18 狂気の交渉
一羽のスズメが神軒町に飛来した。
そのスズメは、周囲を観察すると、次の枝へ、さらに次の電線へと移っていき、徐々に町の中心部へと進んでいく。
今のところ、まだ何も騒ぎは起きていない。
どうやら隠蔽は上手くいっているようだ。
それならばと、一気に距離を稼いで目的地へと近付く。
ここまで来てもまだ騒ぎが起きないのであれば、土地神どもは、本当に気付いていないのだろう。
「ノッティーの奴、まさかリーザを利用して調べさせるとはな……」
そう呟くと、スズメに憑依した狂乱の魔女フェイトノーラは、静熊神社の中へと侵入した。
木の枝にスズメが留まると、その近くの地面に巫女姿の雫奈が姿を現した。
「ここは秋津霧加良姫が守護する土地です。土地神である秋津静奈姫が警告します……」
それを無視して、ただのスズメのフリを続ける悪魔の前に、光の粒子が現れた。
犬の姿で現れた鈴音は、そのままスズメに飛び掛かる。だが、あと一歩のところで取り逃がしてしまった。
「この匂い、間違いない。エイ兄を襲った悪魔だ!」
スズメの姿だけに、そう長くは飛んでいられないのだろう。適度な距離にある枝に留まると、雫奈と鈴音を見下ろす。
「チッ、あん時の犬っころかよ。ったく、面倒くせぇ。だがまあいい。こっちの要求はただひとつ。デイルバイパーの封印石をサッサと寄越しな!」
「狂乱の魔女フェイトノーラ。あなたは契約者に危害を加えましたね。まずはその魂を解放しなさい。このまま契約者が死ねば、あなたは天界によって誅滅されることになります」
こんなやりとりをしている裏で、隠世では追跡の準備が行われていた。
視界は所有者によってカスタマイズできるが、不特定多数が集まる隠世では、現世の風景が忠実に再現されている。
ただし、ここにあるのは魂や精霊などの精神体だが。
それらに加えて現世には現れないモノ──管理者や幽霊などがいる。
憑依しているということは、それほど離れていない場所に狂乱の魔女の分身が潜んでいるということだ。
現世で得た情報を頼りに、コマネが気配を探っていく。
こちらでは土地神姿なのだが、やっていることは匂いを追う犬そのものだ。
そしてついに、風景に溶け込むように佇む、赤いポストに擬態した狂乱の魔女を発見した。
まあ本人は上手く化けたつもりなんだろうけど、今どきなかなかお目にかかれない形状だけに、そういう意味では思いっきり目立っていた。
「この悪魔め! エイ兄を返せ!」
無反応のままやり過ごそうとするポストに向かって、コマネは爪を立てて襲い掛かった。
それをヒョイと避けるポスト。そのポストに銀の鎖が絡みついて拘束する。
これにはたまらず狂乱の魔女は擬態を解き、手足を使って逃れようとする。
「ったく、鬱陶しい!」
「逃げようとしても無駄ですよ。操心縛鎖の力はご存知でしょ? ねぇ、フェイトノーディアさん?」
「ふっざけんな! あんな陰気女と一緒にすんじゃねぇよ! ……ってか、やっぱお前、リーザか?」
「何の事かしら? 私は神軒町の土地神、秋津結茅姫ですよ? よければあなたもユカヤと呼んで下さいね」
にっこり微笑みながら自己紹介をしている間も、銀の鎖は狂乱の魔女の動きを封じていく。
そんな状況にも関わらず、なぜか狂乱の魔女は楽しそうに笑い出す。
「ハッハッハ……。リーザ、昔のアタイと思って侮ったな!」
その瞬間、鎖の中に人形が残され、狂乱の魔女は少し離れた空中に現れた。
「身代わり人形!?」
「てめぇみたいなヤバイ奴がいるって分かってんだ。備えるに決まってんだろ?」
その言葉でユカヤは確信する。薄々は気付いていたが、やぱり狂乱の魔女は自分が土地神になっていることを知っていたのだ。
その上で、陰鬱の魔女を使って自分を誘き出し、その隙に静熊神社を襲撃した。つまり、用意周到に練られた作戦だったのだ。
だが、誤算は鈴音の存在だったのだろう。そのせいで、封印石の場所を確かめることができずに撤退したのだ。
「だったら、私の契約者の魂を奪ったのも、そのため?」
「ちょっとした嫌がらせのつもりだったんだけどよ、まさかそれが契約者だったなんてな。道理で変わった魂をしていたわけだ」
「じゃあ、返すつもりはない……ってこと?」
明らかにユカヤの雰囲気が変わった。
氷のように冷たい怒りが、狂気となって発散される。
それを見て、狂乱の魔女は明らかにヤベェという表情を浮かべる。
「いや、まてまて。返してやりてぇのは山々なんだが、そいつ、どういうわけか逃げちまってな。魂が魔界に降りて無事な訳がねぇんだけど……」
「それで?」
「だから、返したくても返せねぇんだよ」
「で、どうするつもり?」
「どうするもこうするも、消えちまったもんはしゃーねぇだろ?」
「……それが、あなたの遺言ってこと?」
狂気のレベルが上がった。
「おい、待てって。そんなことしたら、ほら周りに影響が出てんだろうが!」
「それが? 兄さまがいない世界なんて、もう必要ないわよね?」
さらに狂気のレベルが上がる。
「わ、わーったよ。探しに行ってやっから、正気に戻れって」
「何を言っているのですか? ノーラ、私は至って正気ですよ?」
「それのどこが正気なんだよ!」
「ノーラ。魂が抜かれた肉体ってね、やがて衰弱して死んじゃうのよ? もう時間がないの。もしこのまま兄さまが死んだら、絶対にあなたを許さない。放っておいても天界が誅殺するでしょうけど、それも絶対に許さない。私があなたを捕まえて、永遠に滅ぼさないまま、気が狂っても反省させ続けてあげるからね」
感情の無い声で淡々と告げるユカヤ。
虚ろな表情が、奈落の底に揺蕩うような闇深き狂気を感じさせる。
ブルッと身震いした狂乱の魔女は、栄太の魂を見つけて必ず戻すと約束して、魔界へと戻って行った。
「ユカ姉……悪魔より怖い……」
腰を抜かしたかのようにペタリと座り込んだコマネが、ポツリとそう呟いた。




