第五十話
体が盗まれてから数カ月。
船迫 要の体にも、ようやく慣れてきた。
まわりも、俺「三刀屋 鋼樹」が入った要に慣れてきたらしく(もちろん一部のやつ以外は、俺のことを要だと思ってるし中身が三刀屋 鋼樹であることを知らない)、行動が楽になってきた。
要は「僕」と言っていたらしいけど、俺は「俺」と自分のことを言うし、ネクタイなんかクソくらえだ。
これだけ慣れてしまうと自分の体を取り戻した時に、普通に戻れるのか少し不安を感じる。
目の前に友達になった、勇気と都雅。都雅の彼女の獅狩。
こんな日常が続けば良いのにな…なんて柄にもなく思っちまう。
俺が同じ年齢の時は、どんなだったろう。
記憶があまりない俺には、想像することしかできないけど。こんなにのんびりしてはいなかっただろう。
立ち止まった俺を3人が振り返った。
「どうしたの? 要」
「具合でも悪いの? 要くん」
「え、何。もしかして病弱なの?」
俺は苦笑して見せる。
要本人は、体を返さなくてもいいと言ってはいたが、俺は俺を取り戻すために、それに安心してはいけないはずだ。
「具合悪いなら、休もうか?」
「具合は悪くないけど…休むのは賛成。寒いと息が切れる」
「了解」
春休みとは言っても、俺にはまだまだ寒い。
ファーストフードの店に入ると、暖かさにホッとする。コーヒーを頼んで、俺は奥の席に着いた。
勇気たちが運んできてくれるのを待つ間、ぼんやりと天井をみていると隣の席でクスッと笑う声が聞こえた。
何気なしに見ると、妙に色っぽい女がこちらを見て笑っている。真っ赤なスーツで目立つことこの上ないはずなのに、誰も見ていなかった。
「天井に面白いものでもあるの?」
「は?」
そして唐突に、
「あなた、三刀屋 鋼樹でしょ?」
と俺の名前を言った。
「あんた…誰だ」
警戒心をあらわにした俺に向かって女はにっこりと微笑む。
「名前を言ったところでどうと言うわけでもないでしょうけど、まぁ一応礼儀として言っておこうかしら。私の名前は上条 百合よ。よろしくね」
「…俺に何か用?」
「ええ、とっても大事な用があるの」
「はぁ」
「あなた、体を取り戻したいのでしょう? その体は本当のあなたの器ではないし、いずれ色々と問題が起きてくると思うのよ。それに、若すぎる男はいただけないわぁ。二十歳でもまだまだよねぇ」
「はぁ…?」
ベラベラと俺を置いてきぼりにして話している。
「若いと色々とつっぱしっちゃうじゃない? 結構迷惑な時あるのよ。あら私の出会い運がないからなんて、言わないで頂戴。まぁ、あなたは私の守備範囲ギリギリセーフだから、こうして来ているわけなのだけど。そこで、私と取引をしない?」
「はぁ?」
話が唐突すぎて、付いていけない。
息継ぎいつしてるんだろうと思うほど一気に話している。
「取引?」
「簡単よ。私の願いにこたえてくれれば、あなたの体がある場所を教えてあげる」
「なっ…」
絶句する俺の顔を見ながら、上条 百合はニヤリと笑って髪をかき上げる。
「あんた、何者だ?」
「私? 私は……あら、時間だわ。思ったより早かったわね。ごめんなさい、行かないと。もう毎日毎日上司がうるさくって困っちゃうのよ。まぁ自分で望んだ以上は仕方のないことなのだけど。それにしたって、もうちょっと融通のきく上司だったら良かったのになんて思っちゃうわ。あの人のためなら頑張っちゃうけど、上司がちょっと目ざわりなのよねぇ。ほら、私、自由人だから」
そう話ながら立ち上がる。
そして俺を見おろしながら不敵に笑った。
「それじゃ。また、会いましょう」
言った途端、目の前でふっとかき消えた。
あんぐりと口を開けたまま、上条 百合が消えた場所を見ていると勇気たちが漸く来て、俺の顔を不思議そうに見つめた。
「どうしたの?」
獅狩がいるところで話さない方が良いと判断して、首を横に振って見せた。
「何でもない」
コーヒーを一口飲むと窓の外に猫が見えた。
「んっ? 大治郎?」
「えっ? どこどこ?」
「大治郎って誰?」
黒猫が確かに見えた気がしたんだけど…と思っていると店の入り口に、慌てたように入って来た青空と目があった。
「あ」
「あれ、青空」
「青空?」
獅狩が俺たちを交互に見ながら目を瞬かせる。
「えーと、大治郎っていうのは猫の名前で」
「猫! わぁ」
青空が険しい顔をしながら近づいてきて、俺の前で立ち止まった。
「あの」
「青空、血相変えてどうした?」
「ええとですね…」
獅狩をちらっと見て、困ったような顔をした。
「あ、こんにちは。私、九網 獅狩って言います。よろしく」
「はじめまして、僕は青空と言います」
「青空って名前なんですね~。素敵」
「あ、ありがとうございます」
そんな挨拶をしている横で都雅が立ち上がって獅狩に微笑みかけた。
「獅狩、大治郎にも挨拶に行こうよ。外にいるよ」
「本当!?」
都雅が獅狩を連れて店の外へ行く。話やすいように席をはずしてくれたんだ。
「で、どうした? 青空」
「先ほど、このあたりで変な気配を感じたと、報告がありまして」
「あぁ…実は変な女に会った」
「女?」
「真っ赤なスーツを着た女でさ。確か…上条…百合って言ったかな。話すだけ話していきなりパッと目の前で消えたんだ」
「消えた…」
青空は腕を組んで目を閉じた。
「あれだけ真っ赤なスーツ着てるのに、周りのやつらは気づかないみたいでさ」
「あ、僕もみてないよ、そんな人。注文を待ってる時だって要くんの方を何度も見たけど、赤いスーツの女の人なんて見なかったもん」
「そうですか…となると生身の人間では無かったのでしょう」
げっ。
「幽霊!?」
「幽霊…というか以前の三刀屋さんと同じように幽体だったのでしょう。目の前で消えたとなると、一気に器へ戻ったと考えられます」
「ふむ」
「話を聞いた様子からみると、普通の人ではないように感じられます」
「そりゃ、幽体じゃなぁ」
「あ、いえ。そういう意味ではなくて。幽体で自由に動けるということは、それなにり訓練されているということです」
困りましたね…と青空は呟いた。
「ともかく玉繭に連絡してみますね、大治郎を連れて行ってください。何かあったらすぐに来ます」
そう言って慌ただしく店を出て行った。
勇気に都雅たちを呼んで来てもらい、飲み物を手早く飲んだあと、外へ出る事になった。
そして大治郎を連れて行く事を獅狩に告げると、嬉しそうに大治郎を抱えた。
「やった! 温かい」
大治郎を連れて行くとなると、店には入れないので公園に行くことにした俺たちは、ダラダラと歩きながら獅狩の受験の話を聞いていた(俺たちの学校は一貫校なので受験なし)。
「獅狩は公立なんだな」
「うん。制服買いに行く時、都雅にも付いてきてもらうんだー」
「試験大丈夫だったのか?」
「都雅という家庭教師がついてますからー」
ニコッと笑って獅狩はウィンクしてみせる。
「あー、教えるのもうまいのか…」
「僕が教えたというか、教えられたことを教えたと言うか…。まぁ僕だけの力ではないけどね」
獅狩が一番がんばったんだし…と都雅はとろけそうな顔で言いやがった。
ちっ。
のろけを聞くために来たんじゃないっつーの。
なんて少々のやっかみをしているうちに公園についた。
「子供は風の子だな…結構いるなぁ」
「今日は暖かい方だってば」
「俺には寒い!」
一緒に来ているらしい親たちもコートを着ているものの、薄手で丈が短いものが多い。ダウンを着ている俺の方が浮いている。
そんなこと言っても寒いもんは寒い。
「要くんって寒がりなんだ?」
獅狩が面白そうに言って、俺に大治郎を渡してくれた。
ダウンの前を開けて中に大治郎を入れると、温い。
大治郎が少し迷惑そうな顔をしたが、我慢してもらおう。
「あー、ぬくい」
ほっとした俺の言葉に3人は笑った。
「それにしても大人しい猫ちゃんだね~大治郎は」
まさか人間の言葉をしゃべりますとは言えない。
獅狩が頭をなでていると、周りにいた子供たちから「猫だ」「猫いる」「わぁ、猫―」という声が上がり始めていた。