第三十七話
カレーの香りが鼻腔をくすぐって、お腹がぐぐーっとなる。
そういえばお腹が減ってきた。
「右文さんと一緒にご飯の用意ができるなんて、夢みたいだ」
頬を紅潮させて、勇気は右文さんがご飯をよそったお皿にカレーをかけていく。
「何て幸せな昼食なんだろう!」
勇気はそう言いながら俺に皿を手渡し、俺はそれをテーブルに並べた。
都雅はスプーンやコップを並べている。
準備が整ってようやく昼食を取ったのが十二時四十五分。
そのカレーは豚肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎというカレーで、野菜が大きく切られていて、食べ応えがあった。
俺たちが談笑しながら食べている中、勇気だけスプーンを持ったまま微動だにしない。
「勇気? どうした」
「僕…胸いっぱいで…食べられないよ」
本当に勇気って面白い奴だよな。感情の表し方が大げさというか、何と言うか。兎に角見てて面白い奴だ。
「でも折角一緒に用意した昼食、食べないと後で後悔しない?」
都雅に言われて勇気は二回頷いて食べ始めた。
一口一口、かみ締めるようにゆっくりと食べる。
何だか涙を流しそうな雰囲気。
勇気の前で画家の仮面を被らなくてもいいと都雅に言われた右文さんは、すっかり好々爺と化している。
「僕、画集持ってくれば良かったなぁ…今度、画集にサインしていただけませんか?」
勇気が食べ終えてそう言うと、右文さんは首を傾げた。
「都雅、私の部屋から【あれ】を持ってきなさい」
「うん、わかった」
しばらくして都雅が二冊の本を持ってきた。
「新しい画集だ。これにサインして君たちにプレゼントしよう」
「えぇーっ!」
勇気は目を見開いた後、潤ませて身体を震わせた。
「はぁ…」
俺は興味ないことなのでテンションは高くない。
目の前でサインをして貰って、さらに【鳶沢 勇気くんへ】と入れてもらい、感激している。
「こっ…これ発売前の画集じゃないですか! うわー…ぼ、僕…倒れそう…」
「そんなにわしの絵を好いてくれてるのか…有難う。さて、こっちは君に」
右文さんはもう一冊を俺に手渡そうとした。
「俺が受け取ってもいいんですか? 俺、右文さんのこと全然知らなかったんですど」
「そんなこと気にするものでは無い。わしを知らない人は五万といる。知っている者でも、わしの絵を好きな者も嫌いな者もいるであろう。だから、君にも好き嫌いを強制するつもりは無い。が、ぜひ、見て欲しい。都雅の友達だ。都雅がこういう絵を見ながら育ったという事の一片を…知って欲しいのだよ」
俺は深く頷いて、受け取った。
「有難う御座います」
右文さんは微笑んだ。それはきっと、家族の前でしか見れない笑顔だったんだと思う。