第二十五話 食いしん坊たちと、びっくりパン
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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朝露が残るベイスの街に、香ばしい麦の匂いが漂い始める。
石畳の路地裏にある小さなパン屋では、今日も早朝から窯の薪が赤々とくべられていた。
「そろそろいいだろう!生地いれるぞー!」
「わふっ!」
『任せてっ!』
頑固そうな白髪の老職人――パン屋の店主の声に応えたのは、人間の弟子ではなく、頭に小さなコック帽をちょこんと乗せ、特注のエプロンを身にまとった一匹の町魔犬であった。
毛並みの表面には微細な風の膜を張る『自浄・風防魔法』が展開されており、一本の抜け毛すらパン生地に落とすことはない。魔犬は鼻先を窯の覗き穴に近づけると、微小な火魔法をフッと吹きかけ、熱気の揺らぎを繊細にコントロールしてみせた。
かつて料理助手として受け入れられて以来、彼ら町魔犬たちはすっかり店に馴染んでいた。鋭い嗅覚と魔法を活かした絶妙な火加減により、この店で焼き上げられる白パンは、外はパリッと香ばしく、中はふわふわの極上品として街一番の評判になっていたのだ。
しかし、事件は午後の店じまい後、魔犬たちのまかないの時間に起きた。
店主はいつものように、職人の誇りを込めて焼き上げた特製の焼き立て白パンを、お手伝い魔犬たちの深皿にゴロゴロと盛り付けてやった。
「さあ食え! 今日もいい仕事だったぞ」
「わーい!」「おいしそう!」
魔犬たちは歓声を上げ、前足で器用にパンを掴んでは美味そうに頬張り始めた。だが、そのうちの一匹が、お腹がいっぱいになってきたところでフッと息を吐き、悪気なく呟いてしまったのだ。
「うーん……やっぱり白パンって、最高に贅沢で美味しいんだけどさ」
「うん?」
「毎日毎日これだと、ちょっとだけ飽きちゃったかも……。たまには違う味が食べたいなぁ」
「お前っ、そんなこと言ったらーー」
「な……なんだとおぉぉぉっ!?」
雷が落とされたかのような大声が厨房に響き渡った。
店主は持っていたトングをガタガタと震わせ、目を見開いて固まっていた。
「あ、飽きた……!? わしの魂を込めた白パンに飽きたと言うのか……っ!」
「親父さん聞いてたのっ?!ごめんなさい! 美味しいのは本当なんだよ!?」
バッと振り向き、焦った魔犬たちがパタパタと尻尾を下げてフォローするが、店主はショックで胸を押さえ、一瞬ガックリと肩を落とした。だが、そこは職人魂の塊である老店主。ガシガシと頭を掻きむしると、カッと目を見開いて立ち上がった。
「くそっ、だが確かに言われてみればそうだ! 人間だって毎日同じパンじゃ飽きる! ましてや鼻の利くお前たちならなおさらだろ!……よし決めたぞ!」
店主はバンッと作業台を叩いた。
「人間だけじゃない! 街で暮らす魔犬たちも、一緒に心から喜んで飛びつくような『ベイスの名物となる新メニュー』を作ってやる! お前たち、手伝いな!」
「「ォオーーンっ!」」
『『がってんだっ!』』
こうして、老店主とお手伝い魔犬たちによる、新メニュー開発作戦が始まった。
目的は「人間も魔犬も満足し、食べた誰もが驚くようなパン」。
職人と食いしん坊の魔犬のタッグによる試行錯誤がスタートした。
しかし、新商品の開発は一筋縄ではいかなかった。
「よし、食感を変えるために限界まで発酵してみよう、お前の魔法で生地を少し温めてくれ」
店主の指示を受け、お手伝い魔犬は「任せて!」と言わんばかりに胸を張り、コネ終えた生地の鉢に前足を添えた。
「ふんぬぬぬ……!」
ところが、意気込みすぎたのが運の尽きだった。魔犬が込めた魔法の熱量が少々強すぎたのだ。
ズズズ……と音を立てて、鉢の中のパン生地が恐ろしいスピードで膨らみ始めた。
「おい、待て! 膨らみすぎだ! 止めろ!」
「わふっ!? と、止まらない……!?」
生地はあっという間に鉢を溢れ出し、作業台を呑み込み、厨房の天井に届くほど巨大化していく。パンパンに風船のように膨らんだ巨大な生地は、最後には――
ポーンッ!!
というコミカルな音とともに弾け飛び、厨房全体が白い粉と生の生地まみれになってしまった。
「ゴホッ、ゴホッ……! 気合の入れすぎだ、バカ者!」
「…えへっ…ごめんなさい!」
「えへっ、じゃねぇ!」
頭から粉をかぶった魔犬がシュンと耳を伏せると、店主は溜め息をつきつつも、その頭をぽんぽんと優しく叩いて笑った。
石のように固くしてしまったり、焦がしたり、そんなハプニングを何度も繰り返しながら、試作は夜遅くまで続けられた。
ついに変えるべきは食感ではなく、味だと気づいた彼らは、果実の煮込み、山で採れた香草、甘い蜂蜜、芳醇なチーズ――様々な食材を練り込み、焼き上げる方法にたどり着いた。
その過程で早朝、煙突から街へと流れ出していったのは、今まで嗅いだこともないような、甘く香ばしく、腹の虫を直接刺激する強烈に魅力的な匂いだった。
「ねえ、パン屋さんからすごくいい匂いがするよ?」
「くんくん……これ、お肉の匂い? それとも甘い木の実の匂い……?」
匂いに吸い寄せられるように、店の裏口にはぞくぞくと足音が集まり始めていた。
近所の子供たちだけではない。匂いを察知した街の食いしん坊な町魔犬たちが、目と鼻を輝かせてウロウロと集まってきたのだ。
裏口の隙間から、十数人のキラキラとした目と、十数匹ものヨダレを垂らしそうな鼻先が覗いている。
「あいつら……匂いに釣られて集まってきやがったな」
店主が苦笑いしながら裏口を覗くと、集まった子供たちと魔犬たちが「おじさん、それなーに?」「一口ちょうだい!」と目を輝かせて訴えてくる。
ウズウズしながら試食を待つ食いしん坊たちの姿を見て、店主とお手伝い魔犬は顔を見合わせた。
そして――彼らの顔に、全く同じ「悪い笑い」が浮かんだ。
「おい……ただ美味いだけのパンじゃ、芸がないと思わないか?」
「おやじさん、気が合うね。オイラもそう思ってたんだよね」
「あの子たちをびっくりさせちゃおう!」
閃いたのだ。食いしん坊たちの期待をいい意味で裏切る、最高の仕掛けを。
すぐさま最終試作にとりかかった。
丸めた生地の中に、仕掛けを施す。外側の生地は、一見するとどこにでもあるごく普通の、地味な小麦色の丸パンだ。
やがて、香ばしい黄金色に焼き上がった試作品が完成した。
「よし! 食いしん坊ども、試食タイムだぞ!」
店主が裏口の扉を開けると、子供たちと魔犬たちが「わあーっ!」と群がってきた。
「なんだか、見た目は普通のパンだね?」
「ほんとだ、いつもの丸パンみたい」
首を傾げる子供たちと魔犬たちに、店主とお手伝い魔犬たちはニンマリと笑って言った。
「ワッフフ…いいから、思い切って真ん中からふたつに割ってみてよ」
言われた通り、一人の少年が温かい丸パンを手に取り、両手で思い切りふたつに割った。
――その瞬間!
シュわぁぁぁぁっ!
パンの割れ目から、まるで輝く雲のような温かな魔法の湯気が一気に立ち上った。
湯気とともに広がったのは、フルーティーな甘香と、香ばしいナッツ、そしてとろける濃厚なチーズの夢のような香り。
「うわああっ!?」
さらに驚くべきことに、パンの中からは、色とりどりの自家製ジャムと、とろーり溶けたチーズ、カリッと香ばしいナッツが、まるで宝石箱のように溢れ出してきたのだ。
外側のサクサクとした地味な生地からは想像もつかない、熱々のトロトロ、そして色鮮やかな具材のパレード!
「な、なにこれぇーっ!?」
「割ったら中からすごいのが出てきた!」
子供たちも魔犬たちも、目を丸くして歓声を上げた。
一口頬張れば、口の中で様々な食感と風味が弾ける。サクッ、ふわっ、とろーり、カリッ。甘さと塩気が絶妙なハーモニーを奏で、喉を通るたびに幸せな温もりが広がっていく。
「美味しいっ! 美味しすぎるよおじさん!」
「ワォンっ! びっくりしたけど、すごーく美味しい!」
裏口は一瞬にして大歓声と笑顔に包まれた。
「ハハハ! どうだ! これぞ名付けて『びっくりパン』だ!」
店主は誇らしげに胸を張り、お手伝い魔犬たちも店主の後ろでこっそり『びっくりパン』を頬張りながら、誇らしく尻尾を振っていた。
人間と魔犬が生み出した、まったく新しいベイスの名物――『びっくりパン』の誕生の瞬間であった。
数日後。
パン屋の店頭には、朝早くから驚くほどの長い行列が出来上がっていた。
並んでいるのは、ベイスの街の人間たちと、首を長くして順番を待つ魔犬たちだ。
チリンチリン――♪
「焼き上がったぞーっ! 『びっくりパン』だ!」
店主の声とともに焼き上がりのベルが鳴り響くと、行列から「待ってました!」と歓声が上がる。
焼きたての『びっくりパン』を手にした人々や魔犬たちは、店頭や近くのベンチで、さっそくパンをふたつに割り、立ち上る魔法の湯気と溢れる具材に「うわあっ!」と声を上げて笑顔になった。
「本当に割ると中からトロッと出てくるんだな!」
「見て見て、私のはイチゴとナッツが入ってる!」
「わふん!」
『僕のはチーズとお肉だ!』
街角のあちこちで、焼きたてを頬張る幸せそうな笑顔が花開いていく。
店内では、一日中試食の味見をし続けてすっかりお腹がパンパンに膨らんだお手伝い魔犬が、満足そうに「ふぅ」と息をついていた。
そんな愛らしい相棒の姿を見て、店主は優しく目を細めると、大きな手を差し出した。
「お疲れさん。お前たちのおかげで、最高のパンができたぞ」
「わふっ!」
お手伝い魔犬たちは誇らしげに耳をぴんと立てると、小さな前足をキュッと上げて、店主の大きな手のひらにバシッと打ち合わせた。ハイタッチだ。
またひとつ、このベイスの街に、人と魔犬の絆を結ぶ温かな名物と笑顔が生まれたのだった。
書いててお腹減りました…チーズたべたい
ーー閲覧いただき、ありがとうございます!ーー
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