ、こんばんわ、マキです! よろしくお願いします!」
神々しい、燃える翼。
全てを見通すような、澄んだ眼差し。
僅かに動くだけでも、きらきらとした火花が飛ぶ――そんな、神秘的な姿だというのに。
「おぉっ? 今日の子かわいいじゃーん。よろしくねー。あ、オレ火の鳥」
めっちゃチャラかった。
見た目完全に鳥なのに。分かりやすく言うなら、全体的に真っ赤で羽が燃えている孔雀みたいな感じだ。そして全体的に燃えているその体は、当然ながら。
(超熱いーーーーっ!)
物凄い熱を発しているのだ。
それも当然であり、火の鳥が座っているソファは既に轟々と燃えている。どういった理由なのか、麻紀が座るのであろう部分は燃えていないのが救いだ。
おずおずと、その隣に座ろうとして。
「いぇーい。お尻たーっち」
ぽん、と麻紀の尻を触ってきた。
燃えている羽で。
(あつーーーーっ!)
当然ながら、お尻を触るという行為はセクハラである。とはいえ、ここはキャバクラであり麻紀はキャスト。少なからずそのようにセクハラを受けることはあるし、大抵は笑って流すのだ。
だけれど問題は、それが燃えている羽である、ということである。
お尻を触られた、程度の認識ではない。
お尻に焼けた鉄棒を当てられる、というのと大して変わらないのが現状だ。
しかしそれでも。
麻紀はキャストであり、火の鳥はお客様。
何をされても笑って流すことこそが、プロとしての行動だ。
この火の鳥にされたこと全ての治療費は、店長に請求してやる。ついでに、今日の接客に対して時給アップを要求しよう。
だからこそ、ここで怒るわけにはいかない。この苦しい時間が、麻紀の懐を暖めるのだから。
「う、ぐ……や、やだなぁ、お客さん。エッチですねー」
「お? 怒んないのー?」
「あれぇ? 怒っちゃっていいんですか?」
「あー、それは勘弁。いやー、オレは悪くないんだよぉ。この手が悪い子なんだわ」
こらこら、と言いながら右の羽を左の羽で叩く火の鳥。
そして、その都度噴き上がる熱と火花。
もちろん、それは明らかな熱となって麻紀を襲うのだが。
(熱いいいいいいいっ!)
絶対に全身まんべんなく火傷している。
特に尻のダメージは物凄い。座っているだけだというのに、じんじんと痛んでたまらない。
だけれど。
額に脂汗をかきながら、暑さに汗を吹き出しながら、しかし麻紀は笑顔を作った。
「何か飲まれますか?」
「ウイスキー、ロックで頼むわ。燃えるよーなやつ」
「ウイスキーは燃えないですよー」
「喉越しが燃えるよーな、あっつーいのが欲しいんだわ。あるんならスピリタスをロックで欲しいくらいだぜー?」
「えぇー? それはさすがに死にません?」
スピリタス。
それはアルコール度数九十八パーセントという脅威の数字を持つ、最強のウオッカである。
そんなものをロックで飲むなど、下手すれば急性アルコール中毒で倒れてもおかしくない。
まぁでも。
「大丈夫大丈夫。オレ不死鳥だから」
「火の鳥ってほんとに不死身なんですか?」
「うん。大抵は死なねーなぁ。オレ何歳に見えるよ?」
「えーと……」
残念ながらこれまでの人生で、鳥の年齢を気にしたことなどない。
だけれど、そんな言い分からすれば、かなりの長寿なのだろう。
適当に言っておけばいいか、と。
「んと、千五百歳!」
「ぶー」
「えー……じゃあ、二千歳?」
「ぶー」
「もっと下? じゃあ、五百歳!」
「ざんねーん」
うひひ、と笑う火の鳥。
嘴だというのに、意外と曲がって笑えるのだな、と変なところに感心した。
「んじゃ、正解はー」
「何歳なんですかー?」
「二十歳ー」
「若っ!」
普通だった。
というか、麻紀よりも一歳年上くらいだ。とても不死鳥の年齢ではあるまい。
だけれど、火の鳥は肩をすくめる。
「つか、俺ら不死鳥って言われてるけど、普通に死ぬよ」
「死ぬんですか!?」
「うん。ほらアレ。外的要因ではそう簡単に死なないけど、病気とか割とあっさり死ぬ。オレの親父もガンで死んだし」
「……そうなんですか?」
不死鳥、実は死ぬ。
何だこのどうでもいい新事実。
「何でか分かる?」
「いやー……ちょっと分からないです」
「ガンってさ、いわゆる体の中にできる新しい生物なんだよ。悪性新生物って呼ばれてるけど、それが体の中で増殖して多くなるんだわ。んで、正常な臓器とかを侵食して、働きを阻害する、っていう性質を持つ病気」
「……そうなんですか?」
「ああ。んで、オレら不死鳥だから、体の中の働きがすげーいいわけ。だからガンって、物凄い勢いで増殖するんだわ。だから、大抵の不死鳥はガンで死んでるぜ」
聞いたことがある。
若い人がガンになると、体の働きがいいからすぐに増殖する、と。逆に老人がガンになると、その働きは緩やかだとか。
ちなみに、情報元は看護師のラッセルである。
「だから多分、オレもガンで死ぬんだろーなぁ」
「……何と言えばいいか」
「んー? だから今楽しんでおくのぉー」
うひひ、と笑う。
やはり変わらぬ熱気に汗は吹き出るけれど、それなりに良さそうな人で良かった。人じゃないけど。
「あ、ほらマキちゃん、アレ見て」
「へ?」
「と、隙を見てー」
がばっ、と背を向けた麻紀に。
思い切り抱きついてくる火の鳥。
たまにやられるセクハラだ。普通の客なら、特に何とも思わない行為でしかないのだが。
(熱ーーーーーーーっ!!!)
燃えている体。
燃えている羽。
その全部が、全力で麻紀の体を襲っているのだ。
自分の体が焦げる感覚。
先ほどお尻を触られたのが、焼けた鉄棒を押し付けられたものだとすれば、今は焼けた鉄石に縛られているような感覚だ。そんな経験ないけど。
熱いを通り越して、痛い。
苦悶に声すら出ない。
だけれど、それでも、麻紀は笑顔を作った。
「や、やめ、てください、よぉ」
「あれー? ダメ? マキちゃん体ふかふかー」
「や、やだぁ……」
本気でやめてほしい。
熱に体を蝕まれながら、必死にそう笑顔で抵抗する。
そんな麻紀の願いが通じたのか、火の鳥は割とあっさりとその体を離した。
「ごめんごめん、冗談だって」
「もう……怒りますよ?」
「やだやだ。怒るのは勘弁してよー。代わりに何か注文しようか? 何ならピンドンでも入れよっか?」
「え、本当ですかー?」
もう半ば、意識が飛びそうになりながら必死に会話を繋げる。
体中が痛く、体は熱く、汗は止まらない。
多分、完全に化粧は崩れている。カクテルドレスも、背中は完全に焼けてしまっている。ついでに、ブラも背中が焼けてしまっているせいで取れかけているのだ。
もう、人に見せれないくらいに体は焼けただれているだろう。
それでも。
麻紀は、笑顔を崩さない。
「……怒んないんだね」
「へ?」
「別に、怒ってもいいんだぜ? 熱いだろ? 人間に、オレの火は耐えられないだろ?」
火の鳥は唐突に。
そう、真剣な表情で、麻紀を見た。
思わぬ態度に、麻紀も体が強張るのが分かる。
まるで、そう。
神様を相手にしているみたいで。
「……熱い、ですけど」
「うん」
「……あたしはキャバ嬢ですから。この店の中では、お客様の恋人です」
「うん」
「お金と引き換えに、お店の中でだけ恋人同士になるのが、あたしの仕事ですから」
「……うん」
ふふっ、と火の鳥が笑う。
それは先ほどまでの、やたらとチャラい態度でもなく、神々しい様でもなく。
子供のように。
「色々、オレ嘘言ったんだよね」
「え?」
「火の鳥は、死なないよ。ガンで死ぬとか嘘。ついでに言うと、今のオレの年齢は十万三千八百六歳。親父とかいない。火の鳥は一種一代の突然変異だから、オレ以外に存在しないの」
「……へ?」
「キミになら、あげてもいいと思った」
そこで、火の鳥は。
その轟々と燃え盛る炎を、消した。
まるで、いつでも消すことなんてできた、とばかりに。
「あの、火は……?」
「オレは火の鳥。鳳凰にして不老不死。そして神だ」
「え……?」
火の鳥はそう言って、おもむろに右の羽を広げ。
その羽の一枚を、千切った。
そして、その真っ赤な羽を、テーブルの上に置いて。
「キミに、あげるよ。オレの羽を」
「な、なんで……?」
「オレは十万三千八百六年生きてきた。色々と人間にも出会ってきた。この店も、出来てから今まで何回も来たよ。んで、ほぼ全員に、同じような態度で接した」
くくっ、と自嘲するように、火の鳥が笑う。
「その結果、どうなってる? 皆、オレを嫌がって後ろに隠れてるだろ?」
「うっ……」
「オレが何をしても、一切怒らずにいたのは、キミだけだ。全身、火傷がひどいだろ? だってのに、キミってば笑顔だもん。オレ、こんな人間初めて見たよ。だから、気に入った」
すっ、とこちらへ差し出してくる羽を、ゆっくりと受け取る。
一枚の羽だというのに、それはひどく重く感じて。
「煎じれば、不老不死の妙薬になる。掲げて望めば、死者を生き返らせることができる。所持しているだけで、オレの加護が常についてくる。例えるなら、キミに暴行を働こうとすれば、そいつはその瞬間に塵になるまで燃え盛る」
「――っ!」
ただの一枚に込められた神秘に、思わず息を呑んだ。
不死鳥の羽。
あまりにも規格外な代物に、手が震えてしまう。
「あ、あたし、こんなもの――」
「なぁに、ただのお守りだと思えばいいさ。いらなければ捨てていい」
さて、と火の鳥は呟いて。
そこにやってきた、店長を見た。
「会計を頼むわ、店長」
「……火を出さなくても、存在することができたのですね」
「うん。なぁに、店の修繕費は全部出すさ」
「……次からは、火を出さずにご来店いただけると助かります」
「そいつは、無理な相談だね」
けけっ、と火の鳥は、嫌らしく笑った。
そしてその鋭い目で、麻紀を見て。
「オレの火を、恐れない人間がいたんだ。火の鳥にとって、これ以上に嬉しいことはねぇよ」
「……左様ですか」
「んじゃ、マキちゃん。また来るからよろしくなー」
「はい! お待ちしてます!」
火の鳥は、その羽の中から何故か燃えていない紙束を出し、玄関のカウンターに置く。
それが札束だと理解するのに数瞬。
店の修繕費――確かに、この燃え盛る店内を見る限り、ろくに営業はできないだろう。
その補填ということか。
「あ、そうだ。忘れてた」
「はい?」
「マキちゃんこっちこっち」
「あ、はい」
玄関を出ようとする火の鳥に招かれて、そのまま向かう。
すると火の鳥は、まるで最初に戻ったかのように、ぎゅっ、と麻紀に抱きついた。
「へ!?」
「動かないで。ごめんよ、痛かったろ?」
暖かい何かが、麻紀を包む。
光の粒子のようなそれの心地よさに、思わず微睡みすら襲ってきた。
それは、ほんの数秒だというのに。
「これで大丈夫」
「ええっ!?」
麻紀の火傷が、治っていた。
背中に走っていた痛みも、熱さも、何もかもが取り払われたような感覚。
ただの数秒で、麻紀の火傷を全て治すそれは、まさに神通力だろう。
「んじゃ、またねー」
「は、はい……」
夜空に、飛び立つ火の鳥。
その、去ってゆく姿を見つめながら、麻紀は思った。
神様って、色々反則だ。