第3話 血の雨
私がアルガの肉体に意識を宿し屋敷で目覚めてから、3ヶ月が経った。
テオフィリウスは、私から世界樹計画について聞いた後、一度ギオクルス共和国の首都にある魔導学院に戻ることになった。私の状態についてノエナに報告しつつ、共和国内で私やセラシエルを追う動きがないか情報を集めるためだ。
一方、屋敷に残った私とミヤ、ルキエッタ、ネリアンナは、私の――というよりアルガの肉体の体力が戻るのを待っている。初めは自力での歩行も難しかった私だが、今では杖さえ使えば自力で動き回れるまで回復した。
「――おはよう、アルガ。身体、どこか痛んだりはしてない?」
朝、ミヤが私の部屋にやって来ると言った。彼女は毎朝、アルガの肉体の調子を気にかけている。
「大丈夫。居間にも1人で行けるからネリを起こしに行ってあげて」
「ネリちゃんこそ自分で起きてくるべきなんだけどねー」
ミヤは苦笑し、廊下を歩いていった。
私はそれを見送ってから、目を閉じる。
見ることも、嗅ぐことも、聞くことも、触れることも、味わうこともできない、俗に魔力と呼ばれるエネルギー。体内に宿るそれを捉え、体外へ流し、操り、押し固め、魔力に実体を与え現世に干渉させる――それが魔術だ。
私は呼吸を整えつつ、魔力の位相を変化させた。
魔力には、結相・流相・晶相の3つの位相がある。
結相は最も安定していて、泥や溶岩のようにゆったりとした状態だ。魔力を持つ生命の身体に宿る魔力はデフォルトで結相になっている。
次に流相はより流動的な状態になっており、魔力の形状を変化させたり、結相や晶相の魔力に干渉したりできる。
そして晶相は、魔力が物理的に触れられるようになった状態だ。密度や強度、持続時間は魔術師の力量によって異なる。
私は体内の魔力の一部を流相に位相転換して体外に出そうとした。作ろうとしているのは、世界樹で21世紀にリハビリで使われている、ロフストランドクラッチという種類の前腕に装着して体を支えられる杖だ。
流相の状態でも生身の肉体では魔力に触ることも、見ることも、感じることもできない。この形成段階で問われるのは、想像力やイメージなどではなく、直感的なセンスとある種の実感だ。
私は魔力を操り、杖の形状になったと確信したタイミングで流相から結相、結相から晶相へと魔力の位相を転換した。これによってようやく魔力は実体を持つ。しかし魔力が不可視であることに変わりはないので、私は虚空を撫でるようにして杖の形状を確かめた。1秒ほどで、問題なく杖を作れている。
私は杖を使って立ち上がり、部屋を出た。
目覚めてからほぼ毎日、アルガの肉体に残る感覚や記憶を頼りに、この肉体で魔術を使う練習をしてきたが、アルガはやはり相当優れた魔術師だったようだ。初めは杖を作るのも難儀していたが、ものの数日で魔力を操る精度が上がり、何度も創っているものなら再現にかかる時間も短くなっていく。
魔術の習得が肉体の感覚にここまで左右されるものだったのは驚きであり、幸運だった。
私は廊下を歩きながら、ふと、窓の外になる大木に目をやった。
この屋敷は森のかなり奥深くにあるようで、人通りはまったくない。近くに小川が流れ、裏手の畑では根菜を育てており、鹿や猪といった獣も狩れるので、自給自足で生活することも何とか可能だ。
しかも屋敷の地下室には、大量のハチミツと塩、そして塩漬けの肉やチーズ、黒パン、ピクルスなどが保存されていた。セラシエルが調達したものなのか、他の誰かが運び込んだものか、そもそもこの屋敷が誰のものかはわからない。しかし滞在には食料が必要不可欠なので、森で狩りや採取をしつつ、適宜保存食を食べながら生活している。
「おはよー」
居間に入ると、テーブルで既に食事を始めているルキエッタが私に言った。
「おはよう、ルキ」
「アンタの分はそこに置いてあるから」
「おっ、ありがとう」
礼を言って食卓につき、私は黒パンとベーコン、ピクルスという朝食に手をつけた。
「魔術の勘は戻った?」
ルキエッタが食事の手を止めることなく言った。
「うん、やっと杖もスムーズに創れるようになった。感覚戻すのに3ヶ月もかかるとは思わなかったなー」
記憶にあるアルガの魔術センスはルキエッタたちを遥かに凌駕しているようなので、私が初めこの肉体で魔術を使えなかったことについて、ルキエッタたちはかなり困惑していたようだ。
しかしそれも世界樹の精神干渉の影響かもしれないこと、3年間世界樹で仮想世界に潜っている間は魔術を使っていなかったことが原因かもしれないと言うと、3人は納得したようだった。
「アンタが言うスムーズって、一秒足らずって意味でしょ。杖創るだけなら、起きたその日の内にできてたじゃない」
「そこから10秒タイム縮めるのに、予想以上に手間取ったからさ」
「ずっと寝てたんだから、トレーニングする体力もないのは当然よ。焦り過ぎ」
「それがさー。ミヤの狩りの上達速度を間近で見せられたら、つい焦っちゃうんだよね」
「あれにはあたしもびっくりだわ。この屋敷に来てから、変な方向に逞しくなっちゃって」
「その上、オレのこと手伝ってくれてる内に所帯染みてきちゃったじゃん?申し訳なくて仕方ない」
「アンタだけじゃなくあの大雑把お嬢の面倒まで見てるからでしょ」
「それは聞き捨てなりませんわね」
居間に入ってきたネリアンナがあくびしながら言った。
「あなたこそ、未だに碌に掃除もしないじゃありませんか」
「一度にまとめて片付けるタイプなのよ。そっちこそ、そろそろ料理で強火以外の火力を覚えなさいっての」
「大は小を兼ねるんですのよ?」
「兼ねないこともあるっていい加減思い知りなさいっての、ヘッポコお嬢」
「もう、2人とも朝から喧嘩しないの」
シーツを抱えたミヤもやってきて、それこそ母親のようなことを言う。
「ネリちゃんも早くご飯食べちゃってね!私は洗濯してくるから。ルキ、後で暖炉の掃除をして、灰を捨てに行ってくれる?」
「うぃーす、おかーさん」
ルキが気のない返事をする。
「おかーさまー、わたくしもすることありますのー?」
ネリアンナが私の向かいに座りながら言った。
「誰がお母さんですか」
ミヤが頬を膨らませる。
「ネリちゃんは竈門用の薪集めをお願い」
「わたくしの仕事、そういうのばっかりじゃありませんこと?」
「細かい仕事できないからでしょ」
ルキエッタが言った。
「あなたは散らかす仕事オンリーですわよね」
「頭ん中とっ散らかったアンタに言われたかないわ!」
「誰の頭があなたのお部屋並みに汚いですって!?」
「あたしの部屋はそんな汚かないわよ!」
「ミヤお母さーん、オレは何したらいーい?」
ルキエッタとネリアンナの口喧嘩が熱を帯びるより先に、私は意識的に声を張って言った。傍から見ている分には微笑ましいが、しかし際限なく続くと不毛なやり取りなので、適当なところで打ち切るのが私の役割だ。
この2人は最後に言い返して相手を黙らせたら勝ちだと思っている節があるので、放置しておくと、しまいにはどちらかが一線を越えそうだ。
「アルガは無理しないの。体力戻さなきゃ」
「ダラダラしてたら却って鈍っちゃうって」
「あ、おかーさん。さっきおじいちゃんが、あたしに魔術でマウント取ってきたー」
「人聞き悪いなぁ」
「アルガは何を自慢してきましたの?」
「杖を一秒で作れるようになったって」
「その程度でマウント取られましたの?わたくしでもできますわよ?」
「うっそだー。アンタが創ったもの、触ってみたら大体必要以上にトゲトゲしてるじゃない」
「あなたの性格ほどトゲトゲしてませんわよ?」
「はい、2人ともストーップ。そういうのは実演で決着つけてね」
ミヤが割り込む。
「魔術の感覚はほぼ戻ったんだね。よかったよかった」
「ありがと。あとは体力さえ戻ったら旅に出られる」
「ねぇ……その旅って、どうしても出なきゃいけない?もちろん、アルがどうしてもって言うなら私はついて行くけど……」
ミヤが心配そうに言う。
「オレ一人で行くから大丈夫だよ。割と危ないかもだし」
「危ないならなおさら一人で行くべきじゃないでしょ。せめてテオが戻るまで待ちなさいよ」
「テオ、戻れるのかなー……あいつはあいつで、ノエナの世話が忙しいでしょ」
「教授もイイ歳なのだから、そろそろ自活できるようになるべきですわね」
「アンタそれ、10年後に跳ね返ってこない?」
「さすがにアレと一緒にされるのは心外ですわ」
「恩師をアレ呼ばわりって」
ミヤが苦笑した。
「言うほど恩師って感じしないのよね」
「恩より貸しの方が多い気もしますわ」
ルキエッタもネリアンナも、ノエナのことになると揃って手厳しい。共通の敵のような扱いだ。
そんな話をしてから、私たちはそれぞれ役割に動く。
ミヤは精密かつ持続力のある魔術に長けているので、近頃は屋敷周辺に野生動物を捕まえるための罠を設置するようになった。魔導学院にいた頃は繊細な魔力操作で多様な道具を作っていたらしいが、サバイバルにおいてもそういった能力が活かされている。
ルキエッタは魔力で槍や刃物を作るのが得意らしい。そのため、獣を直接倒す狩りをしたり、捕らえた獲物を解体することが多い。
ネリアンナは魔術において、魔力を強固な晶相に転換できるのだが、それ自体はあまり生活に役立つことはない。しかも彼女は地方の有力領主の娘らしく、非力な上に家事は苦手であるため大雑把な雑務を任されがちだ。
そして私はというと、ミヤたちに「体を休めろ」「体力を戻せ」と言われるばかりで、ネリアンナと同様に軽い家事を短時間こなすことしか許されていない。そのため、屋敷の中にいる時はもっぱら魔術の練習をしている。
そのようにして過ごし、夜になって私たちが寝静まった後のことだ。
私は、腕が強く締め付けられる感覚で目が覚め、ベッドから起き上がった。
文字通り見えない糸で右前腕が締め付けられている。これは、私が屋敷の周囲に張り巡らせた、晶相と結相の魔力の糸と連動している簡易なセンサーだ。
私は素早く魔術で杖を創り、廊下を歩いて、屋敷の正面に出る。
夜の森は闇に閉ざされており、視界は限られているが、屋敷の周囲はそれなりに拓けているため月明りでいくらか照らされている。
腕を締め付けている糸の本数からして、屋敷に近づく者は正面側にしかいないようだ。
私が杖で体を支えつつ待ち構えていると、ややあって、木々の隙間から体高2メートルを優に超える影がわらわらと湧いてきた。
人型の魔族――オーガだ。
魔物は無意識の内に魔力を結相から晶相に変換できる生物であり、その骨格や筋肉、臓器などは魔力の影響を受け、強靭であったり、他の動物にはない身体的特徴を持っている。
そして魔物の中でも、人間やエルフ、ドワーフなどのような知的生命体をベースにした魔物は、魔族と呼ばれている。
オーガは青黒い肌と飛び出た牙、赤黒い毛髪を持ち、晶相魔力の影響を受けた筋肉と骨格による運動能力や肉体強度は、平均的な人間の男性を上回る魔族だ。
松明を持つオーガたちは、私の姿を見ると、一斉に襲い掛かってきた。
魔物は新陳代謝に魔力の位相転換が含まれるためか、魔力を持つ生き物を優先して捕食しようとする。人間などの知的生命体は他の動物より多くの魔力を持つため、魔物の好物だ。
「――試し撃ちにはちょうどいいね」
私は呟きながら、放出した魔力を瞬時に9門の砲身へと変形させ、晶相魔力の徹甲弾を一斉に発射した。
私が可能な限り魔力を圧縮して創り出した重さ1キログラムの徹甲弾は、直径2センチほど、長さ40センチ以上あり、ほどの細長い侵徹体――つまりは杭だ。これを、流相魔力の爆発と砲身内での圧力コントロールによってマッハ7まで加速させて擊ち出す。
仮想世界で使われている戦車の主砲の構造を参考にした、私独自の、差し詰め機砲魔術と呼べる魔術だ。
次々と発射された徹甲魔弾は、その直径より遥かに大きな風穴をオーガの胴に空け、頭部を消し飛ばし、腕や肩を抉った。
頭や胸に徹甲弾が命中したオーガは断末魔の声を上げる間もなく絶命するが、腕や肩に当たって重傷を負ったり、徹甲弾に幹を大きく削られ倒れた木に押しつぶされたものは、森中に響き渡りそうに思える大きさの咆哮を上げる。
「うるさいな……」
私は左手で耳を抑えながら顔を顰め、先ほど創り出したのとより少し小さめの砲門を、今度は24門隙間なく並べた。
直径2センチの徹甲魔弾の威力はオーガ相手には想定以上であり、頑健な肉体を持つ魔物とはいえ生物には過分な威力といえる。オーク程度を倒すだけならば、サイズをもっと効率化して連射速度を上げた方が良さそうだ。
私は、今度は直径1センチ、長さ22センチの徹甲魔弾をマッハ4で各砲門から一秒間に10連射し、先ほど一撃で仕留めきれなかったオーガたちに砲弾の雨を浴びせ、瞬く間に散乱する肉塊へと変貌させる。
「嗚呼、うるさいかと思えば、今度は臭いな……」
立ち込める血の臭いに不快感を覚えながら、私は魔力を解いて砲身を消した。
その時、背後からルキエッタの声がした。
「――アルガ!? オーガが攻めてきたの!?」
私が振り返ると、ルキエッタが屋敷から飛び出してくるところだった。虚空に何かを掴んでいるようなので、魔術で槍か剣でも創っているようだ。
「群れでここに押し寄せてきたらしい。ミヤとネリも起きてる?」
「さっき起こしたけど――」
ルキエッタは答えながら、立ち込める濃密な血の臭いに顔を顰める。
「あぁ、ごめん。臭かったよね」
私は謝りつつ、考えを巡らせて言葉を続ける。
「この辺りに、オーガや他の魔物の生活圏が近づいてる可能性がある。危険だし、これを機に出発しよう。ミヤたちに言って、まとめておいた荷物を持ってきてくれる?オレは見張ってるから」
「わ、わかった……」
ルキエッタが頷くと、ミヤとネリアンナも寝間着姿のまま屋敷から出てきて、月明りに曝された血だまりに絶句する。
「あ、アルガ……?これ、一体……」
ミヤが声を絞り出し、ネリアンナが顔を背けながら聞いてくる。
「アルガが1人でやりましたの……?」
「うん、戦える程度には魔術の勘も戻ったみたいだ。これでセラを探しに行ける」
機敏に走ったり跳んだりといった運動はまだ私には難しいが、魔術で補えそうだ。
これならたいていの障害は突破できるだろう。
やっと……やっと、セラを探す旅に出られる。
私は、高揚とも焦りともつかない何かに駆られるのを感じながら、丸々と肥えた満月を抱く夜空を見上げた。




