幻肢駆使{マレッタゴースケ}
「リョウ」
「ん?」
「ちょっと、相談に、乗ってくれ」
珍しい。
珍し過ぎる。
超レア・ケース、だ。
モタが、リョウに、相談を、持ち掛けている。
モタの顔が、赤ら顔なのは、相変わらす。
その顔が、困った様に、縮こまっている。
ほとほと困っている様、だ。
【泣いた赤鬼】一歩手前、みたいな感じだ。
「どうしたんや?」
リョウは、いつもと違い過ぎるモタの様子に、戸惑う。
戸惑って、心配する。
「ほとほと、困ってるんや」
「そうなんか」
モタが、ここまで困ることは、初めてだ。
一体、何の件なのか?
「先輩がな」
「モタの先輩」
「そう、俺の先輩。
その人が、交際を申し込まれてん」
「おお!
目出度いこっちゃないか」
「そうなんやけど、ちょっと問題が、あんねん」
「何、や?」
リョウは、ちょっと眼を細めて、構える。
「先輩は、俺より歳上で」
「そら、そやろな」
「四十五歳、なんや」
「うん」
「で、先輩に、交際申し込んだ人が ・・ 」
「 ・・ 人が?」
「二十歳、なんや」
「 ・・ えっ!」
「二十五年の歳の差、や」
「マジか!?」
「マジ。
で、困っとんねん」
珍しいこととは云え、無いことではない。
どころか、目出度いこと、だ。
モタは、何に、困っているのか?
「で」
「で」
「先輩から」
「先輩から」
「相談受けてん」
「何の相談、や?」
と言いつつも、リョウは、見当が、付いている。
だから本来、ここでは、身振り大きくゼスチャー大きく、尋ねたい。
手足が無いのが、悩ましい。
全身で、ゼスチャーが、取れない。
顔でしか、ゼスチャーが、取れない。
「この告白」
「二十五歳差の告白」
「『受けてええもんかどうか?』って」
「受けたらええやん」
「いや、先輩も、本音では『むっちゃ受けたい』らしいんやけど、
『実際的に、どうか?』で、悩んでいるらしい」
「実際的に?」
「例えば、歳が離れているから、
世間の眼の問題とか、『共通の話題が有るか?』の問題とか」
「そんなん、本人達が大丈夫やったら、大丈夫やろ」
「特に」
「特に?」
「相手の子が」
「相手の子が?」
「『どう思われるか?』を、気にしたはる」
「ああ、歳の差で?」
「そう。
《騙されてるんやないか》とか《金目当て》とか、
『色々、思われるてしまうんやないか』、と」
ああ、それは、そやろな
リョウは、強く、思う。
「この手の相談、俺のむっちゃ苦手とする処やし」
ああ、それは、そやろな
モタの言葉に、リョウ、再び、強く思う。
「とりあえずの、相談の返事は、どうしてん?」
「『ああ、そうなんですか』」
「それ、返事ちゃうやん、返事になってへんやん。
ただの相槌、やん」
「分かってる。
分かってるけど、その場で俺、ちゃんとしたこと、返せへんかってん」
モタが、気弱に、言葉を、紡ぐ。
こんなモタは、珍しい。
いつも、根拠の無い自信とか覇気に、満ちているのに。
ほとほと困り果てている、らしい。
「で」
「うん」
「その先輩、どうしたはんねん?」
「変わらず。
返事、保留中」
「それ、あかんやろ。
相手、ヤキモキ、モヤモヤするやん」
「俺も、そう思う」
「返事、早よせな、いつまでも待ってくれへんで」
「俺も、そう思う」
焦れったい。
話や事態が、一向に、進まない。
このままだったら、堂々巡りの自然消滅、になりそうだ。
「連れて来い」
「えっ?」
「先輩を、ここに、連れて来い」
「ええのんか?」
「ええも何も、手をこまねいているだけなんは、
こっちもなんや、スキッとせん。
二人で、相談に乗ったら、何かええ手が、思い付くかもしれん」
「おお!
是非、頼む!」
モタは、礼儀正しく、手を合わせる。
いつも、これぐらい、礼儀正しかったら、ええんやけど
リョウは、苦笑しながら、思う。
「え~、こちらが」
モタが、紹介する。
「俺の先輩のゴースケさん、や」
いる。
リョウとモタの前に、立っている。
中肉中背。
歳の割には、たるんだ感じは、無い。
チョビ髭。
髪も、薄くなっていない。
が、カッコよくは、無い。
イケメンでも、無い。
そこらへんにいるおじさん、だ。
どこに、アピール・ポイントが?
どこに、二十歳の女の子にアピールするポイント、が?
リョウは、訝しく、思い巡らす。
ゴースケは、恐れおののいている。
モタに呼ばれ、モタの勤め先に来た。
なんでも、『そこの所長が、相談に乗ってくれる』、と云う。
来てみて、ビックリした。
その所長は、達磨だった。
腕・脚が、無い。
加えて、坊主頭。
当に、達磨。
様々な機能が付いてそうな車椅子に乗っているので、不便は無さそうだが ・・ 。
様々な機能が付いてそうな眼鏡を掛けているので、なんやかんや出来そうではあるが ・・ 。
お互い、打ち解けない感情を抑えて、挨拶を、交わす。
「ゴースケさん」
リョウが、口を、開く。
「はい」
戸惑いながらも、ゴースケは、言葉を、返す。
「早速ですが」
「はい」
「彼女さんとの出会いを、教えてください」
「マレッタとの出会い、ですか?」
「そう、そのマレッタさんとの出会いを ・・
・・ って、日本人やないんですか?!」
「マレッタは、フランス人です」
おいおい、新情報が出て来たで
とばかりに、リョウは、モタを見る。
モタは、赤ら顔で、そしらぬ顔。
一瞬の間を取って、
あれ、言ってへんかったっけ?
とばかりに、苦笑して、言う。
「そこらへんは、先輩から俺が聞いてるから、俺が、説明するわ。
先輩、それでええですか?」
「ええで。
頼む」
モタは、話を始める佇まいに、構え直す。
「先輩は、パソコン操作に、慣れてはって」
「うん」
リョウは、ゴースケを、チラッと見る。
「たまに、パソコン操作のバイトとか、頼まれはるねん」
「うん」
「で」
「で」
「いつもの如く、友達に、パソコン操作のバイトを、頼まれはってん」
「うん」
「その友達が、やったはんのが」
「のが」
「外国人派遣専門のデリバリーヘルス、で」
「ん?」
「先輩は、そこのシステムのメンテナンスとか、したはってん」
「んん?」
ちょっと、リョウの想定とは、違う話になって来ている。
想定外のアダルト、だ。
「そこのキャストさんに」
「うん」
「マレッタさんがいて」
「うん」
「先輩に接している内に」
「うん」
「惚れはったらしい」
なんてことは、無い。
女の人の方が、ヘルス嬢と云う珍しい職業と云うだけで、それ以外は、なんら変わらない。
市井の恋愛と、なんら変わらない。
「ゴースケさんは、マレッタさんの職業に、引っ掛かりがあるんですか?」
リョウは、訊く。
なんやかんや云うても、その職業に謂れのない偏見を持っている人は、多い。
国民の大多数、と云ってもいい。
だけど、今就いている職業だけで判断して、その人を疎かにしたら、あかんやろ
リョウは、こう思っている。
だから、ゴースケにも、確かめる。
「いや、全然」
ゴースケは、サラッと、返す。
何気無いその口調から、本音なのが、分かる。
「アスリートとか舞台俳優とかと同じ、
『頭使う肉体駆使の仕事』やと、思ってます」
ゴースケは、同じ口調で、言葉を、続ける。
ああ、それもおんなじ、やわ
リョウは、共感する。
見れば、モタも、頷いている。
ほな、やっぱり ・・
リョウは、モタと、顔を、見合わせる。
歳の問題だけ、か
「やっぱり、年齢差が、引っ掛かってるんですか?」
リョウは、ゴースケに、問う。
ゴースケの眼を、見つめる。
ゴースケが、眼を、逸らす。
「 ・・ はい ・・ 」
ゴースケが、弱々しく、答えを、返す。
返して、続ける。
「 ・・ だって」
急に、テンションが、上がる。
「だって、しょうがないでしょう!
二十五歳も、歳の差があるんですよ!」
そのテンションの急な高まりは、ゴースケの心情を、表わしている。
本心では、即OK、速攻OK。
が、世間的な受けを考えると、二の足を、踏まざるを得ない。
むっちゃ、もどかしいんやろな
自分では、どうしょうも無いんやろな
リョウは、ゴースケの姿を眺め、思い至る。
ゴースケと、リョウとモタは、その後も、話す。
あれやこれやと状況を確認し、今後の展開を相談する。
ゴースケが帰った後、リョウとモタは、話すまでも無く、共通の思いを、持つ。
ゴースケさんの心の問題だけやな
そやな
ゴースケが、素直になれば、いいこと。
素直に、マレッタを受け入れれば、いいこと。
歳の差の問題なんか、うっちゃといて。
が、時を掛け過ぎては、いけない。
返事に、時を掛け過ぎては、いけない。
掛け過ぎると、マレッタが、待ちくたびれてしまうかも、しれない。
そして、諦めてしまうかも、しれない。
多分、年齢から来る時間感覚は、ゴースケやリョウやモタが『1の濃さ』とするならば、マレッタにとっては『2以上の濃さ』が、あるだろう。
その分、マレッタが濃さに溺れる恐れは、ゴースケやリョウやモタ以上だから、グズグズしては、いられない。
う~ん
リョウは、悩んだ後、モタに言う。
「家族から攻めてもらう、とか?」
「家族から?」
「母親とか父親とか、祖父母とか兄弟とかから、援護射撃してもらう。
で、ゴースケさんの外堀を、埋める」
「それ、あかんな」
モタは、素っ気無い。
素っ気無く、続ける。
「マレッタさん、天涯孤独」
「マジか?」
「マジで」
う~ん
「ほな、友達から」
「あんまり、そこらへん、活発やないみたい」
「友達、いいひんのか?」
「いいひん訳や無いやろうけど、つるんで出歩くとかは無い、みたい。
休日は、ほぼ、家におる」
「この手も、あかんか ・・ 」
ちょっと、待てよ
「マレッタさん、ゴースケさんのええところは、分かってはるんやんな?」
リョウが、訊く。
「そら、惚れたはるんやから」
モタが、答える。
「で」
「で?」
「ゴースケさんは、どやねん?」
「え?」
「ゴースケさんは、マレッタさんのええところとか、分かったはるんか?」
「どやろ?
それ、考えたこと、無かったわ。
多分、驚きと『俺なんか』が先に立って、
そこまで頭、廻ってへんのやろ」
リョウが、深く頷く。
頷いて、ニヤッとする。
「なら」
「なら?」
「ゴースケさんに、
マレッタさんのええところとか弱いところとか、見つけさせて、
『ええ子やな~』とか『俺が守ってやらな』とか、思わせたら、
ええんとちゃうか?」
「 ・・ それ、ええ!
ええやん!」
モタは、一も二も無く、賛成する。
賛成して、続ける。
「ということは ・・ 」
「うん」
「マレッタさんの、アピール・ポイントとかコンプレックスな点とか、
そう云うもんを、見つけたらええねんな」
「そうなるな」
「で、それを、ゴースケさんに伝えて、上手く活用してもらう、と」
「そうやな。
何か、思い付くか?」
リョウは、モタに、問い掛ける。
途端、モタは、困り顔。
「う~ん。
正直、マレッタさんに会ったこと無いし、よう分からん」
リョウは、沈思黙考。
モタも、沈思黙考。
そこへ、ウタとキタが、自分の部屋から出て来る。
リョウ探偵事務所のドアを抜けて、奥の二部屋。
左側が、リョウの部屋。
右側が、モタの部屋。
手前の二部屋。
左側が、ウタの部屋。
右側が、キタの部屋。
それらの部屋から、ウタとキタが、出て来る。
ウタは、青ら顔を、ぶら下げて。
キタは、黄ら顔を、ぶら下げて。
「話は、聞いた」
ウタが、言う。
真っ直ぐ立てた右腕前腕の肘に、真っ直ぐ水平にした左腕前腕を添えて、右人差し指を立てて、言う。
ワイドショット右人差し指立ての体勢(ウルトラセブンの光線発射の体勢)で、言う。
「聞いたで」
キタが、言う。
いかつい顔に、笑みを浮かべて、言う。
いかつい身体を、ちょびっと震わせて、言う。
「また、部屋で、盗み聞ぎしてたんか」
モタが、呆れた様に、返す。
「失敬な」
ウタが、即、反応する。
「失敬やな」
キタが、やや遅れて、反応する。
「ホンマのことやないか」
モタが、ウタとキタを、挑発する。
「まあまあ」
リョウが、割って、入る。
モタ、ウタとキタの視線の交差に、割って入る。
「ほんで、なんかええ考えでも、あるんか?」
リョウは、ウタに、問う。
ウタに、助け舟を、出す。
「マレッタさん、友達少ないそうだけど、
全くいないんわけではないんだろ?」
ウタは、尋ねる。
返事を待たずに、続ける。
「お世話になっている人も、いないわけではないんだろ?」
「そやな」
リョウは、認める。
「その人らに、マレッタさんの話を訊いてみて、
マレッタさんのアピール・ポイントとかコンプレックスとかを、
確認してみたら、どうだろう」
「 ・・ そうか」
「で、分かったら、ゴースケさんにそれを伝えて、
活用してもらったら、いいと思う」
「なるほど」
リョウは、頷く。
「と、云うことは ・・ 」
モタが、口を、挟む。
挟んで、続ける。
「多分、お店の人に、訊くことになるやろな」
「ああ、そやろな」
リョウが、答える。
「ちゅうと、店長、ドライバー、キャスト仲間、ってとこか」
「そやな。
早速、手配してくれ」
「いやいや」
モタが、慌てる。
「俺、そんな伝手、無いで」
「マレッタさんの件でとか言って、事情を説明したら、教えてくれるやろ」
「いやいや。
マレッタさんに気ぃ使って、ホンマのところ教えてくれるとは、
限らへんやん」
「それも、そやな」
リョウが、ウタを、見る。
モタも、ウタを、見る。
二人の会話を聞いていたウタは、体勢を、整える。
改めて、ワイドショット右人差し指立ての体勢に、整える。
「そこらへんの伝手、無くは無い」
ウタが、宣言する様に、厳かに、言い放つ。
さすが、ウタ!
そこらへん、マスター!
リョウが、感心した眼を、向ける。
まあ、マスターと云えば、マスターやけどな ・・
モタとキタは、ウンザリした眼を、向ける。
「聞けば、外国人女性派遣専門のデリバリー・ヘルスと云うことだから、
二、三、心当たりがある」
ウタが、すまし顔で、言う。
「ほな、そこらへんの調査は、ウタに、任せとこう」
リョウが、フォローする様に、言う。
「調査に当たって ・・ 」
ウタが、口を、開く。
開いて、続ける。
「源氏名は?」
ウタが、問う。
「へっ?」
リョウが、戸惑う。
「源氏名」
「それ、何?」
「お店での名前。
まさか、本名の『マレッタ』さんで、出てないだろ?」
リョウは、止まる。
止まりながら、眼だけ、モタに動かす。
「ノーラ」
「ノーラ?」
「マレッタさんの、お店での名前は、ノーラ」
モタが、答える。
「了解した。
早速、調べる」
言うや、ウタは、自分の部屋に、帰る。
「OK、だ」
ウタが、高らかに、言う。
自室に籠ってから、一時間半くらいしか、経っていない。
「マレッタさんの勤め先は、すぐ分かった」
「手際ええな」
「幸い、店長、ドライバー、マレッタさんと仲のいいキャストさんも
そこにいて、遠隔で、話を聞くことができた」
「おお。
仕事が、早い」
いつもながら、ウタの手際の良さに、リョウは、感心する。
「まとめると」
「まとめると?」
「オールOK、だ」
「オールOK?」
「店長、ドライバー、キャストさん、三人とも口を揃えて、
マレッタさんを、褒めている。
性格、行動、言動、生活態度、全てに好感が持てるそうだ」
「コンプレックス、無さそうやな」
「そうだな」
「それ、ゴースケさんへのアピール・ポイントには、ならへんのか?」
「 ・・ それは、どうだろう? ・・ 」
ウタは、ちょっと、言い淀む。
言い淀みながらも、続ける。
「 ・・ 確かに、
あの世界では、好ましい『性格、行動、言動、生活態度』だと思うが、
一般的には、『出来て当たり前』のところがあるからな」
「 ・・ ああ、なるほど」
さもありなん
リョウは、重々しく、頷く。
ウタの調査では、一応、裏が取れた。
マレッタの人となりの裏が、取れた。
マレッタは、ちゃんとした人。
ゴースケを騙しているなんてことは、無い。
本気で、惚れている。
が、マレッタのアピール・ポイントやコンプレックスを探る点では、不充分。
ウタの調査は、不充分。
好ましい状況は、把握できた。
が、今後の対応策が、判明しない。
そんなとこ。
リョウとウタ、モタは、顔を、曇らす。
その場にいたキタは、黄ら顔で、見つめている。
マレッタの写真画像を、見つめている。
店のキャスト写真画像、だ。
マレッタは、顔出しを、している。
その上、人気もあるので、店のホームページのTOPに、写真画像がUPされている。
「なあ、これ」
キタが、口を、開く。
「何で、右の横顔ばかり、やねん?」
ん?
リョウが、マレッタの写真画像を、見直す。
んん?
モタが、マレッタの写真画像を、見直す。
確かに
ウタは、得心する。
「なあ、何で、右の横顔ばかり、なんやろう?」
キタが、改めて、問いを、発する。
「それは、あれやろ ・・ 」
モタが、答える。
答えて、続ける。
「右横顔の方が、写真写り、ええからやろ」
モタの答えに、リョウも、頷く。
「そうなんか ・・ 」
キタは返事をするも、何か、煮え切らない。
スッキリしていない、様だ。
・・ ・・
ウタは、考え込んだまま、だ。
沈思黙考に没頭、している。
リョウは、そんなウタを見て、問い掛ける。
「何か、引っ掛かるんか?」
ウタは、リョウの瞳を見つめ、おずおずと、動き出す。
「うん。
一点、引っ掛かるところが、ある」
「何や?」
「これ」
ウタは、店のホームページの、キャストの写真画像を、示す。
示して、続ける。
「このお店、『所属キャスト、全方位可愛い子揃い!』がウリやから、
キャストの画像、前後左右上下がある」
そう云えば、マレッタ以外のキャストは、前後左右上下の写真画像が、掲載されている。
「だけど、マレッタさんだけ、前後右上下で、左が無い」
ウタに指摘され、リョウは、確かめる。
確かに、左横顔の写真画像が、無い。
「ホンマか?」
モタが、確かめる。
キタも、確かめる。
「ホンマ、や」
モタが、言葉を、漏らす。
キタも、頷く。
「何でや?」
モタが、ウタに、訊く」
「分からん」
ウタは、スッパリと、答える。
答えるが、続ける。
「が、推測は可能、だ」
「可能、なんか。
可能はええけど、妥当なんやろな?」
リョウが、疑わしそうに、訊く。
「と、思う。
・・ マレッタさんは ・・ 」
「マレッタさんは ・・ 」
「左横顔に、コンプレックスがある」
「左横顔にか?」
「そう、睨んでいる」
「そのコンプレックスは、何なんや?」
リョウが、問う。
ウタは、微笑む。
「それは、分からない」
「分からんのかい!」
リョウは、すかさず、ツッコむ。
「コンプレックスを、左横顔に感じていることは、事実だと思う。
そのコンプレックスが何かは、見当が付かない」
「まあ、分からんわな」
リョウも、納得する。
「『左横顔に、何かある』と云うのが、最もあり得ること、だろうな」
「痣とか火傷痕とか」
「あり得る」
「傷痕とか顔の一部が大きいとか」
「それも、あり得る」
翌日。
ゴースケは、座っている。
リョウ探偵事務所の客用椅子に、座っている。
向かいには、リョウが、座っている。
達磨状態のリョウが、高機能車椅子に、座っている。
リョウの隣には、モタが、座っている。
赤ら顔で、先輩に敬意を表わして、座っている。
「 ・・ と云うことは」
「はい」
「マレッタさんの行動・言動には、『他意は無い』と」
「はい」
「本当に、『自分に、惚れてるんだ』と」
「はい。
それは、保証できます」
ゴースケの問い掛けに、リョウは、返す。
にこやかに、答えを、返す。
「先輩、認めてください。
先輩の魅力が分かる、若い子がいるんですよ」
モタも、にこやかに、言葉を、重ねる。
「 ・・ そうか ・・ そうなんか ・・ 」
ゴースケは、感慨深く、口を、閉じる。
「ところで」
リョウは、感じ入っているゴースケに向けて、問い掛ける。
「マレッタさんのコンプレックスとかに、思い当たる節は、無いですか?」
「はい?」
ゴースケは、訊き返す。
全く、予想もしていなかった質問に、訊き返す。
「マレッタさん、コンプレックスが、有りそうなんです」
「はあ」
「そのコンプレックスを、『ゴースケさん、知らはらへんやろか?』
と思って、尋ねました」
「あの ・ ・ それが ・・ 僕に ・・ 何か関係あるんですか?」
ゴースケは、恐る恐る、尋ねる。
「あると云うか何と云うか ・・ 」
リョウは、考え考え、答える。
「 ・・ それが分かれば、
『ゴースケさんが、マレッタさんを癒してあげられる様になる』と云うか、
『今後の二人の関係が、良好に続く様になる』と云うか ・・ 」
「はあ」
「マレッタさんの左横顔に有りそうなんですけど、何か、知りませんか?」
「 ・・ う~ん ・・ 」
ゴースケは、眼を閉じて、沈思黙考。
リョウもモタも、ゴースケを、見守る。
・・ ・・
・・ ・・
ゴースケが、眼を、開ける。
眼を開けて、口を、開く。
「そう云えば」
「「そう云えば?!」」
ゴースケの言葉に、リョウとモタが、相槌を打つ。
「キャスト写真、撮る時に、顎上げんの、嫌がっていたな」
「はい?」
ゴースケの言葉に、リョウが、問う。
「いや、ホームページに載せるキャスト写真撮ったの、僕なんですけど」
「そうなんですか」
「はい。
それで、マレッタさんの写真撮る時に、
絶対、左向きの写真、撮らせてくれなかったんです」
「そうなんですか」
「それに加えて」
「はい」
「下目使いのものとか顎上げた構図の写真、むっちゃ嫌がったんです」
「はい ・・ ?」
リョウは、すぐには、得心しない。
さらに、ゴースケに、続けて問う。
「何で、ですか?」
「分からないです。
むっちゃ嫌がるから、『痣とかあるんかな』と思って流したんですが、
パッと見には、分からなかったです」
「 ・・ う~ん ・・ 」
「「 ・・ う~ん ・・ 」」
またもや、考え込む。
今度は、ゴースケのみならず、リョウとモタも、考え込む。
・・ ・・
・・ ・・
「 ・・ 訊いてみるか」
リョウが、口を、開く。
「誰に?」
「誰に、ですか?」
モタとゴースケが、即聞きする。
「お客さん」
「お客さん?」
「ああ、お客さん」
モタは、すぐには、分からない。
ゴースケは、すぐには、分かった様だ。
「マレッタさんの、お客さん」
「ああ、そう云うことか」
モタも、得心する。
「ゴースケさんから見て」
「はい」
「マレッタさんが、心を開いているお客さんって、誰ですか?」
「う~ん。
本人が、自閉気味なんで、すぐには、思い付かないです ・・ 」
ゴースケは、そのまま眼を閉じ、再び、沈思黙考。
リョウとモタは、再び、見守る。
・・ ・・
・・ ・・
ゴースケが、眼を、開く。
リョウとモタが、ゴースケの眼を、捉える。
「敢えて言うならば」
「はい」
ゴースケの言葉に、リョウは、答える。
「マルタンさん」
「マルタンさん ・・ ですか」
「そう、マルタンさん、です。
品のいい、周囲を和ませる雰囲気を持った、お爺ちゃん、です」
「見た目的な特徴、は?」
「恰幅よくって、口角上がった、垂れ目系の人、です」
ああ、それなら、すぐ、分かりそう
リョウは、安堵する。
モタは、待ち合わせする。
よく使う喫茶店で、待ち合わせを、する。
リョウは、外に出られない。
専ら、外回りの調査は、モタの役目、だ。
その役目は、モタは、嫌いではない。
リョウと、コミュニケーションを頻繁にとる必要が、ある。
案件に、深く関わっている充実感も、ある。
加えて、身体を動かす作業は、モタ。
頭を使う作業は、リョウ。
キチンと、役割分担も、出来ている。
だから、どちらかと云うと、『嫌いではない』よりも『好き』に近い。
待ち合わせの相手は、マルタン。
マレッタの上客、だ。
最初に、問い合わせた時、不審がられた。
無理も無い。
が、事情を説明すれば、思っていた以上に、協力的になってくれた。
特に、マレッタが思いを寄せる人が出来て、嬉しいようだ。
マルタンの中では、『マレッタの保護者とか、お爺ちゃん』的ポジションなのかもしれない。
チリン
店のドアが、開く。
人が一人、入って来る。
恰幅が、いい。
口角が、上がっている。
垂れ目、だ。
間違い無い
マルタンさん、や
モタは、一目で、確信する。
モタは、マルタンに向かって、手を上げる。
顔を覗かす様にして。
マルタンが、こちらを、見る。
モタの赤ら顔の姿を確認すると、頭を、下げる。
にこやかな笑み、と共に。
マルタンは、体型をものともせず、スッスッと、やって来る。
あんな身体なのに、身のこなし、ええな
モタは、近づいて来るマルタンを眺め、思わず思う。
「お初に、お目に掛かります。
モタです」
「初めまして。
マルタンです」
電話やメールで、何回か遣り取りした。
とは云え、実際、会うのは初めて。
二人は、そつなく、初対面の挨拶を、行なう。
モタは、驚いていない。
対して、マルタンは、少し驚いている様だ。
モタは、想定内。
マルタンは、想定外、だったのだろう。
モタの赤ら顔が、想定外だったのかもしれない。
モタが、想定よりも、若かったのかもしれない。
モタが、見た目よりも丁重、なのかもしれない。
挨拶と、軽い会話を交わした後、モタは、本題に入る。
「 ・・ と云うわけで、何か、思い当たる節、有りますか?」
話の内容、事情説明は、既に終わらせている。
「う~ん。
基本、僕にも、右半身の斜め体勢か、真正面体勢で、
対応してくれてんねん」
それは、マルタンにも、極力、『左半身、左横顔は見せていない』と云うこと。
「ほんの些細なことでも」
モタは、すがる様に、マルタンに、言う。
「 ・・ 言えることは ・・ 」
「言えることは?」
モタは、マルタンの言葉に、飛び付く。
「むっちゃええ子、やな」
「ああ、それはそうでしょうね」
「会話にしても、PLAYにしても、こちらを敬ってくれて、
真摯に対応してくれてるのが、伝わって来る」
それは、その通りやと思いますわ
モタは、ツッコミ思う。
それからも、モタとマルタンは、細かくとこまで、会話を交わす。
その最中、話は、出て来る。
「PLAYの後」
「はい」
「『共に一服しよう』と思って」
「はい」
「一緒に、コーヒーを飲んだことが、あるねん」
「はい」
「その時」
「はい」
「マレッタさんが、コーヒーこぼしてしもて」
「はい」
マルタンは、ここで、思い出し笑いを、する。
なんともいい記憶を、思い出した様に、微笑む。
「で」
「はい」
「マレッタさんが、顔とか服とかにこぼしたコーヒーを、
拭いてあげたんやけど」
「はい」
「その時、チラッと」
「チラッと?」
「マレッタさんの」
「はい」
「左顎の下裏の奥、見えてん」
「見えたんですか?」
そこには、何が、見えてん?
モタは、マルタンの話術に、引き付けられる。
マルタンは、満足そうに、モタの様子を、眺める。
「見えた」
「何が、有ったんですか?」
「傷痕」
「傷痕、ですか?」
「ちょこっとした傷痕」
「いや、今まで、分かりませんでした」
「無理も無い。
左顎の下裏の奥を見て、やっと気付くくらいの傷痕、やし」
「そうなんですか」
「なんぼか、縫った痕があったみたいやけど、全然、目立たへん」
これだ
これに、違いない
モタは、確信する。
「マルタンさんは、その傷痕について、マレッタさんに、
何か、訊かはったんですか?」
マルタンは、手を、振る。
「訊かへん、訊かへん」
「訊かはらへんかったんですか?」
「訊かへん、訊かへん。
なんか、気にしてそうやし、隠したそうやし」
「何か負い目とか、コンプレックスがあるんですかね」
「そうやろなー」
まあ、そこらへんは、ええか
なんや事情分からんでも、原因が特定できたら
モタは、それ以上深く、ツッコまない。
「 ・・ と云うわけですわ、先輩」
モタが、ゴースケに、言う。
リョウも、同席している。
いつもの如く、リョウ探偵事務所に、揃っている。
リョウ探偵事務所に、ゴースケ、モタ、リョウが、雁首を揃えている。
「『何で、気にしているか』とか、そんなんは、分からへんかったんか?」
ゴースケが、訊く。
モタは、キョトンと、する。
「そんなん、いらんでしょ」
「何でや?」
「いやいや、マレッタさんのコンプレックスを、
先輩が癒してあげたらええんやから、
何も、マレッタさんのコンプレックスを、暴露することはないでしょ」
「そら、そやけど ・・ 」
ゴースケは、釈然としない。
疑問を、呈する。
「でも」
「はい」
「コンプレックスを癒す為には、そのコンプレックスを、
よく知らんとあかんのとちゃうか?」
「 ・・ それも一理有りますね ・・ 」
モタが、リョウを、見る。
見つめる。
やれやれ
リョウは、苦笑して、口を、開く。
「マレッタさんのコンプレックスと云うか、マレッタさんの過去を探って、
せっかく塞がっている傷口を、再度開く恐れがあるなら、
『それは、避けた方がいい』と思います」
「 ・・ それは、そうですね ・・ 」
リョウの言葉に、ゴースケも、納得する。
「 ・・ なら」
「はい」
「どうやって」
「はい」
「マレッタさんのコンプレックスを、癒すんですか?」
「 ・・ それは ・・ 」
「それは?」
「ゴースケさんの、過去を気にしない包容力とか懐の深さで、
『包み込んであげたらいい』と思います」
「 ・・ 具体的には ・・ ?」
「それは、ゴースケさんができる手とか方法で、
包み込んであげてください」
なんや、ふわっとした結論、やな~
ゴースケは、納得できない顔で、頷く。
渋々の様に、頷く。
「リョウ」
「うん?」
モタが、リョウに、話し掛ける。
「あんな結論で、よかったんか?」
「あれで、OK」
リョウは、モタに、にこやかに、答える。
「でも」
「うん」
「明らかに、先輩、納得してはらへんかったぞ」
「そやなー」
モタの言葉に、リョウは、あっさり、同意する。
「『そやなー』って、どうすんねん?」
モタは、畳み掛ける。
大事な先輩を、傷付けるわけには、いかない。
「ま、俺に、考えが、ある」
リョウは、爽やかに、答える。
「どんな考え、や?」
モタは、疑いの心を隠さず、尋ねる。
「それは、まだ、言われへん」
リョウは、言い切る。
ホンマに、考え、あるんかいな
モタは、疑いの心を、強くする。
「モタは」
「おお」
「ゴースケさんとマレッタさんを」
「おお」
「見守ってくれたらええ」
「おお?」
それだけ?
それだけで、ええんか?
モタは、想定外のあっさりした答えに、拍子が、抜ける。
「それだけ?」
「それだけ、や」
「詳細は、教えてくれへんのかいな?」
「当日までのお楽しみ、やな」
「 ・・ そうなんか ・・ 」
モタは、ちょっと、心配そうだ。
「心配すな。
充分、勝算はある」
リョウは、胸を、張る。
ホンマ、大丈夫かいな
モタは、危惧する。
先輩のことなので、デリケートなことなので、失敗は、許されない。
案の定。
案の定、ゴースケとマレッタの仲は、なかなか進展しない。
が、亀の歩みが如く、地に水が浸み込むが如くは、進展する。
遅々とした歩みだが、着実にちょっぴりずつは、進展する。
が、このままでは、何ヶ月、何年掛かるか、しれたもんではない。
そのまま、ズルズル行ってしまいそうだ。
モタは、もどかしい。
何か、手を、打ちたい。
「リョウ」
「ん?」
モタは、リョウに、相談する。
ゴースケとマレッタの進展状況について、相談する。
「・・ そうか ・・ 」
リョウは、眼を、閉じる。
そして、一瞬後、眼を、開ける。
そこには、決心の光が、輝く。
「『使わずに越したことはない』、と思ってたんやけど」
「おお」
「手を打つ時が、来たか」
「おお?」
モタは、問い直す様に、返事をする。
「例の」
「例の?」
「考えてた手」
「 ・・ あれか」
モタは、すぐ、思い至る。
「どうすんねん?」
「幻肢を、使う」
「幻肢?」
なんで、ここで、幻肢が登場すんねん
モタは、疑問に、思う。
「今度」
「今度」
「ゴースケさんが、マレッタさんと会う日時が」
「日時が」
「分かったら」
「分かったら」
「教えてくれ」
「教えてくれ?」
それを知って、どうすんねん?
幻肢で、どうすんねん?
モタには、一向に、分からない。
リョウは、そんなモタを、ニヤニヤ見つめる。
とにかく。
とにかく、モタは、リョウに、教える。
ゴースケとマレッタが会う日時を、教える。
その日、その時間に、スタンバイ。
リョウとモタは、リョウ探偵事務所の、机周りに、スタンバイ。
ウタとキタも、念の為、スタンバっている。
リョウが、眼を、閉じる。
と、
リョウの正中線に沿って、光が、走る。
光は、上部と下部で、枝分かれする。
上部の光は、左右に分かれ、リョウの肩先に、向かう。
下部の光も、左右に分かれ、リョウの股関節先に、向かう。
上部の光は、そのまま伸び、飛び出す。
肩先から、飛び出す。
存在しないリョウの腕が、伸びる様に、飛び出す。
下部の光も、そのまま伸び、飛び出す。
股関節先から、飛び出す。
存在しないリョウの脚が、伸びる様に、飛び出す。
光は、伸び続ける。
壁を突っ切り、窓を突っ切り、色々なものを突っ切り。
その姿は、人には、見えない。
人には、干渉しない。
が、リョウは、光=幻肢が届く範囲のものは、感じられる。
ある意味、見ることができる。
どこやろな~
幻肢を飛ばしながら、リョウは、見廻している。
辺りを、見廻している。
リアルのリョウは、モタ、ウタ、キタの前で、眼を閉じたままだ。
達磨状態で、高機能車椅子に乗って、深呼吸を、繰り返している。
時折り、ピクッピクッと、動く。
理論上、幻肢には、距離は、関係無い。
遠く離れていようが、他の国であろうが、伸ばすことが、できる。
リョウが、その土地をイメージできる限り、伸ばすことが、できる。
が、そのイメージ制限があるので、基本、幻肢の効果を及ぼせる範囲は、リョウ探偵事務所の周辺地域に、限っている。
幻肢を伸ばすのは、周辺地域に、限っている。
遠く伸ばしても、県内いっぱいぐらいが、限度だ。
今回は、場所は、大体、分かっている。
多分、造作無く、見つかることだろう。
あれか
リョウは、見つける。
ゴースケとマレッタを、見つける。
二人は、並んで、歩いている。
二人の距離が、友達以上恋人未満を、表わしている。
そんな、距離感。
いや、言い過ぎた。
最も一般的に見えるのは、父と娘。
仲のいい、父と娘。
リョウは、ゴースケとマレッタに向かって、幻肢を、飛ばす。
光の腕と脚を、伸ばし飛ばす。
幻肢は、人から、見えない。
人は、幻肢を、妨げない。
幻肢は、人を突っ切り、物を突っ切る。
その光の軌跡を認識できるのは、リョウだけ。
勿論、ゴースケにもマレッタにも、見えない。
幻肢は、ゴースケとマレッタのそばまで、近付く。
そこで、急停止。
そして、スタンバイ。
時が来るのを、待つ。
ゴースケとマレッタの会話は、弾んでいる。
いや、弾むと云うより、穏やかに流れている。
心地好い会話の流れが、そこには、ある。
その会話に、リョウは、安心する。
二人が醸し出す雰囲気も、和むものだ。
お互いが、向き合った。
会話の途中で、向き合った。
お互い、眼を合わせて、会話している。
今や!
リョウの幻肢が、すぐさま、動く。
正確には、右腕の幻肢だけ、動く。
四つの幻肢(二つの腕+二つの脚)では、物理作用を及ぼすことは、できない。
対象物に、触ることさえ、できない。
が、一つの幻肢(例えば、一つの腕や一つの脚)だけに絞れば、物理作用を及ぼすことは、できる。
触るどころか、押すことも引くことも、できる。
リョウの幻肢(右腕)は、ゴースケの右脇下を、すり抜ける。
眼には見えねど、光の軌跡を残し、すり抜ける。
すり抜けて、速やかに、マレッタの左腕を、掴む。
掴んで、引く。
えっ!
とばかり、マレッタの口が、形作る。
見ると、ゴースケの右腕は、動いていない。
が、確かに、引っ張られている。
マレッタは、左腕を、引っ張られる。
自然、身体は、左反りになる。
そして、
顎は、上向く。
左下奥を見せて、顎は、上向く。
傷痕は、丸見え、だ。
顎奥の傷痕は、ゴースケに丸見え、だ。
マレッタは、羞恥に、顔を、顰める。
何の因果で、こんなことになったのか。
せっかく、ゴースケといい感じに、なっていたのに。
これで、元の木阿弥、だ。
最悪、マイナスからのリスタート、だ。
マレッタが、諦め悟り、ゴースケを、見る。
えっ
ゴースケの佇まいは、変わらない。
どころか、顔が、愛しさに、溢れている。
雰囲気そのものが、慈愛に、満ちている。
そして、
それは、向けられている。
マレッタに、向けられている。
左顎下奥の傷痕を見ても、怯んでいない。
どころか、より愛しさを増した様に、マレッタを、見つめている。
ああ
マレッタは、一瞬にして、悟る。
そして、素直に、ゴースケの腕の中、胸の中に、飛び込む。
リョウの幻肢(右腕)に引っ張られた左腕に、逆らわず。
リョウは、笑っている。
眼を瞑ったまま、達磨状態で、高機能車椅子の上で、微笑んでいる。
リョウの状態を見て、モタ、ウタ、キタは、眼を合わせる。
眼を合わせて、アイ・コンタクト。
上手く行った様やな。
その様だ。
そうやな。
四人の微笑みが、部屋に満ちる。
{了}