バカとケムリは、なんとやら…
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を一部拝借して書いております。私自身、このフレーズが好きで、物語の主題にしておりますが、使われ方を不快にも思われる方もいらっしゃるかもしれません。先に謝罪しておきます。
馬鹿と煙は高い所に登りたがるって言うけど……。
私は額を伝う汗を拭いながら、遥か遠くを見つめた。
厚く垂れこむ雲の切れ間から堅牢にして荘厳なバベルの塔が今日も威圧感たっぷりにこちらを見下ろしている。
こうやって人を見下して優越感に浸りたいらしい。
あ~もうっ!あの塔も同じなのね!あの塔にいる人たちとさ。
はあぁぁぁぁああぁ……………。
呆れついでに、めいっぱいため息を吐いてみた。
でも何も変わらない。
私の吐息は湿って熱気を含んだ風にさらわれ、バベルの塔から更に遠ざかっていく。
私ごときの息ではバベルの塔に近付くことはおろか、あの塔を囲む雲さえ動かせない。
ましてバベルの塔を折ることなど出来るはずがないんだ。
私って、なんてちっぽけな存在なんだろう……。
やるせなさに泣きそうになり、思わず塔から目を反らずように俯いた。
私なんて……。
ぐすっ……。
「おーちゃん!」
バイーンッ!!!!!!!!!
激しい衝撃が私の突き抜ける。
なっ、なっ、なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………何が起きたのぉぉぉぉぉぉぉ。
いきなりのことに私は絶賛混乱中だ。
さっきまでのセンチメンタルな気分など一気に吹き飛ばされ、ついでにさっきまでのセンチメンタルも旅に出る前に行方知れずとなってしまった。
あまりの衝撃に目がチカチカする。
神様の天啓?私の心の靄を払う為にわざわざ声をかけて下さったのかしら。
『おーちゃん』って言葉の意味が分からないけど、きっと崇高な言葉なんだわ。
……っていやいや、そんな訳はない。
現実はすべからく私に厳しいものだ。
押し倒されているのだと気付いた時には、私はごつごつした地面目がけて、顔からダイブしていた。
声を上げる余裕さえない。
灰色の空の向こうに聳えるバベルの塔は崩れるように歪み、視界は茶色一色に染まった。
つぶれたカエのような惨めな姿で地面にめり込んでやっと衝撃は治まったが、私の混乱は収まる所を知らない。
何故に全力で地面に押し倒されているの?
イジメ?バッシング?ゲコクジョウ?
不吉な言葉が頭の中を吹きすさぶ。
しかし事の元凶は私の気持ちなどお構いなし。
私の背中にズシッとした重みが圧し掛かり、甘えたような猫撫で声が耳元で聞こえた。
「おーちゃん、大丈夫?」
またおーちゃんって言った。
いや、そんなことよりも大丈夫ってどういうこと?
どう考えても、私をこの状況に追い込んだのは、この……私の上に乗って楽しそうな声を上げている奴だよね。
あんたが私の背中にタックル食らわせて、それだけじゃ飽き足らずに乗っかってるんだよね?
そうだ、お前が犯人だぁ!
私は心の中で、ビシッと指を突きつけた。
あくまで心の中で、だけど………。
くそ~!あなたの所為でしょ!……と怒鳴れればどれだけ楽か。
しかしムキになって返せば相手の思うつぼだ。
落ちつけ、私。
どうせ相手は私をからかって、馬鹿にしたい輩なのだから。
女で、若くて、大学出で、しかも上級官僚。
この肩書がどれだけ私を追い込んできたか。
誰も私の中身を見ずに、この薄っぺらい名札で私を判断して、ウガッテくるのだ。
穿り、穿って、ウガリングな人の思考はよく分かる。
例にもれず勝手に私のことを見下し、妬み、嘲笑うんだ。
これは今までの経験から知った事実で現実。
ここで感情をむき出しになれば、相手の思うつぼなのも経験上知っている。
だから、ここは冷静に対処しなければならないのだ。
「……えっと、あなた……」
土に顔を埋めたまま、湧き上がる怒りを懸命に抑えた私はゆっくりと顔を上げた。
ぽろぽろと土の塊が私の顔から落ちていく。
くぅ~絶対に化粧もはげてるな、これは。
どうしてくれるんだ、この完璧メークにどれだけ時間かかってると思ってるんだ。
そう思うとイライラが限界を振り切りそうになる。
なのに、相手ときたら。
「どうしたの?おーちゃん?」
私の背に乗っかったまま、悪びれた様子もない声の主が上から私の顔を覗き込んできた。
その青空のような透き通った瞳と目があって、ドキンと私の鼓動が跳ねる。
罪悪感のまったくない顔はとびっきり甘くて。
なのに、精悍に引き締まってるなんてズルイ。
柔らかそうな猫っ毛の金髪も。すっと通った鼻筋も、少し鷲鼻なところも。薄い唇がちょっと猫っぽいところも。
笑うと目尻に皺が寄って、余計に蕩けそうな甘さを醸し出すところも全部。
全部ズルイ。
思わず朱色に染まった顔を誤魔化すように私は慌てて下を向いて、もう一度地面に顔面からダイブした。
ふ、不覚だ。
普段なら感情のコントロールができるのに、敵が奇襲をかけてきた所為で上手に対処できない。
「おーちゃ~ん?どしたの?」
私の背中に馬乗りになったまま、奴は投げ出した両足をバタつかせた。
ちょ、土埃立つからやめてよ。
ただでさえいつもよりも地面が近いんだから。
なんて心で叫べても口にできないチキンな私。
さっきまでの感傷の涙は引っ込んだが、別の意味で泣きそうだ。
だからといって敵は傷心の私を放っておいてくれない。