35 ブラフ
世界樹システムの管理者は、天界神であれ悪魔であれ、その存在のほとんどを天界や魔界に残している。
隠世に現れているのは、ほんの一部の分身だ。
たとえそれが、何かの拍子に消滅したとしても、新たに分身を送り込めばいいだけで、記憶や経験が消えることはない。
だが、世界樹システムによって生まれた魂や精霊──霊魂は、そうはいかない。
消滅すればそれまでだ。それに、結びついている物質が失われれば霊魂は形を維持できなくなり、崩壊する。
それは、多くの念(信仰などの精神エネルギー)を得て神格化した付喪神も同じだ。どれだけ巨大な力を得たとしても、たとえ分身を生み出したり、現身を得たりして活動できるようになったとしても、所詮は霊魂でしかない。
分身を使えたとしても限られているし、御神体を失えば霊魂は崩壊する。
付喪神であっても、分霊や新たな御神体に移っていただくことで、消滅から逃れる手立てはあるものの、余程の神格がなければ難しい。
黒い蛇男は、封印された双頭の妖蛇から抜き取られた魔素に込められていた怨念の化身である。
その封印石が信仰を集めて神格化し、水霊石となって生まれたのが、水諸科等神。
さらに、その御神体である水霊石が砕かれ、二つに分裂した水諸科等神の幽霊を元にして生まれた双子の神が、水諸生豊神と水諸白立神である。
今回の作戦は、その辺りを踏まえてユカヤが提案したものだった。
因縁深きモノが集まれば、黒い蛇男も無視はできないだろう。特に、己の一部とも言うべき呪われた魔素が浄化されるとなれば、その強奪にやってくる可能性は高い。
そして、ユカヤの思惑通り、黒い蛇男が現れた。
多少の誤算がありつつも、なんとか倒すことができた……はずだった。
「エイ兄、まだ終わってない。あの蛇男、何か狙ってる」
真っ先に異変に気付いたのはコマネだった。
この状況で、あの蛇男が狙うとしたら何だ……?
普通に考えれば……
「魔素の強奪だろうな。……いや、浄化を止めるために神楽殿を?」
とにかく考えている暇はない。
「ボク、行くね。今度は絶対に止めるからっ!」
「分かった。けど無茶はするなよ」
悲壮なほど真剣な表情をしていたコマネが、俺の言葉を聞いてクスリと笑う。
「気を付けるけど……。無茶ばっかりする、エイ兄に言われてもね」
「俺だって、やりたくて無茶をしてるわけじゃないんだがな……。でも、いざって時は俺も出るからな。ネボコ、いいだろ?」
「仕方あるまい。ワシが単独で出るよりも、効果的だからな。だが、忘れるな。この幽世では怯んだら負けだ。慢心や軽率なのは論外だが、常に相手を呑んでかかる気迫で挑むことだ。なあに心配するな。おぬしの手にあれば、ワシは最強だからな」
茶目っ気たっぷりに、笑顔でネボコが拳を突き出し、それに応えるように、俺も笑顔で拳を突き出してコツンと合わせた。
この後のことは本当にあっという間の出来事で、正確に状況を把握した者はいないだろう。
バラバラになった黒い蛇男は、あたかも浄化の炎に導かれるように祭壇へと向かった。
陰鬱の魔女は、壺を浄化することに意識を取られていて、全く警戒をしていなかった。
その前に、俺の視界から飛び出したコマネが立ち塞がり、爪と体術で押し返す。
「……あの野郎!!」
黒い蛇男が、死んだふりをして魔素の強奪を目論んでいると気付いた狂乱の魔女は、憤怒の表情で災厄崩しの双剣を振るう。
だが、既にバラバラとなった相手では、蛇腹剣の効果が薄い。
「これなら、どうだ!」
狂乱の魔女は蛇腹剣を納めて長剣に戻すと、更に二振りの長剣を合わせて一本の大剣に変化させ、典礼で捧げ持つように剣先を上に向けて掲げる。
剣身から迸った清浄なる水流は、蛇行しながら次々と黒い蛇男の欠片を飲み込み、分解し、黒い霧へと変えていく。
遅ればせながら、戦闘に気付いた陰鬱の魔女は、加勢に入ろうか、周辺に散った魔素を集めようかと迷い始める。
ほんの数秒。それだけの間に半数以上の魔素を失った黒い蛇男は……
「フッ……俺の完敗だ。好きにするがいい」
なぜか唐突に言葉を発した。
何がどうってわけじゃないけど、俺は心の中に、ずっと何か引っかかるものを感じていた。
その正体が、奮闘するコマネの姿を見た瞬間、さっきの悲壮な表情と蛇男の言葉が合わさって、天啓のように閃いた。
ずっと気になっていたのは、俺がここへ来る切っ掛けになった、コマネの「秋月様が危ない」という言葉。なぜコマネは、秋月様が危ないと思ったのだろうか。
今さら聞きに行くわけにもいかないので推測するしかないが、それなりの根拠があったに違いない。
「もしかして……、敵の本命は、本当に秋月様?」
「ん? 栄太よ、どうかしたか?」
それにコマネは、黒い蛇男のブラフに騙されたことを悔やんでいた。それも二度に渡って。
一度目は、俺の魂が奪われた時。二度目は、水霊石が砕かれた時。
「……もし、これもブラフだったら。秋月様が危ない! ネボコ、向こうに出る。武器になってくれ!」
「おう、承った」
まさに間一髪だった。
ネボコが矛に姿を変え、それを握った俺が隠世に……神楽殿の舞台前に姿を現した時には、黒くて禍々しいモヤを纏った魔剣が目の前にあった。
それを反射的に跳ね上げる。
宙高く舞い上がった魔剣は、なおも舞台を……秋月様を目掛けて飛来する。
「栄太よ、指輪の霊力を解放せよ」
チラッと右手の中指にはめられた指輪に視線を送る。
ネボコの祝福が終わった後は、俺の霊力を溜める神器となっている。
言われた通り霊力を解放すると、粋音矛に吸収されていった。
「この霊力、そう長くは持たぬからな。次の攻撃で見事決めてみせよ」
「ああ、任せろ。必ず、ここで息の根を止めてやる!」
俺の言葉に反応するように、矛先に霊力が集中していくのを感じる。
それをブンブンと振り回しつつ、宙を舞った俺は魔剣の軌道を遮ると、ピタリと構える。
緊張の一瞬だ。集中する程に周りの速度が遅くなっていくのを感じる。
魔剣が真っすぐこちらに近付いてくる。
だが、微妙に傾いていることに気付き、俺は一拍送らせてから矛を横に払った。
「……?」
素早く鋭い一撃は、直前に軌道を変えた魔剣を捉え、真っ二つにする。
折れた魔剣は魔素を撒き散らして砕け散ったが、思ったよりも手ごたえがない。
弾いた時には、たしかに強い力を感じたのに……
そのまま俺は矛を下段に構えて警戒する……と、嫌な気配が迫ってきた。
「おらぁ!」
少し遅れてきたもう一本を、気合を込めて斬り上げた。
今度は手ごたえありだ。
先の一本は、魔素を使って作ったレプリカだったのだろう。それを止めて安心したところを、遅れてきた本命が……というわけだ。
もし本物の魔剣が、全く予想をしていない方向から舞台を狙っていたら、俺では対処できなかっただろう。
二つに分かれた魔剣は、なおも舞台へと迫るが、到達する前に砕け散った。




