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マッチョorバトルあり恋愛系

ワンコ閣下が卒業した日



 神聖日本大帝国は第三帝都、貴族街五番地。

 そこに帝国憲兵陸軍本部があった。

 また、その総司令官の役職を冠する男、倶炎(ぐえん)・ボル・荒生田(あろうだ)は、かつて星外威形体討伐軍(せいがいいぎょうたいとうばつぐん)において百鬼将軍(ひゃっきしょうぐん)として名を馳せた猛者である。

 元平民であり若干三十七の歳を数えるばかりである彼が、現代日本における警察庁長官とほぼ同義の立場を与えられたのも、その偉業によるところであった。


 彼方からの脅威との十数年に及ぶ長き争いの末、人類の滅亡よりも幾分早くそれらを退けることが出来たのは、まだほんの一年程前の話になる。

 世界中から多くの国が物理的あるいは概念的に消滅し、時に合併や新設を繰り返す環境の中で、人種こそ混ざり合うこともあったが、ほんの小さな島国でしかなかった日本の名が残っていることは、まさしく奇跡と呼べた。


 さて、日本人には珍しく六尺三寸(一九〇センチ)を超える高身長とそれに相応しい岩の如き筋肉を全身に纏った荒生田は、本部敷地内に点在する建物の中でも一際古い館の木造の廊下に大きく悲鳴を上げさせながら足早に歩を進めていた。

 別段、急ぐ理由など有りはしなかったが、身の内から止め処なく湧き上がる苛立ちが、自然と彼の歩行速度を上昇させる。

 その原因は、上級大将や元帥といった高みにおわすお歴々からによる拒否権の存在しない見合い話によるものであった。


 恐怖は遠く去りゆき、新たなる復興の時代を迎えているとは言え、未だ多く大地は荒廃しており、人心もまた貧しくすさみ果てていた。

 そんな世界で人という種が再び繁栄の時を迎えるために、少しでも優秀な遺伝子を後世に残していくべきであると考えることは、至極自然な流れであっただろう。

 要するに、人知を超える戦闘力を有する三十も後半の帝国憲兵陸軍総司令官ともあろう者が、恋人の一人も作らず独身であり続けるなど到底許されざる事実なのであった。


 それでも、婚姻を急いて目的である子を授からぬようであれば意味がない。

 荒生田はただでさえ強面で、かつ、厳つ過ぎる肉体とそこから発される威圧感のおかげで、同じ男ですら近寄りがたさを覚えてしまうという難儀な人間なのである。

 中身にしても、けして頭は悪くないが気配りが苦手で空気が読めず、常に自分にも他人にも厳しくあるがゆえに敵を作りやすく、女性に対してはことさら無神経で意図せず性差別的な発言をしていることもあり、さらに声も無駄にデカく、そしてそれは低くしゃがれている。

 ゆえに、見合いの結果が黒星続きであるのも仕方がないことといえた。


 未だ争いの傷跡深く残るこの世の中で、現代の警察組織とほぼ同様の職務を遂行する憲兵の、寝る間も惜しい程に忙しく日々を過している、かつては百鬼将軍と恐れられたその総司令官が、通常業務の一厘にも満たぬ程どうでも良いと思っている時間を幾度となく過す破目に陥っているのだから、これで苛立たぬわけもなかった。

 いや、この数ヶ月に通り過ぎていった何十人の内、片手で足りる程度ではあるが、これを政略的なものであると割り切り否を唱えぬ者も存在していたのだが、彼はいずれ生まれ(いず)る子の為にも情すら存在しない結婚をするつもりはないと切り捨てていた。

 自ら相手を連れてくることも出来はしない割に、中々贅沢を言う男だった。

 だが、無理にあてがえば子は生さぬと言われれば、上層部もその主張を跳ね除けることは難しい。

 戦後うらぶれた国内の治安維持向上等を目的とする、国軍の中でも面倒極まりない役割を若輩の英雄にこれ幸いと押し付けた、そんな負い目を抱える者が幾人か存在したためでもある。


 そして、その日もまた荒生田は見合いに呼ばれていた。

 相手の女は彼を目前にして笑顔を引きつらせ、目を逸らして身体を小刻みに震わせていた。

 返答こそ明日と決まっているものの、常と同様にこれが無益な時間であったと結論を出すに些かも遅くはなかっただろう。


 不機嫌を隠しもせず廊下を歩く彼は、ふとあることに気が付いて軽く視線を巡らせる。

 先ほどから、第三棟に向かう兵の姿がやけに目に入ってくるのだ。

 第三棟は主に外部の人間に対応する事務所としての役割を持っている。

 そこで何事か起こっているのかもしれないが、現在までに報告は上がってきていなかった。

 嬉々とした彼らの表情から察するに大した理由があるわけでもないのかもしれないが、このまま自らの執務室に篭るより少しは気を紛らわすこともできるだろうと、荒生田は進行方向を変更した。


 ざわめきを追って辿り着いた第三棟二階の来賓室、その扉の前に兵がたむろし、室内を覗き込むようにして囁きあっている。

 足音を消さずに歩み寄ってみれば、それに気がつき振り向いた兵の一人がザッと顔色を青褪めさせ悲鳴のごとき叫びを上げた。


「倶炎閣下!?」


 その言葉にギクリと反応した兵たちは、ほんの三秒ほど騒々しく奇声を上げた後、一斉に列を成し一糸乱れぬ敬礼の姿勢を取る。

 微妙に気まずそうな、どこか悪戯の見つかった子どものような表情をしている彼らを、荒生田は訝しみながら問いつめた。


「これは一体、何の騒ぎだ?」


 瞼を狭めてぐるりと全体に顔を向ければ、兵たちは冷や汗を掻き互いを窺うように目を見合わせていた。




~~~~~~~~~~




「最初は、本当に迷子になってしまったのだと思ったのです。

 お恥ずかしながら、この年齢まで一人でまともに外を出歩いたこともありませんでしたから。

 けれど、こちらに到るまでの町並みに、憲兵が存在するという事実に、違うと。

 ここは、違うのだと……。

 (わたくし)……私は、気狂いなのでしょうか」


 悲しげに潤む瞳を閉じ小さな声を震わせる女性は、しかし、美しく伸ばされた背筋を曲げることはしなかった。

 彼女の育ってきた環境が、他者の前でそれをすることを許さなかったからだ。

 現在、彼女の身元の一切が不明の状況にあったとしても、上質なシルクのワンピースに、腰まで垂らされた艶のある長い黒髪、丁寧に磨かれた爪、薄っすらと漂う上品かつ甘やかな香り、何より完成されたその所作が、それだけで今や絶滅危惧種とまで称される真の上流階級の存在である違えようのない証となっていた。

 帝国憲兵陸軍本部所属の槻田(つきだ)少尉は、市民街第五支部から手に負えぬと判断され連れて来られた令嬢、帆柱碧子(ほばしらみどりこ)を相手に、神妙な面持ちで言葉を返す。


「気狂い、と、そう一概に断言することは出来ません。

 例えば、このスマホなる器械。

 これには我々の物とも星外異形体の物とも全く別の技術が使われているように思えま……」

『貴様ら、それでも誇り高き帝国軍人か!

 恥を知れーーーッ!!』

「きゃっ! な、何です?」


 と、その時、唐突に扉の外から地をも震わせる咆哮が轟き、碧子は反射的に身を竦ませた。

 槻田はさながら頭痛を堪えるように皺の刻まれた眉間を揉んで、ゆっくりと椅子から立ち上がる。


「…………失礼、猛獣を追い払って参ります」

「猛獣、ですか?」


 碧子が疑問に小さく首を傾げるも、槻田がそれに答えることはなかった。

 すばやく退室し扉を閉じた彼は、遠く走り去る兵たちの背を廊下の角にて仁王立ちで睨み付けている猛獣こと荒生田総司令官に歩み寄り、ため息まじりに口を開く。


「倶炎閣下。来客対応中に扉の前で大声を出されるなど困ります」


 いち少尉が総司令官に対するものとしては随分と気安い態度だが、かつて星外異形体討伐軍において同じ釜の飯を食った仲間である彼らの間にあまり遠慮という言葉は存在しなかった。

 ここに他人の目のひとつでもあれば、さすがにもう幾分かは改めることもあっただろうが、今はそれも必要がない。


「ん? あぁ、槻田少尉か。ご苦労。

 それで、アイツら美人がどうこう騒いでいたようだが、実際どんな奴が来たんだ」

「あー……どう申し上げれば良いのか」

「あん?」

「これがまた、少々やっかいな案件でして。まぁ、詳細は後ほど報告に上がります。

 相手は年若い女性なので、このまま対応は自分が続け……」

闘王(とうおう)?」


 唐突に槻田の背後から予想外の声が届いたことで、彼は話を中断し後方へ身体を捻る。

 そこに大人しく待っているだろうとばかり思っていた碧子が、どこか驚いたように目を見開いた状態で佇んでいた。


「とーおー?」


 なぜ、と固まる槻田を他所に荒生田が首を傾げれば、碧子はそれまで(こら)えていた涙をぽろぽろと流しながら、覚束ない足取りで二人の立つ場所へ歩いて来る。

 彼女の視線を追えば、どうやら目的地は荒生田に設定されているようだと分かるが、男たちは疑問符を頭上に浮かべながら、ただただ呆けたように立ち尽くしていた。


「闘王! 闘王!」

「うおっ、何だ!?」

「帆柱様!?」


 男二人が更なる混乱と共に再起動を果たしたのは、碧子が荒生田に抱きつくなどという突拍子もない行動を起こしたからだ。

 恐れられはすれど初対面の女からこのように抱きつかれた経験などない荒生田は、死の淵に立ってすら冷静さを貫いた男とは思えないほどに顔を赤らめ慌てふためいた。

 そして、両腕を空中に彷徨わせながら情けなく上擦る声を発する。


「お、おい、お嬢さん。悪いが人違いだ。

 俺は、その、倶炎・ボル・荒生田で、と、とうおう何某(なにがし)ではない」


 荒生田の言葉に、碧子はほんの少し抱きつく力を強くしながら彼を見上げた。

 その目尻は薄っすらと朱に染まっており、潤む瞳はどこか懇願するような色を(たた)えている。

 瞬間、戦場を駆け回るよりもなお激しく彼の心臓が暴れ狂った。

 無意識に彼女を抱き込もうとする両腕の存在を寸前で悟り、光の速さで己が背に回し組む。

 自身の肉体の身勝手な行動に、荒生田は内心で酷く狼狽していた。

 それを槻田は半目で見ていた。

 彼の心情を赤裸々に綴るとすれば「うわ、おっさんきもい」である。

 荒生田の腕の不埒な動きに気が付くことなく、碧子はじっと高きにある厳つい顔を懐かしむように眺めながら、小さく言葉を紡ぐ。


「……理解……しております。

 けれど、凛々しいお顔があまりに似ていて。

 私を護り鉛の玉を浴びた、あの子に……似ていて……」

「凛々しい?」

「あの子?」


 男二人はそれぞれ引っかかりを覚えた単語を呟きつつ、同じように訝しげに顔を顰めた。

 当然のことながら、前者が槻田、後者が荒生田の発言である。

 現代日本人であるならば鉛玉を浴びるという状況に対し疑問を抱いたかもしれないが、つい一年ほど前まで大戦の最中にあった神聖日本大帝国においては、これといって珍しいことでもない。

 碧子は今この場で闘王なる者の説明をするつもりはないらしく、幾分落ち着いた顔でゆっくりと荒生田から身を離し後退した。

 そのまま数歩分の距離を取ったところで、静かに上体を腰から四十五度傾ける。


「申し訳ございません。はしたない真似を致しました」


 さらりと黒髪が流れた。

 それを自然と目で追いながら、荒生田はなぜか上手く回らぬ頭で拙い言葉を返す。


「あぁ、いや、も、問題ない」

「落ち着かれましたら、一度部屋へ戻りましょう。

 もちろん、倶炎閣下も同席致しますので」

「お、おう?」


 槻田の提案に荒生田が疑問符まじりに肯定すれば、碧子はおもむろに姿勢を戻し、それを了承した。




~~~~~~~~~~




 再びの貴賓室で、ざっと経緯を説明した槻田だったが、どちらかといえば脳筋の荒生田には理解の及ばない内容だったらしく、碧子も交えてしばらく終わりの見えない時間を過していた。


「あー、とどのつまり、どういうことだと?」

「私は多元宇宙論、いえ、平行時空論上の日本国から、この神聖日本大帝国へ迷い込んでしまったのではないかと、そう推測しております」

「そうか、分からん」

「例えば、この国では三権と言えば天皇様と神王様と皇帝様の尊き御方々を示すものであるとお聞きしました。

 しかし、私どもの日本では司法、立法、行政を示すものと定められております。

 そういった端々の常識の違いなどからも、私の生きた日本とこの国が全く別の存在であるのではないかと愚考した次第です」

「そうか、分からん」


 とうの昔に猛獣との会話を諦め口を噤んだ槻田と違い、育ちの良い碧子は嫌な顔ひとつせず根気強く言葉を重ねている。

 しかし、碧子にしても自身の考えを易しい表現に変えることが難しいらしく、話は平行線を辿るばかりであった。

 やがてついに痺れを切らした槻田が、二人の間に強引に割って入る。


「僭越ながら、倶炎閣下。

 この件は改めて報告書に纏め提出させていただきますので、また後ほどということで如何でしょうか」

「……そうか、分かった」


 彼の提案に一瞬憮然とした顔を見せた荒生田だったが、すぐに表情を取り繕うと、ひとつ頷いてみせた。

 この猛獣の知識の幅が軍事面に偏っているのは歴然とした事実だが、それがなくとも目の前の女にだらしなく(やに)下がった面持ちを向けている姿を見れば、まともに内容を聞いていないことなど明らかだった。

 槻田は舌打ちしたくなる気持ちを堪えて、碧子へ話しかける。


「では、帆柱様。

 先程の……闘王様とおっしゃる方について、伺ってもよろしいですか?」

「……はい」


 言って、碧子は少しだけ荒生田に視線を流した。

 それを数秒もしない内に槻田へ戻して、彼女は驚くべき事実を彼らに告げる。


「闘王は、正式には帆柱(ほばしら)武大帝金剛闘牙王(ぶたいていこんごうとうきおう)と申します」

「それはまた、何とも大層な……」

「苗字が同じだな。ご兄弟か何かで?」


 多くの人種を迎え雑ざり合った流れにおいて、この世界の日本では苗字を後に名乗ることが主流となっている。

 が、これが古い人間になると未だ過去の習慣に囚われている者も少なくはなかった。

 よって、彼女の分かりやすい姓と名が彼らに誤って認識されることはまず有り得ないのである。

 同じ苗字を持つ闘王が碧子の血縁者であり、また「あの子」と表現したところから年下の存在であろうと荒生田が予測したのは、むしろ当たり前のことであった。

 だから、この場合おかしいのは、むしろ碧子の方だったといえる。


「いいえ、違います。

 闘王は、我が家で飼っていた土佐犬です」


 刹那、時は凍り付いた。


 一体誰がそっくりだと言って抱きついてきた相手の、その大元の正体が犬畜生だなどと思うだろう。

 人間一人生き抜くことも厳しい退廃した世界で、たかだか愛玩動物を苗字付きで紹介されるなどと思うだろう。


 槻田は大仰に咽せ出し、荒生田は目と口を開いて固まっていた。

 碧子はただそれを不思議そうに見ていた。




~~~~~~~~~~




「闘王は、闘犬としてもとても優秀な子でした。

 年に一度の闘犬祭では初出場から引退までの長きに渡り優勝旗を守り続け、闘犬界で初めて殿堂入りという偉業を成し遂げたのです。

 瞳も一般的な土佐犬の優しいソレに比べ、キリリと引き締まっていて雄雄しく、身体も小さな頃からひとまわりは大きくて、それでいて賢く己の力の振るうべき時というものを弁えていて、情深く、そして、その情け深さゆえに父を憎む男に捕らわれた私を助けるため自らの身を呈し……」

「あのっ、帆柱様! もうその辺でっ」

「え? ですが、まだ……」

「いえいえいえ、お話充分お聞かせいただきました!」

「……そうですか」


 放っておけば、このまま何時間でも思い出話に花を咲かせていそうな碧子を必死に制止して、槻田は心の内で小さく息を吐いた。

 ほんの少しばかり眉尻を下げ残念そうな表情を浮かべる碧子を見れば、なにやら罪悪感にも似た感情が湧き出して来る。

 が、自身のすぐ隣で分かりやすく目が死んでいく上司の薄気味悪さに比べれば、その感情も自らの発言を覆すには至らなかった。

 槻田は話題を変えるべく、肺に空気を取り込んでいく。


「帆柱様、失礼を承知でお尋ねしますが……。

 この神聖日本大帝国で、貴女は如何様にして生きていかれるおつもりか?」


 ひととき優しい過去に浸っていた碧子は、槻田の言葉を受け、二度ほどゆっくりと瞬きをした。

 彼の質問の真意に気付けぬほど、彼女は愚盲な人間ではなかった。

 帝国憲兵陸軍は、あくまで治安の維持向上のための組織だ。

 彼らは身寄りのない人間に対し、何ら責を負うものではない。

 今彼女がここにいるのは、ただ迷子を一時的に保護したというだけのことであり、組織にその後の支援や援助を行う義務も規定も存在しない。

 碧子は二度目の瞬きを終えると同時に、そっと口角を上げた。


 槻田の脳裏に、とある友人の顔が映し出される。

 けして生きて帰ることはないと知りながら、自ら特攻部隊に志願した男だ。

 彼の決意を秘めた優しくも力強い眼差し。

 それが今、柔らかな笑みを浮かべた碧子と重なって見えた。


「ご迷惑をおかけするつもりはありません。

 私としては、戸籍さえ発行していただければ、後は私自身で……」

「帆柱様。

 ここは貴方のいた平和な日本とは比べ物にならないほど危険な場所なのですよ」

「はい。そのようにお伺いしております」

「全て承知の上だと……」

「なぁ、槻田少尉。

 そもそも住所地すら定まっていない状況では、戸籍の取りようがなくはないか?」

「……それはお上の裁量によるところなので、自分には何とも言えません」


 犬扱いの衝撃から先程ようやく立ち直り、二人の会話を耳に入れ出した荒生田が、これまた流れに沿っているようでそうでもない微妙に空気の読めていない疑問を口に乗せる。

 ため息を吐きたいのを堪えつつ猛獣の問いに答えた槻田は、そこでふとあることに気付き思わずといった体で呟いた。


「あ、いや。簡単に解決する方法があるにはあるか?」

「まぁ、本当ですか?」

「何だ、槻田少尉。もったいぶらずに言え」


 内心で、子どものように考えを口に出してしまった己を恥じつつ、槻田は平静を装って続きを待つ二人に視線を回す。


「簡単なことです。倶炎閣下と帆柱様が婚姻関係を結んでしまえば良い」

「はぁ!?」

「婚姻を……?」


 その言葉に、荒生田は叫び、碧子は目をパチクリと瞬かせた。

 二人の驚きを意に介さず、槻田はさらに言を重ねていく。


「そうです。

 そうすれば住所地も定まり、帆柱様の戸籍も取りやすくなるでしょう。

 当然、今後の生活への懸念も不要になります。

 上層部には異世界人の監視という名目も立つ上、不毛な見合い話にも終止符を打てるわけですから、いい加減年頃の女性を探すのに苦労していたであろう彼らとしても願ったり叶ったりではないですか。

 自分もいらぬ罪悪感に悩まされず済みます。

 方々丸く収まりますよ」


 彼が全てを言い終わるか終らないかといったタイミングで、顔中を真っ赤に染めた荒生田が椅子を引き倒しながら立ち上がり、そして咆哮した。


「貴様、一番重要な問題が抜けているだろうが!

 いくら生活の為と言えど、俺なんぞに嫁ぎたがる女がいるかッ!」


 割る勢いで拳をテーブルに打ち付け、犬の様に荒く肩で息をする荒生田。

 必死なその台詞には、見合いの度に脅えられ振られ続ける男の悲愴感が漂っていた。

 表面で無表情を装いつつも、内心同情を覚える槻田。

 そうして全力で吠える荒生田に待ったをかけたのは、他でもない碧子である。

 彼女は荒生田の奇行に脅えることなく、ゆっくりと腰を上げ、次いで彼の瞳を捉えて言った。


「あの……私……私は、荒生田様さえよろしければ……」


 薄く朱を散らした頬と期待に潤む瞳を見れば、それに続く言葉は想像に難くない。

 が、荒生田は一瞬唖然とした後、眉間に皺を寄せ先程よりも冷静な声でこう返した。


「待て、早まるな。

 お嬢さん、俺は貴女の飼い犬ではないぞ。

 いつまでも混同されていては困る」


 未だ尾を引くあの衝撃が、彼に歓喜よりもまず懐疑の感情を呼び起こさせたのだ。

 碧子は心外だとでも言いたげな表情で小さく首を横に振る。


「闘王と混同など、そのようなことしておりません」

「し、しかし、似ていると……」


 即座に己の言葉を否定され、荒生田は困惑した。

 その反応に対し、碧子は逡巡するように数秒目を伏せる。

 そして、これまで以上に誠実真摯な面持ちで、再び彼女は彼に向き直った。


「確かにあの時、闘王と似たお顔にひどく安心感を覚えたことについて、否定は致しません。

 けれど、誓ってそれはその時だけのお話です。

 今は……私は、時折憂いを帯びるその瞳を目にする内に、癒してさしあげたいと、そのお心を煩わせる全てから貴方をお守りしたいと、思うように……」

「えっ」

「いいえ、いいえ、私のような者に過ぎた願いであることは理解しているのです。

 こんなにも立派な殿方なのですもの。

 けれど、荒生田様は表情だってとても豊かでいらして、それがお可愛らしくて、素敵で、ずっとお傍で見ていられたらと……っあぁ、私、私は何を言っているのでしょう……こんな……こんな恥ずかしい……」


 そこまで言うと、碧子はそれまでの凛とした態度を崩し、朱色に染まる顔を隠す様に細く白い手で覆って俯いた。


「あ、荒生田様……お願いですから、どうか破廉恥な娘だとお思いにならないで……」


 ともすれば聞き逃してしまいそうな小さく震える声が己の耳に届いた時、荒生田は考えることを止めた。

 己の内側から止め処なく溢れ出す欲望に従って歩を進め、辿り着いた先の彼女の華奢な身体を分厚い胸の内に掻き抱く。

 突然のことに驚き当惑する碧子を余所に、感情昂ぶるまま荒生田が叫んだ。


「好きだ! 結婚してくれ!!」


 疑うことを止めた猛獣は強かった。

 やがて、おずおずと黒の軍服の背にか細い腕が回される様を視界の端に捉えながら、空気の読める男槻田は静かに来賓室を後にする。

 音を立てぬよう慎重に扉を閉じた彼は、歩行速度を少しずつ上昇させながら廊下を進み、最終的に全力疾走で第三棟から抜け出した。

 そして、がむしゃらに敷地内を駆け回り、その勢いを保ったまま自身の脳内に巣食う忌々しい記憶を振り払うかのように一番最初に目に付いた上等兵(彼女持ち且つ明日は非番)の横っ面を思い切り殴り飛ばした。


「帝国独身貴族ばんざぁーーーーーーいッッ!!」

「うわらばーーーッ!?」


 運の悪い上等兵(しかし恋人持ち)が地に伏す瞬間を見届ける間もなく走り去った帝国憲兵陸軍本部所属、史郎・シェム・槻田少尉。

 その時、彼のくもりなき(まなこ)には、薄らと光るものがあったとかなかったとか……。




 ちなみに、帆柱碧子が正式に神聖日本大帝国の人間となったのは、この日からわずか三日後のことであったという。





その後の槻田小話↓

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読んで行くうちに自然とニヤニヤできるところが良いと思いました。 [一言] 独身貴族に幸あれーーー
[一言] 続きが気になります
[良い点] 冒頭からニヤニヤして読んでしまいました。 (端から見たら間違いなく変態。) まだ一応うら若き乙女の範疇に入る筈のKAERUですがー、さや様の小説を読むと顔が……。 土佐犬扱いされた荒生…
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