初恋の雨音5
「どうして、人の体を借りてたの?初めて会った時は、あなたの姿だったのに」
確か、その後も彼は、本当の姿で夏実の前に現れていた。
「女性の体を借りたのは、傘を返す為だった、僕は物に触れられないから。それで終わりにするつもりだったけど、君がまた来るような気がして。幽霊の僕を、普通の人は見えないだろ?」
困って微笑む気配に、そうか、自分の為だったのかと、夏実は胸が苦しくなった。
「…私は変に思われても構わないのに」
「僕は嫌だったから。君を拒絶する事も出来たのに…どうしてかな」
幾人かの人を巻き込んで、迷惑を掛けてしまった。それでも、彼は夏実との僅かな時間に、心を癒してくれたのだろうか。
「…そろそろ彼女を迎えに行かないと」
ぽん、と肩を優しく叩かれ、夏実は溢れる涙に顔を俯けた。最後に頬に触れられた気がして顔を上げると、透明な指先がそっと涙を掬ったが、涙は指に触れる事なく頬を伝った。彼はどんな表情をしていたのだろう、「ありがとう」と囁いた声が空へと消え、足元に手紙がはらりと落ちた。水に濡れた手紙を拾い、空を見上げれば、別れを告げるように、雨がいつまでも降り注いでいた。
***
後日、彼の眠る場所を探し、手を合わせた。
名前は、沢谷幸。彼は、両親と共に眠っていた。
「勘当したって親子だったんだな」
「…そうですね」
國岡の言葉に、夏実は頷いた。「大丈夫か」と声を掛けられたが、「何言ってるんですか」と、笑ってその背中を押しやった。
彼の墓前には、小百合の手紙が灰となり、やがて空へ昇っていった。
***
それから、雨が降った日に洋館の前を通っても、もう彼と会う事はなかった。降り注ぐ雨が傘に弾かれて、ポツポツと雨音を響かせる。不意に彼の声が耳に届いた気がして、夏実は洋館を振り返った。
聞こえるのは、傘を弾く雨音だけ。
きゅ、と胸を苦しめる音に、夏実は目を伏せたが、キラ、と何かに反射して、光が目に飛び込んだ。
見上げれば、雲が割れて陽の光が降り注いでいた。夏実は傘を閉じ、困った様子で笑った。
これは、あの人からの贈り物だろうか。
もうすぐ梅雨が終わる。
彼女の初恋も。
了




